大種牡馬・ステイゴールド〜終わらない黄金旅程〜

2001年12月16日、香港ヴァーズ。

50戦目、しかも引退レースでついにGI制覇という勲章を手に入れ、絵にかいたような大団円を迎え、現役生活を終えたステイゴールド。

ファンの目から見れば、6歳時に目黒記念でようやく初めて重賞を勝ち、ある意味これがゴールかなという想いも、少なからずありました。

この時点でステイが種牡馬になれるとは、到底考えられなかった……というのが、正直な気持ちです。
何故なら、当時ステイと同じサンデーサイレンスを父に持つGI馬はフジキセキを筆頭に、バブルガムフェロー・ダンスインザダーク等々、多数が種牡馬入りしていました。
何より、父であるサンデーサイレンス自身がバリバリの現役種牡馬だったのですから。
GI未勝利のステイが入り込む余地など、とてもないだろうと感じていました。

ところが翌年、日経新春杯で重賞2勝目。
この勝利によって滑り込みで招待状が届いたドバイシーマクラシックで、当時世界最強と目されていたファンタスティックライトを破った事により、ファンとしては「種牡馬入りへ希望の光が見えた!」と感じ始めた──その頃、既にオーナーである社台サイドは、ステイ種牡馬入りの動きをスタートしていました。

しかしそれは社台スタリオン入りではなく、ステイがドバイで勝利したという“箔”がついたタイミングで「売却」するという方向でした。

その理由は、やはり先述した通り、サンデー種牡馬が飽和状態にあったという事に加え、不幸と言うべきか、無敗で皐月賞を制したアグネスタキオンが故障により引退・種牡馬入りが決まった事も大きな要因だったと思われます。

交渉先は日高軽種馬農協。結果的にこの交渉は価格面で折り合いがつかず破談になり、社台サイドは自らを中心とし、岡田繁幸氏のビッグレッドファーム他、複数の組織を含むシンジケートを結成する方向へ舵を切ります。

今思えば、日高との交渉決裂が種牡馬ステイにとって大きな運命の分岐点でした。
この処遇決定時にはすでに2001年の種付シーズンが終わっていた為、ステイは年末まで現役続行が決定します。そしてそれが、香港ヴァーズでのGI制覇に繋がり、種牡馬としての人気を確実なものにした大きな要因でした。

このような経緯で2002年から種牡馬入りしたステイゴールド。ブリーダーズ・スタリオン・ステーションと、ビッグレッドファームを2年毎に移動する国内シャトル種牡馬になる事が発表された時は、自分も含めた彼のファンには「なんで社台じゃないんだ!」「社台に捨てられた」と感じた人も多かったと思います。
もちろんそれは、社台繋養じゃない事によって繁殖牝馬の質も落ちる。それは即ちステイの産駒に大物が出る可能性は低い……という考えからでした。

ただ、そうは言っても一時は種牡馬入りは難しいと思っていただけに、三年後にステイの仔がデビューすると思うと、それでもう十分だよなぁと感じた事も事実です。

ステイの初年度種付料は受胎確認後150万円。同年に種牡馬入りしたアグネスタキオンが500万円だった事を考えると、妥当な金額だったでしょう。しかし海外での実績を考慮すれば、サンデー産駒のGI馬をこの値段で種付できるという事で、資金力の乏しい牧場にとっては魅力的だったようで、初年度は177頭もの種付を行う人気種牡馬となりました。

ですが、初年度産駒は父と同様に馬体の小さな仔が多かった事で、二年目115頭、三年目87頭と、種付け数は大きく落ち込んで行きます。
これは、小さい馬は高値で売れないという現実と、能力的にも初年度産駒デビューするまでは少し様子を見たいという部分もあったのだと思われます。

そして2005年。 
ステイ初年度産駒デビューの年を迎えます。
正直、ファンの贔屓目で見ても、クラシック云々というよりは「いつか重賞馬が何頭か出てくれればなぁ……」程度の希望しかなく、この時点ではGIなんて夢のまた夢……と思っていました。

そんななか迎えた2005年6月18日函館5R、ステイ産駒最初の中央デビューはオルレアンシチーで、結果は10着。 

ただ、同日の阪神5R、2番人気だったコスモプラチナが2着となり、ステイ産駒初の馬券圏内となります。
実はこのコスモプラチナ、後に6歳にして重賞マーメイドSを勝ち、2018年のオークスには自身の産駒を送り込んでいます。 

そして、記念すべきステイ産駒の中央初勝利は、2005年8月20日小倉5R(1200m芝)でした。
その馬の名は、エムエスワールド。
ステイファンには一生忘れられない名前でしょう。調教の良さから当日3番人気ではあったものの、血統的な強調材料はなく、兄弟も中央未勝利。

あまり期待できないなぁと思いながらレースを観戦しました。

スタート後、楽に逃げ馬の二番手につけ、4角では楽に交わして先頭へ。直線に入るとあっという間に後続を引き離し、なんと2着馬に8馬身差をつける圧勝劇。
その2着馬は社台ファームのフジキセキ産駒で1番人気の期待馬でした。

この時の記憶は鮮明で、社台のエリート馬に圧勝した事が本当に嬉しく、あまりの強さに唖然としたとともに「ステイはパパ稼業をしっかりやっていけるかも」という安堵の気持ちもありました。

その後エムエスワールドは、4戦目で500万を突破、朝日杯FSにも出走します。
いきなり初年度産駒からGI出走馬が出たというだけで、9着という結果に関係なく……もう、感動しかなかったです。
後にオープンまで出世した後、8歳にして障害へ転向。さらに、ここから驚きの活躍を見せます。障害初戦をあっさり勝つと、翌年9歳時になんと京都ハイジャンプ(J-GⅡ)・小倉サマージャンプ(J-GⅢ)と重賞を連勝したのです。 

デビュー戦圧勝でステイ産駒初勝利・障害重賞制覇と、ステイファンの記憶に深く刻まれる一頭です。

障害と言えば、初年度産駒でもう一頭記憶に残る馬がいます。
マイネルネオス。
この馬も準オープンまで出世した後、6歳で障害へ転向。 
翌年なんと中山グランドジャンプ(J-GI)をレコードタイムで制し、ステイ産駒初の障害重賞制覇をJ-GI制覇という快挙で成し遂げました。その後10歳まで頑張ってくれたマイネルネオスは、総賞金2億を超える、ステイ初年度産駒の「稼ぎ頭」となったのです。

……と、ここまで初年度産駒の活躍を述べてきましたが、それぞれの活躍は全て6歳以降のもの。2歳時のステイ産駒成績は、61頭が出走し、勝ち上がりは7頭に過ぎず、2歳ランキングは19位。 

この時点ではまだ、当初の想像通り「重賞勝ち馬出るかなぁ」程度の考えから変わらぬままでした。

そして翌年、その夢が早くも実現します。

ソリッドプラチナム。
この仔も当時兄弟が中央勝利なしの日高産。デビュー戦が7番人気だった事からも、大きな期待はされていなかったのがわかります。
ところが2戦目、4角6番手から上がり最速の末脚で2着馬を4馬身ちぎっての完勝。
3歳時6戦目で、後の菊花賞馬ソングオブウインドを破って500万を突破し、白百合Sをエムエスワールドの2着とした後、2006年6月18日、京都11RマーメイドS(GⅢ)に出走します。

GI馬ヤマニンシュクルなど強豪が揃う中、ハンデは当然最軽量49キロ。
このレースまで3戦連続上がり最速をマークしていた末脚が重賞でどこまで通用するのか……ハンデ差に僅かな期待をもちながら、レースを見守りました。
スタート後、終始最後方近くを走り、4角でもそのまま変わらず。さすがにここからでは無理だなと諦めの気持ちになります。
直線半ば、カメラも先頭集団をズームします。 

しかし、次にカメラが切り替わった瞬間、大外から飛んでくる馬が一頭──それが、ソリッドプラチナムでした。

まさに鬼脚。
他馬が止まって見えるような末脚で、抜け出したサンレイジャスパーをハナ差差し切り、ステイ産駒初の重賞制覇となりました。
一旦は諦めてからの、まさかの後方一気に、嬉しさは勿論ありましたが、驚きの方が大きかったという記憶があります。
ともあれ、初年度産駒から重賞勝ち馬が出たという事が何より嬉しく、そしてホッと一安心……といったところだったでしょうか。

ソリッドプラチナムは、その後も重賞3着2度と頑張ってくれ、6歳で引退しました。 
そして先のコスモプラチナと同様、母として2018年のオークスに産駒を出走させています。
種牡馬としてデビュー後数年間、決して豪華とは言えない繁殖牝馬がほとんどだったにもかかわらず、活躍馬を毎年輩出し、自らの力で種牡馬としての価値を上げて行ったステイゴールド。

ステイ産駒2世代目からは、種牡馬・ステイゴールドの評価を一変させた、産駒初のGI馬・ドリームジャーニーが出現しました。

その世代の稼ぎ頭はもちろんドリームジャーニーですが、JRA重賞勝ち馬を他にも2頭出しています。

  • サンライズマックス(小倉大賞典・エプソムC・中日新聞杯)
  • アルコセニョーラ(福島記念・新潟記念) 

いずれも日高の牧場の牝馬から生まれた産駒でした。

そして忘れてはならないのが、エルドラドの存在です。
エルドラドは、日高トレーニングセールで500万円の価格でシンガポール在住の方が落札。
その後現地の厩舎へ入厩すると、GIシンガポールゴールドカップ2008・2009・2011年と3度も制しました。
これは史上2頭目の快挙で、自身が海外になると別馬のように走ったステイの血をきっちり受け継いだ産駒だなぁと、歓喜したものです。

種付数が大きく落ち込んだ3世代目(2005年産)はステイ産駒としては最低の勝利数で苦戦した世代ですが、そんな中でも青森産のマイネレーツェルが重賞2勝をあげて(フィリーズレビュー・ローズS)一頭、気を吐きました。ちなみにレーツェルは青森のセリで210万円という安値で落札された産駒でした。

そして4世代目(2006年産)。先に述べた通り、日高産や青森産でも活躍馬を出していた
ステイですが、ついに日高の牧場から産駒2頭目となるGI馬を輩出します──それが、ナカヤマフェスタです。

この時点で産駒はGI4勝を含む重賞21勝。 

フェスタの同期生としては、シルクメビウスが産駒初の中央ダート重賞を2勝(東海S・ユニコーンS)し、ジャパンカップダートでも2着と、ダート戦線の中心となって活躍しました。実はステイ産駒で中央ダート重賞を勝ったのは、未だにシルクメビウス一頭のみです。

現役時にもさんざんファンを驚かせてきたステイ。

しかし種牡馬になって、彼は現役時を超える驚きを与えてくれました。
そして、フェスタの凱旋門賞2着という結果を見て、種牡馬ステイゴールドは「本物」であることに、ようやく僕自身も確信を持つことができたのでした。
5世代目となる2007年産の産駒は93頭と種付数が落ち込んだ年の産駒だけに、重賞勝ちは1つ。エクスペディションの小倉記念のみと、苦しい年となりました。 
これはステイ産駒としては、重賞勝鞍が最も少ない世代となります。

そして6世代目。
ドリームジャーニーが朝日杯を制した翌年、一気に種付数がアップした年に種付けをした2008年の産駒から、とんでもない怪物が登場します──それが、オルフェーヴルです。

そして、オルフェと同世代(2008年産)のステイ産駒からは、以下の通り多数の重賞勝ち馬が生まれました。

  • ナカヤマナイト(共同通信杯・中山記念・オールカマー)
  • フェイトフルウォー(京成杯・セントライト記念)
  • オーシャンブルー(中山金杯)
  • マイネルメダリスト(目黒記念) 
  • メイショウヨウドウ(東京ジャンプS)
  • バウンシーチューン(フローラS)

そして、オルフェが生まれた翌年、今度は日高の老舗牧場から、またまたオルフェ級の怪物が誕生します。芦毛の怪物、ゴールドシップです。

種牡馬ステイを語る上で触れておかなければならないのが「黄金配合」です。

オルフェ・ジャーニー兄弟だけならそれほど騒がれる事もなかったと思うのですが、フェイトフルウォーが重賞2勝、そしてゴールドシップが出現した事で、父ステイゴールド・母父メジロマックイーンのニックス狂想曲が始まりました。

結論から言えば、シップ以降重賞勝利はなく、ウインガナドルのラジオNIKKEI賞2着が最高着順。
現在まで中央でデビューしたのが43頭。そのうち、勝ち上がったのが17頭。通算で444戦66勝となります。(2019年3月24日現在)

結果的には当時の印象ほどの結果は残せていないという事になりますが、まだ現役馬はいますし、何より途切れかけたマックの血を甦らせたステイの功績は素晴らしく、それはオルフェやシップ、その他の産駒達が繋いでいってくれると信じています。

ここまで、種牡馬ステイゴールドが出した名馬達を振り返ってきましたが、産駒の活躍とともに、当初150万円だった種付料はオルフェーヴルが三冠馬となった翌年の2012年には600万、さらにその年シップが二冠制覇し、2013年には800万までハネ上がります。

そして、種付料が上がるにつれて、当然ながら社台系など、繁殖牝馬の質も上がっていきました。にもかかわらず、アベレージは飛躍的に上がったものの、シップ以降、怪物級の大物の輩出できなかったというのが、またステイらしいなぁと感じています。

ちなみにシップ以降の世代別重賞勝利馬を上げてみます。

2010年産

  • マイネルミラノ(函館記念)
  • ウインプリメーラ(京都金杯)
  • ケイアイチョウサン(ラジオNIKKEI賞)

2011年産

  • レッドリヴェール(札幌2歳S・阪神JF)
  • ステイインシアトル(鳴尾記念)
  • ツクバアズマオー(中山金杯)
  • トゥインクル(ダイヤモンドS)

2012年産

  • ココロノアイ(チューリップ賞・アルテミスS)
  • キャットコイン(クイーンS)
  • パフォーマプロミス(日経新春杯・アルゼンチン共和国杯)
  • グランシルク(京王杯AH)
  • ウインガニオン(中京記念)

2013年産

  • レインボーライン(天皇賞(春)・阪神大賞典・アーリントンC)
  • アドマイヤリード(ヴィクトリアマイル)
  • クロコスミア(府中牝馬S)
  • グッドスカイ(新潟ジャンプS)
  • ワンブレスアウェイ(愛知杯)

2014年産

  • ウインブライト(スプリングS・中山記念2回・福島記念・中山金杯) 
  • スティッフェリオ(福島記念・小倉大賞典)

2015年産

  • ステイフーリッシュ(京都新聞杯)
  • インディチャンプ(東京新聞杯)

壮観ですね。

改めてステイの凄さを感じる事ができます。

ただ、この中に「あえて」名前を上げなかった馬が一頭います……。

2015年2月5日にステイゴールドが亡くなったという事を、翌日の朝刊で知り、あまりにも突然の報せに、軽いパニック状態になってしまいました。

当時体調を崩していた僕は、ステイ産駒達が活躍するたびに元気をもらい、毎週産駒の走りを楽しみにしていただけに、正直、数日間は食欲もないような状態で、本当に寂しく、悲しかったです。

その1ヶ月後の3月7日、ステイを追うようにオリエンタルアートが急死。
ステイとの仔を3日前に出産したばかりだったと……。
ディープとの種付けを拒み、オルフェを産んでくれた彼女。やっぱりステイが好きだったんだなぁと感じました。悲しかったけれど、これでステイも寂しくないかなぁと思うと、少し嬉しくもありました。
この時残してくれたステイ産駒は、現在4歳のデルニエオール。桜花賞にも出走した馬です。

ステイとアートが亡くなって、ふと思いました。先程書いた通り、シップ以来、なかなか怪物の系譜を継ぐ産駒が出てきていなかったので、ステイが亡くなった今こそ「ステイ産駒最後の大物」が出てきてくれないかなぁ……と。

ここで、先程書かなかった一頭が登場します。

2011年生まれの、オジュウチョウサン。

ステイが亡くなった時点では、平地2戦未勝利、障害転向初戦を14着と大惨敗。その後障害未勝利戦を2・3着という未勝利馬でした。ところがステイが亡くなった2週後、2015年2月21日、障害未勝利戦でようやく初勝利をあげます。次走障害オープンを連勝したものの、その後9着と大敗。そよ次走からは、石神騎手が主戦となります。オープン2勝目をあげ、暮れの中山大障害に出走しますが、後にライバルとなるアップトゥデイトに4秒3も離されての大敗。まだこの時点では普通の障害オープン馬に過ぎませんでした。

ところが翌年3月のオープンでニホンピロバロンの2着とした後、4月の中山グランドジャンプでJ-GI再挑戦。

この時はアップトゥデイトが不在で、オープン2勝の実績を買われて2番人気となったものの、既に障害重賞2勝、オジュウが惨敗した前年の中山大障害3着のサナシオンが断然人気。サナシオン圧勝というのが大方の見方でした。僕自身も全く期待せず、気楽なTV観戦でした。

楽に逃げるサナシオン。

オジュウは離れた3番手を追走も、このままサナシオンが逃げ切るなぁ……というムードが漂っています。しかし4角手前で石神Jが仕掛けると、一気に先頭のサナシオンに並びかけます。「嘘だろ?」と思いつつ、一転してTVの前で大興奮で絶叫です。

それでも直線、最終障害を飛越すると、2馬身引き離され、「やっぱり無理か……」と諦めた瞬間、残り100mからもの凄い脚であっという間にサナシオンを交わし、3馬身半の差をつけてゴール。

今ではもうおなじみの、ラストの平地並みの末脚を使っての圧勝劇。正直、開いた口が塞がらないほどの強さで、マイネルネオス以来のJ-GI制覇に歓喜しました。

その後のオジュウの怪物ぶりは、皆様ご存知の通り。あの勝利以降、骨折休養の時期もありながら、約2年間無敗を続けます。さらに2018年4月の中山グランドジャンプの勝利で、同レース3連覇。そして数々の新記録を達成しました。

  • JRA障害GI最多勝 5勝
  • JRA障害GI連勝記録 5連勝
  • JRA重賞連勝記録 9連勝
  • JRA障害獲得賞金 5億3265万円

等々。しかも中山グランドジャンプと大障害ともにレコードタイムで勝利。

 今や無敵の障害最強馬となりました。 
そう、ステイが亡くなった時に僕が願っていた「ステイ産駒最後の大物」が誕生したのです。オジュウが障害初勝利をあげたのが、ステイが亡くなった2015年2月というのも、何か運命的なものを感じます。

それにしても、障害馬でも怪物を産みだしてしまうとは……ステイ恐るべし。
そんなオジュウですが、無敵の障害王者として君臨するなか、驚愕のニュースが飛び込んできました。

「オジュウチョウサン、平地挑戦へ!」
正直、目を疑いました。

しかも鞍上には武豊J。当然ながら、ファンの間でも賛否両論が飛び交い、僕個人の想いも非常に複雑ではありました。このまま無敵の障害王として引退し、史上2頭目の障害馬としての顕彰馬になってもらいたい。というのが一番の願いでしたから。

オーナーの目標は、ファン投票の結果によっては出走可能となる有馬記念。但し平地未勝利のオジュウには、現時点で出走権利はありません。まず出走への最低条件である平地1勝をあげるためのチャレンジ。この夢のような話を聞き、まずは平地初戦の結果を見なければ、何も始まらないなと。まずは全力応援するしかないと気持ちを切り替え、2018年7月7日、福島競馬場の開成山特別を迎えます。

ラストの直線、ローカル福島の500万特別とは思えないGI級の大歓声の中、オジュウと天才の新コンビは、後続に3馬身差をつける完勝で、見事に百点満点の回答を見せてくれました。そして11月には昇級戦となる南武特別に出走。ここは7頭立の少頭数ながら、同じステイ産駒のブラックプラチナム(1番人気)を筆頭に、骨っぽいメンバーが揃い、オジュウは3番人気。正直簡単ではないと思っていましたが、蓋を開けてみれば、直線早め抜け出しからブラックプラチナムの追撃を1/2馬身封じ、1000万クラスもあっさりとクリア。ゴールの瞬間、1000万クラスの勝利では恐らく初めて、武豊騎手のガッツポーズを見ました。

2018年12月23日、有馬記念。ファン投票3位で出走権を得たオジュウチョウサンは、頑張りました。逃げるキセキから少し離れた3番手を追走、直線外からミッキースワローに交わされかけると、そこからもう一伸びし、一瞬夢を見せてくれました。結果は9着でしたが、マカヒキ以下、並み居るGI・重賞馬7頭に先着。チャレンジは無駄ではなかった事を証明してくれました。

明けて2019年3月、阪神スプリングジャンプ(J-GⅡ)で再び障害レースに復帰したオジュウは、前年末の中山大障害2着馬タイセイドリームを直線であっさりと突き放し、2馬身半差をつけて障害重賞10連勝を飾りました。

そしていよいよ、JRA新記録の同一重賞4連覇をかけ、2019年4月13日、中山グランドジャンプを迎えます。

好敵手のアップトゥデイト、新興勢力のトラストが故障で出走できず、オジュウ一強ムード、単勝1.2倍の圧倒的支持を受け、レースは始まりました。

「これは大変なレースになるぞ」と感じたのは、早々にニホンピロバロンがオジュウの外から併せにかかった瞬間でした。

そこでオジュウが位置を上げ、一瞬、ペースを崩されたように見えました。
その後も入れ替わり立ち替わり、打倒オジュウを掲げた各馬から、まるでチームを組んだような徹底マークを受けます。

2週目3コーナーの手前では、平場のレースのように先頭集団が密集、オジュウは数頭に囲まれるような形に。
これは厳しいレースになったなぁと感じた瞬間、そこからのオジュウが凄かったのです。

囲む馬達を一頭一頭なぎ倒すように、平然と走り続け、ついてこられなくなった馬達が脱落していく……そして最後に残った一頭、シンキングダンサーを最終障害飛越後にあっさりと突き放し、2馬身半の差をつけて、空前絶後の大記録となる同一重賞4連覇を達成してみせました。

レース後石神騎手が「今までで最も厳しいレース」と語った通りの内容。
それでもオジュウの精神力で、全てを跳ね返しての快勝劇。
改めて凄い馬だなぁと感じさせてくれました。

この勝利で、JRA史上2頭目の障害馬にとなる顕彰馬入りも大きく近づいたと思います。
平成最後のJ-GIを制し、新たな時代へ。

令和になって、またどんなドラマを見せてくれるのか、楽しみでなりません。

次走は宝塚記念というオーナーのコメントもあったようですが、個人的には、暮れは中山大障害で、トラスト、アップとの対決も見てみたいなと思っています。

種牡馬・ステイゴールドについて、産駒の実績を中心に書いてきましたが、2018年5月5日、京都新聞杯(GⅡ)でステイフーリッシュが重賞初制覇しました。これでステイ産駒は初年度産駒から13世代連続JRA重賞制覇を達成し、ついに父サンデーサイレンスの記録(12世代)を抜き、フジキセキ(16世代)、ノーザンテースト(15世代)に次ぐ歴代3位となりました。ステイが健在ならば、フジキセキを抜く事も夢ではなかったと思うと……少し、悔しくもあります。

この勝利は産駒のJRA重賞93勝目でしたが、その後も産駒の活躍は続き、2019年2月24日、中山記念。ウインブライトの勝利で、ついに重賞100勝を達成しました。特に今年のステイ産駒の勢いは凄まじく、実質3歳世代が不在の中、既に重賞6勝。2012・2017年にマークした年間重賞13勝という自身の記録を更新する勢いを見せています。

産駒が重賞100勝を達成した種牡馬は過去4頭。

サンデーサイレンス、ディープインパクト、ヒンドスタン、キングカメハメハ。この凄いメンバーの中にステイゴールドの名前が刻まれたのです!涙なくして見られません。

次の目標は、ヒンドスタンの113勝。十分達成可能だと思っています。

思えば、初年度産駒が3歳時、種牡馬リーディングは26位。当時には夢にも思わなかったこの結果。繁殖牝馬に恵まれない中、コツコツと順位を上げ、2011年オルフェーヴルの活躍により4位となり、初めてベストテン入り。その後2018年まで3・6・8・5・5・3・4位と8年連続ベストテンをキープ。2015年~2018年の4年連続100勝。2019年も3月30日現在2位。重賞賞金は4億を超え、3位以下を大きく引き離しています。

また、オジュウの活躍もあり、2016~2018年の3年連続障害種牡馬リーディングも獲得しています。

エリート種牡馬ではなかったステイがここまでの大種牡馬になるとは… … 
近年例を見ないサクセスストーリーですね。

ある著名な競馬予想家の方が、競馬関係者から聞かれた話として書かれていました。
「サンデーサイレンスの最高傑作は、ディープではなく、ステイゴールドだった」と。

「種牡馬は、自分より優れた後継種牡馬を残す事が最大の仕事だ」とよく聞きます。 
そういう意味では、オルフェーヴルを筆頭に、自身を凌ぐ産駒を数多く送り出したステイは、ディープに勝るとも劣らない種牡馬と言えるでしょう。そして「ステイゴールド系」の確立も夢ではないと。

昨年来、ディープ産駒の海外重賞勝利で騒がしくなっていますが、海外無敗だったステイですから、ステイだってやれたはず……と正直、少し悔しい気持ちで見ています。

その想いは、いつの日かオルフェやシップの産駒が晴らしてくれると信じていますし、もちろん、凱旋門賞の日本馬初勝利はステイファミリーで!と、願っています。

ステイゴールド産駒は、2018年デビューの現3歳馬がラストクロップ。しかも一頭のみ。
彼が2015年2月に亡くなる寸前に一頭だけ種付けを終えていました。

名前はハルノナゴリ。

デビュー戦は5着と、次走への期待が持てる内容でしたが、2戦目は12着。その後小さな馬体の成長を促すために放牧中です。初勝利目指して頑張ってほしいですね。

2015年2月に亡くなったステイゴールド。あれから4年。未だに産駒の活躍は続き、今年は過去最高のスタートダッシュを決めています。つくづく凄い馬だなと日々感じる今日この頃ですが、そんな中、昨年の菊花賞2着馬エタリオウに、最後の怪物候補として期待をかけているのですが……

先日3月23日の日経賞で2着。なんと4歳3月の時点でなんと重賞2着が4度目。
ファンの間では、父ステイゴールドの再来だと騒がしくなっています。ちなみにステイは生涯7度の重賞2着がありますが、軽く追い越しそうな勢いですねぇ(苦笑)

未だに「主な勝鞍・2歳未勝利」のまま。父同様、国内では本気出していないような気がしますが、2勝目、重賞初勝利がGIというサプライズを見せてくれるのではと期待しています。ちなみに……

ステイゴールドの命日:2015年2月5日

エタリオウ誕生日  :2015年2月13日

まさに父の再来。父が乗り移ったのでは?と思わざるをえません。

ならば、近い将来大輪を咲かせてくれるはず。

まだまだステイゴールドの黄金旅程は続きます……

写真:Horse Memorys、笠原小百合

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