『伝説のレコード』が塗り替えられた日〜2005年・ジャパンカップ〜

日本の競馬でマークされたレコードタイムのなかで、個人的に大きな衝撃を受けたタイムがいくつかある。

  • 1989年のジャパンカップで、ホーリックスがマークした2分22秒2。
  • 1997年のシルクロードステークスで、エイシンバーリンがマークした1分6秒9。
  • 2001年の武蔵野ステークスとジャパンカップダートで、クロフネがマークした1分33秒3と2分5秒9。
  • 2010年の東京大賞典で、スマートファルコンがマークした2分0秒4。
  • 2018年のジャパンカップで、アーモンドアイがマークした2分20秒6。

すぐに頭に思い浮かんだのはこのあたりだろうか。
そして今回は、これもまた多くの競馬ファンに衝撃を与えたであろう、2005年のジャパンカップを振り返る。

この年、3歳牡馬クラシック戦線はディープインパクトが史上2頭目の無敗の三冠馬となって完全な1強体制を築いたのに対して、古馬の中・長距離路線は混迷を極めていた。
天皇賞春、宝塚記念、そして天皇賞秋と、全て二桁人気の馬が勝利していたのである。

迎えたジャパンカップ、顔をそろえたのは国内外のGⅠ馬10頭を含む16頭だった。
その中でも、オッズ2.1倍の抜けた1番人気に推されたのは、前年に秋の古馬中距離三冠を達成しながら、この年は惜敗続きで勝利を手にしていなかったゼンノロブロイである。そして、ここまで重賞1勝ながらGⅠで2着が二度あるハーツクライが2番人気。この2頭が、単勝オッズ10倍を切っていた。

さらに、サンクルー大賞の勝ち馬で天才デットーリ騎手を鞍上に据えた英国調教馬アルカセット、菊花賞でディープインパクトを苦しめ2着になったアドマイヤジャパン、前年の英・愛オークスとBCフィリー&メアターフを勝ったウィジャボード、そして前年の凱旋門賞馬バゴと、なんとも豪華絢爛なメンバーがその後に続き、2年前の当レースを9馬身差の圧勝で逃げ切ったタップダンスシチーと、天皇賞秋で大金星を挙げた牝馬ヘヴンリーロマンスまでが単勝オッズ10倍台で続いていた。

スカッとした秋晴れの下ゲートが開くと、予想通り2年前の再現を目論むタップダンスシチーが逃げ、ストーミーカフェが2番手、さらに3馬身離れてビッグゴールド、アドマイヤジャパン、前年2着のコスモバルクが先行集団を形成した。
序盤から、見た目にも明らかに早そうなペースで1コーナーを回り、それを見てか上位人気馬は軒並み中団より後方に待機し、レースは2コーナーから向正面に入る。

先頭から後方までは20馬身以上の隊列となり、前半1000mの通過はなんと58秒3のハイペースで推移。
これまでに好時計勝ちを何度もマークし、前年の有馬記念では日本レコードの立役者となったタップダンスシチーが作るペースは、さすがに早く、そして厳しいものだった。

しかし、馬場の違いはあれども、その逃げは2年前のような大逃げとはならず、終始ストーミーカフェが背後につき、前をつつくような展開に。
3番手集団も、スタートから変わらずその差を3馬身ほどにキープしている。
さらに、3コーナーを回るあたりからは、中団より後方に控えていた馬達が段々と差を詰め始め、結果的に4ハロン目から最後の2ハロン目までは全て11秒8~12秒0で推移し、レース中まるで落ち着くところがどこにもない展開となっていた。
それでも、残り800m地点からタップダンスシチーの佐藤騎手は手綱を押して強気にロングスパートをかけ、直線入口を前に2番手以下との差を5馬身ほど開くことに成功する。

大歓声に迎えられた直線。残り400m地点でもその差は変わらなかったが、それに迫ってきたのが、ウィジャボード、アルカセット、ゼンノロブロイの上位人気馬とリンカーンの四頭だった。
残り200m地点を過ぎて前が一気に入れ替わると、ゼンノロブロイが馬場の中央から一気に突き抜けそうな気配を見せたが、突如ここで脚色が鈍ってしまい突き抜けられず、アルカセットが先頭に躍り出る。

そして、残り100mを切って1馬身ほどリードをとり、明らかに消耗戦となっていたこのレースで、さらに最後の力を引き出させようと、デットーリ騎手が右鞭を連打しゴールを目指す。

今年もデットーリが魅せるのか──。

4頭によるデッドヒートを見ていた多くのファンはそう思ったに違いなかったが、ここでアルカセットを追う三頭の間を縫うように、後続からとてつもない末脚で追い込んでくる馬がいた。

どの馬だ……?

ハーツクライだ!

この時、まだ26歳の若きルメール騎手は、先行集団のあまりに早いペースを見て、3コーナーまでは最後方のインでじっと待機しギリギリまで我慢させていた。そして、そこから徐々にポジションを上げ始め、直線に向くと一気に末脚を炸裂させ、馬群を縫うようにして追い込んできたのである。

それは、1年半も勝利から見放されている馬とは思えないほどの勢い。
これまでのモヤモヤを吹き飛ばし、目の覚めるような爆発的な末脚を繰り出して3頭を交わしたところがカメラに写ると、この日一番の歓声が上がる。そして、先頭のアルカセットに内から一気に並びかけ、馬体を併せたところがゴールだった。

どっちだ!?

ゴール板を通過後、カメラはアルカセットを捉え、馬上のデットーリ騎手も白い歯を見せるが、しかしいつものような派手なガッツポーズは見られない。当事者も困惑するほど、際どい勝負だ。

果たしてどっちが勝ったのか。
スタートから、全く息つく暇のなかった約140秒のレースが終わってすぐに、多くのファンや当事者達はそんなことを考え始め、場内は一瞬の沈黙に包まれた。そして、その数秒後、場内のスピーカーから耳を疑うような事実が伝えられたのである。

「驚きました。勝ち時計、場内の皆様ご覧ください。2分22秒1です!!」

電光掲示板に示された『2.22.1』の数字と『レコード』の赤い文字。16年前のジャパンカップで、ホーリックスがオグリキャップとの叩き合いの末に樹立し、もはや永遠に破られことがないと思われた、あの『伝説の2.22.2』を上回るタイムが、ついにマークされたのだ。

大観衆がその事実に気づいた瞬間、場内からは大きなどよめきがあがり、同時に、直線での五頭による叩き合い、そしてゴール前での2頭のデッドヒートを称える大きな大きな拍手が湧き上がった。

結局、写真判定の結果、最後に前に出ていたのはアルカセットの方だった。
3着以下は、ゼンノロブロイ、リンカーン、ウィジャボードという結果となり、GⅠで3度目の2着となったハーツクライにとっては、あまりに悔しくも惜しい結果となった。アルカセットは、結果的にこれがラストランとなり引退、そのまま日本で種牡馬生活を送ることとなった。

片や、2着に敗れたハーツクライではあったが、この厳しいレースを経験したことと、ルメール騎手とコンビを組んだことが、ついに彼の眠っていた能力を目覚めさせ、彼らの馬生と人生はここから大きく転換することとなる。

1ヶ月後の有馬記念。圧倒的1番人気に推された無敗の三冠馬ディープインパクトを相手に、ハーツクライはジャパンカップとは正反対の、誰もが驚く先行策から直線抜け出し、大本命馬を完封して念願のGⅠ初制覇を飾ると、翌春のドバイシーマクラシックでは、今度は逃げの手に出てまたも後続を完封し、GⅠを連勝したのである。

さらに、7月にはイギリス遠征を敢行。キングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに挑戦し、叩き合いの末にハリケーンランとエレクトロキューショニストには敗れたものの、直線では一度完全に抜け出し、見せ場たっぷりの3着に健闘する。しかし、帰国初戦となったジャパンカップでは、ディープインパクトとの再戦に期待が集まるも、このとき喘鳴症を発症しており10着に敗戦。

前年のジャパンカップのレース展開のように、目まぐるしい1年をあっという間に、そして一気に駆け抜けたハーツクライは、ここで現役生活に別れを告げて種牡馬入りし、種牡馬となってからもディープインパクトとリーディング争いを演じるのであった。

一方、その後も短期免許で度々来日していたルメール騎手は、2015年、ミルコ・デムーロ騎手と共に、外国人騎手としては初となるJRAの通年免許を取得。これまで数々のGⅠを制覇し、また騎手にまつわる多くの記録も更新して、文句なしに日本を代表するトップジョッキーとなった。

そして、あの衝撃から13年が経過した2018年のジャパンカップ。ルメール騎手が騎乗した三冠牝馬アーモンドアイは、その時点でも依然JRAレコードとして残っていた2分22秒1をなんと1秒5も更新する、2分20秒6という前人未踏の世界レコードをマーク。
日本のみならず全世界の競馬ファン、そして関係者の度肝を抜いたのであった。

写真:Horse Memorys

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