「そんなに悩むのなら、コインでも投げて決めるたら、いいんじゃないか」
気怠そうに言う目の前の先輩に、私は苛立ちを覚えた。
「大事なことを、コイントスみたいにいい加減なことで決められるわけないです」
私は、少し憤慨して答えた。
テーブルに置かれた二つのコーヒーからは、ゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
ことあるごとに、私の相談に乗っていただいたその先輩は、人生の大切な選択肢をコインを投げて決めろという。
時に、人は生きる中である種の選択に迷う。
仕事だったり、住む場所であったり、大きな買い物であったり、あるいは人間関係だったり。
やめるのか、それとも続けるのか。チャレンジするのか、守るのか。
行くのか、引き返すのか。肯定するのか、否定するのか。
信じるのか、疑うのか。
そうした二者択一のなかで、人は何かにその選択の根拠を探す。
理性を働かせて考えて出した結論なのか、直感なのか、あるいはご神託か。
そのどれを選ぶのかもまた、人生の選択のうちなのかもしれない。
「究極的に言ってしまえば」
そう、静かに前置きをした上で、その先輩は続けた。
「コインを投げるように、人生を決めていい」
ゆらりと湯気の立ち上るコーヒーを見ながら、さらに続けた。
「いや、むしろコインを投げるように生きた方がいいんだ」
まだ不服そうな私の雰囲気を感じてだろうか。
一呼吸おいて、その先輩は続けた。
「頭で考えたところで、それが最善の選択である確証もないわけだろう?」
たしかに、そうかもしれない。
「じゃあさ、このコインでも投げて、いま決めたらいいんじゃないか」
そう言って、先輩は財布から硬貨を取り出した。
コイントス。くじ引き。抽選。
偶然性は、人の生を彩る一つの要素である。
人は、自分の思った通りに人生を動かしたいと願う。
しかし、実際にはその逆で、人生の多くの要素を占めているのは、偶然性なのかもしれない。
自分の力の、いや人智の及ばない偶然性。
結局のところ、それを信じるかどうかは、自分自身を信じるかどうかと同じことなのかもしれないけれども。
コーヒーからは、まだゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
それはどこか、あの年の雨に煙るオークスを想起させてくれた。
偶然性に彩られた、オークスだった。
2011年、大きな震災があった年。
先行きの不透明な世情と同じように、この年の牝馬クラシック戦線は混沌としていた。
桜花賞前まで絶対視されていたのは、前年の2歳女王であるレーヴディソール。
無敗のまま前哨戦のチューリップ賞を制したが、本番の桜花賞の1週前に骨折で戦線離脱。
絶対的な本命馬が出走できなくなったことで、牝馬クラシック戦線は混戦模様となっていく。
クラシックのゲートをくぐることができるのは、そのレースの優先出走権を持っている馬が最優先となる。
優先出走権はトライアルレースの上位馬に与えられる。
その次に、獲得賞金順で出走枠は埋まっていく。
そして出走可否のボーダーライン上にいる馬は、抽選になる。
桜花賞の週、後藤浩輝騎手の手綱に回ってきたのも、そんな抽選対象の牝馬だった。
500万下(現・1勝クラス)を突破したばかりの、エリンコート。
2歳夏の函館でデビューしたのち、3戦目で初勝利を飾ると、年が明けた3月末の条件戦で2勝目を挙げたところだった。
ここまでで7戦2勝。
閃光のごとき末脚を誇った父デュランダルとは違い、好位から競馬のできるレースセンスの高さがエリンコートにはあった。
桜花賞に登録はしたものの、獲得賞金がボーダーライン上にあったエリンコートの出走は、6分の2の抽選に委ねられることになった。
抽選を突破する確率、50%。
可能性は半々の抽選だったが、はたしてエリンコートはその抽選に落選する。
抽選を突破して、桜花賞に出走が叶ったのはカフェヒミコとウッドシップの関東馬2頭。
落選となったエリンコートは、桜花賞当日のオープン特別、忘れな草賞に回ることになった。
デビュー以来初めてとなる、2000m以上のレースへの出走である。
しかしこの忘れな草賞で、中団からレースを進めたエリンコートは、鋭い末脚を伸ばして快勝する。
この勝利で、陣営はエリンコートをオークスに出走させることを決める。
短距離で実績を残した父・デュランダルの血統から考えても、マイル路線ではなく2400mのオークスに向かうのは、勇気の要る決断だったかもしれない。
また、後藤騎手にとっても、難しい選択があった。
オークストライアルのスイートピーSで騎乗したアカンサスで、同レースを快勝。
優先出走権を得たことで、オークスの騎乗馬で選択肢が生まれることになった。
しかし、後藤騎手は先に依頼を受けていた義理を通し、エリンコートの騎乗を選択した。
迎えた2011年5月22日、オークス当日。
レースの少し前から降り出した大粒の雨が、府中の芝を濡らしていた。
かろうじて良馬場での発走となったが、どの3歳牝馬にとっても未体験となる2400mの距離、そして降りしきる雨のなかでの発走と、レースはまた混沌としていた。
そのなかで、エリンコートは実に落ち着いて、返し馬を終えていた。
ゲートが開くと、ピュアブリーゼが大外18番枠から主張して逃げを打つ中、好枠の4番枠から出たエリンコートは前走と同じく中団に控えた。
1番人気に支持された桜花賞馬マルセリーナは、後方3、4番手のポジション。
発馬で立ち遅れた2番人気のホエールキャプチャも中団後方の位置取り、さらに3番人気のグルヴェイグもその後ろからと、上位人気馬は揃って後方からレースを進める展開。
ピュアブリーゼの柴田善臣騎手は、必要以上にペースを落とさずに逃げ、レースはよどみなく流れていく。
大欅を過ぎて、ようやく後続場が徐々に差を詰めていき、直線を迎える。
余力十分に粘り込みを図るピュアブリーゼ。
そこに中団からエリンコートが、抜群の手応えで脚を伸ばしていく。
しかし、抜け出そうとしたところで、エリンコートの走りは内へと切れ込んでいく。
大雨の天候に暗くなった馬場を照らす、スタンドの照明を怖がったとのことだが、経験の少ない3歳牝馬ゆえの難しさもあったのかもしれない。
必死に立て直そうと、左鞭に切り替えて追う後藤騎手。
抜群の脚色ながら、なおも内へ切れ込んでいくエリンコート。
前を走るピュアブリーゼに接触しそうになり、必死に右手綱を引く後藤騎手。
そこに、後方から追い込んできたホエールキャプチャも、外から猛然と並びかける。
3頭が馬体を併せたのが、ゴール板前だった。
結果はわずかにクビ差、エリンコートが前に出ていた。
エリンコートは、重賞初制覇をオークスの大舞台で飾った。
そしてそれは、デビュー20年目を迎えていた後藤騎手にとって、初めてのクラシック制覇の瞬間だった。
雨の府中に輝いた、エリンコートの末脚。
2011年という記憶に残る年の、樫の女王。
エリンコートはその後、5歳の中山牝馬Sまで走ったが、掲示板に載ることもなかった。
それだけに、あのオークスという舞台での輝きが、より一層際立って見える。
そして、その偶然性に、想いを寄せたくなる。
もし、桜花賞の抽選を突破していたとしたら。
桜花賞で、どんな走りを見せていたのだろうか。
忘れな草賞で、中距離への適性を見せなかったら、エリンコートのオークスへの挑戦はあったのだろうか。
もし、マイル路線を中心に考えていたとしたら。
あの後藤騎手のクラシック勝利も、あの笑顔も、なかったのだろうか。
そんなタラレバを考えても、答えのないことではあるのだけれども。
人が生きる中では、運や縁、タイミングといった、自分ではコントロールできない存在の力が、ことさらに大きいように感じるのだ。
だからといって、天任せ、運任せで後藤騎手が勝てたはずもない。
日々の弛まぬ努力と、人の縁と義理を大切にしてきたからこそ、勝ち得たクラシック制覇でもあったはずだ。
ただ、その勝利には、人智の及ばない何がしかの力が働いていたような気もする。
それが何なのかは分からないから、結局のところ、人は自分にできることをするしかないのだろうけれども。
ピン
という音とともに、コインは宙を舞った。
ぱちん
と、そのコインは目の前の先輩の左手の甲に収まった。
抑えていた右手を、ことさらにゆっくりと上げる先輩。
どちらが出たのか、その左手の甲を私は覗き込んだ。
「お、裏だったよ」
親指と人差し指でコインを摘まんでこちらに見せながら、そう語る先輩。
ぼんやりとそれを見ていた私は、その銀貨に刻まれた絵柄を見ていた。
「で、裏だったら、どうするんでしたっけ」
裏に託した選択肢が何だったのかよく分からず、私は訊ねた。
「あ、決めてなかったわ」
先輩はけらけらと笑った。
私もまた、可笑しくなって笑った。
二人の間のコーヒーからは、もう湯気は見えなかった。
それでも私は、もう一度、あのオークスを思い出していた。
降りしきる雨の中、抜け出してきたエリンコートと、レース後の後藤騎手の笑顔。
偶然と必然に彩られた、あの年のオークス。
これから何度も、思い出していきたいとも思った。
写真:Hiroya Kaneko