![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]わたしを離さないで(シーズン2-2)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/01/2026020202.jpg)
福ちゃんをエクワインレーシングに送り届けた足で、そのまま新千歳空港まで送ってもらう途中、慈さんと今後について話し合いました。一昨年に続き、今年も受胎しなかったスパツィアーレについて、「(受胎しづらいので繁殖牝馬として)難しい馬」と以前から慈さんは評していましたし、会話の端々に(新しい繁殖牝馬との)入れ替えを勧める言葉もありました。慈さんは、こうした方が良いですとは言わないのですが、こういう方法もありますよと提案してくれます。スパツィアーレはこの3年間で1頭しか産駒を産んでいないのですから、生産者としては当然のアドバイスです。
「受胎するけれど、毎年牝馬ばかり産む繁殖と、2年に1度しか受胎しないけれど牡馬を生んでくれる繁殖がいたとしたら、生産者にとってはどちらが良いのかな?」と素朴な質問をすると、「たとえ牝馬ばかりだとしても毎年産んでくれる方が良いです。受胎しないことは生産者にとって致命的ですから」と慈さんは即答しました。
ダートムーアとスパツィアーレを例に挙げたつもりでした。実はダートムーアは産駒が誕生してもセリ前に骨片が飛んでいたり、小眼球症という病気を抱えていたり、生後2か月ほどで病名も分からず亡くなってしまったりするんだけどねと心の中でぼやきつつも、サラブレッドの生産者にとって受胎しない繁殖牝馬は、農業にたずさわる人にとっての種をいくら蒔いても作物ができない土地のようなものなのだと理解しました。
これがメロディレーンやタイトルホルダーを生んだメーヴェのような繁殖牝馬であれば、たとえ5年に1頭しか産まないとしても、産むまで待つことができるはずです。スパツィアーレの産駒はこれまで2頭の牝馬がデビューしていますが、中央で勝利を挙げられていないのが現実です。ステラマドリッドを祖にする立派な牝系ですし、馬体のしっかりとした産駒を産んでくれる仔出しの良さはありますが、とにかく産駒数が少ないので結果の出しようがないのです。2年に1度と書きましたが、来年受胎する保証もありません。受胎しないことには、生産が始まらないのです。
そこに加えて、獣医師との相性もあります。碧雲牧場でスパツィアーレを診てくださっている獣医師は、神の手を持つと言われる大ベテランであり、発情のタイミングもレントゲンではなく子宮を触診することで見極めます。卵管PGやその他の医療的措置を使うことをなるべく避け、できるだけ自然な形で受胎して出産させることを是とします。ダートムーアはおかげで毎年受胎しているのですから、その獣医師のやり方が間違っているわけではありません。それでも現実的にスパツィアーレは3年間で(計10回以上種付けに行って)1回しか受胎していないのですから、スパツィアーレとの相性が良くないと考えることもできます。
腹に入っていれば(受胎していれば)、10月の繁殖牝馬セールに出すことも考えられました。空胎よりも受胎馬を買いたいという生産者の心理は分かります。空胎馬を買ってきても、翌年種付けをして、生まれてくるのは翌々年です。馬が売れて収入が入ってくるのは3年後。よほどの良血馬か実績のある繁殖牝馬でなければ、空胎で買ってきて、3年待とうとは思わないでしょう。空胎のスパツィアーレを繁殖牝馬セールに出しても、買い手がつく可能性は低く、主取りになってしまうはずです。
それ以外の方法としては、誰かに譲渡する、もしくは用途変更するしかありません。正直に言うと、スパツィアーレの繁殖牝馬の可能性に賭けてくれる人であれば、無償でお譲りしてもいいと思っています。スパツィアーレは走る産駒を出す可能性は十分に残っていると僕は本気で思っています。パワーと馬格は十分にありますから、スピードのある種牡馬を配合すれば、牡馬牝馬を問わずに走ってくるはずです。経済的な余裕さえあれば、スパツィアーレの仔たちが走るまで待てるのに、情けない話です。
そして用途変更とは、包み隠さずに言うと、繁殖牝馬ではなく食用の肉にすることです。恐ろしくないですか、不受胎の年が2度続き、獣医師との相性が合わないだけで、まだ将来のある繁殖牝馬を処分せざるを得なくなるのです。それは避けたいと僕は思います。繁殖牝馬として価値がないのであれば用途変更しなければならない、という割り切りは僕も生産者の端くれとして持っています。そうではなく、まだ未来の可能性が十分に残されている繁殖牝馬を用途変更してしまうのは、あまりにもったいないと思うのです。
用途変更の話をするとき、僕たちは直接的な言葉を使うことはありません。たとえば「殺す」、「処分する」、「肉にする」などとは決して口に出さず、「入れ替える」などの言葉を使ってお互いに何となくそのことを話していると察するのです。生産者同士ではそうした言葉は飛び交っているのかもしれません。慈さんが生産者ではない僕に気を遣って、直接的な言葉を避けてくれているのかもしれません。それでも僕たちは明確にそのことを示していることが知っていて、話が通じるのです。
それはまるでカズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」の世界のよう。外の世界から隔絶された寄宿舎ヘールシャムで生まれ育てられたクローン人間である少年・少女たちは、16歳になると施設を出て、自らの臓器を他者に提供して、最終的には死を迎える運命にあります。へールシャムの中では、少年・少女たちの将来については詳しく教えられず、ただ子どもたちも薄々と自分たちの運命を知っていて、“提供”というぼんやりした言葉だけが行き交うのです。
「あなた方も教わってはいるでしょう。あなた方は…特別な生徒です。ですから体を健康に保つこと、とくに内部を健康に保つことが、わたしなどよりずっと重要なのです」
(中略)
あの日、わたしたちはなぜ黙っていたのでしょうか。9歳、10歳の子供でした。でも、そんな年齢でも、微妙な話題であることを薄々感じていたのだと思います。当時のわたしたちが何をどれだけ知っていたのか、いまとなってはわかりません。でも、自分が保護官とは違うこと、外の世界の人とも違うことはわかっていたはずです。ひょっとしたら―もちろん、浅く、不完全な理解ではあったでしょうが―将来に提供なるものが待っていることも知っていたかもしれません。

サラブレッドが提供を待つクローンの少年少女たちだとすれば、僕たちはヘールシャムの保護官でしょうか。彼ら彼女たちが最後に行き着く先を知りながらも、僕たちは決してはっきりとは言いません。理不尽であるとは思いながらも、サラブレッドが僕たちはと違って特別な存在であることを知っているからです。馬たちに自分たちの運命を教えることはできませんが、もしかすると馬たちも薄々と感じて、浅く受け入れているのかもしれません。そんなサラブレッドが愛おしく、離したくないと思ってしまうのは僕だけでしょうか。
(次回へ続く→)
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