なぜ、我々はオジュチョウサンを愛さずにいられないのか?~王者たちが教えてくれた、諦めないことと、信じ抜くこと~

かつて、キタサンブラックが年度代表馬に選出されることを、阻止しようとした馬がいる。にわかに信じがたいが、名前を聞けば全ての競馬ファンが納得してしまう、最強の馬がいる。

そう、絶対王者、オジュウチョウサンだ。

中山グランドジャンプ&中山大障害のレコードホルダーにして、中山グランドジャンプ5連覇達成の偉業。障害重賞13連勝、3年連続最優秀障害馬となる。さらには、障害の枠を飛び越え有馬記念に参戦するという、まるで夢のような挑戦──。

彼が築き上げた伝説はあまりにも多く、何度も何度も我々の心を揺さぶってきた。

2018年、障害馬として初めて製作されたJRAポスター「ヒーロー列伝」には、こう書かれている。

惨敗もあった、故障もあった、苦戦もあった。

その障壁を越えるたび強くなった。

心通うパートナーと、互いの才能を信じ、

鍛え、解き放った。

記録を刻み、記憶を彩り、

人馬一体、進む飛越の王道。

越えていくその勇気を、その闘志を、

愛さずにはいられない。   

──JRAホームページ 「ヒーロー列伝コレクション」 より引用

最後の一文に、父であるステイゴールドの面影を重ねる。

なぜ我々は、こんなにもオジュウチョウサンも愛してしまうのだろう?

オジュウチョウサンが戦った名レースを振り返り、その理由を探る。

可能性を、諦めなかった男たち

今や絶対王者と呼ばれるオジュウチョウサンだが、最初から最強だったわけではない。

平地の新馬戦では11着、2戦目も8着という成績で1年間の休養を余儀なくされる。障害に転向した復帰初戦は、前の馬から大差を付けられての最下位、惨敗だった。

和田正一郎厩舎に転厩し、障害4戦目でようやく生まれて初めての勝利を掴んだものの、オジュウチョウサンは本気の走りを見せなかった。

運命が大きく動いたのは、主戦だった山本康志騎手の乗り馬が重なり、石神深一騎手に手綱が託されたときだった。

石神騎手は当時のオジュウについて「子供っぽくて、気が悪い」という印象を持っていたそうだ。身体能力は怖ろしいほど高いくせに、走るのも飛ぶのも嫌、しまいには噛みついてくる親譲りの気性難。調教中に反抗して立ち上がり、振り落そうとすることは日常茶飯事だった。

人馬の信頼関係が築けないうちは、必ずと言って良いほどゲートを出遅れた。

道中の手応えもなく、一生懸命走らない。打開策が見つけられないままの陣営だったが、石神騎手はそれでも諦めなかった。飽きないように調教メニューを変更し、毎日のようにオジュウと対話する。そして2015年中山大障害、後の好敵手となるアップトゥデイトに6着で敗れた後、石神騎手はメンコの耳覆いを外すことを提案した。

集中力が増すかもしれないが、大きな音に驚いて暴れる危険性もある。

和田調教師や長沼厩務員は戸惑いはあったものの、石神騎手の熱意とオジュウの才能を信じ、その賭けに乗ることにした。

耳覆いをいつでも着脱可能にした特注メンコを作成し、挑んだオープン戦。オジュウは好スタートを決める。結果は有力馬である二ホンピロバロンに2着と善戦。

「絶対大きいところを取れる!」

石神騎手は翌月の中山グランドジャンプを見据え、長沼厩務員に言い放った。

覚醒する、王者 挑み続ける、好敵手

2016年4月16日、第18回中山グランドジャンプ。

ついに、オジュウチョウサンは覚醒する。

先行逃げ切りが持ち味のサナシオンが圧倒的1番人気で先頭を走る。他に相手がいないという理由で2番人気押し出されたオジュウは3番手を追走。

直線の最終障害を飛越した後、石神のムチにオジュウは応えた。抜群の末脚でサナシオンに襲いかかり軽やかに差し切ると、3馬身半差をつけて快勝したのだ。

オジュウチョウサンの可能性を信じ抜いた男たち。集中力を切らさず最後まで走ることを諦めなかったオジュウチョウサン。人馬一体となって掴んだJ・G1初勝利だった。

しかし、昨年このレースでレコードを叩き出している芦毛の王者アップトゥデイトは不在だった。もし、サナシオンの前にアップがいたら、とららえることができたのだろうか──。

その難問の答え合わせは、暮れの中山大障害に行われた。

逃げ馬を見る形で競馬を続けた両王者。3、4コーナー中間の障害から一騎打ちとなり、直線では、オジュウチョウサンがアップトゥデイトを突き放した。

翌年の中山グランドジャンプでも両者は激突したが、オジュウチョウサンの独壇場だった。

なんとしても連勝を止めてやろうとする他馬の気概すら寄せ付けず、持ったまま、3馬身半。

この圧倒的な強さに、「絶対」など存在しない競馬のなかで「絶対王者」という敬称がうまれる。

剥離骨折で戦線離脱し、復帰したレースでも、「王者の時計は止まっていませんでした」と山本直アナウンサーは声高に叫んだ。

さらには、障害レース史上最高の名勝負のひとつとなった、2017年中山大障害。

20馬身差をつける覚悟の大逃げでありながら、雄大で美しく走り続けるアップトゥデイト。頭を低くし、まるで狼が獲物に喰らいつくような勢いで並びかけるオジュチョウサン。普通に考えれば、20馬身も離した大逃げをしようものならスタミナが切れる。苦しくなって、勝負を諦めてしまうのではないだろうか。もちろん追う者も同じである。離されれば離されるだけ届かないのではないかと焦り、自身の勝利を信じられなくなるのではないか。

しかし、アップトゥデイトと鞍上の林満明騎手、オジュウチョウサンと石神騎手は違った。
自分たちの可能性を諦めず、信じ抜いた。

2頭は他の馬を完全に置き去りにし、「前王者か! 現王者か!」という名フレーズに見守られながら、勝敗を分かつ。

──結果は、あえて書かない。
ただ、これだけはお伝えしておく。伝説級の名馬2頭は、揃いも揃って25年前のレコードタイムを更新した。

翌年、最後の対決となった第20回グランドジャンプでも、レコードは覆されている。

あの、春の日のスタンドの熱気を、私はきっと忘れないだろう。全馬完走に対する温かい拍手はレコードの文字の出現により一瞬どよめきに変わり、称賛や興奮や憧れや感謝……たくさんの気持ちがこもった大きな拍手と歓声が、中山競馬場を包んだ。

石神騎手と林騎手はうれしさのあまり互いの背中を叩き、健闘を称え合った。

この2頭にしかたどり着けない、飛越の王道が、そこにはあった。

今、我々にできること

その後、2頭の王者は別々の道を歩むこととなる。

2018年中山大障害、アップトゥデイトは冷たい雨の中、必死になって逃げた。空馬になってもひたむきに走り、我々の待つスタンドに帰ってきてくれた。

勝ち馬はニホンピロバロン。
鞍上は、相棒を翌日の有馬記念へ送り出した、石神深一騎手だった。
王者はいつでも入れ替わる。競馬に絶対はないのだ。

そのくせ、オジュウチョウサンは中山グランドジャンプを勝ち続けた。

全頭が代わる代わるオジュウに競りかけ、その度に返り討ちにした2019年。
不良馬場の中、命がけで飛越し、持てる力を出し尽くした2020年。

このとき、シングンマイケルというかけがえのない命が失われた。2019年の最優秀障害馬である彼は、オジュウを倒す新星として注目されていて、石神騎手も実力を認めていた。だからこそ、2着はシングンマイケルだと、信じていた。

どうして信じてしまったのか。酷雨で視界が悪かったこともあったのだろうが、他にも理由はある。

障害レースでは全頭が無事飛越を終えると、自然と拍手が起こる。石神騎手はその合図を聞くと安心するのだと言う。誰も落ちていないのだ、みんな無事なのだと。

あの日、馬たちがどの障害を無事飛越しようとも、我々は大きな拍手と声援を彼らの元に届けられなかった。最後の障害の異変すら気付かせられないほどに、無観客競馬は頼りないものだったのかもしれない。

そんな虚しいことが、あってたまるか。

来たる2021年、4月17日。第23回中山グランドジャンプ。
中央競馬における現役最高齢の世代となる10歳で、オジュウチョウサンは前人未到の6連覇を目指す。

なぜ、我々はオジュチョウサンを愛さずにはいられないのか。

純粋に王者の走りがかっこいいと思う人。馬券でお世話になって信頼している人。好きになる理由は千差万別、入り口だってゲームやアプリでも構わない。

私の場合は、どんな苦境に立たされながらも、諦めずに戦い抜くオジュウの強い心に励まされ、自分も頑張ろうと思わせてくれたから。人生、いろんなことを諦めたり、疑ったりする日々。現在だってコロナ禍で振り回されている。しかし、オジュウを見ていると「諦めないこと」と「信じ抜くこと」の大切さを思い出す。

オジュウだけではない。アップトゥデイトや二ホンピロバロン、メイショウダッサイ、そして、シングンマイケル。どの王者の飛越にも、突き動かされてきた。

幸い、中山競馬場は条件つきではあるが、観客が戻ってきた。

陣営の喜ぶ顔もそうだが、観客の喜ぶ姿も、きっとオジュウはわかっているではないか。そして前述の通り、観客の拍手は絶対に騎手の後押しとなる。

これは「絶対」があり得ない競馬の中で、まぎれもない事実だ。

それならば──。
我々はとびっきりの拍手で、歴史的一戦に挑む王者の力になろうではないか。
昔のように中山競馬場を、温かく優しい拍手で包んで、全馬の無事を信じ抜き、帰りを祈ろうではないか。

絶対、帰ってこい。

我々はここにいるぞ。

参照:https://jra.jp/gallery/ads/heroes/index.html

写真:s.taka

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