米国の大レースを制した日本人オーナーの所有馬といえば、真っ先に挙がるのはフサイチペガサスだろうか。大種牡馬ミスタープロスペクター最晩年の産駒で、400万ドルという超のつく高値で関口房朗氏が落札。1999年12月にデビューすると、初戦こそ敗れたものの、5連勝でケンタッキーダービーを制覇。日米両国のダービーオーナーという、かつて誰も手にしたことがない称号を、関口氏にもたらした。
しかし、そこから遡ること10年前。日本人の鶴巻智徳氏が、290万ドルの高値で購買した牡駒の存在も忘れてはならない。後にエーピーインディと名付けられたその馬は、2年後、ベルモントステークスとブリーダーズカップクラシックを制するなど、GⅠを4勝。米国の年度代表馬に選出された。
それだけでも十分すぎる偉業だが、その価値が真に証明されたのは、ひょっとすると、現役を退いた後のことかもしれない。種牡馬入りすると、産駒が米国の大レースを軒並み勝ちまくり、自身の後継となった。中でも、代表産駒の一頭プルピットがタピットを輩出。タピットもまた米国を代表する大種牡馬となり、わずか10数年でエーピーインディ系という一大系統が確立されたのだ。
もちろん日本国内でも、とりわけダート戦において、エーピーインディ系種牡馬の産駒は活躍中。特に、国内で繋養されているパイロ、シニスターミニスター、カジノドライヴ(2019年死去)を、筆者は勝手に、エーピーインディ系の3大種牡馬と称している。しかし、これらの産駒は、GⅠ級の大レースになると、ゴールドアリュールやキングカメハメハといった大種牡馬の産駒たちの前に、どうしてもあと一歩届かなかった。
ところが、2019年のJBCレディスクラシックで、シニスターミニスター産駒のヤマニンアンプリメとゴールドクイーンがワンツーを決めると、これまでの鬱憤を晴らすかのような大活躍。2021年には、カジノドライヴ産駒のカジノフォンテンが川崎記念とかしわ記念を連勝。続く帝王賞は敗れたものの、そのレースを制したのは、シニスターミニスター産駒のテーオーケインズだった。他にも、マジェスティックウォリアーやクリエイターⅡの産駒が既にデビューし、2020年シーズンからは、米国の年度代表馬カリフォルニアクロームも日本で繋養されるなど、いっそう繁栄著しいエーピーインディ系の種牡馬達。
今回は、シニスターミニスターの初期の代表産駒で、度重なる故障に見舞われながらも、一線級で息の長い活躍を続けたあの馬を振り返りたい。
2010年3月24日、シニスターミニスター産駒の牡馬が、谷川牧場に生を受けた。
谷川牧場といえば、種牡馬となった五冠馬シンザンや、その代表産駒で二冠馬のミホシンザンを繋養していた牧場。また生産馬に、ハイセイコーのライバルで、ダービーと菊花賞を制したタケホープや、菊花賞馬ミナガワマンナ。さらには、オークス馬チョウカイキャロル、そしてフェブラリーSを制したサクセスブロッケンらがいる名門である。
その後、ターファイトクラブから、一口6万円×200口で募集されたこの馬は、後にインカンテーションと名付けられ、栗東の羽月友彦厩舎に入厩。早期にデビューすることが多い父の産駒らしく、7月の中京芝1400mの新馬戦でデビューを果たした。しかし、芝適性がなかったのか、勝ったサウンドリアーナから3秒2も離された15着に敗戦。3ヶ月半の休養を挟んだ未勝利戦で5着と巻き返すも、3戦目は8着に敗れてしまう。
ここで芝路線を諦め、ダート路線へと方向転換したインカンテーションは、12月阪神1800mの未勝利戦で、念願の初勝利を手にする。ただ、勝利したとはいえ、2着馬とはクビ差の接戦。続く年明けの500万クラス(現・1勝クラス)を8、4着と連敗し、同郷の「先輩」サクセスブロッケンのように、デビュー当初から連戦連勝、圧勝に次ぐ圧勝を収めたわけではなかった。
昇級3戦目は沈丁花賞。ここを5馬身差で逃げ切り期待は高まったが、続く伏竜ステークスは、勝ったコパノリッキーに0秒1差まで迫るも4着。3ヶ月の休養を挟み、古馬との初対決に臨んだ御嶽特別(現・2勝クラス)は、スタートで躓き3着惜敗と足踏み。中1週で必勝を期した濃尾特別に勝利し、デビューからちょうど1年で2勝クラスを卒業したのだ。
偶然にも、初勝利を挙げてからはすべて昇級3戦目で勝ち上がってきたインカンテーション。ここまで10戦。敗れたレースは多かったものの、降級制度があったこの時代。7月までに古馬2勝クラスを突破する3歳馬は、年に2~3頭しかいない。そんな前走内容を評価されてか、重賞初挑戦となった次走のレパードステークスは、1番人気でスタートを迎えることとなった。
その晴れ舞台で騎乗するのは大野拓弥騎手。このとき、前走騎乗した藤岡康太騎手もコンビ継続を希望していたが、2勝目を挙げた際に騎乗した大野騎手が、「新潟遠征の際は乗せてほしい」と、早くからその素質に惚れ込み「予約」していたため、コンビ復活と相成ったのだ。そして、インカンテーション自身もまた鞍上の熱い思いを察したのか、真夏の越後路で能力全開の熱い走りを披露してみせる――。
好スタートから難なく先団をキープしたインカンテーションと大野騎手は、平均ペースで流れる道中、内ラチ沿いピッタリを追走。絶好の手応えで直線に向くと、2走前に逃げ切られたサトノプリンシパルを、ゴール前残り100mで楽々と捉えリベンジ成功。完璧な勝利で、重賞初制覇を飾ったのだ。
着実に力をつけ、結果的にはJRAに2つしかない3歳限定重賞を勝利し、世代トップクラスの実力があることを証明したインカンテーション。
秋は、いよいよ古馬一線級との戦い。その激戦の地に足を踏み入れたが、3戦して、みやこステークスの2着が最高という成績。ジャパンカップダートで14着に敗れたのを最後に、3歳シーズンを終えるのだった。
迎えた4歳シーズンは、3月のマーチステークスから始動予定だったものの、腰痛を発症し同レースを回避。休養は長引き、結局この年の初戦となったのは7月のエルムステークス。一度勝利したGⅢの舞台にもかかわらず、13頭中の10番人気と著しく評価を下げていた。
そこで、勝ち馬からはやや離されたものの3着に好走すると、続くオープンを連勝。さらには、11月のみやこステークスで3連勝を達成し、2つ目の重賞タイトルを獲得。本格化の兆しを見せた4歳秋。いよいよ、GⅠ制覇も手の届くところまでやってきた。
ところが、4番人気に推されたチャンピオンズカップでは不利な外枠を引いてしまい、1コーナーでゴチャついた上に落鉄して10着に終わってしまう。ただ、レースを見れば敗因は明確。決して、下を向くような内容ではなかった。
続く、5歳初戦の東海ステークスはスタートで躓き、その際にまたしても落鉄し3着。そして、鞍上に内田博幸騎手を据え、必勝を期して東上したのがGⅠのフェブラリーステークスだった。
この時、1番人気に推されたのは、ディフェンディングチャンピオンのコパノリッキー。前年、16番人気の大穴でこのレースを制覇。前走は東海ステークスを圧勝し、こちらも万全の仕上げでここに臨んでいた。
一方のインカンテーションは5番人気。チャンピオンズカップと同じく外枠を引いたものの、東京のダート1600mは外枠有利のコース。ダート戦線の主役に躍り出る条件は整っていた。
ゲートが開くと、外枠の各馬に比べ、1番人気のコパノリッキーは、さほど良いスタートではなかった。しかし、逃げると思われた隣枠のコーリンベリーが出遅れたため挽回に成功。一気に、先行争いへと加わってきた。
対して、インカンテーションは出遅れることなく五分のスタート。そのまま先行したが、コパノリッキーの挽回もあり、前は9頭横一線になるほどの激しい先行争い。無理せず一度ポジションを下げたが、最終的には4番手に落ち着き、絶好位でレースを運んでいた。
レース中盤。序盤の激しい先行争いから一転してペースは大きく落ち、1000m通過は60秒0。先行各馬は息が入り、有力馬は楽な手応えのまま、最後の直線勝負を迎えた。
直線に向くと、逃げたアドマイヤロイヤルをコパノリッキーが早目に捉え、徐々に徐々に、しかし確実に後続との差を開き始める。インカンテーションは、内田騎手の右鞭に応えるように必死にそれを追い、3馬身あった差は、2馬身、1馬身と次第に縮まり、前年覇者を確実に追い込む。
しかし──。
半馬身差まで迫ったものの、最後は健闘虚しく2着。ほぼ完璧なレース運びだったものの、同期のライバルにわずかの差で押し切られ、タイトル獲得の機会は持ち越しとなってしまった。
その後は3ヶ月の休養を挟み、平安ステークスから帝王賞へのローテーションが組まれたインカンテーション。その平安ステークスでは、前走GⅠ2着馬としては低評価の4番人気に留まったものの、それを嘲笑うような逃げ切りで完勝し重賞3勝目。再び、タイトル獲得の機運は高まったように思われた。
しかし、その1ヶ月後。最終追い切りのウォーミングアップ中、歩様に違和感が見られ検査したところ、左後肢第1指骨々折が判明。全治3ヶ月と症状は軽度だったものの、思わぬ形でGⅠ出走の機会を奪われてしまう。前年の腰痛から数えて2度目の故障。古馬となり、順調さを欠くことが増えたが、さらなるアクシデントがインカンテーションを襲う。
復帰戦となった翌年の東海ステークスで11着に敗れると、その2週間後に、今度は左腸骨の骨折が判明。思わぬ大敵との闘いに二度も見舞われ、復活の時は、秋のみやこステークスまで待たなければならなかった。
ところが、その復帰戦で8着に敗れると、その後の2戦も見せ場を作れないまま、12着、13着と大敗。気付けば、既に7歳の春。デビューから1年半で14戦を走り抜いた馬は、そこから3年超でわずか12戦しかできず、同じ馬とは思えないほど順調さを欠いてしまったのだ。
そんななか臨んだのが、復帰4戦目のマーチステークスである。
ここまで獲得した3つの重賞タイトルや、GⅠの大舞台で王者コパノリッキーに迫った実績は、このメンバーでは最上位。ただ、そんな輝かしい過去をファンが忘れてしまうのも無理はなく、インカンテーションは10番人気でスタートの時を迎えた。
ゲートが開くと、内枠から好スタートを決めたことで、マイペースで先行できる展開になった。道中、内ラチ沿いをピッタリ回るその姿は、まるで、初めて重賞を制したレパードステークスのリプレイを見ているよう。なにか、初心に返ったような姿でもあった。
勝負所の4コーナー手前。初コンビを組む勝浦騎手が懸命に手綱をしごき、一瞬、手応えが怪しく映ったものの、インカンテーションはその叱咤に応えるように、前を行く馬達に置いていかれまいと必死に食い下がる。
そのまま迎えた直線。坂下からしぶとく末脚を伸ばすと、逃げ込みを図るアスカノロマンを捉え先頭。残り100mからは、ディアデルレイとの一騎打ちになるもそれを制し、見事、1着でゴールイン。1年10ヶ月にも及んだ長いトンネルから抜け出し、ついに復活の勝利を飾ったのだ。
相次ぐ故障に見舞われ、復帰後は挫折と屈辱にまみれた日々。それでも、陣営と馬自身が諦めない気持ちで目の前の困難に立ち向かい、再び重賞を制するまでになった。
3年超で12戦しかできなかったのは、おそらく誤算だったに違いない。ただ、使えなかったことが幸いしたか、かえって馬体は老け込んでいなかった。再出発した7歳春。ここからインカンテーションはさらなる成長を見せつけ、2度目の覚醒の時を迎える。
続くかしわ記念では、中団待機の奇襲に出たコパノリッキーに差し切られ2着。またしても、同期のライバルにGⅠ制覇のチャンスを阻まれたものの、5ヶ月後の白山大賞典を完勝。さらに1ヶ月後の武蔵野ステークスは、落馬負傷で、自身と同様に長期離脱を経験した三浦皇成騎手との初コンビで勝利し、重賞6勝目。同騎手に、復帰後初となるタイトルをもたらした。
コンビ継続で挑んだ年末の東京大賞典は7着に敗れたが、マーチステークス以降は5戦3勝2着1回と完全復活。その後、2ヶ月半の休養を挟んで臨んだのが、自身3度目の挑戦となったフェブラリーステークスである。
1番人気は、前年の覇者で、秋にチャンピオンズカップも制し最優秀ダートホースに輝いたゴールドドリーム。6歳馬のテイエムジンソクがそれに続き、インカンテーションは単勝20倍の6番人気。いわゆる、穴人気の立場で発走の時を迎えた。
決して有利とはいえない3枠から五分のスタートを切ると、3年前と同じように序盤から先行争いが激化。前で5頭が争いを演じる中、インカンテーションはそれに付き合わず、第2集団の2番手でレースを進める。
前半800m通過は45秒8、1000m通過も58秒3のハイペース。中団以降に構える有力馬達。とりわけ、ゴールドドリームにとっては願ってもない展開になっていた。
直線に向くと、すぐに先行各馬の脚があがり始め、馬群の外から早くもゴールドドリームが先頭に立つ。インカンテーションもこれに追随し、直線半ばで、前年覇者に馬体を併せるところまで迫ってきた。
8歳にして再び見えてきた頂点への道のり。主役になるチャンスを、簡単に逃すわけにはいかない。デビュー初年度。武豊騎手の新人勝利記録を更新しながら、ここまでGⅠに縁がなかった三浦騎手も、きっと同じ思いを抱いていただろう。
しかし、この争いを後方で見ていたノンコノユメが、坂を上ったところで末脚一閃。かつて、この舞台でインカンテーションと共闘した内田博幸騎手の右鞭が唸り、2頭の外から並びかけると、そこからはレース史に残る3頭の素晴らしい叩き合いが100m近く繰り広げられた。
そして、最後の最後。わずかに先んじ1着でゴールしたのはノンコノユメ。クビ、クビの大接戦を制し、同じく3度目の挑戦で、見事GⅠ制覇という「ユメ」を叶えたのである。同馬もまた、かつてのこのレースの2着馬。一時の不振を乗り越え、去勢手術も施されるなど、苦難の道を歩んだ末に栄光を掴んだのだ。
一方、インカンテーションにとっては、非常に惜しいレースとなった。大本命のゴールドドリームに仕掛けを合わせたのは当然のことで、レース序盤、中団よりも前にいた馬で、上位入着を果たしたのはインカンテーションのみ。ある意味、この馬が最も強い競馬を見せたレースといっても過言ではなかった。
そこから、短期の休養を経て出走したかしわ記念は、GⅠで初の1番人気。再度、主役に躍り出るチャンスが到来した。しかし、レースでは8枠からのスタートが響き、終始馬群の外を回らされる展開。ノンコノユメは抑えたものの、ゴールドドリームに差されると、逃げたオールブラッシュも捉えられず3着に終わってしまう。
さらに、次走のプロキオンステークスでも、JRAレコードを叩き出したマテラスカイの逃げ切りを許し2着と、もどかしいレースが3戦続いてしまった。
その後、秋は武蔵野ステークス6着、チャンピオンズカップでも13着と大敗。そして翌週。左前脚に繋靭帯炎を発症していることが判明し、6年半の長きに及んだ現役生活に、ついに別れを告げることになったのだ。
その後、シニスターミニスターの後継として、浦河のイーストスタッドで種牡馬入りを果たしたインカンテーション。2019年は33頭に種付けし、実際に生まれたのが26頭と、非常に受胎率だった。産駒数としては多くないものの、GⅠ勝ちの実績がない種牡馬としては、決して少なくない数字である。
現役時。ホッコータルマエやコパノリッキー、ゴールドドリームといった日本のダート界を牽引したスーパーサイヤーの産駒たちに、あと一歩のところでビッグタイトル獲得のチャンスを阻まれてしまった。しかしすぐ、今度は自身の産駒とそれらライバルの産駒同士の闘いが幕を開けようとしている。
そして、長年にわたり「ダート界の名脇役」を演じたインカンテーションではあるが、決して彼は「斬られ役」で終わったわけではない。むしろ、大舞台では決して欠かすことができない「助演俳優」として、時に主役を食わんとするような見せ場も大いに作った。 ビッグタイトル獲得の夢は二世へと託されたものの、転んでも転んでも、都度、困難を乗り越え、自分との闘いに打ち勝った強さもまた、間違いなく二世へと受け継がれることだろう。
写真:Horse Memorys