2024年2月25日。世界を股にかけた砂の上の韋駄天が現役引退を発表した。
彼の名はレッドルゼル。父ロードカナロア、母フレンチノワールの牡馬。
競走馬としての現役生活に別れを告げた彼が手にしたタイトルはJBCスプリント、東京盃、根岸ステークスの3つ。しかしこの馬の場合、3つ"も"ではなく3つ"しか"と一種の物足りなさを感じてしまうほど、彼は大きな存在感を放ち、足掛け7年の現役生活を通じてその競走成績以上の偉大な蹄跡を残したのだといえる。
彼のことを振り返るとき、私は喝采を浴びたあの日の姿よりも、異国の地で悔しさを握り締めた姿を思い出してしまう。
彼は海を渡ること3度。メイダンの地を踏み、屈強な世界の強豪に挑み、頂点にあと一歩まで肉薄した。
溢れる前進気勢を我慢に変えて、力を溜めて、息を潜めて迎えた直線。騎手が手綱を緩めると、目にも止まらぬ速さで四肢を回転させ、誰よりも俊敏な走りでゴールを向かって加速を続けた。
「来た! 間に合うか…!? 間に合え……! いけ! いけ!!! いけ………!!!」
日本時間の深夜、グリーンチャンネルを見守る熱狂的な競馬ファンたちは、遠い異国を駆ける彼に力一杯のエールを送った。眠気を吹き飛ばす走りは、その名の通り、まさしく『ルゼル=情熱』。その瞬間、日本の競馬ファンは一体となった。
「日本競馬にとって、最難関の未踏の地はどこか」
──この問いに、あなたはなんと答えるだろう。
ある人は凱旋門賞と答えるかもしれない。
ある人は英国ダービーと答えるかもしれない。
ある人はロイヤルアスコットと答えるかもしれない。
ある人はケンタッキーダービーと答えるかもしれない。
ある人はグランドナショナルと答えるかもしれない。
どれも優劣を比較することも憚られる、世界の夢舞台。その1勝を挙げた者の名は日本競馬の悲願を果たしたものとして、永久に語り継がれるだろう。
様々な舞台の一つとして、私は『ダート短距離』のカテゴリを挙げておきたい。
欧州の競馬が自然を活かしたワイルドな芝コースに最適化されたように、米国の競馬がスポーツとして洗練されたスポーティなダートコースに最適化されたように、競馬は国毎にその色合いを大きく異にする。
日本においてはトラックコースの芝長距離が頂点。東京優駿に繋がる三冠戦線と、その先に広がる天皇賞やジャパンカップ、有馬記念といった古馬路線は、格式の面でも賞金の面でも、日本競馬の王道に位置づけられる。
頂の高さは裾野の広さ。日本で生を産まれた競走馬は皆、かの舞台を目指す。そしてより洗練されたフォルムで、雄大に、軽やかに芝コースを駆け抜けられた馬が、次代にその血を残す。
ディープインパクト、キングカメハメハ、ハーツクライ、キズナ、エピファネイア、キタサンブラック、ドゥラメンテ……日本で生産され日本で偉大な成績を挙げたトップグサイアーたちは、自身の面影を宿す仔を送り出した。日本の土壌に合わせて進化を遂げた彼らの仔は、皆、しなやかで伸びやかに、青々としたターフを駆け抜けた。
ダートの短距離路線で活躍する馬たちは、芝中長距離の彼らと同じ生き物とは思えないほどに異なる造りを持ち、異なる走りを見せる。彼らはマッチョイズム溢れる大きなボディを持ち、力強く地面を掻き込み、屈強さでライバルを削り、そのスピードで相手を磨り潰す。日本の芝中長距離がF1だとすれば、ダートの短距離はラリーかはたまたデモリッションか。時に日本馬がひ弱に思えるほど、ダート短距離では趣の異なる激しい争いが演じられる。
日本の数多のスピードスターたちは、このカテゴリで世界に挑み、辛酸を舐めてきた。
アグネスワールドが、ブロードアピールが、マイネルセレクトが、シーキングザベストが、バンブーエールが、ローレルゲレイロが、ドバイやアメリカの頂点をめざして海を渡り、そして夢破れていった。いずれ劣らぬ時代のトップスプリンターを持ってしても先行集団についていくのがやっと。日本と世界の隔たりは大きかった。
2019年、ドバイゴールデンシャヒーンでマテラスカイがエックスワイジェットとインペリアルヒントという海外トップスプリンター2頭に割って入った時、日本競馬界は大きく沸いた。日本一の速さで世界に挑んだマテラスカイの快走で、世界との距離は一歩近づいた。だがマテラスカイはキーンランド・セプテンバーセールで取引されたスパイツタウン産駒の米国産馬。日本の調教技術の進展は証明できたが、その素地は米国からの譲り受けたものだった。
日本が、国産の力で戦えるようになるにはまだまだ時間がかかる──そう思っていた。
マテラスカイがドバイで偉大な惜敗を喫する半年前。レッドルゼルは父ロードカナロアと同じ短距離王国の名門・安田隆行厩舎の門戸を叩いた。
ロードカナロア産駒はレッドルゼルが2世代目。既に初年度産駒にあたるステルヴィオやアーモンドアイが結果を残し、同門からもダノンスマッシュやトロワゼトワルが頭角を現し、大きな評判を呼んでいた。日本で生まれ、日本で育った世界のトップスプリンターのロードカナロアは、種牡馬としても高い能力を子供たちに伝えた。
母フレンチノワールはダートで4勝を挙げたフレンチデピュティ産駒の牝馬。4年に及ぶ競走生活で26戦を消化した丈夫な馬だった。ロードカナロアはスピードとパワーの二つの個性を両親からしっかり受け継いでいた。
デビュー戦は9月の阪神。芝1400m。調教の動きの良さも相まって1.4倍の断然人気に支持されていたレッドルゼルだったが、速いペースを深追いしたことも祟ったか、末を伸ばせず3着に敗れる。ダートに目先を変えた2戦目の未勝利戦では、見違えるような走りを見せて後続を1秒9突き放すワンサイドの圧勝。出色の結果を残し、ダート短距離への高い適性を存分に見せつけた。
この2走の結果を受け、陣営は早々にレッドルゼルが戦うべき舞台の照準を合わた。短距離王国に降り立った砂の新星。レッドルゼルの歩みは定まり、彼の長い長い冒険が始まった。
3歳春に2勝目、3歳秋に3勝目、そして4歳春の橿原ステークスで4勝目を挙げてオープン入りを果たしたレッドルゼル。同期のクラシックホースたちと比べれば裏街道の歩みだったかもしれないけれど、堅実な走りで多くのファンの支持を集めながら、一歩ずつ階段を上った。4歳のうちにコーラルステークスと室町ステークスでオープン2勝を上積みすると、初めての重賞タイトルを目指して年明けの根岸ステークスに駒を進めた。
タイムフライヤーやヤマニンアンプリメ、アルクトス、サブノジュニア、ステルヴィオら並みいるG1馬を向こうに回して1番人気の支持を集めたレッドルゼルは、四方八方を囲まれながらも馬群の中でじっと脚を溜める。迎えた直線も進路が開かず苦しい競馬。だが残り300m。タイムフライヤーが抜けだして生まれた僅か1頭分の間隙に身体を潜り込ませると末脚を一気に爆発させる。タイムフライヤーをあっという間に捉え、大外から脚を伸ばし切ったワンダーリーデルを凌ぎ、初めての重賞タイトルを手にした。
ここまでの歩みは15戦7勝、2着5回、3着1回。掲示板外に敗れたのは僅か2度。常に人気に応え続け、ポテンシャルは未だ底を見せず。誰もがレッドルゼルの将来に大きな夢を託していた。
3月。遠く中東はドバイの地にレッドルゼルは降り立った。
フェブラリーステークスでも上位争いを繰り広げたレッドルゼルは、ダート短距離の最高峰、ドバイゴールデンシャヒーンに駒を進めていた。
この年のドバイゴールデンシャヒーンの米国・地元勢は手薄との前評判だった。2018年と2019年に連覇したマインドユアビスケッツ、2020年のエックスワイジェットのような圧倒的な速さを有するライバルのエントリーは無く、まだ大きなタイトルを手にしていない米国のヤウポンとワイルドマンジャックが人気を集めるメンバー構成。前哨戦のサウジアラビア・リヤドダートスプリントでワンツーを決めたコパノキッキングとマテラスカイにも大きな期待が寄せられていた。
ゲートが開くと、米国の5歳牡馬、ゼンデンが果敢に先手を取る。直後を追いかけるジャスティンやマテラスカイは終始促されながらで余裕がない。後方に控えるコパノキッキングの更に後ろ。ライアン・ムーア騎手を背にしたレッドルゼルは最後方でじっと身を潜め、直線勝負に賭ける。
直線、逃げるゼンデンが後続を大きく突き放し、早々にセーフティーリードを築く。直後を追いかけていた先行各馬はフットワークがバラバラになる。マテラスカイが、ジャスティンが、日本では考えられないほどアッサリと失速していく。後方に控えていたコパノキッキングも伸びない。
今年のメンバーでも、日本勢は歯が立たないのか……。
そんな溜息が漏れ聞こえてきた次の瞬間、馬群を切り裂いてただ一頭、赤い勝負服のレッドルゼルが飛んできた。ムーア騎手のアクションに応えると、国内外の強豪を置き去りにして一気に加速。一頭、また一頭とパスしながらゼンデンに迫る。たった一頭。他馬とはまるで違うスピードでゴールに向かう。
「もしかしたら……ひょっとして……ゴールよ、まだ来るな……!」
ゼンデンはまだ遥か前。追いつけないことをわかっていても、それでも期待してしまうほどの爆発力で、レッドルゼルはメイダンの直線を駆け抜けた。
伏兵ゼンデンの最期のゴールから遅れること3馬身1/4差。
レッドルゼルの初めての海外挑戦は2着に終わった。
馬体を並べるところまではたどり着けなかった。世界との距離はまだ遠かった。それでも、G1の大舞台で並み居る海外勢を打ち負かした。レッドルゼルはこの日、世界を意識できる存在となっていた。
1年後。再びドバイ。メイダン競馬場の地をレッドルゼルは踏んでいた。
この半年前、レッドルゼルは金沢で開催されたJBCスプリントでJpn1タイトルを手にしていた。ダート短距離を主戦場とする者にとって、JBCスプリントは年間で唯一の、どうしても落とせないビッグタイトル。海外での敗北を糧に一段も二段も強くなったレッドルゼルは、金沢の小回りも何のその。盤石の競馬でライバル達を競り落とし、名実ともに日本のダート短距離の挑戦を極めていた。
相手関係は前年以上との前評判だった。本場のBCスプリント2着のドクターシーヴェルと米国G1馬ドレインザクロックの2枚看板を筆頭に重賞勝ち馬多数の組み合わせとなり、当代のトップスプリンターのマッチアップ。だがそんな中でも前年2着の看板は何ら引けを取ることはなく、レッドルゼルは2番人気の支持を集めた。コパノキッキングが現地入り後に故障し戦線を離脱したことも相まって、日本の競馬ファンはレッドルゼルの追い込みに夢を託した。
ゲートが開くと、川田騎手はレッドルゼルを躊躇なく最後方に抑える。これら俺たちのスタイルだ、と海外の強豪たちが先んじ、削り合う姿をじっと見守り機を伺う。刹那の6ハロン戦。少しの踏み遅れが命取りとなる展開の中で、レッドルゼルは馬体を凝縮し、ハミに力を預け、末脚に懸ける。
ワンダーホウェアクレイグイズらが引っ張る速いペースに、各馬が余力を失った4コーナー。レッドルゼルは満を持して大外にその身を持ち出す。
直線を向いて残り400m、好位から最低人気のUAEスイッツァランドが抜群の手応えで抜け出す。レッドルゼルはピッチを速め、1頭、また1頭とライバルを切り捨てていく。
残り200m、日本の戦友チェーンオブラヴと馬体が重なる。お互いを叱咤しあうように、そこからの数秒間は競い合いながら脚を伸ばす。そしてチェーンオブラヴから力を受け取ったレッドルゼルは戦友を交わし去り、次のターゲットを目指してなおも脚を伸ばす。
前年以上の強い風となったレッドルゼルに、ファンの目は釘付けとなる。
「まだ! まだまだ! まだまだまだ!!!」
ゾクゾクする末脚。レッドルゼルの背中を押そうと、遠く日本からのエールが集まる。それは悲願達成への願い。
次の瞬間、ゴールテープが切られた。
スイッツァランドから遅れること1馬身3/4。レッドルゼルの挑戦は2年連続2着で幕を閉じた。
勝ち馬との差は前年より縮まった。それでよしとしていいのか。いや、レッドルゼルにはそんな思いは失礼なのではないか。善戦を喜ぶのではなく、勝てなかったことを悔しがるべきではないか。スイッツァランドは前年先着を果たした相手、最低人気の伏兵に足をすくわれた。勝てない相手ではなかったのではないか。
レース直後、私の胸をそんな思いが去来していた。
そして同時に思った。
かつて多くの日本馬が夢破れた舞台でこんなにも勝利を意識した想いを抱けるなんて、敗北を悔しがれるなんて、どれほど幸せなことなのだろうか、と。
レッドルゼルが当たり前のように海外で結果を残したことで、ダート短距離はもはや特別な舞台ではなく、現実的に目指すべき目標になったのだと思えた。
それが私には、堪らなくうれしかった。
翌年、レッドルゼルはフェブラリーステークス2着を引っ提げ、3度目の正直を実現すべく海を渡った。大願を成就する結果は得られなかったけれど、直線、懸命に脚を伸ばして差を詰める姿は、これまでの遠征に何ら劣るものではなかった。
2024年のフェブラリーステークス6着を最後に現役を退き、レックススタッドでの種牡馬入りが決定したレッドルゼル。彼はこの先、どれほどの産駒を残してくれるだろう。
レッドルゼルは決して屈強な米国的なダート短距離馬ではなかったと思う。砂の上にあって、彼は力強くもしなやかだった。重厚さよりも俊敏さを見せた。早いピッチで抜群の決め手を発揮した彼は"日本的ダート短距離馬ー"だった。
日本競馬は時に「ガラパゴス」と揶揄されることがある。けれど、近頃の日本馬の活躍を見ていると、そんなことがあってもいいじゃないか、と思う。
ガラパゴスな進化の中で日本に生れ落ちたレッドルゼルのような存在が、米国的な進化とは異なるアプローチから、世界最速を目指して花咲いていけるのかもしれない。
思えば父ロードカナロアも、世界最強クラスのスプリンターを要する香港勢の牙城を崩し、「龍王」としてその名を世界に轟かせた。ならばレッドルゼルが持つ血にも、未踏を踏破する力がきっと秘められている。
ダート短距離の頂点まで、あと少し。日本馬が未踏の領域を制覇するまで、あと少し。
レッドルゼルの登場により、夢は現実に近づいている。
短距離王国を築いた名伯楽・安田隆行調教師が調教師生活の最晩年に送り出した砂上の韋駄天、レッドルゼル。
レッドルゼルが魅せてくれた夢、そして僅かに果たせなかった夢の続きを、次代に託したい。いつか、彼の面影を宿す仔が、砂の上の摩天楼で喝采を浴びる姿を夢見て。
写真:かぼす、norauma