メイショウマンボ - メイショウさんと武幸四郎騎手が掴み取った、忘れられないオークス
メイショウの縁が繋げた血

松本好雄氏は、メイショウサムソン、メイショウドトウといった、メイショウの冠で知られる馬主である。牧場との交流や、つながりを大切にするオーナーと言われ、頼まれれば中小牧場の良血とはいえない馬を買うこともあるらしい。だから、競馬界に携わる人々から、尊敬と親しみを込めて、「メイショウさん」と呼ばれているそうだ。

「人との繋がりで巡り合った馬がある日思わぬ好走をしてくれる。私はそれだけで十分」

そんな思いで馬主を長く続けているからこそ、現役時代に所有していた産駒を迎え入れることも多い。

たとえばメイショウアヤメとその娘メイショウモモカ。アヤメもモモカも素晴らしい能力をもっていたのだが、気性が悪く、期待通りの結果を残すことができなかった。

さらに時が流れ、モモカの娘……アヤメにとっては孫娘が、メイショウさんのもとに引き取られた。その子の名前はメイショウマンボといった。

所属は栗東の飯田明弘厩舎。塩見調教助手が担当した。特に活躍した兄弟もいなかったので、それほど期待されなかったマンボだが、2012年11月25日の京都芝1400mのデビュー戦を勝利する。

翌年、主戦騎手だった飯田騎手が調教師試験に合格し、引退することになった。新しい主戦騎手は武幸四郎騎手が務めることになった。松本氏は武幸四郎騎手を子どもの頃からかわいがっていた。これもまた、縁であろう。

紅梅Sは2着、こぶし賞では差し切って完勝。メイショウマンボは新しい主戦騎手と順調に絆を深め、桜花賞の前哨戦フィリーズデビューに出走することになるが、そのフィリーズ前に武幸四郎騎手が騎乗中止になってしまった。当時まだ20代の川田騎手が代打騎乗することになり、小雨強風の阪神で、後方からいい脚を使って見事勝利をおさめた。

「キレがあるというより、長く使える脚を持っていますね」と、川田騎手はマンボについて語る。

桜花賞では武幸四郎騎手が再び手綱を握った。しかし、大外枠から外に振られ、直線は全く伸びず10着と大敗する。なにも見せ場がなかったとすら言える惨敗だった。

桜花賞惨敗後のメイショウマンボ

クラシック登録時に桜花賞しか登録していないマンボは、オークスへの出走権利がなかった。武幸四郎騎手は自ら松本氏に電話をかけて、「オークスに出たい」と情熱を伝えた。松本氏は「じゃあ、行こうか」と快諾し、追加登録料を支払った。

ここで状況説明をしておきたい。

  • 追加登録料は200万円。
  • メイショウマンボの血統は短距離馬が多い。
  • 3歳牝馬が2400mを走ることだけでも大変である上に、オークスは牝馬クラシックの頂点である。まぐれで勝てるレースではない。

これだけでも、決断にあたってどれほど難しい条件が揃っていたか想像に難くない。

そして、オークス当日。1番人気はデニムアンドルビーだった。穏やかな気性で後の宝塚記念2着馬となる名牝である。一方、わがままな一面のある9番人気メイショウマンボは、荒れに荒れていた。

飯田調教師は体調を崩して入院しており、現場は塩見調教助手と今村調教助手の2人だけ。返し馬に向かう際、塩見調教助手の眼鏡を吹っ飛ばした。落とした眼鏡が見つかった後もマンボの興奮はおさまらず口が切れて血だらけになった。武幸四郎騎手にとっても相当に苦しい状況だったはずだ。

当時の武幸四郎騎手は、騎乗数を減らしている時期であった。松本氏と飯田調教師はけっして主戦騎手を変えようとしなかったが、騎手変更の声は武幸四郎騎手の耳にも入っていたはずだ。

自分から行きたいと志願したオークスで、もし折り合いを欠いてバテて負けようものなら──。

しかし同時に、武幸四郎騎手は信じていた。

フィリーズデビューで川田騎手が残した「キレがあるというより、長く使える脚を持っていますね」「幸四郎さんから聞いていて、その通りでした」というコメントを思い出して欲しい。

マンボはストライドが大きくて、エンジンがかかるのに少し時間がかかるタイプだと、武幸四郎騎手ははじめて乗ったときから気づいていた。そう、マンボはオークス向きであることに気が付いていたのだ。

荒れに荒れたマンボは、ゲートに入るとスッと落ち着いた。

道中、折り合いもばっちりで、内ラチ沿いをロスなく運ぶ。直線では力強く抜け出した。まさにメイショウマンボの王道の走りである。

武幸四郎騎手は勝利インタビューで「メイショウマンボで勝ててうれしい」と答えた。そして松本氏の顔を見たとき、号泣した。松本氏も泣いていたし、みんな泣いていた。メイショウマンボがオークス馬になった。こんな最高な結末があるだろうか。

ウィナーズサークルでは歓声がやまず、あわただしい現場においてゼッケンが紛失するという事件まで起こったほどだった。


あれから、ずいぶん時間が流れた。

厩舎一同をなにかと困らせたマンボは、GⅠで3勝をあげ、繁殖牝馬となった。2025年4月25日に15歳の若さでこの世を去ったが、メイショウボーラーとの仔であるメイショウイチヒメも無事に繁殖牝馬となり、その血を次代へと繋いでいる。

武幸四郎騎手は、調教師になった。

メイショウの冠をもつ馬たちは今日もまたターフを走る。メイショウサムソンの石橋厩舎や武幸四郎厩舎に預けられている馬もいる。

そんな流れゆく時のそよ風は、頬を撫で、人を優しい気持ちにさせる。

「僕にとって、競馬はあくまで趣味です」と松本氏は言う。

そんな趣味が、巡り巡って、多くの人に夢を与えていく。

写真:Horse Memorys、タウ

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