[追悼・藤岡康太騎手]もう叫び声は聞こえないから、祈ることにする

藤岡康太騎手の訃報に際し、謹んでお悔やみ申し上げます。

ウマフリ代表の緒方さんから連絡がきて、私は康太騎手が亡くなったことを知った。先日は高知の塚本雄大騎手の訃報に触れたばかり。なにもそんなに次々と若い命を現世から連れ去らなくてもいいのに。順番が違う。正直、追悼記事を書くかどうか、少し迷った。私のもとにはいくつか似たような依頼があったが、断っていた。塚本騎手のときもそうだった。どうしても人の死でギャラをもらう気にはならなかったからだ。それではライター失格だと言われるなら、それでも構わない。なにを書き、なにを書かないのか。決めるのは自分だから。ウマフリには広告もなければ、サイトとしての収益もない。ここなら、誰もお金を手にしない。だから、追悼記事を書こうと思った。

私は正直、康太騎手と接点があるわけではない。栗東トレセンの凱門(かちどきもん)でバイクに乗る康太騎手とすれ違ったぐらいしかないので、彼の人柄はそれをよく知る人たちの追悼記事に譲ろう。たくさん、配信されているので、ぜひ読んでほしい。なので、私の目からみた康太騎手について書く。みなさんも、自分が感じる康太騎手像や自分と康太騎手とのつながりを思い起こしてください。それが彼を忘れないことになります。失われたものに対し、私たちができることは、哀悼の意を表することと、忘れないことだけです。

最近の康太騎手はセンスが爆発している。私にはそうみえた。冬の小倉では15勝をあげた。鮮やかな差し切り勝ちに目を見張った。馬場や展開を読み、仕掛けどころを逃さない。そのヘッドワークは冴えわたっていた。まさに変幻自在。康太騎手の勝負強さ、競馬への集中力はまさにセンス爆発。ひねくれ者の私にとって上位人気馬に騎乗し、伏兵の抜け駆けを許さない鬼気迫る騎乗は恐怖さえ感じるほどだった。そう、厳しさが増していた。思えば、昨年のマイルCSはムーア騎手負傷による当日乗り替わり。そんな状況下でみせた追い込みは勝負への執念と冷静なヘッドワークの結晶でもあった。確実に階段を大股で駆けあがっていく康太騎手。きっと、この年、子どもが生まれたことと無関係ではないだろう。

私も二児の父。我が子をこの手に抱き、あふれる喜びの次に腹の底でなにか、きつく紐を締め直す想いが湧いてきたのを覚えている。この子の父親は私しかいない。しっかりせねば。決意というか、なにか奥歯を噛む想いがあった。誰かを守ることより、誰かに守られる人生が長かった私にとって、はじめて守るべきものができた瞬間のことは、生涯忘れないだろう。そして、そんな存在は必ず自分にとって励みとなり、たとえ倒れそうになっても、立ち上がる力となってくれる。康太騎手の厳しさ、爆発状態のセンスはきっと、守るべきものが引き出してくれたにちがいない。たとえ大きく変わることはないかもしれないが、自分の中の何かが変わる。そんな瞬間が人生に訪れることがある。そんな分岐点のようなものを経て、康太騎手はさらなる場所へ羽ばたこうとしていた。なんでそんな人間の命がなくなるのか。競馬に限らず、どんな仕事であっても、不慮の死に声を失う。ある日突然、終わる人生なんて、かける言葉がみつからない。

まだ子どもは1歳になっていない。自分の子どもが小さかった頃を思い出す。小さくてなにもわからないながら、保育園に通いはじめ、毎日一生懸命、寂しい気持ちを我慢して、明るく過ごしていた。小さくても逞しい姿があった。夕方、迎えにいくと、駆け寄り、帰り道は街路樹の下にしゃがみ、一心不乱にダンゴムシを探し、手のひらに乗せては、丸まったり、動き回る姿に夢中だった。自分とは違うものに触れる楽しさを知り、命の大切さを覚え、小さな心に優しさを一杯詰め込む姿。それを見つめるうちに、仕事の不条理もなにもかも消えていく。まだまだ康太騎手には見つめてほしい景色がたくさんあった。私にその代わりはできないが、これからも目にするだろう一瞬をきちんと目に焼きつけようと誓う。子どもに限らず、生きてさえいれば見られる景色はいくらでもある。競馬もそうだ。だから、私は競馬から目をそらさない。そのうちみられなくなる日は必ずやってくる。その日まで、私は競馬から離れない。競馬を愛せる時間は誰でも刻一刻と消えていく。もう康太騎手の鮮やかな差し切りはみられない。だが、その想いを胸にホースマンたちは今日も明日も躍動する。目に焼きつけられる瞬間を少しでも多く自分の胸に刻んでおきたい。

私にとって康太騎手といえば、ジョーカプチーノだ。それはもう強烈な競馬だった。キャリア3年目。GⅠ騎乗は2度目のことだ。関東の競馬ファンにとって、関西の若手騎手は少し遠い存在。藤岡健一調教師の子ども、藤岡佑介騎手の弟。それぐらいの知識だっただけに、余計に度肝を抜かされた。ニュージーランドTで松岡正海騎手が乗り、3着に入ったジョーカプチーノは10番人気。本番はファルコンSを勝った康太騎手に乗り替わった。内から先手をとったゲットフルマークスに対し、康太騎手は少し促しながらついていく姿勢をみせる。ライバルたちは早々に抑える形に入り、ジョーカプチーノだけが逃げ馬を追いかけた。前半800m通過45.5。猛ペースのなか、ゲットフルマークスとジョーカプチーノだけが前へ前へと進む。さすがに止まるだろう。私もそんな想いを抱く。だが、ジョーカプチーノは直線に入ると、ゲットフルマークスをとらえ、先頭に躍り出た。2頭共倒れになるはずが、ジョーカプチーノが末脚を繰り出す。あんなペースで脚が使えるなんて信じられない。自分の競馬観に情けなくなる。それも後ろとの差は縮まりそうで縮まらない。そう、止まっていないのだ。なぜ、そんな二の脚が残っているのか。最後は2着レッドスパーダに2馬身差。あのペースを二番手から抜け出し、それも危なげなく残し切る。なんと度胸のある人馬だろう。私の目にはハチャメチャな競馬にみえたが、馬が気分よく駆け抜けた結果であり、破天荒でもなんでもない。康太騎手はふたつ前のアハルテケS(芝1400m)で8番人気スピードタッチに乗り、内枠から押し切っている。先行すれば簡単に止まらない馬場。康太騎手は知っていた。確信をもった騎乗だったと知る。度胸とヘッドワーク。若き康太騎手のポテンシャルが爆発した競馬だった。

ジョーカプチーノのNHKマイルCから、たった15年。康太騎手はこの世を去った。信じられないが、受け入れるしかない。だが、塚本騎手もそうだが、早すぎる。こんなおじさんですら、まだ自分の未来は続き、人生のゴールに近づいたようで遠くにみえる。後半に入った自覚はあっても、近づいた感覚はまだない。だからこそ、余計だ。早すぎる。人生のゴールに真っ先に飛び込まなくていいのに。そんな中年ライターの叫びはもう聞こえないのか。

どうか、安らかに。私の叫び声はもう届かないだろうから、祈ることにする。

写真:Hiroya Kaneko、はねひろ(@hanehiro_deep)

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