[京都記念]破竹の5連勝でG2制覇、そして年末には香港へ。ミッドナイトベットの快進撃を振り返る。

今でこそ多くの日本馬が出走し、勝利や好走をあげ、我々を楽しませてくれる香港国際競走デー。その日は日本でも、年末のビッグイベントと言っても差し支えない程の盛り上がりを見せる。

しかし、まだ香港国際競走が国内でそれほど盛り上がっていない時代──そして香港国際競走の国際グレード自体もまだG1表記ではなかった時代に、快挙を成し遂げた馬がいた。

「深夜の賭け事」という由来の馬名を持つその牡馬は、2月の京都で既に本格化を見せていた。

その馬こそ今回の主役、ミッドナイトベットである。

Bet Time - 投資の4歳

父ハウスバスターの馬名は、直訳で「家を壊すもの」。

母キャサリンズベットと掛け合わせ、「深夜の賭け事」そしてもうひとつの意味「カジノを倒産に追い込むような深夜の賭け事」を持つのでは……とまで連想できる名として名付けられたというミッドナイトベット。

4歳(旧齢表記)の1月にデビューし8着に敗れた後、折り返しの新馬戦で古川吉洋騎手を背に初勝利を挙げた。

しかし、そこからさわらび賞・君子蘭賞・端午賞と、500万下を3連敗。

同期の素質馬達が皐月賞・ダービーに挑んでいくその道を彼が辿ることはかなわなかった。そのまま夏競馬に突入すると、北海道の地へ。

約1ヶ月の不出走期間を経て夏競馬の初戦・奥尻特別を制すると、次走の函館日刊スポーツ杯4着を挟んだ津軽海峡特別も制し、900万下も楽々突破。

ミッドナイトベットはこの北海道遠征で何かを得たのか、3か月後の昇級初戦の古都Sでは16頭立て9番人気という低評価ながら中団から上がり3F33.5というメンバー2位タイの末脚で駆け抜け、鮮やかに快勝を収めた。

続くOP初戦、メキシコC。

重賞でも好走歴のあるグロリーシャルマンや皐月賞で4着があるミナモトマリノス、前年の宝塚記念でマヤノトップガンの2着に突っ込んだサンデーブランチらが集結。9頭立てながら重賞に匹敵するメンバーが揃った一戦だったが、ここもミッドナイトベットは好位から抜け出し、追い込んできたグロリーシャルマンをクビ差抑えて快勝した。

まさにホップ・ステップ・ジャンプの3連勝で成長を見せつけたミッドナイトベットの勢いは、初の重賞挑戦・京都金杯ですら止められない。同世代のクラシック出走馬であるエリモダンディーなどを相手に勝利してしまったのである。

条件戦から数えて4連勝。しかもOP、G3は重賞好走歴のある強豪たちを抑えて一気の勝利──。

二冠馬サニーブライアンが離脱し、菊花賞馬マチカネフクキタルも蹄不安の噂が立ち始めていた’97クラシック世代。世代の主役は有馬記念を勝利したシルクジャスティス、ステイヤーズSを勝利したメジロブライトなどに移りつつあったが、その2頭に追随する存在として、ミッドナイトベットが注目を集め始めていたのは間違いないだろう。

次走は1か月後、京都記念。

多くの名馬たちが始動し、また新星の馬達にとっては登竜門となるこのレースを、ミッドナイトベットは選んだ。

Wager - 返還の時

1998年2月15日。

京都10RのエルフィンSでファレノプシスが鮮烈な勝ち方を見せて牝馬クラシックへの期待が高まり、東京11Rの共同通信杯4歳Sでエルコンドルパサーが「怪鳥」と呼ばれるような強烈な勝利をあげる。

2レース続けて、見ていた我々に衝撃を与えるような勝ち方が続いた日。続く京都11Rは、伝統よG2、京都記念だった。

前走に引き続きオリビエ・ペリエ騎手が手綱を取ったミッドナイトベットは2.0倍の抜けた1番人気に推されていた。

連勝中の勢いを買われ、継続騎乗でやってきた仏の名手の手腕に期待した人も多かったのだろう。とはいえ、離れた2番人気以下も重賞で好走を続けてきた馬達だった。

2年前の有馬記念でサクラローレルの3着に入線したマイネルブリッジを筆頭に、青葉賞を制し、その後も重賞で好走を続けるマウンテンストーン、「SS四天王」と呼ばれた世代の皐月賞馬イシノサンデーなど、まだミッドナイトベットが挑戦したことのないG1でも好走歴のある強豪たちが揃い踏み。

跨る騎手たちもそれぞれ武豊騎手、田原成貴騎手、四位洋文騎手と名手たちだった。

そんな中での、1番人気。重賞1勝馬に、大きな期待が集まっていた。

しかしミッドナイトベットは、期待以上の強さを見せることとなる。

ゲートが開くと、内からファンドリリヴリアが我先にとハナを切る。71戦ほぼすべてのレースでハナを主張してきた同馬はここでも先頭を譲る気は全くなく、単騎先頭で1コーナーを回っていく。

少し離れた5番手に、オリビエ・ペリエ騎手とミッドナイトベット。前にイシノサンデーとサンデーカイザー、サンデーブランチの3頭を置き、自分のペースを創りあげていく。

一方、2.3番人気のマイネルブリッジとマウンテンストーンは後方集団で、ミッドナイトベットを見るようなポジションを取っていた。

向こう正面でテイエムオオアラシの鐙が外れて競走中止するアクシデントがあったが、それ以外はレースに大きな影響はなく、淀の舞台らしく坂の頂上でレースは動き始める。

早くもいっぱいになったかに見えた(後日、心房細動により失速との情報が出た)ファンドリリヴリアが後退し、いつの間にか、道中は後方にいたはずのマイネルブリッジが先頭に変わっていた。

早め先頭で4コーナーを回ってきたマイネルブリッジをめぐって後続各馬が仕掛け、直線で馬群は大きく横に広がる。間を突いたイシノサンデーが皐月賞馬のプライドを見せんとマイネルブリッジに迫ってくる。皐月賞以後、ダートにも活路を求め転戦した彼は、これが骨折休養明け2戦目。メンバー唯一のG1馬としても負けられない。

──しかし、さらにその外から鹿毛の馬体が弾けるように伸びた。

小柄な馬体が、淀の舞台で踊る。

馬群の間から、一気にミッドナイトベットは突き抜けたのだった。

内でマイネルブリッジも抵抗し、イシノサンデーも再度のアタックを試みるが、ミッドナイトベットの末脚が上回った。レース最速の上り3ハロン35.3を繰り出して、5連勝でG2制覇まで一気に駆け上がった。

G1馬や重賞常連の強豪も退ける快勝に次ぐ快勝。完全に本格化した走りを見せるミッドナイトベットに、多くのファンは、次なる栄光「G1」への確かな道を見出したことであろう。シルクジャスティス、メジロブライトに次ぐのはこの馬だ……と。

Jackpot - 苦杯と美酒とその後

5連勝を飾ったミッドナイトベットは、春のグランプリを見据えて金鯱賞に出走。

連勝中の勢いから、同期の菊花賞馬マチカネフクキタルを抑えて上位人気──とはならずに、5番人気に収まった。ここまで戦ってきた相手より、さらに数段格が上がったと見られたこのレースでは、9頭立て5番人気の評価に過ぎなかった。

しかしそれでも、ミッドナイトベットはマチカネフクキタルら実力馬を抑えて1馬身差で──2着でのゴールだった。遥か先、2秒近い先。到底追い付くことのできない場所に、音速の逃亡者がいた。

後に彼──サイレンススズカの勇姿を語るうえで決して外すことのできないレースのひとつ。それが、この金鯱賞だった。

続くG1初挑戦の宝塚記念。実績から考えれば上位人気に推されてもおかしくなかったが、前走でサイレンススズカにつけられたあまりにも絶望的な差が影響したか、またしても低調な8番人気。そして今度は結果も10着と奮わなかったミッドナイトベットは、休みを経た秋初戦カシオペアSも勝ったエモシオンから1.4秒離された7着に終わる。京都記念まで見せた末脚は、最早失われつつあるように見えた。

そして年末。「午夜博彩」という香港表記で迎えた、香港国際C(当時はG2)。

1995年には、日本の「富士山」(フジヤマケンザン)が日本調教馬としてハクチカラ以来実に36年ぶりとなる日本調教馬による海外レース勝利を飾っていた。しかし今ほど香港遠征は盛んでない時代であり、ミッドナイトベットもそこまで注目はされていなかった。人気も地元香港のヨハンクライフに集中し、前走OP特別ですら7着と敗戦していたミッドナイトベットの単勝は43倍。あくまで伏兵扱いだった。

ところが蓋を開けてみれば、直線好位から手ごたえ充分に抜け出し、ヨハンクライフやオリエンタルエクスプレスら実力馬を封じ切ってゴールイン。しかもフジヤマケンザンが記録したレコードをコンマ1秒更新するおまけ付きで、日本調教馬4頭目(同年、シーキングザパールとタイキシャトルがフランスでG1制覇)の海外重賞制覇を成し遂げてみせたのだ。

その後は金鯱賞でスエヒロコマンダーを抑えて勝利した後、一転して鳴尾記念で最下位に終わったことで何かの歯車が狂い始めたか、連戦連敗を繰り返してそのまま勝ち星を挙げることなく引退となった。

香港のビッグレースを勝つことがまだ日本にとって毎年のように起きるようなことではなかった時代に、ひとつの勲章を持って帰ってきたミッドナイトベット。

1月と2月の京都で見せた走りが、覚醒のカギとなり、そして「カジノを倒産に追い込むような」激走へと、物語は続いていったのである。

写真:かず

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