[追悼]ありがとう、グラスワンダー。灼熱の時代を駆けた“マル外の怪物”の蹄跡を振り返る

力強く大地を蹴り上げ、隆起した筋肉を誇る栗毛の馬体がゴール板を駆け抜けた。誇らしげな人馬が、喝采を一身に浴びていた。

あの姿を、私たちは忘れない。

ひとつのいのちが、静かに天に旅立った。

グラスワンダー。灼熱の時代を生きた、マル外の怪物。享年30歳。本当に長く、よく、生きてくれた。今はただ、心からの感謝を伝えたい。

衝撃の朝日杯、伝説の毎日王冠、復活の有馬記念、そしてスペシャルウィークとの二度の死闘。走りで魅せ、血で語り継がれる名馬だった。

新馬戦を圧勝し、アイビーステークス、京成杯3歳ステークスを連勝。走るたびに着差を広げる圧巻の走りに、「関東にとんでもない馬がいる」と噂は瞬く間に広がった。

朝日杯3歳ステークスでは、後にスプリント界を席巻するマイネルラヴやアグネスワールドを子ども扱いし、レコードタイムで突き抜ける。どよめきと拍手が競馬場を包み、古馬の風格すら漂わせたあの日、私たちは限りない夢を見た。

しかし、その道は平坦ではなかった。 NHKマイルカップを大目標に調整を進めていた矢先、骨折。その報にファンは落胆し──それ以上に、復帰の日を待ちわびた。

帰ってきたのは毎日王冠。破竹の連勝を続けるサイレンススズカ、同期のマイル王エルコンドルパサーに、休養明けの身でありながら真っ向勝負を挑んだ。勝利は逃したが、勝負どころでグンと押し上げたその姿に、場内もテレビの前も沸き立った。そして年の瀬、有馬記念でセイウンスカイを競り落とし、メジロブライトを振り切って復活勝利を挙げる。

不屈の闘志と圧倒的な迫力を携え、1年の時を経て強さを取り戻した彼の姿は、ファンが期待した「怪物」そのものだった。

永遠のライバル・スペシャルウィーク。同世代のダービー馬との二度の激闘は、今も全く色褪せない。

宝塚記念では、先に動いたスペシャルを直線半ばで競り落とし3馬身差で圧倒。力の差を誇示した。同年の有馬記念では逆に徹底マークを受け、最後の最後まで一歩も譲らぬ死闘を演じた。もつれるようにゴール板を駆け抜け、写真判定の末に勝利をもぎ取った瞬間、私たちは「競馬の神髄」を見た。 ただ強いだけでなく、ライバルがいたからこそ、その輝きは増した。

引退後は種牡馬としてスクリーンヒーロー、アーネストリーらを輩出した。スクリーンヒーローがモーリスへとバトンを繋ぎ、その仔・ピクシーナイトがスプリンターズステークスを制覇。JRA史上初めて、父系で4代にわたりG1タイトルを積み重ねた。かつて海を越えてきた彼の血は、いまや日本中を駆け巡っている。

「2歳の時からグラス最強」

「いや、欧州で戦ったエルコンこそ至高」

「日本総大将はスペシャルウィーク。モンジューを負かし、エルコンの仇を取ったのは彼だ」

「じゃあ、そのスペシャルを二度負かしたグラスがやはり最強!」

「世代の2冠馬はセイウンスカイ」「マイルでグラスを負かしたのはエアジハード」「キングヘイローの個性も愛したい」

──この論争に、答えは出ない。だからこそ楽しい。
グラスワンダーは、必ずその中心にいる。あの時代から四半世紀が経過した今も、思い出を肴に、何時間でも語り続けることができる。

現役を離れ、広い放牧地で穏やかな表情を見せる姿もまた、愛された。現役時代の激しさとは異なる、温かさと優しさに満ちたユーモラスな仕草。風になびく鮮やかな栗毛のたてがみに、静かな幸福を感じた。

グラスワンダー、たくさんの感動をありがとう。

その蹄音は遠くなった。けれど、心の中ではいつまでも響き続けている。私たちの「夢」として。

どうか、安らかに。

写真:かず

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