2011年からJBCレディスクラシック、20年からJBC2歳優駿がラインナップに加わり、現在では4つのダートグレード競走が楽しめる夢のような一日。「プライベートでは芝レースを見ない、買わない」を公言している筆者にとって、一年でいちばん楽しみにしているのが「JBCデー」なのだ。もっとも、この時期は米国のブリーダーズカップや中央競馬の開催と重なることも多く、競馬の仕事をしていると原稿に追われることも増えたので、ワクワク感と焦燥感に苛まれる1週間になることがほとんどなのだが…。
そんなJBCは“地方競馬の祭典”とも称されるが、18年のたった一度だけJRA京都競馬場で行われたことがある。当初は「なぜ京都なのか」と残念がる声も地方競馬ファンからチラホラ聴こえたが、終わって見れば大盛り上がり。中央競馬で同日にGI級競走を複数開催するのは、04年にジャパンC、ジャパンCダートを同時に行って以来。1日に3度も響いたGIファンファーレに、ファンの手拍子も弾んだ。
JBCスプリントでは激しい先行争いのすえ、内3番手を丁寧に立ち回ったグレイスフルリープが差し切り勝ち。船橋のキタサンミカヅキも3着まで脚を伸ばし、地方の大将格として見せ場を作った。最終レースのJBCレディスクラシックでは、名手の巧みな手綱捌きに拍手喝采。大外16番枠からスタートしたアンジュデジールは、横山典弘騎手が見事なエスコートを見せ、内ラチ沿いの3番手に潜り込んだ。内有利だった当時の京都ダートではベストポジション。直線では1番人気のラビットランをクビ差振り切って見事に勝利した。本人も渾身の騎乗だったのだろう、ゴール後に鞍上は大きなガッツポーズ。JBC京都で印象的なシーンのひとつになった。
メインのJBCクラシックはケイティブレイブが制したが、こちらも福永祐一騎手の判断が光った。同馬はもともと逃げ馬で、4歳春までは前々から押し切る戦法を取っていた。だが、17年帝王賞。スタートで大きく出負けして、後方12番手からの競馬になってしまった。福永騎手も「躓いた瞬間に終わったと思いました」と苦笑いを浮かべたが、3、4コーナーからじょじょに押し上げると、直線では勢いが衰えるどころか、これまで見たことない切れ味を発揮して差し切り勝ち。「ひょうたんから駒」とはこのことか。まさかの新味発揮で、ビッグタイトルを手にしたのだった。
その後、一度だけ中団からの競馬も見せたが、基本的には先行する競馬にこだわっていたケイティブレイブ。18年は春に川崎記念、ダイオライト記念を勝ち、秋初戦の日本テレビ盃も快勝する。いずれも1、2番手からの競馬。今以上に前有利、内有利だった当時の京都ダートの馬場を考えても、JBCクラシックでは当然、位置を取りにいきたくなるところだろう。だが、さすがは名手。福永騎手は中団にじっと構え、脚を溜める作戦に出たのだ。好発とまではいかないまでも、五分のスタートは切っていた。これまで通り、先行策に出ることは可能だったはずだ。
この判断、作戦は結果としてピタリとハマった。サンライズソア、テーオーエナジー、テイエムジンソク、シュテルングランツが複雑に絡みあうハナ争いはなかなか決着が付かず、道中のラップはまったく落ちず。16頭中7、8番手から運んだケイティブレイブは速すぎず、遅すぎず、まさに「ドンピシャ」な位置取り。これ以上にないポジション。筆者はJBCクラシックを京都競馬場のスタンドで見ていたのだが、向正面で「これ勝つわ」と思ったことをよく覚えている。そのぐらい、素晴らしく雰囲気が良かったし、流れに乗った競馬を見せていたのである。
直線に入るとサンライズソアがしぶとく食い下がり、2番手以下を引き離しにかかるが、伸び脚はそこまで無い。ケイティブレイブは同馬を残り150mほどで実にあっさりとらえ、先頭に立つと、後続から追ってきたオメガパフュームの追撃もしっかり受け止めてゴール。着差こそ3/4馬身差だったが、後続に抜かれそうな印象はまったくなかった。まさに完勝と言っていい。
福永騎手はレース後に「リズムを守ることを考えていました」と振り返った。ジョッキーがの判断が勝利を手繰り寄せた一戦ではないか。その後、筆者は現在まで6年ほど仕事とプライベートで競馬を見続けているわけだが、18年のJBCクラシックほど「ドンピシャだな」と思ったレースには出会っていない。
写真:Horse Memorys