高知競馬の魅力~夕暮れの競馬場~

皆さまこんにちは。

高知競馬の様々な魅力をご紹介していくことになりましたパッパカです。

よろしくお願い致します。

2017年の春、第5回土佐春花賞が行われた高知競馬場に来て、高知競馬にはまりました。

2018年に入り、開催日も非開催日も通い詰め、休みの日はほぼ高知競馬にいたと言っても過言ではありません。2019年に至り、落ち着きましたがまだ競馬歴2年の若輩者です。

今回の記事執筆にあたり、高知競馬の歴史について調べてみました。

高知でも競馬の歴史は思ったより長いようで、高知で近代競馬の競馬場らしきものが作られたのは、1886年のことです。高知城のある高知公園東側につくられたコースは、一周が600mだったようです。内閣制度ができたばかりで、明治の憲法や帝国議会ができる前のお話です。

それから、土佐山田競馬場(香美市土佐山田町)、長浜競馬場(現在の高知競馬より海に近い長浜)、そして、今の高知競馬の前身・桟橋の高知競馬場(高知市桟橋六丁目)がありましたが、終戦を迎え、桟橋の高知競馬場が唯一の競馬場となり、戦後の日本をともに歩んできました。

そしてバブル景気に沸く前夜の1985年、現在の新高知競馬場(高知市長浜)が完成。桟橋から移転します。

1991年度の総入場人員は約37万5千人、総売得金は約221億円となり、ネット販売が無かった時代としては驚くべき数字を記録しています(2018年度の総入場人員は約7万人)。

しかし、バブル崩壊後の平成不況──いわゆる失われた10年には抗えず、88億円の累積債務を、高知県と高知市に肩代わりしてもらうことに。さらに、リーマンショックが起こった2008年には、総売得金は約38.8億円を記録してしまいます(収支としては黒字転換した年です)。

ただ、そこからが高知競馬の真骨頂。

2009年には西日本初のナイター、かつ競馬史上初の通年ナイター、夜さ恋ナイターを始めます。

それからは一度も前年度の総売得金を割り込むことなくうなぎ昇りに上がっていき、2018年度には約430億円となり、1991年の規模を優に上回るところまできました。

このネット時代を先取りする高知競馬の動きは競馬場の設備のアイデアにも表れ、現在では、ゲート上の文字表示もフルカラーのLED電光掲示板となっています。

このような電光掲示板は国内の競馬場では例をみないものです。ネットで無料中継(高知競馬は、Youtubeライブ、ニコニコ生放送、楽天競馬等で全て無料放送で見ることができます。また、後から全て見ることも可能)を見る全国のファンにとっては、画面映えするゲート上の電光掲示板は好感を持って見られるでしょう。

場内の設備ではなく、先ず『全国』を意識し、どの競馬場もやっていないゲート上のフルカラーLED化をした戦略は、まさに機を見るに敏。さすがの一言です。

ですが、高知競馬場の良さとはなんでしょう?

そこで、次の写真をみていただきたいです。

日が少し傾いてきた時の、パドックの光景です。

実は奥の建物は高知競馬場ではなく、温浴施設・プールがある高知市営ヨネッツこうちさん。

綺麗に夕焼けに染まり、まるで秋の紅葉のようです。

夕闇が迫ってきました。

奥に見えている屋台では、ホットドッグや豚汁、目玉焼き入り焼きそばが売られていて、賑わっています。

そして運がよければ、このような夕焼けが拝めます。

反対側を振り向けば、紫色の闇が夜を告げています。

馬は淡々と歩き、パドックに仲良く座る人達が静かに予想をしています。

高知競馬場は、基本的に静かです。

普段は声援もヤジも、大きな声もほとんどなく、粛々とレースが進んでいきます。

それだけに、夕方の競馬場の姿がより一層、印象に残ります。

昼から夜へと変わる瞬間──高知競馬が一番大好きだ、と思える瞬間です。

高知競馬場が背負っている様々な歴史を忘れさせてくれる空間が、そこにはあります。

今回はここで筆を擱きたいと思います。

ではまた、次の機会に。

写真:パッパカ

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