母と仔、二代の物語。優駿牝馬に挑んだ下河辺の宝物。ダイワエルシエーロとロンドンブリッジ。

ファンに愛され、一際多くのエールを浴びる馬がいる。

例えばキセキ。

競馬史に残る屈指の不良馬場で行われた菊花賞を泥んこになりながら先頭で駆け抜けた彼は、雄大すぎるほどのフットワークで国内外の競馬場を駆け抜け、持ち前の高いフィジカルを活かし、多くの名勝負の立役者となった。

菊花賞以降の4年間で遂に勝利を挙げることはなかったが、最後まで”らしさ”を失うことなく、多くの喝采に背中を押しされて第二の馬生へ旅立った。近い将来、彼らしい柔軟で大きな走りでファンを魅了する二世が私たちの目の前に現れるだろう。

例えばグレーターロンドン。

慢性的な蹄の不安と隣り合わせだった彼は、蹄葉炎を乗り越え、自らの力で大舞台に駒を進めた。未知の魅力と才気に溢れた彼の一挙手一投足に、ファンは大きな夢を託し続けた。

遂に能力全開で駆ける機会を得られぬままターフを去った彼は、種牡馬として自身の才能を証明した。40頭ほどの初年度産駒は驚異的なハイアベレージを叩き出し、ロンドンプランが小倉2歳ステークスを、ユリーシャがエルフィンステークスを制した。一躍、人気種牡馬となったグレーターロンドンはディープインパクトの後継として将来を嘱望される種牡馬の一頭となっている。

両馬の血統を辿ると一頭の名牝に辿り着く。

その馬の名はロンドンブリッジ。

1998年のクラシック戦線を主役の一角として駆け抜けた彼女は、明るい栗毛と上品な身のこなしを持つ美しい馬だった。樫の舞台で幕を下ろした彼女のアスリートとしての馬生は1年に満たない。それでも彼女の豊富なスピードは私たちに沢山の記憶を残した。

6年後、母となった彼女は一頭の愛娘を私たちの前に送り出してくれた。

彼女は、母が夢破れた府中の社で距離の壁を乗り越え、後世に名を残す数多のライバルに打ち克ち、母が為すことができなかったクラシック制覇の夢を叶えた。

本稿ではロンドンブリッジとその仔ダイワエルシエーロ。母子二代で優駿牝馬に挑んだ名牝の歩みを振り返りたい。


門別、下河辺牧場。

1933年に開場し、100頭に迫る生産頭数を誇り、生産者リーディング上位の常連を占め、現代の日本競馬界になくてはならない名門牧場である。3冠牝馬スティルインラブを筆頭に当牧場から巣立った活躍馬は枚挙に暇がない。2022年には桜花賞馬アユサンが産んだドルチェモアが「母仔G1制覇」を成し遂げ2歳王者に輝いた。

“下河辺ブランド”の駿馬たちは様々な個人オーナーの勝負服、あるいは白地に赤袖(または赤袖青一本輪)の下河辺の勝負服を背に、大舞台で存在感を放っている。

下河辺牧場の強さの秘訣は、輸入繁殖の相馬眼の確かさだろう。

スティルインラブの母ブラダマンテ、アユサンの母バイザキャット、ショウナンアデラの母オールウェイズウィリング、ノットゥルノの母シェイクズセレナーデ、ムガムチュウの2代母ダムドウムーラン、グレイスティアラの3代母マッチレスネイティヴ、ドライスタウトの3代母パーフェクトポイント……

下河辺牧場が輩出したG1級競走の優勝馬は皆、自身の手で本邦に輸入された繁殖牝馬を起点とする。遠く海を越えて日本に迎え入れられた彼女らは、時に直仔が、時に代を重ね、大輪を咲かせている。

下河辺牧場が丹念に育てあげた幾つもの牝系は、太く強靭な大樹として日本に根付き、日本競馬界に欠かせぬ存在となっている。

ロンドンブリッジの母・オールフォーロンドンもまた、下河辺牧場が米国から導入した期待の繁殖の一頭だった。一大父系を築いた大種牡馬Danzigの直仔である彼女は、英国で芝を、米国でダート競走を勝利していた多様性を評価されてキーンランドのせり市で購買された。

ジャパンカップを最後に現役を退き社台スタリオンステーションでスタッドインしていた1993年の英国ダービー馬、ドクターデヴィアスとの配合によりこの世に生を受けたロンドンブリッジは、3歳(旧馬齢)の夏に中尾謙太郎厩舎の門を叩いた。

角居勝彦元調教師や宮本博調教師等、数々のホースマンを輩出したことでも知られる中尾謙太郎厩舎は、90年代初頭に下河辺牧場が誇るダート王者ナリタハヤブサを手掛けたように、牧場とも信頼関係を築いた名門ステーブルだった。


追い切りの良さから評判馬を集めていたロンドンブリッジは、1997年8月の札幌競馬場、芝1200m戦で初陣を迎える。

松永幹夫騎手を背に好スタートから先手を奪うと、持ち前のスピードで後続を圧倒。直線も突き放す圧巻の走りで、単勝1.2倍の支持に違わぬ5馬身差の圧勝劇を演じた。

一か月後の500万下戦でロンドンブリッジの評価は更に高まる。スタートをソロっと出たロンドンブリッジはスピードの違いを見せつけるように自然体で進出し、鼻歌交じりのリラックスしたフォームで早々に先行勢を呑み込む。

直線も最後まで松永幹夫騎手の手綱は持ったまま。後にシンザン記念とチューリップ賞を制して桜花賞でまみえるダンツシリウスを置き去りにし。6馬身差の圧勝で単勝1.1倍の断然人気に応えてみせた。

――北の大地で新星現る。

デビュー2連勝で一躍スター候補生として表舞台に躍り出たロンドンブリッジは、前年に設立されたばかりのファンタジーステークスに駒を進める。スタートでやや出遅れてレディステラ、シンコウノビーの先行を許す形となったロンドンブリッジだったが、坂の下りで勢いをつけると、直線は余裕の脚色で各馬を差し切り難なく重賞初制覇を果たした。底知れぬ彼女の速力にファンは大きな夢を見た。

そして迎えた暮れの3歳牝馬チャンピオン決定戦、阪神3歳牝馬ステークス。

だが断然の主役として臨むはずだった彼女の姿はそこに無かった。体調を崩して休養に入ったロンドンブリッジに替わり1番人気に支持されたのがファンタジーステークスで下したシンコウノビーだったことからも、「もしロンドンブリッジが順調だったならば…」とファンの溜息が聞こえるようだった。

彼女がこの年残したインパクトの大きさは、JRA賞の部門投票にも表れている。

最優秀3歳牝馬部門において阪神3歳牝馬ステークスを制したアインブライド140票に対し、ロンドンブリッジは50票。阪神3歳牝馬ステークス勝ち馬が自動選出されるのが通例のこの部門において異例の割れ方であり、それはすなわち「ロンドンブリッジこそが真のチャンピオン」と魅了された有識者が多かったことを表していた。3歳女王の栄冠こそ逃してもロンドンブリッジの前途は洋々に思えた。

だが、結果とした彼女が翌年のクラシック戦線で輝く冠を戴くことは無かった。

桜花賞へのステップに選んだ報知杯4歳牝馬特別では単勝1.4倍の支持を集めるも、久々のレースに気負いが先走りゴール寸前で失速。マックスキャンドゥの後塵を拝し、初めての黒星を喫する。

桜花賞では持ち前のスピードを活かしてハナを奪い、前半600mを34秒3。1000mを57秒7と、軽快な見た目とは裏腹の厳しいラップで直後を追いかけるマックスキャンドゥ、エイダイクイン、ダンツシリウス、ロッチラヴウインクらの余力を削り取る。

直線半ばでマックスキャンドゥを振り切ったロンドンブリッジは、最後の力を振り絞って仁川の坂を駆け上がる。

だが残り50m。坂を上り切った遂に脚色が鈍ったロンドンブリッジの外から、ただ一頭、外に進路を求めたファレノプシスが迫る。最後の数完歩で遂に力尽き、桜の冠は彼女の手から零れ落ちた。

快速を武器に桜花賞を戦った者にとって、府中2400mが大きな試練の場となることは今も昔も変わらない。

桜花賞の厳しい戦いのあと、ダンツシリウス、エイダイクイン、ロッチラヴウインクら先行争いを演じたライバルたちは続々と故障を発症し戦列を離れた。自身も中間のフレグモーネを発症し、決して万全ではなかったことだろう。

それでもロンドンブリッジは栄光を求めて、樫の女王を決める舞台、第59回優駿牝馬に駒を進め、そして自らの走りを貫き通した。

レースは厳しいものとなった。

リラックスできるようにと初めてメンコを着用したロンドンブリッジは、自身の溢れるスピードを抑え、1000m通過62秒8のコントロールされた逃げを打つ。少しでも力を温存し直線を迎えようと松永幹夫騎手はロンドンブリッジを丁寧に導く。

だが大欅の向こうを超えた4角、外から進出したラティールと好位で脚を溜めたエガオヲミセテがロンドンブリッジに早々に並びかける。先頭を譲るわけには行かない局面。プレッシャーを受け、彼女はやむなくペースを上げる。

直線を迎えて残り400m。勢いをつけたラティールと内外離れて、それでもロンドンブリッジは踏ん張る。だが北の大地で目覚めて淀で花開いた彼女のスピードは、府中の2400mを乗り切るにはあまりにも軽やかすぎた。残り200mでいよいよ勢いを失ったロンドンブリッジはエリモエクセルら後続に次々と飲まれ10着でゴール板を通過した。

そして、これが彼女のラストランとなった。

屈腱炎を発症した彼女は、再びターフに戻ることは無かった。

時は流れて6年後、東京競馬場、第65回優駿牝馬。

この日、ファンの目は一頭の良血牝馬、無敗の桜花賞馬に輝いたダンスインザムードに注がれていた。

ダンスパートナー、ダンスインザダークの全妹でここまで4戦4勝。藤沢和雄厩舎に武豊騎手。非の打ちどころのないバックボーンを持つ彼女は、ハイレベルな混戦と目された桜花賞を盤石のレース運びで完勝し、世代一強を高らかに宣言していた。

アドマイヤグルーヴという強力なライバルがいた前年の3冠牝馬スティルインラブと異なり、桜花賞での強烈な輝きから目下のライバルとの勝負づけは済んだ、というのが大方の見方。兄姉の戦績から距離延長も歓迎要素と思えた彼女には早くも2年連続の3冠牝馬誕生との声が上がり、単勝1.4倍の一強ムードにファンの間では「相手探し」の空気が漂っていた。

だが桜花賞で一敗地に塗れた陣営も、決して諦めたわけではない。2歳女王のヤマニンシュクル、重賞2勝の実力馬スイープトウショウ、桜花賞2着のアズマサンダース………打倒ダンスインザムードに向けて、各陣営は牙を研いでいた。

6番人気に留まったロンドンブリッジの仔、ダイワエルシエーロもまた、その一頭だった。

下河辺牧場に帰ったロンドンブリッジは不世出の大種牡馬サンデーサイレンスと交配され、繁殖入り2年目のシーズンに実質的な初仔として授かったのがダイワエルシエーロだった。

父から距離への適性を、母から豊富なスピードを受け継いだダイワエルシエーロは2003年の最終日を迎えた阪神マイルの新馬戦でキャリアを始動する。生涯のパートナーとなる福永祐一騎手を背に好発から軽快なスピードを見せると、直線も軽く仕掛けられただけの完勝。母を彷彿とさせるスピード溢れる走りで初陣を飾った。

年始の紅梅ステークスでは好位から最内をロスなく立ち回り、外から進出したスイープトウショウと鍔迫り合うも僅かにおよばず2着。勇躍東上し臨んだクイーンカップでは、後方4番手でじっくり構えると直線だけで他馬をまとめて撫で切って初重賞制覇を果たした。母ロンドンブリッジから確かな才能を受け継ぎ、3戦2勝でクラシック戦線へ歩みを進めた。

大外枠が災いした桜花賞では何もできぬまま7着。優駿牝馬に向けては母ロンドンブリッジを根拠に距離不安を推す声も少なくなかったが、陣営はダイワエルシエーロが秘める力を信じていた。

レースが始まった。2歳夏以来の出走となったスイートピーステークスを制して優駿牝馬の出走枠に滑り込んだウイングレットが押し出されるようにハナを奪い、ダイワエルシエーロは2番手を追走する。

中団に控えるダンスインザムードにライバル各馬のマークが集中する向正面。逆転の秘策を胸に秘めた福永祐一騎手は手綱を僅かに緩めてウイングレットから先頭を奪う。1000m通過は62秒フラット。決して早すぎないペースで、6年前の母と同じようにダイワエルシエーロは馬群を先導する。

大ケヤキを超えて3角から4角を迎えた。かつて母が後続勢に並びかけられた地点を迎え、ダイワエルシエーロは機先を制してギアを上げる。残り800m地点から12秒1、11秒2を刻み、後続とリードを保つ。

直線。ダイワエルシエーロは単騎先頭で広い府中をひた走る。馬群でしっかり脚を溜めたダンスインザムードがスムーズに進路を確保し満を持して追い出された。だが初めての2400mに苦しがったのか、内にササって伸びきれない。

残り200m。必死の走ったダイワエルシエーロは、気が付けば母ロンドンブリッジが力尽きた地点を超えていた。まだ彼女の脚色は衰えない。ダンスインザムードは苦しい。後続から唯一頭、スイープトウショウがダンスインザムードをパスし、グングンその差を詰める。

残り100m。スイープトウショウの勢いは止まらない。リードが詰まる。紅梅ステークスと同じ決着が頭をよぎる。

残り50m。ダイワエルシエーロが最後の力を振り絞る。福永騎手は右鞭を一発振るい、相棒を一歩、また一歩とゴールに向けて押し出す。スイープトウショウが内に切れ込みながら迫り、馬体が並ぶ。

――ゴール。

ダイワエルシエーロは半馬身差まで詰め寄られながらも、ついに最後まで先頭を譲らなかった。母ロンドンブリッジが果たせなかった牝馬クラシックのタイトルを掴み取り、母娘二代の大願を成就した。

曇天の府中だったが、彼女が走り抜いた蹄跡に母の想いも重なり、ほのかな柔らかい光が射しているように思えた。

この後、円熟味を増して多くのビッグタイトルを手にする福永祐一騎手にとっても、これが府中、そしてクラシックディスタンスでの初めてのG1制覇となった。

後方の競馬でも結果を残し、距離不安も囁かれるダイワエルシエーロで逃げの手に出ることは勇気が要る事だっただろう。それでも、自らの思考を型に嵌めず、ダイワエルシエーロの長所を引き出し、他馬とのアドバンテージを稼ぎ出すクレバーなレース運びに多くのファンが賞賛を送った。

ダイワエルシエーロは同年秋、ザ石のトラブルで秋華賞、エリザベス女王杯を回避する不運に見舞われたが、京阪杯(当時は芝1800m)で同期のカンパニー、エアシェイディらを振り切り復活の重賞勝利を挙げた。翌年、マーメイドステークスで重賞4勝目を挙げたレースの後、長期の休養に入り、そのまま翌年3月にターフを去った。


2022年。レイデオロとの間に儲けた牝馬を出産したダイワエルシエーロの繁殖引退が発表された。度重なる流産や不受胎に見舞われる不運もあって産駒数には恵まれなかったが、数頭の後継繁殖を下河辺牧場に残し、血のバトンを次世代に繋いだ。

同年秋、下河辺牧場のSNSに功労馬として余生を送る母娘の写真が掲載された。

母ロンドンブリッジと娘ダイワエルシエーロ。

距離の壁に挑んだ母と、距離の壁を乗り越えた娘。

下河辺牧場が送り出してくれた2頭の名牝は、歴戦の記憶も今は遠く昔。仲睦まじく草を食み、雄大な放牧地で穏やかに、お互いを労い合うように、身を寄せ合っている。

キセキやグレーターロンドン、あるいはまだ見ぬ次世代のヒーローたちのブラックタイプに、彼女たちの名は確かに刻まれている。

彼女たちの遺伝子は、これからも様々に形を変えて、様々な個性と様々なドラマを携えて、私たちに次の夢と希望を与えてくれることだろう。

写真:かず、Horse Memorys

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