[競馬エッセイ]ハロー、グッバイ。キングヘイロー

「グッドバイ、グッバイヘイロー」

かつて、母国アメリカを去るとき、そのように惜しまれた一頭の名牝がいた。彼女の名はグッバイヘイロー。偉大なる種牡馬ヘイローを父に持ち、ウィニングカラーズやパーフェクトエンサインといった伝説級の牝馬と鎬を削り、ケンタッキーオークスなどGⅠ競走を7勝した栄光の蹄跡を持つ。この物語は、この牝馬から生まれた、一頭のサラブレッドの物語である。


キングヘイロー。1995年4月28日生。鹿毛。母は前述のグッバイヘイロー、父は1980年代にヨーロッパ最強馬と呼ばれたダンシングブレーヴ。何れも世界経済を牽引していた強いジャパンマネーを背景に日本へと導入された超一流の繁殖である。このベスト・トゥ・ベストの配合で生まれたのが本馬、キングヘイローだ。この世界的名血と呼んでいいサラブレッドは、生産牧場である協和牧場のオーナーでもある浅川吉男氏の所有で、マヤノトップガンで知られる栗東トレーニングセンターの坂口正大厩舎に所属していた。浅川氏は持ち馬に『キョウワ』の冠号をつけるので有名であるが、本馬には世界的な良血を意識してか冠号を用いず、母の名から連想されるヘイローに王者のキング、キングヘイローと名付けられたものであった。

デビュー前のキングヘイローにはこんなエピソードがある。陣営はキングヘイローのデビュー戦に騎乗する騎手として武豊騎手に白羽の矢を立てていた。世界的名血に天才騎手という、期待の大きさが感じられるのだが、京都競馬場でのデビュー戦を予定していたその日には、武騎手は東京競馬場の毎日王冠でのジェニュインの騎乗依頼を受けていたためにこれを辞退。坂口調教師に断りの電話を入れた。その際、たまたま騎手デビューして2年目の福永祐一騎手が同席しており、「乗る?」となって福永騎手の騎乗が決まったという。若手騎手の大抜擢。こうしてクラシックの大海を渡るパートナーは決定し、キングヘイローは晴れてデビュー戦を迎えるのであった。

1997年10月5日。京都競馬場2R芝1600mの新馬戦。坂口厩舎の期待の星、キングヘイローは福永祐一騎手を鞍上に堂々のデビューを迎えた。単勝は2番人気。世界的名血でありながら1番人気にならなかったのは、母グッバイヘイローの日本での産駒であるきょうだいの成績が振るわなかったからだろうか。しかし終わってみれば1番人気のトレアンサンブルを退けたキングヘイローは、4番人気のアドマイヤディオスに半馬身の差をつけて勝利。キリンのように頭を上げ首を高くして走るという弱点を露呈したものの、陣営の期待のままに新馬勝ちを果たした。

引き続いて京都競馬場で2戦目の500万条件、芝1800mの黄菊賞に駒を進めたキングヘイロー。新馬戦の勝ち方が目立つほどでなかったからなのか、それとも首の高いレーシングフォームから200mの距離延長を不安視されたか、単勝は12頭立ての3番人気に落ち着いていた。しかし陣営も手をこまねいていたわけではない。この黄菊賞から、キングヘイローは矯正具であるシャドーロールを装着してレースに臨んだのである。その効果はてき面。最後方追走から外に出して追込み、2着コウエイテンカイチに1馬身の差をつけて完勝した。競走内容も初戦から大幅に良化し、2連勝で有力な3歳馬の1頭として頭角を現してきたのだった。

続く東京競馬場での重賞、東京スポーツ杯3歳ステークスでは、今度こそ晴れて1番人気で出走することとなった。緑色と青に彩られたキョウワの勝負服に合わせて緑色のシャドーロールをコーディネートしたキングヘイローは、レースでは中団に構え、直線で先に抜け出した2番人気のマイネルラヴを外から交わすと2馬身半の差をつけ、3歳レコードのタイムでゴール板を駆け抜けた。鞍上の福永騎手も2年目で重賞初制覇。来春のダービーを見据えての東京遠征は馬にも人にも実り多きものとなったのだった。

1997年の年末、キングヘイローの姿は朝日杯3歳ステークスの行われる中山競馬場ではなく、ラジオたんぱ杯3歳ステークスの行われる阪神競馬場にあった。有力視される3歳チャンプの座を求めるのではなく、より翌年のクラシックに直結する傾向のあるラジオたんぱ杯を選んだことで、陣営の翌年にかける意気込みが伝わってくる。期待の良血馬の3歳最終戦と、断然の1番人気を集めたキングヘイローであったが、最後の直線で前が詰まる不利もあり、ロードアックスに差されて2着に終わった。詰めの甘さを予感させるレースではあったが、逆に2000mへの距離延長には十分対応しており、翌年クラシックに向けての大きな期待を抱かせるものであった。

ちなみにこの年の朝日杯3歳ステークスを独走で圧勝したのはグラスワンダーであったのだが、最優秀3歳牡馬に選ばれた彼が外国産馬だったために当時の規定ではクラシックに出走できなかったことも、キングヘイローがこの時点でファンの期待を集めたひとつの要因かもしれない。


クラシックイヤー、1998年のキングヘイローの初戦は3月8日の中山競馬、皐月賞トライアルの弥生賞となった。前年の勢いそのままに、引き続いて1番人気に支持されたキングヘイローではあったが、ここに駒を進めてきたメンバーはさすがに骨っぽいものであった。2番人気に支持されたのは日本競馬に旋風を巻き起こしているサンデーサイレンス産駒の新星で、西の4歳重賞きさらぎ賞を勝ってここに臨んだ関西馬スペシャルウィーク。鞍上の武豊騎手が惚れ込んだ素質をもってのクラシック戴冠を目指す。続く3番人気は血統面では上記2頭には見劣るものの、ジュニアカップで2着に5馬身差をつけて逃げ切った勢いのままここに臨む、徳吉孝士騎手鞍上の逃げ馬セイウンスカイ。他にも、サンデーサイレンス産駒の俊英ディヴァインライト、ビワハヤヒデ・ナリタブライアンの弟ビワタケヒデなど、多士済々のメンバーが集っていた。

レースは徳吉騎手のセイウンスカイが予想通り単騎で逃げる展開。中団の内を走るキングヘイロー。スペシャルウィークと武豊騎手は後方の外。直線を向いて、セイウンスカイの逃げ脚がいい。リードを4馬身と取る。外を回してスペシャルウィークが伸びてくる。対してキングヘイローは伸びない。快調に飛ばすセイウンスカイを、スペシャルウィークがゴール前できっちりと捉えた。キングヘイローは追い縋るスノーボンバーを押さえて3着とし、キッチリと皐月賞の優先出走権を確保した。弥生賞を終え、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローの3頭を中心にしてクラシックが回っていく、三強対決の構図がはっきりと見えてきていた。

向かえた皐月賞。どの陣営もこのクラシックの最初の一冠を奪取すべく、万全の仕上げを持ってここに臨んでいた。単勝1番人気は弥生賞を完勝したスペシャルウィーク。単勝1.8倍の圧倒的な支持を得ていた。2番人気は新たに鞍上に横山典弘騎手を配して勝負をかけるセイウンスカイで4.4倍。残念ながら、キングヘイローは3番人気まで評価を落としていて単勝6.8倍。人気の面では他の2頭に先を越されてはいたが、3歳暮れの時点でクラシック争いのトップランナーだった馬としてはここで負けるわけにはいかない。逃げ脚の面ではセイウンスカイに、末脚の切れ味ではスペシャルウィークに後れを取るものの、福永騎手と陣営はキングヘイローの長所を活かした騎乗をもって二強に対抗しようとしていた。

レース開始。ゲートに難のあるセイウンスカイが少し出遅れる中、ハナに立ったのはコウエイテンカイチ。セイウンスカイは幾分気負いながら2番手。キングヘイローは積極的に前々をとりに行き4番手のポジション。いつものように首の高いレーシングフォームで前を追う。前の2頭とは対照的に、スペシャルウィークと武豊騎手は末脚勝負で後方に控えていた。3コーナーから4コーナーへ。失速気味のコウエイテンカイチに対して抜群の手応えてセイウンスカイが前を窺う。直線、先頭に立ったセイウンスカイをキングヘイローが追いかける。後方にいたスペシャルウィークも外を回して伸びてくる。しかし、セイウンスカイのスピードは全く落ちない。逆に後ろ2頭との差を広げようとする。必死で食らいつくキングヘイローと福永騎手。スペシャルウィークが3番手まで伸びてくるが思うように差を詰めてゆけない。最後まで手ごたえ十分だったセイウンスカイが真っ先にゴールへと飛び込んだ。横山騎手の派手なガッツポーズが花開く。

キングヘイローは半馬身差の2着。さらに1馬身遅れて、武騎手とスペシャルウィークが3着で入線した。前評判通り、皐月賞は三強が独占した結果となった。


続く日本ダービーもまた、三強の戦いと目された。単勝1番人気はスペシャルウィークで2.0倍。鞍上の武豊騎手は10度目の騎乗で初めてのダービー戴冠を目指していた。今では信じられないことだが、当時競馬ファンの間では「武豊騎手はダービーを勝てない」というジンクスがまことしやかに流れていたのである。

勿論、武騎手という天才をもって、また当代の人気馬に騎乗していても、ダービーを勝利することは簡単なことではないという戒めを込めたフレーズなのだろうが、いささか独り歩きをしていたのも事実であった。2番人気は世界的名血のキングヘイロー。福永騎手はデビュー3年目にして初めてのダービー騎乗であった。初めての競馬の祭典で上位人気馬に騎乗するプレッシャーはいかほどのことがあったろうか。3番人気に皐月賞馬セイウンスカイ。三強の中で唯一二冠を目指して騎乗する横山騎手も、未だダービーでの勝ち星はなかった。三つ巴のダービーは、そっくりそのまま鞍上の三騎手の初めての戴冠を目指しての三つ巴の争いという図式が敷かれていたのだ。

17万人の大観衆が見守る中、ゲート入りに難のあるセイウンスカイが覆面をして真っ先に誘導される。ゲートが開く。逃げると目されていたセイウンスカイも、上々のスタートを切って前へと行くが、横山騎手は無理にハナを奪おうとはしなかった。これに対して、内枠から好スタートを切って前に促され、押し出されるように自然とハナに立ってしまった有力馬がいた。キングヘイローである。

福永騎手の作戦では、皐月賞のように前々のポジションを確保して、先行するセイウンスカイから離されないようにマークしながら、末脚に賭けるスペシャルウィークより早めのスパートをかけてこれを抑えるといったものではなかったのだろうか。しかし現実はキングヘイローは口を割りながらハナに立っている。福永騎手は経験したことのないプレッシャーの中で、頭が真っ白になってしまっていたのではないか。これに対し、思惑が当たったのがセイウンスカイの横山騎手だった。しっかりキングヘイローをマークして福永騎手に更なるプレッシャーをかける。思い描いていた理想の展開に違いない。一方、中団の内目を走っていたスペシャルウィークは、幾分行きたがるそぶりを見せるも鞍上の武騎手が上手くなだめていた。

キングヘイローの逃げは巧くペースを落としてのものであったが、このレースまで逃げた経験のないキングヘイローの手応えは4コーナーを回るころには心許なくなってきていた。直線を向いて、満を持してセイウンスカイがキングヘイローを交わして先頭に立つ。手応えも十分。一気に加速して後続を置き去りにする。戴冠に手が届こうとするセイウンスカイの疾走に対して、しかしながら大外から、末脚勝負に賭けた大きな流星が横山騎手の夢を打ち砕いた。スペシャルウィークだ! 圧倒的な、あまりに圧倒的な末脚が、セイウンスカイを並ぶ間もなく交わし去り、後続をみるみる突き放していく。14番人気のボールドエンペラー、15番人気のダイワスペリア―を2,3着に引き連れた武騎手の初の戴冠は、2着馬に5馬身という暴力的な差をつけてゴール板を駆け抜けた。二度、三度と武騎手のガッツポーズ。喜びのあまり直線で鞭を落としてしまったというエピソードを挟みつつも、母の父マルゼンスキーのスレンダーな体躯をしならせたスペシャルウィークのウィニングランを前に17万人の大観衆は酔いしれた。勝者がいれば、敗者がいる。セイウンスカイは4着に粘り込んだが、逃げたキングヘイローは14着に大敗した。

競馬の祭典で経験不足を露呈した形の福永騎手に代わって、キングヘイローの夏明けの初戦、神戸新聞杯では関東の岡部幸雄騎手が手綱を取ることになった。三強の一角としてのプライドにかけて雪辱を果たす意味で名手に委ねてみることとなったのであろう。競馬ファンもこの乗り替わりを好感してキングヘイローを1.9倍の単勝1番人気で迎えた。しかしこのレースをカネトシガバナーの4着に敗れる。続く京都新聞杯、鞍上に福永騎手が戻っていたが、ここから始動したダービー馬スペシャルウィークには人気では及ばないものの、単勝2番人気と定位置につけていた。レースは5番手で折り合って進むキングヘイローに、中団やや後ろを行くスペシャルウィーク。向う正面で徐々に前との差を詰めてくるスペシャルウィークに、キングヘイローもスペシャルウィークの動きを待って4コーナーで外に出して前を窺いマッチレースとなった。直線に向いてともに先頭に立った2頭の火の出るような叩き合い。最後の一鞭でスペシャルウィークの首が僅かに前に出たのがゴール。2着ではあったが、待ちに待ったキングヘイローの復権は、数多くの競馬ファンを魅了することとなった。

しかし、三冠の最後の関門、菊花賞を勝ち取ることは容易いことではない。「強い馬」が勝つと言われる菊花賞は、淀の3000mとダービーに比して600mも距離が延びる。器用さとスピードで春を制した馬にもそれを上回るだけのスタミナが要求される。このレースで競馬ファンが圧倒的1番人気に選んだのはダービー馬のスペシャルウィークだった。ステイヤー気質を感じるスレンダーな見た目といい、母の父にこの年の春の天皇賞を制したメジロブライトと同じくマルゼンスキーを持っていることといい、距離適性が最もあると判断されたのだ。

2番人気はセイウンスカイ。前述の2頭と異なり秋初戦は古馬相手の京都大賞典を選択し、メジロブライト、ステイゴールド、シルクジャスティスら歴戦の古馬を相手に、向う正面で20馬身以上も離す大逃げを披露し、直線で追いすがるメジロブライトをクビ差抑えて2400mを逃げ切っていた。キングヘイローは上記2頭に離された3番人気。前哨戦の京都新聞杯で株を上げたが、その首の高いレーシングフォームを見るにつれ、惨敗したダービーのレースを思い出すにつれ、距離不安が首をもたげる。3000mはやはり長いだろうというのが一般的な見方だったのだ。

レースではセイウンスカイが無理なく先頭に立つと、自分のペースで逃げた。京都大賞典の時と同じように徐々に後続との距離を開いていく。キングヘイローは前から5番手。行きたがる馬を福永騎手が懸命になだめている。スペシャルウイークは中団待機策。しかし二周目に入っても、向う正面から3,4コーナー中間の下り坂に入ってもセイウンスカイの脚は止まらない。逆に直線に入ってもまだ後続に4,5馬身差をつけていた。これはもうセーフティーリード。スペシャルウィークと武騎手が外を回して追い込んでくるがもう間に合わない。エモシオンをクビ差交わして2着に上がるのが精一杯。皐月賞馬セイウンスカイの堂々の二冠達成だった。キングヘイローも2番手争いに加わったが及ばずの5着に終わった。

セイウンスカイとキングヘイローは暮れの有馬記念に出走。同期であるグラスワンダーの復活劇に花を添える4着、6着に終わった。この世代はタレント揃いで、彼らの他にもNHKマイルカップとジャパンカップを勝って、最優秀4歳牡馬に選ばれたエルコンドルパサーがいる。それぞれのタレントたちが、また翌年の新たなチャレンジに向けて一歩を踏み出そうとしていた。そしてそれは、自分の距離適性を見いだせないままに無冠に終わったキングヘイローにとっても、自分自身との過酷なマッチレースの始まりなのだった。


キングヘイローはその後、マイルから2000mの戦線に適距離を求めて、新たなローテーションを組んでレースに臨んでいった。古馬中長距離路線を歩む他の二強と袂を分かち、春の大目標・安田記念を目指して大海へと漕ぎ出してゆく。また、新たな出会いと別れがあった。鞍上をともに並走してきた福永祐一騎手から、関東の柴田善臣騎手にスイッチしたのだ。春初戦の東京新聞杯、続く中山記念を共に1番人気で先行抜け出しから圧勝し、晴れて2番人気で大目標に挑んだ。

しかしながら先行争いに巻き込まれたキングヘイローは11着に大敗。勝ったのは1番人気グラスワンダーをハナ差だけ差し切った同期のエアジハードだった。続いて臨んだ宝塚記念は、グラスワンダーとスペシャルウィークの一騎打ち期待の中、4コーナーで見せ場を作ったものの、勝ち馬グラスワンダーから離された8着に終わった。秋初戦の毎日王冠は横山典弘騎手を鞍上に5着、秋の天皇賞は柴田善臣騎手に再び乗り替わったが7着と振るわず、次走のマイルチャンピオンシップでは福永祐一騎手を再び鞍上に迎えた。頭を丸めて気合を入れて臨んだ鞍上とキングヘイローは、エアジハードの横綱相撲には屈したもののGⅠで久々の2着と好走。続くスプリンターズステークスではブラックホークの3着と好走を続けたもののGⅠの勲章までは届かないままであった。

年が明けて2000年の2月、キングヘイローの陣営はひとつの決断を行った。ダート挑戦、フェブラリーステークスへの参戦である。父ダンシングブレーヴのダート適性は未知数であるが、母グッバイヘイローはアメリカのダートGⅠの7勝馬であり、実はダートの鬼であるという可能性は十分にあると思われる。何よりもこの血統のサラブレッドである。何とかしてGⅠの勲章を獲らせてあげたい、種牡馬にしてあげたいという思いは、陣営だけでなく馬主サイドも、ファンも、競馬マスコミも、言うならば競馬界全体の思いとして湧き上がってきたのではなかっただろうか。この勇気ある挑戦は結果としては捗々しいものではなく、単勝1番人気に支持されたものの後方ままの13着に終わってしまったが、陣営の「何としてでもGⅠを」というスタンスは間違ってはいなかったと思う。坂口調教師はこの件でかなりの批判を浴びていたが、そのスタンスを最後まで貫き通した姿勢に、ぼくは敬意を表したい。

物議を醸したフェブラリーステークスへの挑戦から1月後、キングヘイローは高松宮記念に出走した。中京競馬場芝1200mの短距離戦。クラシックを走っていた頃からすると想像もつかないようなレースかも知れないが、陣営は全力でGⅠを獲りにいった。鞍上は柴田善臣騎手。このレースの1番人気は前年のスプリンターズステークスを制したブラックホーク。2番人気は同レース2着のアグネスワールドで、3番人気は同レース4着のマイネルラヴとスプリンターズステークスの再戦ムードとなっていた。同レースを3着に好走していたキングヘイローであったが、前走フェブラリーステークスの惨敗が響いてか、前述の三頭に大きく水を開けられた4番人気となっていた。レースはメジロダーリングの逃げで始まった。同じく好スタートを切ったアグネスワールドが2番手に収まる。ブラックホークは先行馬を行かせて外の4,5番手。マイネルラヴはその内。キングヘイローはというと、中団の後ろ、外々を追走していた。4コーナーを回って直線。アグネスワールドが先頭に躍り出る。その外からブラックホーク。スプリンターズステークスの再現かと思われた次の瞬間、内から8番人気、ディヴァインライトと福永祐一騎手が抜け出しを図った。大金星か? しかし、さらに大外を回って、頭の高い麒麟のようなレーシングフォームの一頭が、一完歩一完歩、末脚を伸ばして前との差を詰めてきた。キングヘイローだ! ブラックホークも、アグネスワールドも、出し抜けを食らわしたディヴァインライトとかつてのパートナー福永騎手ですらも、一気に撫で切ってゴールへと飛び込んだ。

実に11度目の挑戦で、遂に誰もが待ちに待ったGⅠ制覇だった。「何としてもこの馬にGⅠを獲らせてあげたい」坂口調教師も、柴田善臣騎手も、馬主サイドも、そしてファンも、歓喜の美酒に酔った。人目をはばからず歓びの涙を流す坂口調教師からは、この2年半の苦悩が昇華していくのが感じられた。もっと早くに得られていたかもしれないGⅠの勲章ではあったが、キングヘイローは自らの適性や弱点と向き合い、自らの脚でこの階段を駆け上って行ったのだ。回り道だったのかもしれないが、それらは全て今日の日のために必要だったことであるのに違いない。

頭の高い麒麟、キングヘイローの物語はもう少しだけ続く。晴れてGⅠ馬の仲間入りをしたキングヘイローは残り短い現役生活を全うした。勝ち星を積み上げることは残念ながらできなかったが、大目標の安田記念で日本馬最先着の3着に入線するなど、短距離王者として持てる力を振り絞って戦った。現役最後のレースは距離適性が危ぶまれた有馬記念であったが、まるで不安がるファンをあざ笑うかのようにテイエムオペラオーの4着に好走した。考えてみれば、クラシック路線を走っていた頃は三冠路線の適性を取りざたされていた馬であったのだから、中山競馬場のトリッキーな2500mを好走して何の不思議があろう。

そうして彼に残されていた次の使命は、その体に流れる世界的名血を次の世代につなげることだった。種牡馬となったキングヘイローは、カワカミプリンセス、ローレルゲレイロらGⅠウィナーをはじめとした優秀な産駒を送り出し、母の父としてもイクイノックス、ディープボンドなど、父母の血脈を枝葉に広げていくような活躍を見せているのだった。

「グッドバイ、グッバイヘイロー」

冒頭の台詞は、キングヘイローの母グッバイヘイローが日本にやってくる時に、アメリカの競馬マスコミが別れを惜しんで彼女に送った惜別の台詞である。好きなエピソードであるが、ぼくにはこの台詞に重ねてみたい大好きな歌がある。

「ハロー、グッバイ」

きみがグッバイと言えば、ぼくはハローって言うよ。ハローハローって。

グッバイヘイローと別れることの悲しみを嘆いた言葉でもあろうけれど、このグッドバイは惜別の思いだけではない。彼女は海を渡り、世界的名馬の花嫁となり、世界的名血の後継者を得る。ただ一つアメリカの悲しみだけではない、世界の競馬ファンを魅了させるような新たな出会いの始まりなのだろう。このグッドバイは新しいハローであり、ぼくらはいつも新しいハローを待ち続けているのだから。

「ハロー、グッバイ。キングヘイロー」

写真:かず

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