武士沢チャレンジは終わらない。唯一無二のスーパージョッキー、武士沢騎手の引退によせて

2024年3月10日、一人の男がターフに別れを告げた。

武士沢友治(46)、1997年デビューのベテラン騎手である。

突然の発表だった。3月3日の中山1Rカシマエスパーダで今年2勝目をあげ、この馬は武士沢騎手と共に今後の活躍が期待できそうだと思わせるほどのレースぶりだった。その矢先、3日後に発表された『引退』の文字。競馬ファンに衝撃が走った。

2024/3/3 中山1Rで勝利を飾ったカシマエスパーダ

武士沢騎手の主な勝ち鞍は06年アルゼンチン共和国杯(トウショウナイト)や、16年福島記念・小倉大賞典(マルターズアポジー)など。通算重賞勝利数は5勝となる。今後は競馬学校教官として後進育成に励むという。

3月10日の中山競馬場12R 終了後には引退セレモニーが行われ、大勢の騎手・関係者が参加。JRA後藤前理事長や小林淳一元騎手(現競馬学校教官)の姿も見られた。

彼はセレモニーのインタビューでこう語った。

「自分の騎手人生は終わりますけども、人と馬とのドラマ、ストーリーはこれからも生まれていきます。ファンの皆様にはそれを見届けていただければ嬉しいなと思います」。

この言葉に、彼の全てが詰まっているように思う。長いキャリアがあるにもかかわらず、彼は自分のことよりも他人や馬への感謝を述べていた。これは武士沢騎手の人柄のなせるものだろう。

武士沢騎手と言えば、私も大好きだった『武士沢チャレンジ』を思い浮かべる人も多いだろう。どうやら本人も、競馬ファンの間でこのような挑戦があることを知っていたようだ。

時に人気薄の馬で大穴を開ける武士沢騎手は、一発逆転を狙う勝負師たちの間では特に人気があった。そうした逆転狙いのチャレンジを、ファンは一種のお決まりごとのように『武士沢チャレンジ』と呼んだ。

最低人気馬への騎乗回数はJRA歴代トップ。人気薄の馬に騎乗していることが本当に多かった。ラストランの日のオッズは、応援の意味を込めた馬券がたくさん購入されたこともあって人気が集まり、武士沢ファンにとっては異様な光景にすら見えたくらいだ。

そんな馬券購入においての穴騎手としての人気はもちろんだが、人柄やホースマンシップに感銘を受けた武士沢ファンたちも数多くいた。私もそんな武士沢騎手を愛してやまなかった一ファンである。

2024/3/9 ラストウィーク最初の騎乗、中山2Rダイチジェム

武士沢騎手の、年間勝利数はデビューからしばらくは10~20勝前後が続き、2017年以降の勝利数は年間1桁台が続いた。23年に関しては年間3勝である。一見すると、決して華やかな成績には感じられないかもしれない。

──しかし、そんな彼の出走回数は引退までに16000回を超える。

これはリーディングトップ争いをしてきた名手たちと比較しても、全く見劣りしない数字だ。

そんな勝ち星の少なかった武士沢騎手の勝利を現地で見届けることは、なかなか難しかった。武士沢騎手を応援する私としては、どうしても現地で武士沢騎手の勝利を生で見たいという気持ちがあった。ウィナーズサークルで武士沢騎手の口取りに立ち会うことが私の長年の夢でもあったし、それが競馬場に通う最大の理由でもあった。『今日は勝てるかもしれない!』と期待したレースでも勝ちには結びつかないことが多くあった。原因の大半は、出遅れである。

2024/2/17 東京12R ピックアップライン

筆者の長年の夢が叶った瞬間。

ここまで読んで、通算の勝ち星が少ないにもかかわらず、27年もの間、継続的に騎乗依頼があったことを疑問に思う方もいるだろう。競馬界といえば、勝負の世界。勝てなければ自然と沙汰されていく厳しい世界であるはずだ。

武士沢騎手は、決して騎乗技術が劣るというわけではない。むしろ逆だ。素晴らしい技術を持って、彼にしかできない役割を全うしてきたからこそなのだ。この騎乗数と勝率は、むしろ誇るべきことなのだ──ここだけは、声を大にして言いたい。

では、どうして勝ち星が少なかったのだろうか。それでもなぜ、たくさんの馬に乗って来られたのだろうか。

理由は、武士沢騎手の信条にある。

武士沢騎手が騎乗したレースの多くは、未勝利戦や1勝クラス。若駒たちやどこか勝ちきれない馬たちとコンビを組んでレースに挑戦してきた。まだまだ競馬での走り方を覚えなければならない時期の馬たちであり、元気いっぱいのやんちゃな馬たちでもある。武士沢騎手は、そうした馬がレースに出るための後押しとなる存在だった。

2024/3/10 中山9R ピンクジン

毎年7000頭を超える競走馬たちが生まれているが、競走馬として中央デビューにこぎつける馬はそう多くはない。

生きていくために資金を稼がなければならないのは人間も馬も同じで、仕事がなければならない。そして競走馬は、走ることが仕事である。しかしデビューまでにも数々の試験があり、デビュー後も大勢のライバルたちに囲まれる。

私たち人間に物事の得意・不得意があるように、競走馬たちにもそれがある。走ることが得意ではない競走馬だっているし、まだまだ成長途上の馬もいる。それでも競走馬として生まれた以上、生きていくために、ライバルたちと走らなければいけない。

生産者や馬主の方々にとって、競走馬は我が子のような存在とも言える。当然、華々しいデビューを飾り、活躍して、輝かしい日々を送って欲しい欲しいはずだ。そんな大切な存在だからこそ、信頼と実績のある厩舎・騎手でないとなかなか任せられないだろう。

そんな時に任せられる頼れる存在として、武士沢騎手は騎乗を続けてきた。

2024/3/10 中山8R リネンマンボ

かつて私も、勉強に身が入らず周りにもついていけず、時に頑張ってみても結果は伴わず、担任の教師には匙を投げられ、落ちこぼれの各印を押された学生時代があった。助言をしてくれる大人の言う事を聞き入れようとしない自分が悪かったのは重々承知しているつもりだが、馬で言えば、いわゆる気性難や癖馬のレッテルを張られてしまった状態だったように思う。

レースが好きではなさそうな馬、どうしてもうまくゲートを出られない馬、レースを諦めてしまう馬、馬場入場やゲートインが上手くできない馬を見ると、かつての自分とどこか姿を重ねてしまう。

2024/3/9 中山5R ゲートに入るジューンブライダー

そんな私にも根気よく寄り添い、真剣に向き合ってくれた優しい教師がいた。その一人の教師のおかげで今の自分がいる。

同じように、幾多のじゃじゃ馬たちにとって、そういった役割を担っていたのが、武士沢騎手なのである。競走馬として勝負の世界で生きていかなければならない若駒たちの救世主でもあった。

どんなにゲートが下手でレースが下手でも、どんなに言うことを聞かなくても、どんなにレースを覚えられなくても、何とか競走馬としてデビューをさせてあげよう。何とか1つでも勝たせてあげよう。

どんな馬にでも向き合ってきたのが、武士沢騎手である。レースが終われば馬に対して『よく頑張ったね』と言わんばかりに、いつも笑顔だった。

2024/3/9 中山9R シグナルファイアー

騎手も1レース1レースを命がけで騎乗している。やんちゃが過ぎるような馬ともなれば、危険回避のため騎乗依頼を断られてしまうこともある。騎手の選手生命に関わることでもあり、当然の事だろう。しかしそんな馬だったとしても、武士沢騎手は騎乗依頼を断らなかったという。

気性難や癖馬などと言われる馬に乗るということは、乗りやすい馬に比べれば危険を伴う。制御の利かないアクセル全開の車に乗るようなものである。彼は常にそのような馬たちに跨って来たにも関わらず、大きな事故や怪我をしなかった。余程の騎乗技術と、言葉の通じない馬の気分を理解する技術が無ければ、できないことだろう。これは『もしかしたら武士沢騎手は馬と会話ができるんじゃないか?』と思わせるほど、すごいことだった。

彼と重賞を勝利したトウショウナイトもマルターズアポジーも、決して乗りやすい馬ではなかっただろう。気の難しさ、控えることができない性格、そんな馬たちと共に切磋琢磨して根気よく努力を重ねて掴んだ重賞勝利だったはずだ。

私は武士沢騎手を中山競馬場で見るのが好きだった。グランプリロード(検量室前)でレースを終えた姿をどこの競馬場よりも近くで見られるからだ。

負けてしまったレースの後でも鞍をはずしながらいつも笑顔で「ああだったね、こうだったね」と調教師や厩務員の方々に伝える武士沢騎手を見るのが好きだった。時には長い時間話し込む姿も見られた。次に繋げるため、レースの様子から問題点や解決策を言語化して、その場で伝えていたのだろうと思う。レースを終えた馬たちも、武士沢騎手を背にしているとどこか楽し気に見えたのが印象深い。

ただでさえ見えないハンデを抱えた馬に多く乗って来た武士沢騎手。そんな状況であれば、勝ち目が薄いのは当然とも言える。それで勝つのだから、頭が上がらない。この瞬間こそ稽古から時間を共にした人馬一体の勝利である。彼らの勝利を待ちわびることこそが『真の武士沢チャレンジ』とも言える。そして『真の武士沢チャレンジ』が成功した時…これは、武士沢騎手のレースをいつも見ていないと味わえない最高の瞬間だった。

こうした背景こそ、武士沢騎手を応援する醍醐味でもあったと思う。勝利に立ち会うにはなかなかの根気を持って競馬場に通わなければならなかった。それでも武士沢騎手の勝利を現地で見たいという思いが強く、気がつけば競馬場へと足が向いていた。

…ここまで読むと、現地で『真の武士沢チャレンジ』がしたかったと思う方も多いのではないか。それがもう叶わないのが、とてつもなく残念であり寂しい。

興味を持ってくれた方は、この記事を思い返しながらぜひ過去のレース動画を見て欲しい。

武士沢騎手の現役最終日、私たち武士沢ファンを感動させる騎乗があった。中山5Rで騎乗したオリジナルオリジンは、武士沢騎手の重賞5勝のうちの3勝を挙げたマルターズアポジーの産駒における、唯一の中央現役馬だった。武士沢騎手は引退の日、かつての戦友の息子と最初で最後のコンビを組んだのだ。現地ではこの光景に涙していたファンもいた。

2024/3/10 中山5R オリジナルオリジン

武士沢騎手が引退セレモニーで言葉にした「人と馬とのドラマ・ストーリー」は、彼自信が最後まで体現していたと思う。

幾多の勝ち星を挙げ、華々しい活躍をした名馬たちの活躍にも、もちろん素晴らしいドラマやストーリーがある。一方、武士沢騎手や彼が携わって来た馬たちには、たった1つの勝利を掴む難しさを教えてもらった。そしてその馬にとって本当に欲しかったたった1つの勝利を掴むために尽力したひとりの騎手の物語があった。このことも、どうか忘れないでいて欲しい。

武士沢騎手は、これからは武士沢友治教官として、幾多の馬たちに競馬を教えてきた経験と手腕を存分に発揮することだろう。馬に対する敬意や感謝の意を尊重する"武士沢イズム"を受け継いだ騎手たちが誕生するはずだ。そして彼らがどこかで壁にぶつかってしまっても、経験豊富な武士沢教官が支えとなってくれるだろう。関係者たちも口を揃えて「武士沢さんの競馬学校教官は天職だ」と言う。

最後に、「武士沢ファンの皆さんは、武士沢騎手が引退したら誰でチャレンジするの?」という架空の質問に、私が武士沢ファンを代表して「武士沢チャレンジは終わらない」と答えたい。武士沢騎手は唯一無二であり、誰に変わると言ったことはない。

そして、武士沢教官の育てた未来のスーパージョッキーに、また夢を託す…新たな武士沢チャレンジが始まるのだ。

武士沢友治騎手、たくさんの思い出をありがとうございました。

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