私が"史上初・無敗の三冠牝馬"であるデアリングタクトを思い出すとき、まっさきに浮かぶ光景がある。それは彼女が無敗の三冠を達成した秋華賞ではない。
私にとって、最も強烈な印象を残したのは、400日ぶりに復帰したヴィクトリアマイル、本馬場入場のワンシーンである。
コロナ禍によって奪われた我々の歓声。
その分まで届けるかのように。ひときわ大きい声で、アナウンサーは愛しい名を呼んだ。
「そして、待っていました。よくぞ復帰してくれました、1番デアリングタクト!」
想いがあふれて拍手が起きる。大きく投げかけたい言葉があった。
無観客競馬が続き、彼女を"現地で直接"応援できる人がごく少数に限られた時代。
彼女がターフで輝く光景が、とても貴重で、尊いものだと知っているから。
そして、突然の別れが珍しくない競馬の世界での再会が、あまりにもうれしかったから。
──おかえり、ありがとう。
我々はきっと、こんな言葉を叫びたかったに違いない。
小さい牧場から風速50mの地へ
2017年4月15日、エピファネイアの初年度産駒として誕生したデアリングタクト。
生産は夫婦ふたりが営む、長谷川牧場である。
生産数は年間10頭にも満たない小さい牧場だったが「愛情をかければ馬が恩返ししてくれる」という強い信条のもと、母であるデアリングバードを落ち着かせるためにジャズを流し、敷地内にいる牛や羊とともにデアリングタクトを育てたという。
ふだんはおとなしい優等生、名前を呼べば鳴いて返事をする賢さもあったというデアリングタクト。走り始めると危なっかしいと思わせるぐらい飛び跳ねるポテンシャルを見せつけていたものの、このとき三冠を獲るとは誰も思ってもいなかったことだろう。
デアリングバードの母デアリングハートは、シーザリオが2着だった桜花賞の3着馬であり、NHKマイルCでも2着の実績を残しているが、娘のデアリングバード自身に勝ち星はない。
そのせいなのか、デアリングタクトはセレクトセールで一度買い手がつかなかった。
翌年、岡田スタッドの代表である岡田牧雄氏が1200万で落札。岡田氏はデアリングタクトの素質を見逃さず、襟裳にある「えりも分場」にデアリングタクトを送り込んだ。
風速50mの強風が吹くこともある広大な敷地には、野生の鹿、ときには熊が出没する。昼夜放牧に出され、危険にさらされたデアリングタクトの本能は研ぎ澄まされ、体力的・精神的にも強靭になっていった。
誰もが夢を見たかった時代
過酷な環境で培われた不動心は、デアリングタクトを牝馬三冠の道へ導いてゆく。
デビュー戦は一瞬の末脚を見せて快勝。二戦目のエルフィンステークスでは「大外から、これは圧勝、大楽勝!」とアナウンサーに言わしめるほどの内容で、後続を4馬身突き放した。
タイムは2007年ウオッカの持つコースレコードを更新。それも、気が入りすぎてゲートで出遅れているにもかかわらず、である。
陣営から「オンとオフの切り替えが上手い」と評価される彼女。しかし、一度オンになってしまうとテンションは抑えられない一面もあった。杉山晴紀調教師は彼女の闘争心が裏目に出てしまうことを不安視。新馬戦での疲れが抜ける時間がかかったことも考慮して、桜花賞直行を岡田氏に打診する。
その打診に岡田氏は驚いたらしい。狙っていたのはオークスで、賞金不足を回避するためにトライアルも想定したくらいだったためである。
とはいえ38歳という若さでありながら、馬のことを第一優先に考えて成績を残してきた杉山調教師の考えである。岡田氏も全幅の信頼を置き、その方針にGOサインを出した。
仁川の桜と、空っぽのスタンド。
そして18頭の牝馬たちに、重たい雨が降りそそぐ。
桜花賞のファンファーレを遮る声援はなく、録音であろうトランペットの余韻もどこかむなしい。
こんなにも心細いのか、無観客競馬というものは。
返し馬からデアリングタクトはイレ込んでいた。なんとかスタートは五分に出たが、道中もかかっている。明暗を分けるのは鋭い末脚。この重馬場で通用するのか──。阪神JF勝者のレシステンシア、先頭を譲らないスマイルカナは、もう直線を向いている。
鞍上の松山弘平騎手は一瞬、届かないと覚悟。だがデアリングタクトは大外から強襲をかけると一気に先頭に立つ。全身泥まみれになりながら、がむしゃらにゴール板を切った。
3戦目での桜花賞制覇はハマカゼ、ハギノトップレディ以来の40年ぶり3頭目の偉業。無敗での制覇でもダンスインザムーン以来、16年ぶりだった。
勢いのままオークスを目指したいところだが、陣営は彼女のイレ込みと向き合う必要があった。
普段の調教でも必要以上の併せは行わなず、パドックでは最後尾を周回させる。馬場入りも最後に行い、デアリングタクトができるだけ落ち着けるように心がけた。
しかし、道中ではかかってしまう。序盤から思い通りの位置取りができず、後方で控えるしかなかった。
直線、松山騎手は外に進路を探す。他馬からのブロックを受けると、すかさず内に切り返した。
合図を送るやいなや、デアリングタクトは豪胆に馬群をこじ開けた。
オークス史上最速、33秒1という鬼迫の末脚。
ウインマイティー、ウインマリリンをぐいぐい飲み込み、無敗での二冠を達成した。
1957年ミスオンワード以来、63年ぶりの大偉業だ。
誰もが彼女の根性に度肝を抜かれ、目を見開いたことだろう。
無敗の三冠牝馬誕生という未来を、誰もが欲したことだろう。
私もその未来を夢見た一人だった。
何かにつけて制限が伴った生活。介護施設で働く私は、常に緊張感の中にいた。
重苦しく塞ぎ込みそうな私に、デアリングタクトは力強い光を与えてくれた、そんな気がしたのだ。
光と影
運命の秋華賞。
条件付きではあるものの観客が戻ってきたパドック。デアリングタクトはまったく落ち着かない。メンコを着用し最後尾を周回させていたが、テンションは上がっていく一方で発汗すらあった。
史上初、無敗での牝馬三冠が達成されようとしている。歴史が変わろうとする瞬間だ。観客の静かな緊張や胸の高鳴りが、デアリングタクトにも届いてしまったのかもしれない。
誘導馬と他陣営が去り観客もいなくなったパドックを、陣営はもう一度ゆったり周回させた。彼女を落ち着かせよう、誰よりも寄り添っていようという愛情にも思われた。
発走直前、松山騎手も覚悟を決める。手袋を外し、よりデアリングタクトと対話できる手段を選んだ。彼は信じていた。このレースには強い馬はたくさんいるが、デアリングタクトこそが一番強い牝馬であると。
稍重の馬場の一番良いところにエスコートし、それに応えるように直線堂々と抜け出すデアリングタクト。もう敵はいなかった。誰も見たことのない世界に、彼らは飛び込んだ。史上6頭目の牝馬三冠、キャリア5戦での達成は、2018年アーモンドアイの6戦をも凌ぐ最少記録だった。
「咲いた咲いた三冠の華! 強く、たくましく、美しく!」
情報を正確に伝えるべき存在であるアナウンサーが、2着馬であるマジックキャッスルの動向に触れることさえできないほどに、その光景は鮮烈だった。
──デアリングタクトはさらなる高みに登っていく。
ジャパンカップでは、ときを同じくして三冠馬となったコントレイル、天皇賞秋で八冠馬となったアーモンドアイとの三つ巴の頂上決戦となった。初めての敗北だったが、2頭とは差のない3着。2020年度の優秀3歳牝馬の称号を満票で獲得したデアリングタクトの行く先は、明るく照らされているはずだった。
大きく影が射したのは、翌年春、香港でのクイーンエリザベスⅡ世カップ3着後のことだ。右前脚に炎症が発見されたのだ。
詳しく検査したところ繋靭帯炎と判明する。それはかつて父、エピファネイアが発症し引退を余儀なくされたものだった。
見据えていた宝塚記念も闇に消えた。
けれど、闇の中で孤独ではなかった。
たくさんの人々に寄り添われながら、デアリングタクトは復帰への道を歩んでいく。
照らされた復帰への道
選ばれた道は、幹細胞移植。
身体から採取した細胞から幹細胞を培養し患部に移植するもので、屈腱炎の治療で用いられてきた。繋靭帯炎の治療としては乗馬の世界では行わていたが、競走馬では前例がない。ましてや、今回は歴史的名馬。すべての初の試みで、獣医やリハビリ施設の綿密な連携がとられた。デアリングタクトに徹底的に寄り添い、慎重に回復を促す。
手術の1週間後である6月3日には、JRAリハビリテーションセンターに移動した。福島県いわき湯本温泉からほど近いこの場所は『馬の温泉』と呼ばれる。デアリングタクトはここで3か月間の湯治生活を送った。
肩まで水深のあるウォータートレッドミルで脚の負担を減らしながら歩行を慣らし、七夕には初めてのプール調教。暴れたり水を嫌がるそぶりを見せる馬もいるが、彼女はまったく動じることはなかったらしい。さすが、「オンとオフの切り替えがうまい」と称される馬だ。半身浴の際はお湯で遊ぶ余裕すら持ち合わせていたという。
別の施設に移り、着実に競走馬としての力を取り戻していく。その傍らには必ず、彼女のことを一心に思い、寄り添う関係者の存在があった。
人々が照らした道の先には、まぶしいターフがあった。
2022年、5月15日。第17回ヴィクトリアマイル。
皆、この瞬間を待っていた──。
デアリングタクトは、観衆の大きな拍手に出迎えられた。その拍手は、先に本馬場入りしたどの馬に向けられた拍手よりも温かく、優しいものだった。
気が付けば、目が潤んでいた。テレビ越しで見守る一ファンの私が、こんな心境ならば…。
スタンドのファンや関係者の感情をいくら想像しても、足りない。
彼女は無事レースをこなし、ソダシの6着で帰還する。
そして、彼女はとうとうあの舞台に立つ。
一年越しの宝塚記念。
夢はきっと叶う。
大胆な戦法
宝塚記念の顔ぶれはとにかく豪華だった。
ハイペースで飛ばすパンサラッサ。悠然と追走するタイトルホルダー。最終コーナーで気合を入れるディープポンド。後方ではエフフォーリアが追う。
デアリングタクトは彼らの動向に惑わされることはなかった。中団で折り合い、直線、外から勝負に出た。
ゴール寸前ディープポンドとのせめぎ合いとなり、ターフビジョンにリプレイのスロー映像が流れる。ハナ差で交わし、デアリングタクトが3着に食い込んだ瞬間、スタンドから歓声と拍手が沸き起こった。同時刻、遠く離れた東京競馬場でも現地の熱気を超えるかもしれないほどの喝采が注がれていた。
その喝采は、彼女の健闘を讃えるものだ。タイトルホルダーがコースレコードを叩き出した今レースで復帰間もない彼女が見せつけた負けん気は、日本中の競馬ファンの心に届いていた。
復活の日は近い。
そう信じ、秋初戦のオールカマーで一番人気に指示したファンの目の前を、彼女は6着で通り過ぎる。鋭い脚は鈍り、イレ込みに苦労した日々が嘘のようにおとなしくなっていた。エリザベス女王杯でも彼女らしい走りを見ることは叶わない。
中一週となるジャパンカップの出走、さらに松山騎手からマーカンド騎手の乗り替わりが発表されると、様々な声が上がった。乗り替わりは松山騎手の提案だったという。デアリングタクトは途中で気を抜いてしまう癖が見え始めていた。かつての闘志を呼び起こすためにも、一度手を替えてみてはどうか──。
すべては、かけがえのない存在であるデアリングタクトを思っての決断だ。
そうさ、彼女はデアリングタクト。意味は『大胆な戦法』だ。この戦法を信じなくてどうする。
甦れ──。
ジャパンカップ、本馬場入場のアナウンスが彼女を鼓舞する。
不安と心配はある。しかしこの気持ちこそが、我々の本心だ。
直線、デアリングタクトは抜け出そうとした際に不利を受け、開きかかった別の道に突入するもまた蓋をされる。残り100m、前はもう止まらない追い比べ。
しかし、彼女は諦めなかった。
外に持ち出し、前を向く。研ぎ澄まされた末脚が一気に解放され、前三頭もろとも切り裂いてしまう勢いで突っ込んだ。
私は思わず大きな声を上げた。彼女はまだ終わっちゃいない、これから始まるんだ!
結果は4着だったが、上りは最速タイの33秒7。もし前がスムーズに開いたなら、間違いなくデアリングタクトは栄光を掴んでいたことだろう。
岡田氏は正直、引退はそろそろなのではないかと迷っていたという。
だが、彼女の懸命な走りがその考えを吹き飛ばし、現役続行が決まった。
未来に向かって
サウジアラビアで開催されるネオムターフCに向けて、調教を続けていた2023年2月7日。歩様が乱れ、左前脚に熱感が認められた。軽傷だったものの、歩様の乱れは治らず春は全休となる。
そして10月5日、繋靭帯炎を再発し引退が決まった。有馬記念復帰を目指し、調教を進めていた矢先だった。
けれど、彼女は最後まで走ることを諦めなかったという。
坂路では乗り手を置いていこうとするような手ごたえで、明るい未来に向かって前のめりに走り続けていた。
最後に、少しだけ私の話をさせてほしい。
私は2022年夏、職場の介護施設で深刻なコロナクラスターに見舞われた。罹患覚悟で出勤しないと仕事にならない状態で、とうとう私の番が来た。
高熱でうなされている間、何度も同じ夢を見た。デアリングタクト復帰のシーンだ。
おこがましいが、励まされているのだと思った。
──デアリングタクトのように、もう一度強く戦ってみせる。
後遺症を引きずりながら陽性者が待ち構える職場に復帰することは、恐怖でしかなかったが、自分を奮い立たせなんとか乗り切ることができた。ジャパンカップの迫真の末脚にも勇気づけられ、仕事を続けていた翌年の8月、職場はふたたびクラスターに襲われる。
今度は心が悲鳴を上げて、休職を余儀なくされた。
この記事の執筆も一度諦めなくてはならなかった。書けない自分がなんとも憎らしく、ふがいなかった。
けれど、彼女のことを調べれば調べるほど、また頑張ろうと思えるのだ。
休職を経て、私はふたたび戦い始めた。
正直、以前のように容易く走れてはいないだろう。ダートなんだか芝なんだかわからないところを、不格好にもがいている。
何度へこたれようともデアリングタクトは最後まで諦めなかった。戦おうとした。
──ならば、私も。
誇り高き無敗の三冠牝馬に負けないように、前に進もうじゃないか。
競馬はギャンブルだ。もちろん、もちろんわかっている。
しかし、たった一頭との出会いで人生が変わることもある。
私は、デアリングタクトに何度も背中を押してもらった。勇気をくれたんだ。それなのに、私は一度も彼女に会いに行くことができなかった。
いつかターフで、彼女の面影を残した頑張り屋さんに出会ったら、彼女の分まで声援を届けよう。
そして、今度こそ伝える。
心の中でおかえりを。大きな声で「ありがとう」を。
参考文献:『優駿』令和4年8月号、『優駿』令和5年12月号
参考動画 https://youtu.be/jgoZezTP47k?si=O_qXDUtPYZgo09GL、https://youtu.be/1WfXhNCv6iI?si=ELUnxO3H3FLnQMk1f、https://youtu.be/aGpnK0WXvZo?si=ooSGEsc5_EuhMFCk、https://www.youtube.com/live/34VV9dNdWsM?si=6EM6gdgi6JI1WtUV
写真:shin 1