二頭のダート王による頂上決戦〜2011年 JBCクラシック〜

JBCは、開催スケジュールの面でもマイルチャンピオンシップ南部杯とチャンピオンズカップのちょうどはざまに開催される。前哨戦が充実していることもあって、3レースそれぞれでGⅠ級勝ちのある実績馬が複数出走し、過去に、幾度となく好勝負が展開されてきた。その中で今回取り上げるのは、ダート中距離界に君臨していた2頭の王者が初めて顔を合わせた、2011年のJBCクラシックである。

この年の出走馬は12頭だったが、ダート中距離路線の雄・フリオーソとエスポワールシチーが出走を回避していたため、人気は2頭に集中していた。

単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持されたのは、6歳馬スマートファルコン。
兄に1999年の東京大賞典勝ち馬ワールドクリークを持つこの馬は、2歳10月にデビューするとダートで3戦2勝の成績を残し順調なスタートを切った。3歳前半は一転、皐月賞までの4戦で芝のレースに出走するが、再びダートに矛先を変えたジャパンダートダービーで2着と好走し、ここからは完全にダートを主戦場にすることとなった。

さらに、続く小倉競馬場で行われたKBC杯での勝利を最後に、以降は地方競馬で行われるダートグレード競走を徹底して使われることとなり、次走の白山大賞典から5歳となる2010年の日本テレビ杯まで二年間で15戦10勝という十分すぎる成績を残したが、意外にもGⅠ級のレースは2戦して未勝利だった。

転機が訪れたのは2010年のJBCクラシック。前走からコンビを組んだ武豊騎手に導かれ逃げたスマートファルコンは、その年の帝王賞馬フリオーソに7馬身差をつける圧勝で、初めてGⅠ級のレースを勝利する。それ以降は馬が変わったように逃げまくっては好タイムでの圧勝を繰り返し、翌年の日本テレビ杯までGⅠ級3勝を含む6戦全勝というそれまで以上に凄まじい成績を残し、ダートグレード競走の王者となっていた。

特に、2010年の東京大賞典では、大井競馬場の2000mで2分0秒4という驚愕の日本レコードタイムをマーク。
武豊騎手が騎乗する逃げ馬ということで、いつしか「砂のサイレンススズカ」と呼ばれ始めていた。

一方、もう1頭の王者として単勝オッズ2.4倍の2番人気に推されたのは、5歳馬トランセンドだった。
スマートファルコンとは逆に芝のレースでデビューを果たしたこの馬は、2戦目からダート戦を連勝。続く4戦目の京都新聞杯で芝のレースに再度出走するも9着に終わり、これ以降はダート路線に専念することになる。すると、次走の新潟で行われた現2勝クラス・麒麟山特別をコースレコードで楽勝し、その勢いのまま同じコースで行われたレパードステークスも制して重賞初制覇を飾った。

以後の1年間、重賞では古馬との戦いで勝ちきれないもどかしいレースが続いたものの、東海ステークスで2着に敗れた時からコンビを組み始めた藤田騎手に導かれ逃げ馬となると、こちらも馬が変わったように一気にスターダムを駆け上がり出す。

コンビ結成3戦目のみやこステークスで重賞2勝目を挙げると、続くジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)も逃げ切ってあっさりとGⅠ初制覇を達成。年が明けて5歳となり、年明けのフェブラリーステークスも優勝して完全に中央のダート界を制圧すると、翌月にはドバイ遠征を敢行した。日本馬初となるドバイワールドカップ制覇の快挙こそヴィクトワールピサに譲ったものの、半馬身差の2着に健闘し、日本馬でワンツーフィニッシュを決めた。その姿は、その2週間前に東日本大震災に見舞われた日本全体を大いに勇気づけ、感動させるものだったように思う。

その後、秋まで休養に入り、この年は東京競馬場で行われた10月のマイルチャンピオンシップ南部杯で戦線に復帰する。休み明けの影響からか、スタートから行き足がつかず2番手でのレース運びとなったが、勝負強さを発揮してゴール前の接戦をものにし、見事に4つ目のビッグタイトルを獲得。この馬もまた王者としてJBCクラシックに参戦してきたのである。

そんな二頭を中心とするこのレースの焦点は、1年間ほとんど負けていない2頭の王者の、果たしてどちらが強いのか──その一点のみに集まっていたといっても過言ではなかった。
その証に、単勝オッズは、白山大賞典を制した3番人気のシビルウォーが29.2倍、4番人気のテラザクラウドで59.8倍、そして5番人気のボンネビルレコードからは100倍を超えるオッズとなり、さらに驚くべきは王者同士の組み合わせとなる枠連7-7と馬連9-10は、なんと100円元返しというGⅠ級のレースではあり得ないような支持を集めていたのだ。

カクテル光線に照らされて、大井競馬場のチャンピオンディスタンス2000mの発走地点から大一番のゲートが開く。王者二頭は、共に逃げ始めてから快進撃を続けたため、今回どちらがハナを切るのかに注目が集まったが、先手を切ったのはスマートファルコンの方だった。対するトランセンドは無理に競り掛けることなく2番手に控え、シビルウォーが3番手、以下アプローチアゲン、フィールドルージュ、ボンネビルレコードの順で1コーナーから2コーナーを回った。

スマートファルコンはいつも通り自分のペースで快調に逃げていたが、持っているスピードの絶対値があまりに違うのか、向正面に入る頃には自然と差が広がり始めた。2番手のトランセンドとは3馬身、シビルウォーはそこから5馬身離され、4番手以下はシビルウォーからさらに15馬身以上も離される展開となり、スタンドの観衆からは早くも大きな歓声とどよめきが沸き起こった。

3コーナーの入口で今度はトランセンドが差を詰め始め、1馬身差まで迫ったところでいよいよ王者同士による一騎打ちが実現するのかと見ている者の鼓動が大きく高鳴るが、そんな期待とワクワク感をスマートファルコンは我関せずとばかりに、涼しい顔をしながら4コーナーでは再びその差を広げ出し、トランセンドには早くも藤田騎手の左鞭が飛んだ。

迎えた直線。残り300m地点で武騎手の左鞭も飛び、差は4馬身ほどに広がり、早くもスマートファルコン逃げ切り圧勝の結末が場内の空気を支配し始めた。

「やっぱりスマートファルコンの方が強いじゃないか!」
「トランセンドすらあのスピードについていけないのか……」

残り200mの標識を前にして、その差はまだ3馬身ほどある。先頭を行くスマートファルコンもさすがにここから突き放す脚はなさそうに見えたが、後続も同様に末脚は残っていそうになく、大勢は決したように見えた。

しかし、このタイミングを見計らっていたのか──このタイミングから、トランセンドが再び先頭を追いかけ始め、徐々にではあるがその差が縮まってきたのである。
それは、およそ50m走るにつれ半馬身縮まるという微差ではあったが、とにかく差が詰まってきているのは誰の目にも明らかだった。
トランセンドの単勝を購入していたファンは色めきだちはじめて歓声を上げ、一方スマートファルコンの単勝を買っているファンからは悲鳴が上がる。
場内は、この日一番の盛り上がりを見せた。

二人のトップジョッキーが左鞭を連打し、叱咤される両王者。かつて1996年の日本ダービーで、武騎手騎乗の大本命馬ダンスインザダークの悲願を打ち砕いた、藤田騎手とフサイチコンコルドの姿に重なる光景だ。


──逃げ切るのか、差し切るのか。真の王者はどっちなのか

しかし──。

その差が1馬身まで詰まったところがゴールだった。スマートファルコン、驚愕の7連勝。

ゴール板通過後、場内から大きなため息が上がったが、すぐにそれは両雄の健闘を称える大きな大きな歓声へと変わった。馬上でがっちりと握手を交わす武騎手と藤田騎手。馬体があうところまではいかなかったが、これもまた名勝負の一つの形といって間違いなかった。そして、4着以下には大きな差がついたが、シビルウォーも最後まで両雄を追い、トランセンドから3馬身半差の3着は大健闘といってよい内容だった。

その後、スマートファルコンは年末の東京大賞典と年明けの川崎記念を優勝して連勝を9まで伸ばし、3月にはトランセンドと共にドバイワールドカップに出走。しかし、ゲートで突進しようとし、さらにスタートから2歩目で滑ってつまずき逃げられず、よもやの10着に敗退してしまう。さらに、復帰を目指していた秋には左飛節腱しょう炎を発症し、ダートグレード競走19勝という圧倒的な記録を手土産に現役引退となった。

一方のトランセンドは、次走のジャパンカップダートを逃げ切って連覇を達成し、念願のJRA賞最優秀ダートホースの座を獲得するが、翌2012年は一転して5戦して1勝もできずこちらも現役引退。両王者は、仲良く種牡馬入りすることになったのである。

時が経ち、またJBCの日を迎えるたびに、あの名勝負を思い出す。
今年も、来年も、果たしてあの時のような名勝負を見ることができるだろうか。
高まる期待と興奮を、抑えられないでいるのだ。

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