
一週間のうちに、いくつもの命が競馬の世界から消えていった。それぞれ別の場所、別のかたちで、あまりにも突然に。
彼らの最期の姿は、私の眼の奥に深く焼きついたままだ。彼らの名前は、ニュースの大見出しにはならなかったかもしれない。けれど、確かに走り、確かに生きていた。
私は、ただの競馬ファンに過ぎない。
命の重さを測ることも、競馬の在り方を語ることも、私にはできない。大仰な言葉を紡ぐ力も、持ち合わせていない。
けれど、見届けることはできる。見届けた者として言葉を残すことくらいは、許されていると信じたい。せめて、個々の命を記憶の中にきちんと留めておくために。
たとえ名前を知られていなくとも、語られなくていい命などない。それぞれの命には、唯一無二の物語があるのだから。
彼ら、彼女らへの哀悼と鎮魂の願いを込めて、つづりたい。
■ウマピョイとスティックバイミー
2025年6月22日、函館競馬場、芝1800m、3歳以上1勝クラス。
スタンドから見守る観客の前を駆け抜けて、1コーナーへとさしかかったときのことだった。ウマピョイは前の馬に接触し、バランスを崩して転倒。直後を走っていたスティックバイミーを巻き込む痛ましい事故となった。ウマピョイは右脚に、スティックバイミーは左脚に致命的な傷を負い、そのまま天へと旅立った。
ウマ娘のテーマソングに因んだ、ポップでユニークな響きと可愛らしい雰囲気。SNSでオーナーが積極的に情報発信していたことも相まって、ウマピョイはファンの目を惹く馬だった。そのキャリアを振り返れば、過密なローテにもめげずに2、3着を重ね続けた未勝利時代。そして、園田に転じてなお挑み続け、苦労の末に再転入条件を満たした軌跡が、自然と目に留まる。決して筋骨隆々ではない小さな芝馬にとって、その道のりはどれほど過酷だっただろうか。軽やかな名前とは裏腹に、苦難を乗り越え、健気に、ひたむきに走り続けた。新聞欄で見かけるたび、「今日も頑張ってるな」とつい声が漏れる、そんな一頭だった。
同じことは、スティックバイミーにも言えた。新馬戦を制した素質は紛れもなく本物。その才能ゆえに重賞にも挑んだ。だが、そこから約2年の道のりは険しかった。掲示板には幾度も入り、勝ち馬から1秒と負けていない。けれど、待望の2勝目は遠い日々が続いた。あと「もうワンランク上」の走りを引き出し、再びウイナーズサークルに入る日を目指し、彼女は走り続けていた。
敗れてもまた立ち上がる。私たちの前にそのひたむきな姿を見せてくれた。ウマピョイも、スティックバイミーも、勝利の女神が微笑む瞬間に手を伸ばしつづけていた。

■ネティフラウ
命に関わる事故。競馬の世界では、それはときに、避けがたい「日常」のひとつに数えられるのかもしれない。しかし——
先の2頭の悲劇から1週間後の6月28日。小倉競馬場、ダート1700m。3歳上1勝クラス。
1番人気の支持を集め、ファンの期待を背にゲートインしたネティフラウ。だが、まさにスタートを迎えようとした直前、彼女はゲート内で転倒し、頸部を強打した。第2頸椎粉砕骨折の重傷を負い、彼女はそのまま命を落とした。
中継映像が捉えていたのは、真夏を思わせる陽光の下で、動かぬまま横たわる彼女の姿だった。懸命に駆け寄るスタッフたち、そして次々と退避していく出走馬たち。発走時刻が大幅に遅れる中、そのすべてがあまりにも生々しく、事態の重篤さを否応なく察せざるを得なかった。
ネティフラウは、4戦1勝の3歳牝馬だった。テンションの高さが目立ち、返し馬でびゅんと加速したかと思えば、レースでぴたりと減速したりもした。厩舎の手を煩わせた「おてんば娘」だったが、ダートに転じてからの2戦を1着、2着とまとめ、その軽快なスピードは将来性に溢れていた。身体に心が追いつく日が来れば、もっと素晴らしい走りを見せたであろう。これからが楽しみな存在だった。
だが、その物語はゲートの中で唐突に終わってしまった。何かが狂った、ほんの一瞬の間に。なぜ、彼女は命を落とさなければならなかったのか。なぜ若く、快活で、未来を見据えていたはずの彼女が、あの場所で。
答えのない問いが、今も私の胸の奥に横たわっている。

■トライデントスピア
その翌日、福島競馬場、芝1800m、3歳上1勝クラスでのこと。
素質馬と謳われたトライデントスピアは、勝負どころを前に急速に手応えを失い、馬群から後退していった。ライバルたちが駆け抜けていった後の、うだるような蒸し暑さに包まれた芝コースの上で、トライデントスピアは減速し、ついには歩みを止め、競走を中止した。
診療所で下された診断は、両前繋靭帯断裂だった。500キロを超える巨体を支えるには、あまりにも致命的な故障だった。彼自身を苦しみから解放するという、つらく、そして重い決断が下された。
トライデントスピアはこれまでの7戦の全てで支持を集め、常に勝ち負けを演じてきた。父ダイワメジャー譲りの雄大な馬体は真っ黒に煌めき、その力強い歩様には、秘めたる素質が溢れ出ていた。2つ、3つと、まだまだ勝利を重ねるはずだった。
大型馬に特有の、脚元の不安を抱えながらの競走生活。彼の出走には、常に細心の注意が払われていたはずだ。どんな競走馬も多かれ少なかれ、どこかに不安を抱えている。それでも彼らは走る。走らなければならない。ゼロリスクなどありえないこの世界で、人は馬と深く向き合い、ときに紙一重の決断を下す。もしかしたら、その生と死を分かつのは、ほんの半歩、あるいはたった一歩の、ごくわずかな違いに過ぎないのかもしれない。

■静かな祈りを胸に、それでも私は、見届ける。
競馬とは、非情な世界だ。
その一言で、すべてを片付けることもできるかもしれない。でも、本当にそれだけだろうか。
今回、志半ばで命を落とした彼らは、G1馬でもオープン馬でもない、1勝クラスの条件馬だった。けれど、だからこそ、その命の重みが見逃されないよう、きちんと目を向けなければならない。
馬は、自らの意志のみで走っているわけではない。人に選ばれ、人に乗られ、人に走らされる。それが競走馬の宿命だ。けれど彼らは確かに、走っていた。どんな脚でも、どんな体でも、自分のもてる力のすべてを賭して、生き物としての本能に従い、あるいは抗いながらも、ただひたすらに、前だけを目指して。
そのひたむきな姿に、私たちは幾度となく心を打たれたはずだ。その尊さを、私たちは知っているはずだ。
だからこそ、目をそらしてはならない。だからこそ、決して忘れてはならない、と私は思う。その死を悼むことを止めてしまえば、彼らの命は、ただの「使い捨て」になってしまうだろう。
見届ける者には、目を離さない責任がある。命の火が燃え尽きたとき、その現実をしっかりと見届け、静かに悼むこと。時が経っても、彼らの存在を記憶に留めておくこと。ときどきでいいから、思い出すこと。少なくとも私は、馬に心を奪われたひとりとして、いつまでも静かで、確かな祈りを捧げ続けたい。
ウマピョイも、スティックバイミーも、ネティフラウも、トライデントスピアも――失われた命の、ほんの一部にすぎない。そのすべてに目を留めることはできなくても、せめて幾つかの灯に、記憶の輪郭を与えたかった。彼らが駆け抜け、その生を終えていった姿は、少なくともこの日、このレースを見守った競馬ファンの心に、刻まれたと信じたい。
競馬には光がある。栄光がある。歓声がある。しかし、その裏側には、いつだって影が潜む。
その事実から目を背けずに、私たちは、これからも馬を観つづけるだろう。その覚悟とともに。
私は静かに、頭を垂れる。
もう、二度と戻ってくることのない、あの横顔に。
もう、二度と聞こえない、あの蹄音に。
ただ、「ありがとう」と、伝えたくて。
写真:INONECO、モーリスさいつよ、だいゆい