勝利の女神はベテランがお好き? - ショウリノメガミが勝ったOP時代のアイルランドトロフィーを振り返る
■え? アイルランドトロフィーが『第1回』?

2025年にアイルランドトロフィーが『第1回』を迎えると聞くと、オールドファンとしては違和感を覚える。

「え?アイルランドトロフィーって、昔からあったでしょ?あの、トロットサンダーやトーセンジョーダンが勝ったオープン戦でしょ?」と。

アイルランドトロフィーの変遷を詳しく書こうとするとなかなか骨が折れるが、1993年から施行が開始され、2024年まで途切れることなく、32回の歴史がある。ただしその間に、距離や格付けにけっこうな頻度で変更が加えられている。2002年など、中山1600m・1600万下条件で施行されていたことは、今回のコラム執筆を機に調べ直して知った。

そして白状すると、2017年から2024年までは、『アイルランドトロフィー府中牝馬ステークス』として施行されていたことも知らなかった。私の中で、エリザベス女王杯のステップレース、『府中牝馬』としてすっかり定着していて、レース名称の前部分に『アイルランドトロフィー』と付いてた事に気づいていなかったのである。

2024年秋の『アイルランドトロフィー府中牝馬ステークス』パドック。

2025年の番組変更により、『アイルランドトロフィー府中牝馬ステークス』は、ふたつに分かれたかのように、まず『府中牝馬ステークス』が、6月の東京開催に変更となった(距離は1800mを継続。格付けはGⅡからGⅢに、ハンディキャップ戦へと変更)。

そして、『アイルランドトロフィー』は9年ぶりに単独名称となり、東京1800m・GⅡの条件と、エリザベス女王杯へのステップレースという位置付けを引き継いだ。

9年前、2016年に施行されたアイルランドトロフィーはオープン競走だったので、一気に二段階格付けが上がったと見ることもできる。

『第1回』として施行されるアイルランドトロフィーは、2025年から新たな歴史を作っていくことになる。

■豪快な末脚を武器に。ショウリノメガミの競走生活

アイルランドトロフィーというと、私にとって1996年のショウリノメガミが勝ったレースが最も思い出深い。

その頃のアイルランドトロフィーは東京マイルのオープン競走で、マイルCSに向けて賞金加算を狙う中々骨太のメンバーが顔を揃える面白いレースだった。前年の1995年には、浦和競馬出身のトロットサンダーがアイルランドトロフィー勝利をステップに、次走のマイルCSでGⅠ初勝利をもぎ取っていた。

1996年のアイルランドトロフィーを私は現地で観戦していたのだが、そのレースを振り返る前に、ショウリノメガミのそれまでの歩みを簡単に振り返りたい。

その純日本風の馬名とはうらはらに、父は現代競馬の主流血脈の源の一頭であるミスタープロスペクター、母の父が1973年のアメリカ三冠馬セクレタリアトという、アメリカ近代競馬の粋を集めた超良血馬だった、ショウリノメガミ。

馬名、血統に加え、彼女の個性がもうひとつ。

そのレースっぷりがとにかく派手だったのである。

豪快な末脚を披露するかと思ったら、末脚不発で見せ場なく敗れてしまうレースも少なくなかった。

ショウリノメガミは、栗東の武邦彦厩舎に所属し、デビューは遅めの3歳の6月(1994年)だった。鞍上は、武邦彦調教師の息子、武豊騎手が務めた。武豊騎手はデビュー8年目ながら、当時すでにチャンピオンジョッキーの地位を確立していた。

デビュー戦は中京の芝1,000m戦で、後方から鋭い末脚を繰り出し勝利を収めている。残念ながらレース映像を見たことはないのだが、残された記録を見ても派手な勝ちっぷりが思い浮かぶ。上りタイム33.6秒が、次位を1.3秒も上回っており、デビュー戦にして素質の片鱗をのぞかせていた。

その後、年内に順調に2勝を重ね準オープンクラスに昇級するが、翌1995年はやや勢いを欠き、1月から7月までに7戦したが、降級戦のTVh賞1勝にとどまり、年内は休養に充てられた。

そして1996年の緒戦、前年に敗れた京都牝馬特別を、フランスの名手オリビエ・ペリエ騎手のエスコートで5馬身差圧勝で制する。このレースで、私はショウリノメガミという強烈な末脚を持つ馬がいることを認識した。

一言で言って、ド派手な勝ち方であった。

一方で、桜花賞馬ワンダーパフュームがレース中に故障を発生し、最後のレースとなってしまったのもこのレースだった。ショウリノメガミの圧勝と、ワンダーパフュームの故障──。

競馬の明暗というものを私に深く刻み込んでくれたレースでもあった。

天才・武豊とのコンビ復活も、まさかの5連敗

ショウリノメガミが京都牝馬特別を豪快に勝つのを、主戦の武豊騎手は東京競馬場で知る。武豊騎手はその日は東京で騎乗しており、メインレースのクイーンカップをイブキパーシヴで制していた。

勝利に貪欲な武豊騎手である。体が二つあったら、ショウリノメガミにも乗りたかったに違いない。

次走から再び武豊騎手の手に戻ったショウリノメガミだったが、あろうことか、ここから、まさかの5連敗を喫する。

中山牝馬ステークスこそよく追い込んでプレイリークイーンの2着と見せ場十分であったが、そのあとは1番人気に推されながら、オーストラリアトロフィー、テレビ愛知オープン、阪急杯、北九州記念と馬券圏内にも届かない背信の結果となってしまった。

ことショウリノメガミの鞍上において、天才・武豊は「勝利の女神」に見放され続けたのである。

そして、ショウリノメガミは復活勝利を目指しアイルランドトロフィーへ出走することとなるが、鞍上は武豊騎手ではなく、ベテランの的場均騎手が務めることになる。

的場均騎手ーー菊花賞、天皇賞・春を二度制したライスシャワーの主戦騎手、のちにグラスワンダーやエルコンドルパサーの手綱を託される、玄人好みの寡黙な名騎手である。

アイルランドトロフィーでの豪快な復活と、マイルCS激走。

私はこの年から競馬場に通い始めたので、ショウリノメガミを現地で見るのも初めてだった。1月の京都牝馬特別に鮮烈な印象は持っていたが、その後の5連敗で信頼を落としたのであろう、その日は4番人気であった。

1番人気は岡部幸雄騎手騎乗、9戦5勝2着4回と堅実そのものの戦歴を重ね、ここがオープン初挑戦となったタイキマーシャル。2番人気は前走の京王杯オータムハンデを6歳にして制し重賞初勝利を挙げたクラウンシチー(柴田善臣騎手)。3番人気は京成杯、共同通信杯のタイトルを持ち、春のクラシックを賑わせ、この秋からマイル戦線に矛先を向けたサクラスピードオー(蛯名正義騎手)と、さすがに府中開催のオープン特別らしく、東のトップジョッキーを配した関東の実力馬が揃った。

レースでは、プリンセストウジンが軽量を活かし軽快にラップを刻み、1000m通過58秒0と淀みのない流れとなった。その中で1番人気の岡部騎手騎乗のタイキマーシャルが好位をがっちり追走し、最後の直線で抜け出しを図る。

そこに強襲してきたのが、道中はほぼ最後方を追走していたショウリノメガミであった。直線で他馬をごぼう抜きし、タイキマーシャルをクビ差しのぎ、ゴール板を駆け抜けた。

府中の坂を、実に気持ちよさそうに駆け上がってくるショウリノメガミの姿を、よく覚えている。

初騎乗にも関わらずショウリノメガミの末脚を信頼し、道中で脚を溜め込み、最後の直線で豪脚を発揮させた、的場均騎手の好騎乗がもたらした復活勝利であった。

一方で武豊騎手はその日、京都競馬場で騎乗していた。シーキングザパールでのデイリー杯3歳S圧勝を含む1日6勝の固め打ち、年間重賞勝利記録「14勝」への更新など、記録ずくめの一日を過ごしていた。

──その喜びに加え、東京競馬場ではショウリノメガミが久々の勝利を挙げた。

祝福の気持ちは当然あったと思うが、とはいえ、自身が乗り5戦連続で結果を出せなかったお手馬が、乗り替わりで勝利したのである。複雑な気持ちも、少しはあったのではないだろうか…。

さらに、アイルランドトロフィーの勝利で勢いを取り戻したショウリノメガミは、次走のマイルCSでは8番人気という伏兵評価を覆し、河内洋騎手の内を突く神がかった騎乗でジェニュインの2着に好走した。

河内洋騎手は、武豊騎手にとって尊敬してやむことのない兄弟子であり、「牝馬の河内」と異名を取るほど、数々の牝馬で実績を重ねてきたベテランジョッキーである。

武豊騎手はこのマイルCS、5番人気のフジノマッケンオーで臨んだが、直線では近くを駆け抜けていくショウリノメガミをはるか前方に見やりながら、14着に沈んでいる。

勝利の女神は、最後にスーパースターに振り向いた。

アイルランドトロフィー勝利、そしてマイルチャンピオンシップ激走。鞍上はそれぞれ、的場均騎手、39歳。そして、河内洋騎手、41歳。

対して、武豊騎手、弱冠27歳──。

ベテランのエスコートで好走を続けたショウリノメガミだったが、なぜか若きスタージョッキーとのコンビでは、結果が出ない。マイルCSの次走、阪神牝馬特別では武豊騎手が跨り1番人気に推されたが、またしても人気を裏切り、3着に敗れてしまった。

ショウリノメガミは、ベテランの味のある騎乗がお好みなのか?

「ああ、ショウリノメガミ様、僕には振り向いてくれないのかい?」

と、約30年前の武豊騎手が嘆いたかどうかはわからないが、年が明け、1997年2月に行われた中山牝馬ステークスで、ようやく武豊騎手はこの気難しい女神様と共に結果を出してみせた。

決して追い込み向きではない中山の1800mという舞台で、武豊騎手はショウリノメガミの豪快な末脚を存分に引き出した。短い直線を大外一気、スプリングバーベナを競り落としての会心の勝利であった。

実に重賞でのエスコート6度目にして、ついに勝利の女神を振り向かせ、彼女に重賞2勝目をプレゼントしたのである。

ショウリノメガミ──。その豪快なレースっぷりが強く記憶に残ると同時に、若き武豊騎手に何か大切なことを教えてくれた大人の女だったのではと妄想の広がる、忘れ難い個性派ホースだった。

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