──またこの季節がやってきた。
年末になると、かならず思い返す出来事がある。

この話は、2004年まで遡る。

2004年12月31日。

当時まだ「青年」だった私は、モヤモヤと葛藤していた。

「今日で終わってしまう」

累積赤字により高崎競馬の廃止が決まってからそれまで、ルーチンワークのように、なんとなくボンヤリとした思いで高崎競馬場に通っていた。

しかしそれも、その日で終わり。
いよいよグランドフィナーレの日であった。

「グランド」なんてカッコいい表現を使ったのは、もしかしたら、そういう感動的な思い出にしてしまえば自分の気持ちに納得がいくだろうと──自分自身に、言い聞かせていたからなのかもしれない。

事実、随分と時が流れた今でも、やはり私にとってのナンバーワンは北関東競馬であって、何にもかえられない忘れられない思い出である。

当時の私は、一眼レフカメラとレンズ数本を持って、毎週のように高崎競馬場・宇都宮競馬場に通っていた。

「北関東競馬の魅力は?」

そう言われると少し口ごもってしまうが、一番の魅力は人の温かさであろう。

高崎場内の数少ない食堂のおばちゃんに顔を覚えてもらい、店に入るなり「今日も寒いでしょう」とか「風邪流行ってるから栄養つけないと!」と、余計なお節介を焼いてもらったものだ。

それが、とても心地よかった。

毎回『モツ味噌ラーメン』を頼むのを覚えていて「いつものでいい?」なんて聞かれたものだ。

そして必ず、ゆで玉子をサービスでつけてくれた。

そのゆで玉子……茹ですぎてるのか、硬くてパッサパサだった。なのに美味く感じてしまうのだから、不思議なものだ。

──おばちゃんのゆで玉子、また食べたいなぁ。

場内は、常に閑古鳥が鳴くスタンド。

赤字財政も頷ける。

座ってカメラをいじっていると、 

「でっかいカメラだな!」
「何撮るんだ?」
「兄ちゃん当たってるか?」
「さっきのは水野(貴史)が飛んじまったから荒れたな!」

などと、粋なおっちゃんが気さくに話しかけてくる。

今の時代にこんなおっちゃんがいたら不審者案件になってしまうのかもしれないが、当時はまだ、こんな光景が当たり前のように見れた。

そういうところも好きだった。
もちろん馬に関するエピソードもあるけど、私は何より、人と人との繋がりが好きだった。
見ず知らずの相手でも友達のように接し、名前も知らないのにコーヒーをご馳走になったり。
エピソードを挙げ出したら、キリがないほどに。

そして、12月31日。

この日の第12レースをもって、高崎競馬場最後のレースとなる……はずだった。

しかし、降雪の影響で除雪が追いつかず第9レース以降が打ち切り。

メインの高崎大賞典もやり直しをせずに、なんと第8レースで高崎の歴史が終わってしまった。

レースを勝っていたのは、ファーストルーチェという5歳牝馬。
三条競馬場でデビューし、高崎を経て、最後は岩手で頑張ったという経歴を持つ。
最後の勝利ジョッキーはあの赤見千尋騎手。

高崎廃止後も競馬界でご活躍を続けていらっしゃる姿が頼もしい。
しかし、それにしても。

──なんとも、あっけない終わり方だった。

高崎競馬廃止後、翌年3月で宇都宮競馬も廃止。
北関東競馬が消滅した。
そして私も競馬を観る理由を見出だせなくなり、暫く競馬と疎遠になる。

『グランドフィナーレ』というには到底及ばない、煮え切らない終わり方をした北関東競馬。

──まるでそこで時間が止まってしまったままのような感覚。それがずっと残っていた。

ある時、たまたま地方競馬の情報を見ていると、当時高崎に所属していた矢野貴之騎手が、大井で大活躍しているという事を知った。

なんと2018年には東京ダービーを制覇する大活躍。
リッカルド等の主戦騎手として大きく飛躍する彼の姿を見て

「そうだ、まだ高崎は生きているんだ」

と、気付かされた。

──私は、高崎競馬のヒューマンドラマが好きなんだ。

それに気がつくと、夏が終わる頃にはカメラとレンズを買っていた。
そこには15~6年ぶりにファインダー越しに写る矢野貴之騎手・森泰斗騎手・内田利雄騎手らがいた。

あの時、夢中になっていた思い出が甦り、止まっていた時間が動き出したのだ。

──これからも北関東HOT競馬を応援し続けよう。

彼らがいる限り、高崎競馬・宇都宮競馬・足利競馬はまだ終わっていないのだ。

写真:富田直将、齋藤美香

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