![[重賞回顧]「馬が繋ぐ人の縁」がここに結実。マイペースで鮮やかに逃げ切ったメイショウタバル&武豊騎手&石橋守調教師が、嬉しいGⅠ初制覇!~2025年・宝塚記念~](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/06/IMG_6865.jpeg)
多くの重賞レースの実施時期が見直された2025年。その中でもとりわけ、大きな変更となったのが宝塚記念である。暑さや梅雨の影響を考慮され、これまでより2週間前倒しとなって安田記念の翌週に移行。そのため、7週連続GⅠ開催が実現したものの、近畿地方は既に梅雨入りしており、肝心の天気は曇り。馬場状態は稍重でレースを迎えた。
それでもGⅠ馬6頭。それ以外にGⅠ連対馬が3頭と豪華メンバーが集結。裏を返せば、確固たる主役が不在の大混戦といえ、天気や馬場状態はもちろん、実績上位馬が内外極端な枠を引いたことも混戦に拍車をかけた。
最終的にオッズ10倍を切ったのは5頭。その中で1番人気に推されたのは、ファン投票でも1位に選出されたベラジオオペラだった。
3歳時に重賞2勝。ダービーでもタイム差なしの4着と好走したベラジオオペラは、2024年の大阪杯でGⅠ初制覇。その後も、宝塚記念3着、有馬記念4着などGⅠで度々好走し、今季初戦の大阪杯で連覇を達成した。
前年と同じローテーションで臨む今回は、1ハロンの距離延長が課題。4戦全勝と得意の阪神コースでGⅠ連勝なるか。注目を集めていた。
これに続いたのが、ファン投票2位のレガレイラだった。
2歳時にホープフルSでGⅠ初制覇を成し遂げたレガレイラは、その後も牡馬に混じって皐月賞とダービーに出走。それぞれ6、5着と敗れるも、上がり最速をマークするなど見せ場を作った。
その後、秋もローズSとエリザベス女王杯で連続5着と敗れたものの、3歳牝馬として64年ぶりに有馬記念を勝利。直後、骨折が判明し休養を余儀なくされたため、半年ぶりの実戦となる今回は、グランプリ連覇が懸かる一戦だった。
そして、これら2頭からやや離れた3番人気となったのがロードデルレイだった。
ここまで10戦6勝2着3回4着1回と底を見せていないロードデルレイは、2走前の日経新春杯を好タイムで完勝。待望の重賞初制覇を成し遂げると、続く大阪杯も2着に好走した。
ベラジオオペラと同じく2ヶ月ぶりの実戦となる今回は、日経新春杯と同じ2200mのレース。久々にコンビを組む川田将雅騎手と、待望のGⅠ制覇が懸かっていた。
以下、2023年の菊花賞以来、久々の勝利を目指すドゥレッツァ。ここまで重賞を3勝し、大阪杯でも3着と好走したヨーホーレイクの順で人気は続いた。
レース概況
ゲートが開くと、ほぼ揃ったスタートから予想どおりメイショウタバルがハナを切り、1馬身半差でジューンテイクとリビアングラスが併走。3馬身差の4番手にベラジオオペラが位置し、プラダリア、ヨーホーレイク、ドゥレッツァが半馬身間隔で追走した。
中団は、レガレイラ、ローシャムパーク、ボルドグフーシュ、ショウナンラプンタ、チャックネイト、ロードデルレイ、アーバンシックがほぼ一団。ジャスティンパレスとシュヴァリエーロズがそれぞれ2馬身間隔で続き、さらにそこから5馬身ほど離れた最後方にソールオリエンスが控えていた。
1000m通過は59秒1とミドルペースで、前から後ろまでは25馬身ほど。かなり縦長の隊列となった。
その後、中間点付近で、早くもベラジオオペラとヨーホーレイクが進出を開始。さらに、3~4コーナー中間でベラジオオペラが2番手のジューンテイクに並びかけ、レガレイラやショウナンラプンタなど中団待機組も前との差を詰める中、レースは直線勝負を迎えた。
直線に入るとすぐ、馬場の3、4分どころに進路をとったベラジオオペラがメイショウタバルに並びかけ先頭。3番手は3馬身ほど離れ、そこからベラジオオペラがメイショウタバル以下を一気に突き放すかと思われた。
ところが、メイショウタバルが盛り返して再び単独先頭に立つと、坂の途中で逆に3馬身のリード。一転して焦点は2着争いとなり、内を狙ったチャックネイト。馬場の中央からショウナンラプンタ。大外からジャスティンパレスがベラジオオペラを追うも、それらの争いを尻目に逃げ切ったメイショウタバルが悠々と先頭ゴールイン。3馬身差2着にベラジオオペラが入り、クビ差まで迫ったジャスティンパレスが接戦の3着争いを制した。
稍重馬場の勝ち時計は2分11秒1。前走のドバイターフからコンビを組んだメイショウタバルと武豊騎手が、見事な逃げ切りで完勝。開業12年目の石橋守調教師とともにGⅠ初制覇を成し遂げ、ゴールドシップとの父仔制覇も達成した。

各馬短評
1着 メイショウタバル
スタートで僅かに外に寄れたものの難なくハナに立ち、結果的には完勝。1000m通過59秒1と、決して楽なペースではなかったものの、気分良くいけたことが最後の一伸びに繋がった。
コントロールが難しい先行馬と武騎手が海外で初めてコンビを組み、帰国後、結果を出したのはサイレンススズカやジャックドールと同じ。1着か大敗か極端な成績で、まだ気性面や折り合いに課題を残すものの進境も見られ、来年の大阪杯や宝塚記念など、今後も2000m前後かつコーナーを4度まわる小回り、内回りコースで好走する機会が度々あるだろう。

2着 ベラジオオペラ
全6勝はいずれも2000m以下で、距離延長が課題となった一戦。中間点付近でメイショウタバルが頭を上げる場面があり、それを見逃さず早目スパートから勝負を懸けたものの、最後の1ハロンで逆に突き放されてしまった。
とはいえ、その仕掛けが責められるべきではなく、あくまで結果論であり、また調教やレース中に夏負けの兆候を感じるような場面もあったそう。今後、もう一つ上のステージへいくためには、得意の阪神以外でも結果を出すことが求められる。
3着 ジャスティンパレス
近走、やや結果が出ていなかったものの久々に好走。ブリンカー効果や、初めてコンビを組んだマイケル・ディー騎手の思い切りのいい騎乗もあり、年齢を感じさせない走りで見せ場を作った。
前走はさすがに早仕掛けだったものの、長くいい脚を使うディープインパクト産駒。瞬発力勝負では劣る反面、有馬記念などの長距離戦で底力が要求される展開(=スローからの上がり勝負にならなければ)になれば、再び出番があるかもしれない。
レース総評
開催2週目の阪神競馬場は、前日の朝7時半頃から雨が降り始め、8時過ぎに稍重。13時過ぎに重馬場へと悪化。レース当日の朝8時までに41.5ミリの雨量を観測するも、そこから雨は上がり、13時前に稍重へ回復した。
タイム面では、同じ2200mでおこなわれた4レースの3歳未勝利戦が2分15秒0で決着。標準より2秒ほど遅かった。それでも馬場は徐々に回復し、10レースの3勝クラスは1600mで1分32秒6と、速いタイム。この頃には、良に近いところまで回復していたと推測される。
そのようなコンディションでおこなわれた宝塚記念は、メイショウタバルがほぼ労せずして先手をとり、1000m通過は59秒1。決して楽なペースではなかったが、11秒0-11秒4と速いラップが刻まれた序盤の2、3ハロン目から一転、中盤以降はややペースが落ち、4ハロン目から12秒1-12秒2-12秒2-11秒9-11秒9-11秒8-11秒7(最後の1ハロンは12秒5)と、ほぼ同じようなラップを刻みながらも強いプレッシャーにさらされなかったことが、最後のもう一踏ん張りに繋がった。
勝ったメイショウタバルは、2013年と14年の当レースを連覇するなどGⅠを6勝したゴールドシップの産駒で、牡馬の平地GⅠ制覇は初めて。そんな父とメイショウタバルの脚質は対照的だが、道悪を苦にせず持久力勝負に強い点などは共通している。二代父ステイゴールドの産駒は、宝塚記念や有馬記念といった小回りの持久力勝負になりやすいレースに強く、上がり3ハロン36秒0を要した今回も、まさにそれを象徴するようなレースだった。

ただ、持久力勝負になりやすいレースとはいっても、宝塚記念を逃げ切った馬は少なく、2008年のエイシンデピュティ以来17年ぶり。同馬の父とメイショウタバルの母父は、ともにフレンチデピュティという共通点があったが、これら2頭以外にも、フレンチデピュティの後継種牡馬クロフネを母の父に持つクロノジェネシスが宝塚記念を連覇。さらに、連覇時の3着馬レイパパレや、2023年の2着スルーセブンシーズも母父はクロフネだった。
とりわけ、スルーセブンシーズの父ドリームジャーニーとゴールドシップは、ともに父がステイゴールド、母父がメジロマックイーンで、メイショウタバルとスルーセブンシーズはかなり似た血統といえる。
さて、メイショウタバルの逃げ切りで幕を閉じた2025年の宝塚記念だが、なんといっても印象的だったのは、レース後のインタビューで武騎手が口にした「人が繋いでくれた馬の縁。馬が繋いでくれた人の縁」という言葉だろう。
父が厩務員の石橋守調教師と、父がジョッキーの武豊騎手はともにトレセンで育ち、石橋調教師が2学年先輩という関係。同じ小学校に通い、騎手の道に進んだ二人がプライベートでも非常に仲が良いというのは、多くの競馬ファンが知るところである。
そんな石橋調教師が騎手時代に初めてGⅠを制し、さらにダービージョッキーの称号を手にしたのが、メイショウタバルと同じ松本好雄オーナーが所有するメイショウサムソンとのコンビ。その後、三冠が懸かった菊花賞は4着に敗れるも、翌年の天皇賞(春)で3度目のGⅠ制覇を成し遂げた。
ところが、その祝勝会の場で、秋、凱旋門賞に遠征する際、松本オーナーから鞍上に指名されたのは武騎手だった。結果的に、この年の遠征はメイショウサムソンが馬インフルエンザに感染したことで断念されたものの、初めてコンビを組んだ天皇賞(秋)をいきなり完勝。以後、引退レースとなった翌年の有馬記念までコンビを組み続けた(その前のジャパンCのみ、武騎手の落馬負傷により石橋騎手が騎乗)が、松本オーナーも含めた三者にわだかまりはなかった。
その後、石橋騎手は調教師に転身し、2014年に厩舎を開業。メイショウタバルで勝利した毎日杯が調教師としての重賞初制覇で、さらに今回がGⅠ初制覇となったが、騎手時代最後の勝利は、奇しくもメイショウタバルの母メイショウツバクロとのコンビ。宝塚記念は「人が繋いでくれた馬の縁。馬が繋いでくれた人の縁」が結実した勝利だった。
さらに、レース直後、検量室前でおこなわれた勝利騎手インタビューの際、武騎手が珍しく言葉に詰まりながら「涙が出そうになるくらいに嬉しかったですね」と、語ったシーンも非常に印象的だった。こういったギャンブルの側面だけではない人馬のドラマもまた、競馬が持つ大きな魅力の一つといえるだろう。

写真:K(@kei__03k)