薔薇は、雨上がりに咲く。 - 2007年金鯱賞・ローゼンクロイツ

久しぶりに訪れた場所の風景が、記憶の中のそれと違っていたりすることがある。
それは生まれ育った故郷であったり、よく通った定食屋であったり、あるいは、いつもそこにいた誰かだったりもする。
時は、一瞬たりとも止まらず流れていく。
変わりゆくことこそが、生きていくことに等しい。
けれども、変わりゆくなかで、忘れたくないこともある。

書くこととは、すべてを洗い流してしまう時の流れに、抗う行為なのかもしれない。
それは、この時空に打つ、一つの楔のようでもある。
忘れたくないことがある。
つなぎとめておきたい記憶がある。
だから、こうして言葉を紡ぐ。

皆の記憶に残るサラブレッドがいる。
書くことで、誰かの記憶をつなぎとめることができる優駿もいる。
ローゼンクロイツは、どちらなのだろうかと考える。
その、どちらでもあるような気がする。

そのルーツとなる、ロゼカラーという牝馬のことを、よく覚えている。
ノーザンファームの吉田勝己代表がフランスから輸入したローザネイを母に持ち、1996年のクラシック戦線を走った。
桜花賞は熱発で回避したが、オークス、秋華賞とGⅠの大舞台でも、小柄な馬体ながらひたむきに走る姿が、印象的な牝馬だった。

ロゼカラーは、エリザベス女王杯を最後に繁殖に上がり、初仔でローズバドを産んだ。
その父は、サンデーサイレンス。
ローズバドもまた、母に似て小柄な馬体の牝馬だった。
いつも直線で懸命に追い込んでくる姿もまた、母に似ているなと感じたことを覚えている。

ロゼカラーは、父を変えて2頭の牝馬を産んだのちに、再びサンデーサイレンスを父に戻して、4番仔となる初めての牡馬を産んだ。
それが、ローゼンクロイツだった。

2004年10月のデビュー当初から、鋭い末脚から素質の高さを感じさせる走りを見せていた。
ただ、デビュー前からの体質の弱さもあり、輸送競馬と重い馬場に難があった。
それに加えて、あのディープインパクトが同世代にいたこともあったが、菊花賞では3着に入る活躍を見せた。

古馬になると勝ちきれないレースが続き、また骨折などの怪我により順調さを欠いたりもしたが、5歳の3月、GⅢ中京記念でついにその才能が花開く。
1000mが57秒3と、緩みのないラップを中団で悠々と追走。
直線で力強く抜け出して、コースレコードで1年11か月ぶりの勝利を挙げる。
その中京記念に続けて挑んだのが、GⅡ金鯱賞だった。


──迎えた、2007年5月26日。
爽やかな新緑の季節。
ダービー前日の高揚感に、中京競馬場も包まれていたのだろう。
そんな日のメインレース、金鯱賞。
施行時期の変遷を重ねるこのレースだが、この年は宝塚記念の前哨戦としての位置づけになっていた。
その日、中京競馬場は前日の大雨が嘘のように、よく晴れていた。
ローゼンクロイツにとっては、絶好ともいえる良馬場での施行となった。

生命力にあふれた皐月の日差しの下、ゲートが開く。
小回りの中京芝2000m。
1コーナーまでの先行争いを制してハナを切ったニホンピロキースに、外枠から2番人気のアドマイヤメインが並びかける。
ダービー2着の実績があるインティライミは、ちょうど中団あたり。
藤岡佑介騎手は、ローゼンクロイツをその後ろのポジションにエスコートした。
人気の一角であるスウィフトカレント、マチカネオーラあたりは、後方からの追走といった態勢。

先頭のニホンピロキースが刻んだのは、1000m通過が57秒6とかなりのハイペース。
その流れたペースのなか、ローゼンクロイツは3コーナー付近から徐々に進出する。
外目を回りながら、4コーナーでは早くも先行馬を射程に入れた。

迎えた直線、馬場の真ん中を鋭く伸びるローゼンクロイツ。
内で逃げ粘るニホンピロキースと、ヴィータローザをかわしていく。
外から、スウィフトカレントも脚を伸ばしてくる。
しかし、それをクビ差凌いて、ローゼンクロイツはゴール板を駆け抜けた。

鞭を持った左手を握りしめる、藤岡騎手。
5月の緑鮮やかな芝の上で、ローゼンクロイツの鹿毛が輝いていた。
緩みのないペースのなか、自ら動いて勝ち切るという、まさに堂々たる競馬。
中京で花開いた薔薇が、重賞連勝を飾った瞬間だった。


これでGⅢ、GⅡと連勝。
さあ、次はGⅠか。
この脚がその大舞台で披露されること、そして薔薇一族の悲願への期待が高まったが、ローゼンクロイツは、金鯱賞のレース後に脚部不安を発症。
同年秋に復帰するも、中京で見せたあの輝きを再び見せることはできなかった。

その翌年の、2008年。
復活を期して三度目の金鯱賞に出走したが、雨の降りしきるレース中に故障を発症し、ローゼンクロイツはこの世を去った。

眩いまでの輝きを見せていた中京での、あまりにも突然の別れに、言葉を失った。

薔薇一族の悲願のGⅠ制覇は、ローズバドの3番仔であるローズキングダムが、2009年の朝日杯フューチュリティステークスを制したことで成し遂げられた。
牝馬では、ローズバドの孫のスタニングローズが、2022年の秋華賞を勝った。

歴史を見れば、それが結果として残るのだけれども。

中京記念で叩き出した、改修工事前の中京・芝2000mのレコードタイム1分56秒9。
そして、続く金鯱賞では、レースレコードの1分57秒2。
2012年に改修工事を終えた現在では、もう触れることのできない、その時計。
その時を刻んだローゼンクロイツの脚は、確かにGⅠを照準に捉えていた。

そんなタラレバを書いても、意味がないだろうか。
いや、たとえ意味がなかったとしても。
ローゼンクロイツが魅せてくれた時間を、こうして書き残しておきたいと思うのだ。

Photo by I.Natsume

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