
■伝説の少女
2008年10月26日、京都競馬場で伝説となるレースが行われた。
そぼ降る雨の中、京都5レースの新馬戦芝1800mが幕を開ける。例年この時期の芝1800mの新馬戦は、将来的にクラシック出走を意識できる評判の新馬が集まってくる。この年もまた、豪華なメンバーが名前を連ねていた。1番人気は安藤勝己騎手と4枠4番ブエナビスタ、2番人気は小牧太騎手と2枠2番リーチザクラウン。さらに岩田康誠騎手と8枠11番アンライバルドが3番人気、内田博幸騎手と4番人気のエーシンビートロンまでが単勝10倍以下の人気となっていた。
11頭の新馬たちにとって生まれて初めてのレースは、エイシンビートロンの逃げで始まった。二番手にテイエムシバスキーがつける。スリーロールス、アンライバルド、リーチザクラウンの順に序列は続いて、ブエナビスタはやや出負けしたか後方から二番手に位置した。エイシンビートロンの作るスローペースに引き連れられる10頭の新馬たち。お行儀のいい行進も4コーナーを回った直線まで。アンライバルドと岩田康誠騎手が仕掛ける。抵抗するエイシンビートロンだが、馬場の良いコース真ん中を通ってアンライバルドが交わした。続いてリーチザクラウンが脚を伸ばす。スリーロールスもエイシンビートロンに襲いかかる。必死の抵抗を見せる逃げ馬のその外から、前方の馬たちを凌ぐ末脚が炸裂した。
その末脚の持ち主は、1番人気ブエナビスタ。父はサンデーサイレンスの後継種牡馬の座を狙うダービー馬スペシャルウィーク。母は後の女帝エアグルーヴを阪神3歳牝馬ステークスで撃破し3歳女王の座に輝いたビワハイジ。欧州の重厚なスタミナ血統を身に宿した彼女は繁殖成績も優秀で、殊に3番仔のアドマイヤジャパンは無敗の三冠馬ディープインパクトを向こうに回し、菊花賞では一瞬あわやのシーンも見せるなど対抗馬として注目されていた。
綺羅星の如き新馬たちの中で、競馬ファンが1番の期待をかけたブエナビスタは、その秘められた末脚を開放し、直線で1頭、また1頭と他馬を飲み込んでいく。しかしながら早めに抜け出したネオユニヴァース産駒アンライバルドもまた非凡な血を継ぐ者。仕掛けを速めてセーフティーリードを奪いゴールまで粘り込もうとする。そのアンライバルドに喰らいついていく、ブエナビスタと同じスペシャルウィーク産駒であり父と同じ勝負服のリーチザクラウン。閃光の如きブエナビスタの末脚は、3番手のスリーロールスをねじ伏せるところまでだった。1着のゴールに飛び込んだアンライバルド、2着リーチザクラウン。ブエナビスタは悔しい3着。しかし、その末脚の持つポテンシャルは間違いなく競馬ファンに深い印象を与えていた。そして何より、翌年のクラシックレースでこのレースの価値は跳ね上がる。1着アンライバルドは皐月賞馬、2着リーチザクラウンは日本ダービー2着馬、3着に入ったブエナビスタが桜花賞とオークスの牝馬二冠、4着のスリーロールスが菊花賞馬となったのだ。出世レース中の出世レース…近年まれに見る伝説の新馬戦を戦った若駒たちは、翌年のクラシックレースに向けての次のステップへと向かっていった。
続く2歳未勝利戦を圧倒的1番人気で順当勝ちしたブエナビスタだったが、レース後に球節炎などのアクシデントに見舞われたため、陣営は次走選択に苦労することになる。年内の最大目標は母ビワハイジが勝った阪神ジュベナイルフィリーズだったが、1勝馬のままでは賞金的に出走は不確定。しかし、ローテーション的に条件戦を挟むこともまた難しい。結果、陣営は条件戦を挟まず、阪神ジュベナイルフィリーズに登録することを決めた。出走可能頭数18頭に対し、出走登録は32頭。賞金順に出走が叶った12頭に対して、1勝馬は17頭。実に17分の6の狭き門への抽選が行われることになった。一つのターニングポイントを迎えたブエナビスタであったが、結果は当選。晴れて出走可能となった。
1勝馬ではあるが、前2走の鋭い決め脚は競馬ファンの心に焼き付いており、当日の人気は並みいるオープン馬を抑えて単勝2.2倍の1番人気であった。レースでは出負けして後方からとなったが、直線大外に持ち出して追われ、最後の直線では抑える余裕をみせての完勝。ビワハイジとの母仔制覇達成であった。この勝利で、JRA賞の最優秀2歳牝馬に選ばれた。来春の活躍も約束されたようなものだった。

■いざ、牝馬三冠へ
明けて3歳。桜花賞トライアルのチューリップ賞から始動したブエナビスタを、競馬ファンは当然のように1番人気で迎えた。単勝1.1倍、単勝支持率72.3%はチューリップ賞史上最高となった。レースはサクラミモザが単騎で逃げる展開となり、ブエナビスタは例によって最後方からの追走。3コーナーより外々を回って徐々に前との距離を詰めていき、直線に向いた時にはサクラミモザの3馬身後方につけていた。安藤勝己騎手のゴーサインに反応して1完歩ずつ前との差を詰めていくブエナビスタ。追った、並んだ、交わした。ゴールした時にはサクラミモザに1馬身と4分の1差をつけて3連勝、重賞2連勝を飾った。ブエナビスタの強さだけが目立った桜花賞トライアルであり、レースを一緒に走った馬たちとは完全に勝負付けが済んだ結果となった。
クラシックの初戦、桜花賞。ブエナビスタへの競馬ファンの信頼は、単勝1.2倍、単勝支持率67.5%が示す通り、盤石なものと思われた。チューリップ賞組との力差は歴然であり、他の路線からの桜花賞出走馬で彼女を脅かすことのできる馬がいるというのも考えにくかった。唯一、出世レースであるエルフィンステークスを勝ってここに臨んできたマンハッタンカフェ産駒のレッドディザイアが対抗馬として挙げられていたが、2番人気の単勝配当14.4倍と人気の面でブエナビスタにかなり水を開けられていた。桜の花びらが舞い踊る仁川の空の下、桜花賞はスタートした。ヴィーヴァヴォドカが良いスタート。それを交わしてコウエイハートがハナを切る。ブエナビスタは例によって最後方からの追走となった。対するレッドディザイアは中団やや後方に位置していた。コウエイハート・川田将雅騎手が逃げる。サクラミモザと北村宏司騎手がそれを追う。向正面から3コーナーにかけて、各馬の隊列は大きく変動しないまま進んでいく。4コーナーにかけて後方にいた馬たちが徐々に進出してくる。ブエナビスタの黄色い帽子も大外を回りながら先行馬に取りついた。馬群が凝縮しながら先行馬を飲み込んでいく。満を持して、四位洋文騎手が駆るレッドディザイアが馬場の中央から先頭に立った。そのさらに外、安藤勝己騎手とブエナビスタがこれを追う。人気二頭の争いになった。ブエナビスタの脚色がいい。瞬く間にレッドディザイアに並んだ。抵抗するレッドディザイアを、大外からねじ伏せるように差し切って半馬身差をつけたところがゴールだった。これで一冠。ブエナビスタの魅せた末脚の破壊力に競馬ファンは酔い、早くも2003年のスティルインラブ以来の牝馬三冠の可能性について思いを巡らすのだった。
二冠目は優駿牝馬オークス。実はブエナビスタの陣営・オーナーサイドは春二冠を制した後、秋には凱旋門賞に挑戦するプランを立ち上げており、桜花賞の優勝後に登録料を払って凱旋門賞の一次登録を行っていた。負けられない二冠目、ブエナビスタの単勝は1.4倍、単勝支持率は57.9%と、またしても圧倒的な支持を受けて臨んだ。スタートから後方待機となって、第4コーナーを16番手で回る。直線に入って安藤騎手が内に行くのか外を回すのか迷う展開もあったが、内から一歩先に抜け出していたレッドディザイアを一完歩ずつ追いつめてゆき、並んだ。意地と意地の叩き合い。GI連勝か、それとも雪辱か。ブエナビスタがハナ差抜け出したところがゴールだった。前評判通りの末脚で春二冠奪取。秋は凱旋門賞挑戦か…競馬ファンの夢は世界的規模で広がった。

凱旋門賞への前哨戦として札幌記念に参戦したものの、先行して抜け出したヤマニンキングリーをクビ差捉えることができず2着に惜敗。レース後陣営は、凱旋門賞への挑戦を断念し、牝馬三冠を目指して秋華賞に出走することを発表した。
牝馬三冠路線における最後レース、秋華賞。ブエナビスタの単勝オッズは1.8倍の1番人気となった。牝馬三冠に向かって視界よし、と競馬ファンは判断したようだった。対するは桜花賞・オークスと連続して2着となったレッドディザイアと、オークス4着馬で、秋華賞の前哨戦ローズステークスでそのレッドディザイアを破ったブロードストリート。4番手以降は上位3頭から大きく引き離されたオッズとなっていた。レースではブエナビスタは好位につけたレッドディザイアをマークするように後方につけ、直線で早めに抜け出したレッドディザイアに肉薄した。オークスを思い起こすような叩き合い。しかし、先行していたレッドディザイアにはまだ余力があった。2頭がゴールを駆け抜けた時、レッドディザイアのハナが今度は先に出ていた。雪辱なる。喜びを爆発させるレッドディザイアの四位騎手。牝馬三冠を逃したブエナビスタの陣営に、追い打ちをかけるように制裁が下された。最終コーナーで3番手入線のブロードストリートの走行を妨害したとして3着に降着とされたのだった。
牝馬三冠ならず無念のレースとなったが、陣営は目標を1か月後のエリザベス女王杯に切り替えた。古馬混合であるこのレースでも、ブエナビスタの単勝オッズは1.6倍。大本命としての参戦となった。11番人気のクイーンスプマンテと12番人気のテイエムプリキュアが後方を大きく引き離して逃げる展開となった。15番手につけた安藤騎手が視認できないほどの大逃げだった。4コーナーまでに3番手に上がったブエナビスタだったが、直線では先行2頭との間は20馬身以上の差があった。1着クイーンスプマンテ、2着テイエムプリキュア。大波乱の中、3番手で入線したブエナビスタの安藤騎手にもさすがに笑顔はなかった。歯車がかみ合わないもどかしさを抱えたまま、出走停止処分中のウオッカに代わってファン投票1位となった有馬記念。陣営はGI連敗の悪い流れをここで変えようとしたのか、ジョッキーを安藤騎手から横山典弘騎手にスイッチした。宝塚記念に続いてグランプリ連覇を狙うドリームジャーニーや前年の覇者で有馬記念連覇を狙うマツリダゴッホなどを押しのけて、ここでもブエナビスタは3.4倍の1番人気に推されていた。好スタートから珍しく好位につけたブエナビスタ。向う正面で先に動いたマツリダゴッホを追いかけ、最終コーナーから直線にかけてこれを交わすが、真の強敵は後方で彼女をマークしていた。その真の強敵とは、ドリームジャーニー。ステイゴールドの狂気の血を受け継ぐ馬が、その末脚をもって彼女を外から差し切った。グランプリ2着。春の2冠とあわせてJRA賞最優秀3歳牝馬を獲得したブエナビスタの3歳シーズンは、このように幕を閉じた。

■現役最強馬の座をかけて
明けて4歳。ドバイシーマクラシックからの招待を受諾したブエナビスタ陣営は、壮行レースとして京都記念を選んだ。このレースには有馬記念で敗れたドリームジャーニーも参戦していたが、ここでも競馬ファンはブエナビスタを1番人気に推す。レースはスローペースの中、ブエナビスタは好位につけて、直線に入ると外から迫るジャガーメイルやドリームジャーニーを退け、1着でゴールした。オークス以来、9か月ぶりの勝利となり、ドバイ遠征への良い足掛かりとなった。ドバイではオリビエ・ペリエ騎手が手綱を取った。ペリエ騎手は後方待機を選択、直線に向いて馬群の間から伸びてきたが、前にいるダーレミなどに進路を塞がれしばらく抜け出すことができず、ゴール手前で生まれた隙を突いて追い上げたものの、勝ったダーレミに4分の3馬身差及ばず、2着となった。敗れはしたものの日本最強馬としての矜持を見せる2着であった。
帰国初戦をヴィクトリアマイルと定め、再び手綱を取る横山騎手と臨んだ東京競馬場で待っていたのは秋華賞で敗れているレッドディザイアとの再戦だった。ブエナビスタと同じくドバイに遠征し、GⅡマクトゥームチャレンジに勝つなど結果を出したレッドディザイアだったが、今回もまた1番人気を奪ったのはブエナビスタの方であり、単勝人気は1.5倍と圧倒的であった。スタートは後方となって、ベストロケーションが作り出すハイペースの中を追走。最後の直線は大外に持ち出され、レッドディザイアに外から襲いかかってこれを交わすと、先行馬を先に交わしていたヒカルアマランサスをクビ差とらえたところがゴール。走破タイムはウオッカが記録したレースレコードと並ぶものであった。久々のGⅠ勝利の次に目指すは、夏のグランプリ・宝塚記念。ファン投票1位の勲章と共に2.4倍の1番人気で参戦したブエナビスタであったが、ここで本格化を遂げこの秋の凱旋門賞に2着することになるナカヤマフェスタに半馬身差し切られて2着に敗れた。またしても立ちはだかったのはステイゴールドの血であった。
秋のGⅠ戦線を迎えて、ブエナビスタ陣営は天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の古馬中距離GⅠ3連戦を闘うことを選んだ。現役最強馬であることは誰もが認める疑いもない事実であるが、実際にここまで獲得したGⅠの勲章は牝馬限定GⅠが4つ。牡牝混合のGⅠは2着が最高だった。現役最強を謳うためには牡馬相手のGⅠを勝ち取らねばならない。陣営は名実ともに現役最強馬と呼ばれるようになるために、過酷とも思えるローテーションをあえて選択した。連戦の消耗を考慮に入れて、前哨戦を使わないぶっつけの参戦となった天皇賞(秋)であったが、ここで大きなアクシデントに見舞われた。主戦騎手の横山典騎手が落馬事故に遭い、騎乗不能になってしまったのだ。主戦騎手の戦線離脱…陣営は難しい選択を強いられることとなった。代役として陣営が白羽の矢を立てたのは短期免許で来日していたクリストフ・スミヨン騎手であった。鞍上にスミヨン騎手を迎えたブエナビスタは、単勝オッズは2.2倍の1番人気に支持された。2番人気は札幌記念の勝ち馬アーネストりーで4.9倍。産経賞オールカマーの勝ち馬シンゲンが3番人気で8.9倍。4番人気の3歳馬ペルーサまでが単勝10倍以下だった。ブエナビスタとキャプテントゥーレ、ジャガーメイル以外はG Ⅰ馬はいないものの、さすがに牝馬限定のGⅠレースと比べると骨っぽいメンバーだった。ゲートが開いて天皇賞(秋)がスタートする。ハナを主張して先頭を行くシルポート。出遅れたペルーサは最後方。アーネストリーは4番手。ブエナビスタはまずまずの出から中団の内に位置する。向う正面。シルポートが逃げるが大逃げではない。後続の出入りも少なく淡々と進む。4コーナー廻って直線。シルポート先頭。捕まえに行くキャプテントゥーレ、オウケンサクラ。その外からブエナビスタとスミヨン騎手が伸びてくる。残り300mで前をとらえる。ギアを上げてグン、と加速して抜け出す。後方からペルーサが2着に追い上げてくるが、もう届かない。スミヨン騎手が手綱を緩めながら、ゴールした。現役最強馬を名乗るためにどうしても欲しかった牡馬相手のGⅠ勝利を手に入れた瞬間だった。スミヨン騎手にとってもJRAのGⅠは初めての勝利であった。

続くジャパンカップ。鞍上のスミヨンは天皇賞(秋)から続投し、競馬ファンは単勝オッズ1.9倍の1番人気で天皇賞馬ブエナビスタを迎え入れた。しかしながら迎え撃つメンバーもなかなかに強力で、3歳馬からは皐月賞馬ヴィクトワールピサに日本ダービー馬エイシンフラッシュ、古馬勢は昨年のこのレースでウオッカの2着に入ったオウケンブルースリや天皇賞(春)の勝ち馬ジャガーメイル、凱旋門賞で2着と好走したナカヤマフェスタなどが顔を揃えていた。レースではブエナビスタは後方につけ、直線大外に持ち出して末脚を爆発させた。直線抜け出す際に内のヴィクトワールピサ、中のローズキングダムとの進路が交錯、ローズキングダムが進路を失い、鞍上の武豊騎手が体勢を崩して失速した。ブエナビスタは1着でゴールに入線したが、審議のランプが点灯して着順は確定しない。スミヨン騎手は勝利を確信し、スタンド前でウィニングランを行ったが、レース30分後、ブエナビスタの2着降着とローズキングダムの繰り上がり優勝が主催者から発表された。G Ⅰ競走の1着入線後降着はメジロマックイーン・カワカミプリンセスに次いで史上3回目、また、同一馬のGⅠ競走における2回目の降着処分は史上初だった。だからと言ってブエナビスタがひときわ「お行儀の悪い馬」というわけではない。これは個人的な意見だが、父スペシャルウィークの牝馬に時折見られることだが、走ることに一生懸命になるが故に、自分の能力を遥かに超えた力を出そうとしてしまうのではないだろうか。生来の生真面目さからくるのであろうこの性質は、ブエナビスタのように苦しがっての斜行につながったり、あるいはシーザリオのように故障したりする原因になっているように感じるのだ。ちなみに父スペシャルウィークの牡馬を俯瞰してみると、牝馬に比べるといくらか生ズルい面を持ち合わせているように感じられ、それが競走寿命を延ばしているのかと思えるのが不思議である。勿論これはあくまでも個人的な意見なので異論は認めるが、ブエナビスタの生真面目さからくる斜行癖と考えるとなんとなく納得してしまうのだ。
スミヨン騎手の引き続いての騎乗が決まり、古馬中距離路線GⅠ3連戦の掉尾を飾る有馬記念がやってきた。ブエナビスタの人気はもう指定席ともいうべき単勝オッズ1.7倍の1番人気。しかし、このレースはブエナビスタには引き立て役としての役回りが待っていた。勝ったのは3歳の皐月賞馬ヴィクトワールピサ。翌年春のドバイワールドカップを制する才能の片鱗を見せたレースであった。またしても長い写真判定から2着が確定したブエナビスタは、古馬GⅠ3連戦の結果が1勝2着2回(1降着)。この年の年度代表馬に選ばれても全く不思議のない成績だった。現役最強馬。誰も衒いなく口にすることができた。

■そして、絶景
そしてブエナビスタは、現役最後のシーズンを迎えた。史上初の日本馬ワンツーフィニッシュを尻目に末脚不発で8着に終わったドバイワールドカップ。帰国後、岩田康誠騎手を鞍上に国内GⅠ路線に進むこととなった。1歳下の三冠牝馬アパパネとの死闘となったヴィクトリアマイル、先行抜け出しを図るアーネストリーを追いかけた宝塚記念と、1番人気での2着が続いた。秋の古馬戦線も前年と同じGⅠ3連戦を進み、天皇賞(秋)はトーセンジョーダンを捕まえられずに1番人気で4着と、JRAのレースで初めて馬券圏内を外していた。さしもの現役最強馬にも衰えが見えたのだろうか。続くジャパンカップ、長く愛されてきた指定席をとうとう譲る日が来た。単勝オッズ3.4倍の2番人気。彼女に代わって1番人気に推されたのはこの年の凱旋門賞馬であるデインドリームであった。しかし、2番人気になろうと彼女の生真面目さは変わらない。好発から先行し、馬場の内側の好位をキープ、直線では馬場の外目に持ち出して末脚を発揮、先に抜け出していたトーセンジョーダンと競り合ってハナの差競り勝ったところがゴールだった。待望のジャパンカップ制覇。父スペシャルウィークとの父娘制覇を達成した。岩田康誠騎手はウィニングランの鞍上で涙し、競馬ファンは「岩田コール」でこれに応えた。
ブエナビスタはこのレースで燃え尽きたのかもしれない。ラストランに選んだ有馬記念ではファン投票1位だったものの単勝オッズ3.2倍の2番人気。1番人気に選ばれた、またしてもステイゴールドの血・三冠馬オルフェーヴルがブエナビスタに引導を渡した。彼女は中団から伸びず、7着という結果で競走生活を終えることとなった。
23戦9勝、2着8回。これが、ブエナビスタの輝かしい競走成績である。スペイン語の「絶景」、美しい名を持つ少女は、やがて精悍さを身に着け、競馬ファンの支持を集めていった。幾度もの苦い挫折を乗り越えながら、誰もが認める現役最強馬にまで昇りつめたのである。移ろいやすい競馬界の中で、ファンの支持を受け続けながらプリマとして踊り続け、後に続くヒーローに現役最強馬のバトンを渡してその役目を終えた。そんな彼女の蹄跡を追ってゆけば、生真面目そうな彼女の美しい眼差しがぼくらの胸に蘇ってくる。そのつぶらな瞳には、いったいどんな絶景が映っているのだろう。その美しい景色に憧れて、絶景を見たくて、今年もまた、何千という数の優駿がデビューしてくる。そんなふうに、今日も競馬は続いていくのだ。

写真:Hiroya Kaneko
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