1.メイデイレディと加賀武見
2024年10月25日、暮れの2歳女王決定戦・阪神ジュベナイルフィリーズに米国馬メイデイレディが登録したことが報じられた。正直に言って、最初はそのニュースにそれほど注目していたわけではなかった。おそらく登録だけだろう、わざわざ2歳GⅠを使いに米国から出走するはずがない──。そう思っていたのである。
見方が大きく変わったのは、10月31日に公開された、日刊スポーツの記事がきっかけである。記事には、管理するジョセフ・リー調教師がオーナーにブリーダーズカップジュベナイルフィリーズターフで好走した場合は渡日することを提案した、という内容に続いて次のようにあった。
リー師と日本。切っても切れない深い縁があります。義理の父は元騎手で元調教師の加賀武見さん。日本で奥様と出会い、ご結婚されたとのことです。その経緯もすごい。リー師はかつて、ゴドルフィン(94年創設)で世界初のG1勝ち馬となった95年安田記念優勝馬ハートレイクの担当者として来日していたのです。
──松田直樹「【デルマー便り】松田記者ビックリ!阪神JF登録メイデイレディの調教師が来日を熱望するワケ」『日刊スポーツ』(2024年10月31日)より引用
日本との縁が深いリー調教師が、本気で管理馬を阪神JFに出走させる気であると知ったのだ。実際、BCJFTを2着と好走したメイデイレディは来日することとなる。2歳GⅠに外国馬が出走するという日本競馬史に残る出来事自体に興味をそそられるところはあったが、それ以上に私の心を惹いたのは、「義理の父が加賀武見氏」という点であった。
「加賀武見」という名前を聞いて、大きく頷く競馬ファンは今やそれほど多くないだろう。加賀武見氏が騎手を引退したのは1988年。その後調教師に転身するが、2008年に引退している。私自身もリアルタイムで加賀騎手を知っている世代ではない。しかし私にとって「加賀武見」という名前は大きな存在なのである。その理由を説明するために、まずは文筆家・寺山修司が書いた次の文を紹介したい。
競馬ファンは馬券を買わない。
──寺山修司「加賀武見論」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979年)より引用
財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。
(しかし、どの馬が、自分の「もう一つの人生」を見事に勝ちぬいてくれるかを知ることはむずかしい。帽子のひさしで、午後の日を翳らせながら、人たちは「もしかしたら」の期待をこめて競馬場へ集まってくる。ふみつけられる競馬新聞、煙草の吸殻と負けた馬券。そして、あてにならない予想屋の太鼓判。―それらの中を、人はかぎりなく迷いながら「自分を買う」ことに熱中する)
「言葉の錬金術師」と呼ばれた寺山の競馬観を象徴する名文であるが、この文はあるエッセイの冒頭部分に当たる。そのエッセイのタイトルは「加賀武見論」。そう、リー調教師の義父である加賀武見騎手を論じた文章である。
私の競馬観を形成する上で「加賀武見論」は多大な影響を及ぼした。「自分を買う」という考え方は今でも馬券を買うときの指針になっている。また、馬券購入よりも一口馬主活動の方に精を出すようになったのも、サラブレッド一頭の競走生活によりコミットするように感じられ、「自分を買う」という思いが強くなるからである。(余談だが、現代における一口クラブの隆盛を寺山が見たらどのような感想を持つのか、というのは興味が尽きないところだ。)そういう訳で「加賀武見」という名前は私にとって特別な意味を持つ。その加賀騎手の義理の息子に当たるリー調教師が手掛けるメイデイレディも気になる存在となった。
11月末に公開された『Idol Horse』のインタビューで、リー調教師は妻の加賀鈴代氏が通訳として自分を担当したことが出会いのきっかけであったこと、ゴドルフィンの所有馬が来日するたびに日本滞在を重ねていたこと、2000年にゴドルフィンを退職した後は加賀武見厩舎を手伝っていたことなどを明かしている(デイヴィッド・モーガン「メイデイレディ: ジョセフ・リー調教師が「よく知る」日本に初挑戦」『Idol Horse』2024年11月28日)。ゴドルフィンの担当者として日本競馬に挑戦した後、リー調教師は加賀厩舎の馬作りを間近で見ていた。その経験は今の厩舎経営にも活かされているはずだ。加賀武見氏とメイデイレディには深い縁があると言って良いだろう。
本稿では「加賀武見論」において寺山修司が伝えたかったことを現代競馬の文脈で捉えることで、メイデイレディと加賀武見という2つの存在を重ねてみようと思う。
2.「迷ったら加賀」
先ほどの引用部のあと、寺山はこう続ける。
しかし迷うことはない。
──寺山修司「加賀武見論」より引用
カンカン帽の親父さんが、こういってくれたのだ。
「迷うことはあらへんで。迷ったら加賀や。加賀の乗る馬さえ買うとけば間違いはないんや!」
「迷ったら加賀」と言われるほど腕が立つジョッキー、それが加賀武見騎手であった。つまり「もう一つの人生」を託すに足る存在ということだ。では、そんな加賀騎手はどのような「人生」を送ってきたのか。寺山のエッセイをもとに要約しよう。
青森県の大家族に生まれた加賀武見は内気な少年だった。納屋につながれた子馬には気を許していた加賀少年は、中央競馬会の騎手講習生募集のポスターを見かけると中学を中退して家を飛び出す。(実際には家計を支えるために出稼ぎに行くことが中退の理由だったようである。その後出稼ぎ先の和歌山県で競馬観戦をしたことが、騎手を志すきっかけだったらしい。島田明宏『ジョッキーズ 歴史を作った名騎手たち』イースト・プレス、2020年参照。)京都競馬場の進藤捨蔵厩舎に入門するも試験に合格せず、挫折。青森に帰ることになるが、東京競馬場の阿部正太郎調教師に見出され、再度騎手を志す。「あすは東京に出て行くからにゃ何が何でも勝たねばならぬ」(村田英雄「王将」)という気概だったという。阿部調教師の元で加賀は騎手としてデビュー。トップジョッキーとして勝ち星を重ねていく。寺山はその活躍ぶりについて、次のように記す。
競馬場で、馬券を手にしたことのある人なら、誰でも一度は加賀のおかげで勝った、という経験がある。ヒーローである。
──寺山修司「加賀武見論」より引用
加賀騎手は1962年から1969年まで、(落馬負傷した1967年を除き)リーディングジョッキーであり続けた。1961年のリーディングジョッキーが日本における「モンキー乗り」の先駆者保田隆芳騎手、1970年のリーディングジョッキーが福永祐一調教師の父で「天才」と称された福永洋一騎手、という事実をもってしても、日本競馬史に残るレジェンドジョッキーの1人と言えるだろう。その「ヒーロー」加賀騎手のベストパートナーの1頭として寺山が挙げるのが、タカマガハラである。
タカマガハラは公営上りの馬である。草競馬上りの田舎馬が名門逸駿のサラブレッドのホマレボシ、シーザー、ハローモアを一蹴して天皇賞をとったのだから、のった武見もうれしかったに違いない。武見も、いってみれば、公営上りといったコースで騎手になっている。そして地方人が差別されやすい、中央集権文化の中で、勝って勝って勝ちぬいてきたのだから、いっそう、タカマガハラとは「ウマのあう」仲間だったと、いえるのだろう。
──寺山修司「加賀武見論」より引用
彼の、かなり訛りの強い青森弁が、公営上りのタカマガハラに話しかけている様子は、まさにくたばれ、東京!の気概を感じさせるものである。
タカマガハラは南関東から中央に移籍し、1961年の天皇賞(秋)や目黒記念に勝った名馬である。寺山は加賀武見とタカマガハラという人馬に地方出身者の意地を見ていた。同じく青森から東京に出てきて文芸の世界で戦っていた寺山自身を重ねていたと思われる。正に「自分を買う」という心持ちでこのコンビを応援していたのだろう。
3.現代批評の象徴としての加賀武見
そんな寺山にとって、「加賀武見」という存在は一人の騎手以上の意味を持っていた。「加賀武見論」は次のような一節で終わっている。
加賀武見のよいところは、自然への限りない欲望にある。
──寺山修司「加賀武見論」より引用
人間嫌いで、ジャズや都会の喧騒を好まない青年が、競馬ファンたちの「他人の運命」をのせて、長いレースを、(まるで野生の果実のように新鮮に)駆けぬけていくさまには、現代への新鮮な批評が感じられるのである。
寺山は加賀騎手を「現代への新鮮な批評」の象徴と見なしていた。それは、寺山の持論が関係しているだろう。代表作の一つ「家出のすすめ」において、寺山は次のような主張を展開している。
つよい青年になるためにはこうした母親から精神の離乳なしでは、他のどのような連帯も得られることはないでしょう。
──寺山修司「家出のすすめ」(『家出のすすめ』角川書店、1972年)より引用
家庭的な人間から、一度は社会的な人間にかわってゆき、そのあとでまた、自分がどのような人間としてアンガジェすべきかを考えることです。
──同上
問題は、むしろ「家」の外にどれだけ多くのものを「持つ」ことができるかによってその人の詩人としての天性がきまるのであり、新しい価値を生みだせるのだ……と知ることです。
──同上
内気な少年時代を過ごした青森から飛び出して「中央集権的」な競馬の世界に入り、多くの名馬と出会いながらトップジョッキーとなった加賀騎手。彼は多くの人々に「もう一つの人生」を託される存在であった。寺山は、馬券を「精神の連帯の証券」(寺山修司「栄光何するものぞ」『馬敗れて草原あり』角川書店、1979年)と捉えていた。自らの生まれとは全く異なる環境で、ジョッキーとしての腕によって多くの馬や人と精神的に連帯する加賀騎手の存在は、寺山にとって「社会的な人間」の一つの理想像だったのではないかと思われる。
寺山の言う「新鮮な批評」は、別の側面から考えることもできる。作家・島田明宏氏は、加賀武見の八大競走勝利について、10勝のうち6勝が乗り替わりで勝った馬であることに注目し、次のように論評している。
騎手と馬との結びつきが強かった時代に、乗り替わった馬で大レースを制することが多かったのだから、よくも悪くも目立ったはずだ。
──島田明宏「リーディングジョッキー7回獲得し頂点に君臨 加賀武見 人気馬に競馬の厳しさを教えた孤独な闘将」『ジョッキーズ 歴史を作った名騎手たち』(イースト・プレス、2020年)より引用
今でこそ大レースでトップジョッキーに乗り替わることは珍しくない。それを1960年代から行っていたのが加賀騎手である。そこには従来の騎手像とは一線を画す「新鮮さ」があったのだろう。加賀騎手は時代の変わり目に立ち、「新しい価値を生みだす」存在だったと言えるのかもしれない。
4.メイデイレディが生みだす「新しい価値」
加賀武見騎手と縁のあるメイデイレディにも、私は「現代への新鮮な批評」を感じる。
現代日本競馬と言えば、「海外への飛躍」が一つのトレンドである。欧州・米国・香港・中東・豪州など、世界各国で行われる大レースに日本馬が出走して好走することは全く珍しくなくなった。また、ディープインパクト・ハーツクライ・ダイワメジャー・トウカイテイオーなど、日本の名馬の血を継ぐ海外馬によるGⅠ制覇も相次いでいる。2020年代に入り、日本競馬は世界の競馬の中で益々重要な位置を占めてきていると言って良いだろう。
一方で、海外馬による日本への遠征は以前に比べてそれほど活発ではなくなっていた。2019年には国際招待競走であるジャパンカップで外国馬の出走が無し、という事態まで起きたのである。日本馬のレベルアップや他国での高額賞金レースの創設、検疫の問題など様々な要因は考えられるが、個人的には「日本から海外へ」という一方的な流れになっていることに、どこか歪さを感じていた。
2024年はそういった意味で変化が現れた年であった。高松宮記念に香港馬ビクターザウィナーが出走したことを皮切りに、安田記念とスプリンターズステークスには香港馬2頭が出走、マイルチャンピオンシップには英国馬チャリンが出走と、春秋の短距離王決定戦全てに外国馬が参戦。このうち安田記念ではロマンチックウォリアーによる外国馬としては18年ぶりの勝利があった。ジャパンカップにはGⅠ6勝を誇るディープインパクトのラストクロップ・オーギュストロダンにキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの勝ち馬ゴリアット、バーデン大賞の覇者ファンタスティックムーンと3頭の強豪馬が出走し、レースを大いに盛り上げた。ゴリアットのジョン・スチュワートオーナーは、次のように語っている。
最高の馬たちが世界中を旅して互いに競い合うことが、このスポーツにとって必要だし、求められていることだと思います
──アンドリュー・ホーキンス「世界を巡るゴリアットの挑戦: 『ご意見番』ジョン・スチュワート氏の闘志」(『Idol Horse』、2024年11月21日)より引用
優れた馬がいるなら、他の場所に連れて行き、真剣に試してみたい。彼らがどれだけの力を持っているのかを証明し、世界の舞台でどの位置にいるのかを見極めたいんです
──アンドリュー・ホーキンス「世界を巡るゴリアットの挑戦」より引用
競馬というスポーツに必要なのは優れた馬が世界の舞台で戦い、その力を海外の地で証明すること。そう考えるオーナーが欧州のチャンピオンホースの戦いの舞台として日本を選んだことは、競馬界の潮目が変わったことを感じさせる。
そこに来てのメイデイレディの来日である。外国馬が2歳GⅠに出走するのは初めてのこと。全く未知の挑戦である。メイデイレディは日本競馬に新鮮な風を吹かせ、時代の扉を開いた。この来日をきっかけにして、古馬戦だけでなく、2歳戦や3歳戦でも外国馬と日本馬が競い合う時代がやってくるかも知れない。メイデイレディは先駆者と言えるだろう。
その姿は自らの腕によって時代の変わり目に立つ活躍を見せた加賀武見騎手に重なる。メイデイレディと加賀騎手という縁で結ばれた2つの存在には、「新しい価値を生みだす」という寺山の理想像を見る思いがする。
【引用】
松田直樹「【デルマー便り】松田記者ビックリ!阪神JF登録メイデイレディの調教師が来日を熱望するワケ」『日刊スポーツ』(2024年10月31日)より引用https://www.nikkansports.com/m/keiba/news/202410310000802_m.html?mode=all&utm_source=AMPbutton&utm_medium=referral&_gl=1747bb3_gaQTk3YlY0eUlDdXNZbWhhR2o5dXRfd2xIMHkzSjFKTXFkNDlveUtndXp6REVvWGlNWW9XcVZSVGE0bFZIRzM3eg.._ga_QRJ9QCSM9H*MTczMjAyMDU5My42LjAuMTczMjAyMDU5My4wLjAuMA..
アンドリュー・ホーキンス「世界を巡るゴリアットの挑戦: 『ご意見番』ジョン・スチュワート氏の闘志」(『Idol Horse』、2024年11月21日)より引用
https://idolhorse.com/ja/horse-racing-news/world/a-goliath-global-journey-john-stewart-versus-the-world/
デイヴィッド・モーガン「メイデイレディ: ジョセフ・リー調教師が「よく知る」日本に初挑戦」『Idol Horse』2024年11月28日
https://idolhorse.com/ja/horse-racing-news/world/may-day-ready-japan-holds-no-mysteries-for-joseph-lee/