天才が引き出した才女の底力 ディアデラノビアのフローラステークス

声に出して噛まずに読みたい馬名といえば、元祖はこの馬のような気がする。

「ディアデラノビア」

そして、2002年生まれのディアデラノビアの名は20年以上経っても、必ずと言って良いほどPOGなどで耳にする。つまりは名牝系のひとつということだ。牝系とは奥深さが魅力。脈々とつながっていく一本のラインをたどることは歴史を旅する感覚に近い。大樹の枝葉一本一本にその記憶が詰まっている。私たちの目の前を走るサラブレッドは一葉のごとし。その葉脈に刻まれる力は母なる大樹から与えられた大切な命そのものだ。

ディアデラノビアの母ポトリザリスはナシオナル大賞(アルゼンチンダービー)、アルゼンチンオークスを勝ち、最優秀3歳牝馬、最優秀古馬牝馬に選出された女傑だ。その兄弟には3頭のGⅠもいる南米を代表する名牝系のひとつ。サンデーサイレンスとの相性を考え、ノーザンファームが探し当てた世界の名牝の一頭でもある。ディアデラノビアはポトリザリスの初仔だった。馬名由来はアルゼンチンの恋人の日を指すスペイン語。道理で日本語しか話せない私にとって発音しにくいわけだ。恋人の日とは、4月1日。男性からガールフレンドへ花を贈る慣わしだそうだ。馬名は他国の言語や習慣を学ぶ場でもある。

母と同じ栗毛のディアデラノビアは顔が小さく、大きな瞳が印象的な可愛らしいビジュアルをしていた。どこか聡明さを感じる彼女は、デルタブルースで菊花賞を勝った関西の気鋭・角居勝彦厩舎に入厩した。同級生といえば、シーザリオ、カネヒキリ。同馬主シーザリオが連勝を決めた翌週、ディアデラノビアも白梅賞を勝ち、2戦2勝と無敗で肩を並べた。シーザリオはフラワーCに向かい、ディアデラノビアはチューリップ賞へ。2歳女王ショウナンパントルがクイーンCで始動し、暮れのGⅠ1番人気3着ラインクラフトはフィリーズレビューに向かったため、傑出馬不在と良血がまとうスケール感を背景にディアデラノビアは1番人気の評価を受ける。しかし、スタートで後手を踏むと、一気にスイッチが入ってしまい、リズムを乱し、7着。フィリーズレビューにも出走する強行策で桜花賞へ望みを託すも、上がり最速を記録しながら4着に敗れた。スケールも潜在能力も血統通りだったが、どうにもリズムがかみ合わない。その原因を距離に求めた陣営は目標をオークスに切りかえる。なにより、ディアデラノビアをクラシックに出したかったか。それだけ価値ある血統だからだ。

桜花賞はラインクラフトが勝ち、同厩舎シーザリオ2着。それから2週間後、フローラSにディアデラノビアは賭けた。ここまで3戦騎乗した安藤勝己から武豊に鞍上をスイッチ。サンデーサイレンス産駒に乗せたら世界一。柔らかい当たりと馬に話しかけるような促し方は競馬に行くと強気になりすぎるディアデラノビアにマッチした。トライアル2戦の内容を踏まえ、距離延長も東京コースもプラスになるはず。1番人気こそキングカメハメハの妹レースパイロットに譲ったが、たとえ桜花賞出走を逃していても、2000m出走への期待は大きかった。

フローラSは桜花賞直後のレースとあって、桜花賞出走馬はほぼ出走しない。最初から適性を鑑み、中距離をターゲットに勝ち進んだ馬や桜花賞出走を叶えれなかった馬、デビューが遅れ、そもそもトライアルに間に合わなかった馬たちが集う。新緑の府中芝2400mへの道はクラシックへのラストチャンス。我々ファンにとってはGⅠの谷間だが、出走馬を送る陣営の祈りは頂点に近い。

舞台は東京の2000m。前半から飛ばしていく馬はいない。各馬、後半勝負は暗黙の了解といっていい。ディアデラノビアは8枠15番。シュートから角度をつけながら2コーナーへ突入するこのコースでは、決して乗りやすい枠ではない。さあ、どう出るのか。武豊。マイル以下ではスタートで遅れることが多かったディアデラノビアはゲートを決め、武豊はゆっくり行こうとサインを送る。少し嫌がる素振りをみせつつも、2コーナーを出るころには、渋々納得したかのようだった。その位置取りは後方から2番手。後ろすぎる印象もあるが、おそらく位置よりも重視すべきはリズム。内のパーフェクトマッチが追い抜きにかかると、ふたたび少しエキサイト。サンデーサイレンス産駒特有の闘争心を制御する懐の深さは抑え込まず、決して行かさず。まるで針孔に糸を通すかのような作業だ。

レースを引っ張ったのは笠松のクインオブクイン。鞍上は今はなき浜口楠彦だ。懸命に行きたがるのを抑え、ペースを演出する。前半1000m通過61.4。スローの後方待機は絶望的にもみえる。しかし、鞍上は落ち着き払い、ディアデラノビアは末脚に向け、そのエネルギーを充電していただけだった。届かないのではという不安といった余計な要素は捨て、シンプルな策に出る。これもサンデーサイレンス産駒を乗りこなす秘訣といえよう。簡単なようでそうではない。しかし、さらっとやってみせる。これも天才の流儀だ。4コーナー手前から緊張感を漂わせた手綱を緩め、「そろそろ行こうか」と合図を送る。

ディアデラノビアはその合図に瞬時に反応した。顔に似合わない唸るような手応えで一頭、また一頭とライバルたちを交わし、最後の直線へ出た。邪魔をするものがいない馬群の大外へ持ち出される。内ではソツなく回ってきたレースパイロットが抜け出す。右手前で一気に差を詰めにかかり、残り200mで左手前へ。ディアデラノビアに眠る瞬発力がすべて解放されていく。まさに矢のごとし。圧倒的な脚色で粘るレースパイロットを差し切った。

その瞬発力はシーザリオに決して引けをとらない。牝馬らしさ全開で上手にレースで力を発揮しないことも多かったが、ひとたび、その能力を解放した時の恐ろしさはディアデラノビアのポテンシャルそのもの。それは重賞3勝ディアデラマドレ、JRA・南関東8勝ディアデルレイ、JRA・水沢10勝サンマルティン、京都大賞典を勝ったドレッドノータスなど多くの産駒に受け継がれていった。ディアデラマドレからは重賞2着1回3着3回、21年エリザベス女王杯3着クラヴェルが出た。エリザベス女王杯はディアデラノビアも2006年3着。悲願のGⅠ制覇は孫の代、そのまた先へと持ち越されていく。それを追いかけるのもまた、競馬の楽しみというやつだ。なぜなら、ディアデラノビアがフローラSで表現した切れ味は間違いなくGⅠ級だからである。

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