いつの時代も盛り上がる「ダート最強馬論争」。ある人はクロフネという。またある人はホクトベガの名前を出すし、カネヒキリやスマートファルコンだと主張する人もいる。人それぞれ意見があるのは承知。だが、私はルヴァンスレーヴを真っ先に挙げたい。ダートGI級を4勝。勝ち星だけ見れば突出したものではないが、レース内容、凄み、迫力は数々の名馬に負けず劣らずであった。2017年の全日本2歳優駿。数多のレースを生で見てきた場内予想屋のひとりが「私が見てきた馬の中で一番強いかもしれない」と、レース後につぶやいた。私も同意見。「あれは間違いなく怪物だ」と思った。
ルヴァンスレーヴは父シンボリクリスエス、母マエストラーレ、母の父ネオユニヴァースという血統。いとこにはチュウワウィザード、叔母にはアイアンテーラーがいるダート一族である。だが、本馬がデビューしたとき、先の2頭はまだ重賞を勝つ前。そんな中、シンボリクリスエス×ネオユニヴァースの芝でも走りそうな配合ながら、一貫してダートを使われたことは、結果として大きな成果を生む。
デビュー戦は夏の新潟、ダート1800mの2歳新馬。1番人気だったが、単勝3.4倍と決して抜けた存在だったわけではない。しかもスタートで大きく出遅れて一度は最後方。ファンをやきもきさせたが、向正面で一気に進出すると、直線は馬なりのまま後続をちぎり捨てた。2着ビッグスモーキー、3着ゴライアスは、のちに重賞なオープンで活躍する素質馬。そんな好メンバー、素質馬を相手に破天荒な競馬で7馬身差を付けたのだから、評価は一気にうなぎ登りだった。
現に、続くプラタナス賞では単勝1.4倍の支持を集めている。しかし、距離短縮、コース替わり、締まった馬場で時計勝負。不安がなかったわけではなかったが、終わってみれば2馬身半差の完勝。しかも終始手応え楽に馬なりのままだったことで、「これはちょっとモノが違うぞ」。多くの競馬ファンがそう口にしていた。
重賞初挑戦の舞台は川崎競馬場ダート1600mの全日本2歳優駿に決定。同競馬場は直線こそ300mとそれなりだが、コーナーがとにかく急である。サーキットを走るスポーツカーを想像してみてほしい。スピードがあってもコーナーをスムーズに曲がれなければ、外に大きく振られて前に進んでいかないだろう。「追込馬には不利」。これが川崎競馬場でのセオリーだった。2戦ともに出遅れていたルヴァンスレーヴにとっては唯一とも、最大ともいえる不安点。競馬新聞とにらめっこするファンや、場内予想屋の口上からは「最後方からでは届かない、厳しいのではないか」という声もあった。
レースでは戦前の予感が的中する。ゲートで出遅れたうえに、ヨレた他馬のアオリを受けて最後方。並の馬なら“終わったポジション”といえるが、結果としてルヴァンスレーヴの強さを際立たせるものとなった。デムーロ騎手はホームストレッチですかさず馬群の外へ誘導。1コーナーから早めに進出し、向正面では7番手あたりまで押し上げた。決してペースが緩んでないなかで動いていったから、普通の馬ならとっくにバテている。だが、4コーナーでも鞍上の手応えは楽。2番手まできたルヴァンスレーヴは直線馬なりのまま逃げ馬をとらえ、追ってきたドンフォルティスに最後は1馬身差を付けた。最後の1ハロンはほぼ流していたから完勝も完勝。最後方から緩まぬ流れを、まくり一発で差し切ったパフォーマンスはただただ圧巻だった。「言葉は要らぬ強さ」。そう表現したい。
伏竜Sこそ2着に敗れたものの、ユニコーンSを圧勝して、ジャパンダートダービーも異次元の強さを披露。さらには、秋に南部杯で古馬を撃破し、チャンピオンズCで中央GIタイトルもゲットと、全日本2歳優駿のあともまったく隙のない走りを見せた。2018年のJRA賞で最優秀ダートホースに選ばれたことはもちろんのこと、最優秀3歳牡馬でも69票を獲得。ブラストワンピース、ワグネリアンには及ばなかったが、ダート路線を歩んできた馬にこれだけの票が集まるのは極めて異例のこと。史上初の快挙はならなかったが、ファンや関係者は彼をたたえた。
来年は世界へ──。ファンはもちろん、何より陣営もそう考えていたことだろう。だが、好事魔多し。脚部不安が長引き、砂上に戻ってきたのは気づけば1年半後のことだった。かしわ記念5着/7頭、帝王賞10着/14頭。復帰後はかつての豪脚が戻らなかったが、無事に種牡馬入りできたことは何よりだった。初年度の種付数は、なんと国内最多の223頭を記録。2年目も196頭、3年目は185頭と、生産界からの期待、注目度は非常に高い。
本馬の引退と入れ替わるように活躍した同期のチュウワウィザードはダートGI級4勝、オメガパフュームは東京大賞典4連覇。もしルヴァンスレーヴが現役だったら、ダート界の歴史は変わっていただろうか?
…その答えはわからないが、大きな影響を与えていたことは間違いない。もしかしたら、世界のダート競馬を席巻していたかもしれない。大袈裟だろうか。でも、それだけの存在感を示していたことは事実だ。
産駒のデビューは2024年。夢の続きは次の世代に託すことにしよう。
写真:あかひろ