古馬混合の短距離路線が本格的に整備されたのは、1984年のグレード制導入以降。それまでハンデ戦として行なわれていた安田記念がGIに格付けされ、マイルチャンピオンシップが新たに創設された。一方、さらに距離の短いスプリント路線が整備されるには、元号が平成に変わるのを待たなければならなかった。
それまでGⅡだったスプリンターズSがGIに昇格したのは1990年のこと。時期を3月から12月に移して行なわれた記念すべき初回は、バンブーメモリーが馬群の真ん中を豪快に突き抜け、日本レコードで快勝。堂々と初代スプリント王の座に就いたが、上半期の王者を決めるレースは、その後もしばらく存在しないままだった。
春のスプリント王決定戦、すなわち高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに昇格したのは、その6年後。現在の札幌記念のように、夏場の「スーパーGⅡ」のような位置づけだった高松宮杯が時期を5月に移し、スプリントGIへと変貌を遂げたのである。と同時に、そこに至るまでの路線も新たに整備され、オープンのシルクロードSがGⅢに昇格。高松宮杯の前哨戦となり、1996年に第1回のレースが行なわれた。
このシルクロードSで1番人気に推されたのがヒシアケボノ。名前の通り、馬体重が550kgを超えるこの巨漢の外国産馬は、前年夏に6戦目でようやく未勝利を脱出すると、それまでの惜敗続きが嘘のように1ヶ月半で4連勝。一気に、オープンまで昇級した。
続く2戦は敗れたものの、スワンSで重賞初制覇を飾ると、マイルチャンピオンシップ3着を挟んで、スプリンターズSを快勝。初勝利からわずか5ヶ月足らずで、GI馬へと上り詰めたのである。
今回は、それ以来4ヶ月ぶりのレースながら、出走馬の中で古馬混合のGIを制した馬は自身のみ。前哨戦とはいえ、負けられない一戦だった。
2番人気に続いたのは、5歳馬のエイシンワシントン。
こちらも早くから出世した外国産馬で、3歳秋のセントウルSで重賞初制覇を達成した。以後、重賞勝ちはないもののオープン特別を4勝。ここまでの7勝中6勝を1200mで挙げているスペシャリストで、叩き3戦目の今回は、休み明けのヒシアケボノに十分対抗できると見られ、大きな期待を集めていた。
僅差の3番人気に、4歳牝馬のヤマニンパラダイス。父はダンジグで、母が米国のGI・2勝馬というこの超良血馬は、デビューから3連勝でGIの阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)を勝利。それも、3戦すべてがレコード勝ちという離れ業をやってのけた。
その後、2度の故障に見舞われ、9ヶ月ぶりに出走した前走の陽春Sが7着。休み明け2戦目の今回、かつて見せた凄まじいスピードが復活するか、期待されていた。
そして、4番人気となったのが、同じく4歳牝馬のフラワーパーク。デビュー前に二度も骨折する不運に見舞われた同馬は、予定より1年も遅れた3歳10月の未勝利戦でデビュー。そこは10着に敗れたものの、中1週で未勝利戦を快勝すると、それも含め年末までに3連勝を達成した。
続く石清水Sは3着に敗れたものの、うずしおSを勝利してオープンに昇級すると、陽春Sでは、勝ったエイシンワシントンから0秒2差の2着に健闘。今回、重賞初挑戦で初勝利なるか、注目が集まっていた。
ゲートが開くと、このメンバーにも関わらず馬なりで先頭に立とうとしたのがフラワーパーク。負けじと、快速牝馬のスリーコースが内からかわしてハナを奪い、エイシンワシントンとヒシアケボノが3番手を並走した。
その後ろは、トウショウルーイ、ドージマムテキ、トーワウィナー、ヤマニンパラダイスが一団となり、後方もさらに5頭が一団。3つの集団が8馬身ほどの隊列に収まって、600mの標識を33秒8で通過した。
ここでヒシアケボノとフラワーパークが馬なりで先頭に並びかけると、早くもスリーコースは脱落。ドージマムテキが3番手に上がり、4番手以下はそこから3馬身ほど離されて直線勝負を迎えた。
直線に入ると、内を回ったヒシアケボノが体半分フラワーパークをリード。オープン勝ち実績のない牝馬を、あっさり退けるかに思われた。ところが、当のフラワーパークはGIウイナー相手に、なんとほぼ持ったままで馬体を併せてしばらく並走し、ゴールまで残り100mの地点で、ようやく追い出しにかかったのだ。
休み明けのヒシアケボノは、ここで息切れを起こしてあっさりと白旗を揚げ、そこへ機を窺っていたドージマムテキが外から襲いかかる。しかし、十分に余力が残っていたフラワーパークは、これを楽々と振り切って1着でゴールイン。
デビューからちょうど半年の牝馬が、前年のチャンピオンスプリンターをあっさりと4分の3馬身+1馬身突き放す衝撃の強さ。さらに、4着のヤマニンパラダイスはそこから3馬身も離れており、この路線に新たなスター候補が誕生した瞬間だった。
そこから中2週で迎えた本番、そしてリニューアル初年度の高松宮杯。再び1番人気の座をヒシアケボノに譲り、天皇賞・春2着からという、前代未聞のローテーションで臨んだ三冠馬ナリタブライアンに次ぐ3番人気に推されたフラワーパークは、前回をさらに上回るような驚愕のパフォーマンスを発揮した。
またしてもスタート直後から楽に先行し、ヒシアケボノとともに、4コーナー手前で逃げるスリーコースをかわしていくという、前走のリプレイを見るような展開。再度のマッチレースなるかと期待感が高まるも、その期待を良い意味で裏切ったフラワーパークは、ここから真の強さを見せつけた。
休み明け2戦目で上積みがあるはずのヒシアケボノを、今度は直線入口で早々に突き放してあっさり決着をつけると、追いすがるビコーペガサスやナリタブライアンを問題にせず、最終的に2馬身半差をつける完勝。
レースのグレードが上がる度に、パフォーマンスをさらに一段、二段と上げたフラワーパークは、実にデビューから204日での芝の古馬GI制覇という最速記録を樹立。出世、記録、そしてレースでも驚異のスピードを発揮し、あっという間に短距離界のトップに君臨したのである。
そして、リニューアル1回目の高松宮杯を制したのが、創設第1回からマイルチャンピオンシップを連覇した短距離路線の第一人者、ニホンピロウイナーの娘だったことは、決して偶然では無かったのかもしれない。
続く安田記念は、さすがに距離の壁もあって9着に敗れたフラワーパーク。秋初戦のCBC賞2着から臨んだスプリンターズSで、今度は日本の競馬史に残るような素晴らしいデッドヒートを、エイシンワシントンとともに演じてみせた。
スタートから他の9頭をどんどんと引き離して先行した2頭は、直線に入っても勢いは全く衰えず、坂下からは完全なマッチレース。念願のGIタイトルを手にすべく、懸命に逃げ込みを図るエイシンワシントンと、春秋スプリントGIを統一したいフラワーパークが演じた文字どおりの死闘は、2頭の鼻面が完全に合ったところでゴールイン。
10分を超える長い長い写真判定の末、わずか1センチ差という究極の大接戦を制し先着していたのはフラワーパークだった。しかしながら、春のスプリント王を相手に敢然とハナを切り、最後の最後まで抵抗したエイシンワシントンにも、同じくらい多くの賛辞が送られたことは言うまでもない。
その後、翌5歳シーズンは一転。6戦して未勝利に終わり、スプリンターズSの4着を最後に引退したフラワーパーク。それでも、シルクロードSと高松宮杯であっという間に短距離路線の勢力図を塗り替えた彼女の走りは、新緑の芝生に凜々と咲く一輪の花のように、四半世紀が経過した今でも、競馬ファンの脳裏に鮮やかに生き続けている。
写真:かず