![[インタビュー]名手・吉原騎手が振り返る、ハクサンアマゾネスの蹄跡](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/05/2025060220.jpg)
44戦30勝、重賞は25勝と圧倒的な成績を残したハクサンアマゾネス。
その勝利のほとんどで手綱を握った吉原寛人騎手に、彼女との思い出のレース等を振り返ってもらった。彼女自身の事などを聞いた前回インタビューと合わせて、金沢の女傑・ハクサンアマゾネスと吉原騎手との繋がりを感じてもらいたい。

『勝っちゃった』という、石川ダービー
「常に勝って当たり前の馬なので、負けた方がどうしても印象が深い」吉原騎手は、ハクサンアマゾネスとの思い出を振り返る際に、そう語る。
金沢で出走すれば常に一番人気、単勝も1倍台。
負けた方が印象深くなるのは金沢最強馬として君臨してきたハクサンアマゾネスの宿命とも言える。
それでも数多く重ねた勝利の中で印象深い勝利を挙げてもらうと「デビュー4戦目で石川ダービーを『勝っちゃった』事かな」と返ってきた。
『勝った事』ではなく『勝っちゃった事』。その発言のニュアンスから、ハクサンアマゾネスが吉原騎手の予想を超える走りを石川ダービーで見せた事が伺えられる。
石川ダービーに出走時、ハクサンアマゾネスは重賞馬とは言え、まだ4戦を走ったのみで経験は浅い馬であった。その上、体質面ではまだまだ弱く、調整の難しさもある。相手には2歳からの実績馬が揃い、これまでの4戦からは相当に強化されているため、吉原騎手は『ここはさすがに厳しい…』と感じていた。
そんな中で石川ダービーがスタート。
出遅れ気味にスタートしたハクサンアマゾネスは、レース前半は後方から。2周目から前に進出し、最終コーナーで早めに先頭へ取りついて押し切りを図る。しかしそこから、2歳から活躍を続けてきて北日本新聞杯も制している実績馬、フジヤマブシが猛追。最後は、フジヤマブシの猛追をクビ差凌いでの優勝だった。この0.1秒差の勝利は、ハクサンアマゾネスの長い現役生活でも、最も迫られた上での薄氷の勝利でもある。
「ダービーは、本当に何とかギリギリのところで勝てた。最後は迫られたから、その印象が強いかな…。ただ、これだけキャリアが浅い中でダービーまで勝っちゃった事は本当にびっくりした。それと、このキャリアで1番人気になっていたことにもびっくりした(笑)」
1番人気に推された事すらびっくりしていた中での勝利。彼女の底知れぬ能力を感じた。
──そして彼女は3歳時にもう一度、吉原騎手を驚かせる。
女帝の「泣きどころ」
3歳12月、ハクサンアマゾネスは中日杯に挑戦した。ここでの相手は、古馬の一線級。この年の重賞馬や連勝馬、前々走び平場での対戦で敗れた馬が並び、なかなか厳しい一戦になることが予想された。
しかし、彼女は好スタートからハナを奪うとそのまま内ラチ沿いをぴったりと走り、一度も先頭を譲る事なく4馬身差をつけての優勝。
「中日杯を勝ったのは大きかった。ダービーと同じくらいにびっくりした。『中日杯勝っちゃうんだ、じゃあ来年の重賞は全部いけちゃうな』って」と、名手にそこまで思わせるほどの走りだった。
そもそも、彼女の体質や体はまだ発展途上である。それでこの好成績──。
「身体がフラフラだったのに、強かった」
金沢最強馬になる資質を感じていた。
そんなハクサンアマゾネスだが、彼女に弱点はあったのだろうか。現役を引退したからこそ聞けるポイントについて、吉原騎手は「目標にされてメチャクチャ突かれたり、極端なペースで来られたりするのは嫌だったな」と答えた。
その弱点が出たレースとして挙がったのが、6歳の名古屋で行われた秋桜賞。
スタートが決まり、ハナを切る勢いで前を進むが、そうはいかなかった。
「吉村君の馬がどんどん絡んできて。あまりに意識されて攻められると弱い」
スタートしてから兵庫の吉村智洋騎手が騎乗するクリノメガミエースが、すぐ後ろからぴったりマークして突くように追走。すると2周目の向こう正面でハクサンアマゾネスは失速、最下位の10着に沈んでしまった。
「自分のペースで淡々と逃げたり、番手でもペースを狂わせずに行く事が大事だったので、イレギュラーなペースになったり、変に仕掛けられるのは嫌だった」
ペースやリズムを崩されたりするような事態には弱いようだった。しかし、ハクサンアマゾネスのレースを見ていると、出遅れて後方からのレースとなってもきっちりと勝ったレースは多い。特に、地元金沢でのレースでは力任せで捲って勝ってしまう事がほとんど。しかし、遠征した重賞ではそうはいかない事も多く、金沢代表として難しい戦いが多く繰り広げられた。
「泣きどころ」を強みに
その遠征したレースの中で出遅れて勝ち、吉原騎手が「面白かった」と振り返るのが7歳の園田での兵庫クイーンカップ。1枠1番に入って1番人気で迎えたこのレースでは2番人気の兵庫のスマイルミーシャと共に立ち後れて最後方からのレースとなった。しかし、慌てる事はなかったどころか、吉原騎手はむしろ「(前に行くと)絡まれるから出遅れた方がいいかなって思っていた。(出遅れは)想定していたから慌てずに行けた」と、好都合とすら見ていたようだ。
ハクサンアマゾネスは後方から突かれる事もなく、マイペースで淡々と追走。そして、1周目の正面から前へ進出を開始、2周目の向こう正面で前を行くスマイルミーシャよりも早く仕掛けて一気に先頭を伺う。
「タイミングを見てって感じで(仕掛けた)。園田での経験があったからこそ」
これまで園田ではハクサンアマゾネスとのコンビで3戦3勝。
その経験から彼女の脚を信じて導き出された、早めの強気の仕掛けであった。迫るスマイルミーシャを突き放して2馬身半差で優勝。この着差は先に仕掛けた事による差だったと振り返る。
「僕の経験とアマゾネスの強さでどうにか。嬉しかったですね、ああ言う勝ち方は」
会心のレースだったのか振り返る表情は常に笑顔だった。
また、明確な『弱点』とまではいかないが、枠順にも得手不得手もあったようだ。
「内枠はいつも乗り辛い。出遅れてリカバリーできるのが外枠で内枠だと揉まれてしまう」
現役後半では矯正されていったが、出遅れ癖のある彼女にとってはやはり外枠の方がよかった。
しかし、最強馬になるような馬は『もっている』ようで「枠順の運はいい。取りたい時に外枠を取れていた」と振り返る。

ハクサンアマゾネスは、勝利を手繰り寄せるように好枠をゲットしていたようだった。
では、苦手な距離はあったのだろうか。
「1500mは短い。スピード負けしちゃう。距離が長くなるのは良かった。短いと、もっとスピードのある馬がいるので(自分の)リズムでいけない。1400mも2000mもイケるなんて馬はそういないからね」
ハクサンアマゾネスもスピードはあるが、やはり短距離のスペシャリストのスピード相手では、自分のリズムでレースを運ぶ事は難しい。吉原騎手の感覚では距離はあった方がよく、1800m~2000mが一番向いているとの事。1700mの兵庫サマークイーン賞、1870mの兵庫クイーンカップと園田で無敗だったのはそうした距離適性との相性もあったと言えそうだ。
ハクサンアマゾネスの「恩返し」
ハクサンアマゾネスの成績を眺めて見るとちょっとした特徴が見られる。
成績の中でも燦然と輝く5月の利家盃と6月の百万石賞の4連覇。しかし、利家盃の前に走る休み明け初戦は取りこぼしている事が多い。
「休み明けはどうしても調教で仕上げきれない所があったので。気合乗りも違うし、ハクサンアマゾネスは一回使った方がよい状態で走れる馬だった」
実際、ハクサンアマゾネスの休み明け初戦は割引、と考えるファンも少なくはなかった。
初戦を叩いて仕上がりも気合乗りもよくなるのが利家盃、そして前半の目標の百万石賞で状態をピークに持っていく。ここで無類の強さを見せた。一方、年末の中日杯は5戦3勝2着2回で成績としては完璧だったが、勝ち切れなかった2回の印象が強い。
「中日杯は勝てなかった。疲れてきちゃうし、雪とか雨でびっちゃびちゃになって馬場も悪くなるとちょっとね。そこまで状態をピークには持って来れなかったので、最後は無事に走り切れればよかった」
時期的な事や臨戦過程で中日杯にピークを持ってくることが難しいのが理由だったようだ。
このようにハクサンアマゾネスを知り尽くした吉原騎手。
もしもハクサンアマゾネスと吉原騎手が対戦していたら…と考えるファンもいるだろうが、実は1回だけ対戦している。ディープなファンでも『そんな事あったっけ?』と思うのではなかろうか。
「全然覚えていない」と吉原騎手。
当の本人の記憶にも残っていない、ごく普通の平場のレースだった。
そのレースはハクサンアマゾネスのデビュー2戦目の3歳A5組、8頭立て1400mの平場戦。
彼女には吉原騎手と同じ加藤和義厩舎所属の堀場裕允騎手(現調教師)が騎乗し、吉原騎手は同厩舎の牝馬エグランティーヌに騎乗していた。
ハクサンアマゾネスは単勝1.6倍の圧倒的1番人気でエグランティーヌは単勝21.7の5番人気。
このレースではエグランティーヌが好発から逃げ、ハクサンアマゾネスは立ち遅れて最後方からのスタート。そしてかかり気味に前へ前へと進出していき、向こう正面で堀場騎手の手が動くと一気に先頭に並びかけていく。
エグランティーヌは馬群に沈むがもう一度盛り返す。最後の直線で完全に抜け出したハクサンアマゾネスは2馬身半差をつけて圧勝。力の差でねじ伏せた感じの勝利だった。エグランティーヌは4着。
「外枠で出遅れて(堀場騎手が)『あちゃー』と言っているうちに結局勝った。ちょっと慌てて掛かってて『やべー』って言ってた」
レースに騎乗していた記憶は残っていなかったが、一方で、ハクサンアマゾネスに苦労した堀場騎手の記憶は残っていたようである。
そんな堀場騎手は能検や吉原騎手が遠征で金沢にいない時には必ず代打騎乗で手綱を託された(4歳のエンプレス杯、船橋の小杉亮騎手が騎乗したのはコロナによる移動制限のため)。
吉原騎手と共に彼女に心血を注いできた堀場騎手。それが最高に報われたのが6歳の中日杯だった。
この時は吉原騎手が落馬負傷で騎乗ができなくなった事で堀場騎手が代打騎乗となった。これまでの騎乗は平場戦のみで重賞での騎乗は初めて。
「中日杯、他の人が乗っている金沢で(重賞の)1番人気のレースを見てみたいな、と思っていた」

新鮮な気持ちで吉原騎手も見ていたこのレース。
好スタートから何が何でもハナを主張する馬を見ながらの2番手追走。折り合いもついてじっくりと追走を続けて2周目向こう正面で軽く促すと並ぶ間もなく先頭。激しい二番手以下の争いを尻目にコーナーから差を広げて行き最後は3馬身差の圧勝を見せた。
苦手な中日杯、さらに馬場は不良馬場。そんな悪条件を跳ね除けての優勝は手綱を取った堀場騎手にとって実に13年振りの重賞制覇だった。
「堀場さんは調教も手伝ってくれていたから重賞を勝って嬉しかった。よかったなあ……いろんな意味で嬉しかった」
しみじみと振り返る、吉原騎手。もしかするとこの重賞制覇はハクサンアマゾネスから堀場騎手への、恩返しの1勝だったのかもしれない。
永遠の女帝に
数多くの栄光と得難い経験を吉原騎手に与えたハクサンアマゾネス。
そんなハクサンアマゾネスの実績を見て吉原騎手が望む事は──。
「ウマ娘になってほしいなあ~」
笑いながらそう言い、もう一つ、少し表情を引き締めて言った。
「ハクサンアマゾネス記念は作ってほしいね」
吉原騎手はもちろん、そう思うファンも多いだろう。そんな思いが届いたのか、インタビューが終わってすぐの報道で、2025年7月に行われる新設重賞の金沢クイーン賞に「ハクサンアマゾネス記念」の副題がつくことが発表された。
ハクサンアマゾネスが金沢競馬場から去ってもその名は金沢競馬のレース名に残る。
このレースから彼女のようなクイーン(女帝)が誕生するか。
彼女の仔がこのレースに出走することがあるのか。
その手綱をまた吉原騎手が握っているのだろうか。
ハクサンアマゾネスが引退をしてからも彼女への興味は尽きない。
──レース名と共に、その蹄跡は永遠に語り継がれていく。
