[追悼・藤岡康太騎手]笑顔のはじける若手から、代打もこなせる仕事人へ。多くのファンに愛された藤岡康太騎手の活躍を振り返る

2023年4月10日、午後7時49分。JRAで現役G1ジョッキーとして数々の好騎乗を披露してきた藤岡康太騎手がこの世を去った。35歳、まだまだこれからというタイミングでの、無念の訃報だった。

『笑顔はじける有望な若手』

──私の中で、彼、藤岡康太騎手はずっとそんなイメージだった。
それが近年、こんなイメージに変わっていた。

『必殺仕事人』

感動に満ちた彼の騎手成績を、今振り返ろうと思う。

初騎乗初勝利、そして3年目でG1初制覇

1988年、この世に生を受けた藤岡康太騎手。

兄に藤岡佑介騎手、父に藤岡健一調教師を持った彼は、サラブレッドでいうところの『良血』と言える。

勿論そんな彼が馬に興味を示さないわけがなく、乗馬を始めた後、父の背中を見て本格的に『騎手になりたい』という思いを抱き、競馬学校へと進学したという。浜中俊騎手らとともに23期生として競馬学校に入学し、2007年、無事に騎手課程を卒業。3月3日、中京競馬場にて無事にデビューの時を迎えた。

過去、武幸四郎騎手や福永祐一騎手がそうであったように、二世的な存在となる騎手たちにはどうしても注目が集まりやすく、その分かかるプレッシャーも相当なものになるのは想像に難くない。

そして康太騎手も例に漏れず、兄の佑介騎手がこの時点で既に重賞をアズマサンダースなどで勝利していたことからも『期待の若手』という評価を受けていた。しかも初騎乗の相棒、ヤマニンプロローグは健一師の管理馬でもあった。

『佑介騎手の弟』『藤岡調教師の息子』が、どこまでやれるのか──。競馬ファンのみならず関係者からも、熱い視線が注がれたのは、間違いないだろう。デビュー初日に8鞍という騎乗数があったのも、それを如実に表していると言える。

康太騎手は、そんな期待に見事に応えた。

好スタートから好位につけると、直線で外に持ち出し加速。
完全に抜け出していたように見えたヒシルーマーをゴール前でとらえると、見事に初騎乗・初勝利を飾って見せた。

ここまで2着が4回続いていた同馬。兄である藤岡佑介騎手でも、名手福永祐一騎手でも、勝利にはあと一歩届かなかったヤマニンプロローグを、初騎乗の新人が緊張に飲まれることなくしっかり勝利に導いて見せた。康太騎手が後々に見せる勝負強さは、既にデビュー当時から発揮されていたのかもしれない。

デビュー年のこの年は24勝。中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞し、2年目も37勝と順調に勝鞍を伸ばしていた康太騎手は、3年目に1頭の名馬と出会う。

それが、ジョーカプチーノである。

小さな牧場から生まれたマンハッタンカフェ産駒の芦毛馬との邂逅が、康太騎手をさらに成長させる。

小倉の萌黄賞で初めてコンビを組んだ康太騎手とジョーカプチーノ。好スタートから逃げ、そのまま1着となる。続くファルコンSはハイペースを見越して中団から一気に差し切り、人馬ともに重賞初制覇。

そして、ニュージーランドトロフィーを挟んで大一番、NHKマイルCを迎ええる。
逃げるゲットフルマークスを行かせながら2番手から進め、直線で交わすと、後は後続を突き放す一方。
決して遅いペースではなかった。評価も10番人気と低かった。

それでも非凡な彼のスピードを生かす最大限の競馬をした康太騎手は、ジョーカプチーノと共に後続を2馬身突き放してゴールイン。

デビュー3年目にして初のG1制覇。その時点では兄の佑介騎手ですら成し遂げていないG1制覇を、史上10番目の速さであっさり成し遂げてしまう勝負強さを見せた。とても3年目とは思えない騎乗だった。

現役時代にジョーカプチーノが走った23戦中、彼が手綱を取ったのは9戦。長期休養もあったジョーカプチーノだったが、復帰後も康太騎手と共に重賞も制し、G1でも1番人気に推されたこともあった。間違いなく、康太騎手とジョーカプチーノは名コンビであったと思う。

一閃の末脚・シルクフォーチュンとの出会い

ジョーカプチーノと再コンビを組んだ2011年の夏、また康太騎手は新たな個性派の名馬と出会う。

シルクフォーチュンである。

長期休養明けから復帰した後、最後方から34秒台の末脚を放つように進化を遂げた鹿毛の切れ者だったが、オープンクラス昇級後は成績が安定せず、なかなか馬券圏内に入れずにいた。

乗り替わりを繰り返していた同馬に、プロキオンSで白羽の矢が立ったのが、藤岡康太騎手。そしてこのプロキオンSで、シルクフォーチュンは見るもの全てを魅了する驚愕の末脚を披露した。

ゲートが開くといつも通り最後方の定位置に。前はケイアイガーベラが引っ張り、澱むことなくハイペースとなった。一方、定位置に構えたシルクフォーチュンは4コーナーでもまだ後方。逃げたケイアイガーベラは後続を突き放し、セーフティーリードにも見える展開である。先行集団から追ってくるのはダノンカモンただ1頭で、他の馬たちの伸び足は鈍い。

──ただ1頭を除いて。

馬群を縫うように切り裂いて、赤い帽子が稲妻の様に急襲。その末脚は、先頭に迫るダノンカモンも粘るケイアイガーベラもあっという間にとらえ、1馬身から2馬身抜け出す。

その末脚は、これまで見せた大外一気一辺倒の末脚とはどこか違う、強烈なものだった。

鮮やかすぎる勝ち方で、重賞初制覇を飾って見せたのである。

「周りが止まって見える勝ち方でした」

そう語った藤岡康太騎手は、この後マイルCS南部杯でもシルクフォーチュンを3着に食い込ませ、翌年の根岸Sでも目の醒める様な直線一気で重賞2勝目を挙げた。

個性派として長くダート戦線を沸かせ、愛されたこの馬もまた、藤岡康太騎手が育てた1頭と言って差し支えないだろう。

そして、この馬群裂きは時折、藤岡康太騎手が見せる戦法の一手でもあった。

代打の切り札、"仕事人"藤岡康太

後年の藤岡康太騎手を語る上で外せないのが、ワグネリアンとナミュールであろう。

ワグネリアンはダービーを制覇後、秋の始動初戦を神戸新聞杯に選んでいた。

鞍上には当然、共にダービーを制覇し、デビューから19回目の挑戦で見事ダービージョッキーに輝いた福永祐一騎手が予定されていた。

ところが、レースを目前に控えた1週間前、福永騎手が落馬。一時は怪我を押しても騎乗を希望していた福永騎手だったが、最終的に大事をとって断念。

代わって指名されたのが、ワグネリアンの調教をつけていた藤岡康太騎手だった。

神戸新聞杯には皐月賞馬エポカドーロも参戦し、「皐月賞馬vsダービー馬」の豪華トライアルとなった。エポカドーロの鞍上は主戦の戸崎圭太騎手なのに対し、ワグネリアンは急遽代打騎乗の藤岡康太騎手。いくら調教をつけていたとはいえ、クラシック路線においてテン乗りがあまり良くは見られない中での乗り替わりで、しかもダービー馬である。不安が囁かれ、大きなプレッシャーがかかる中、神戸新聞杯のスタートは切られた。

結果、そんな前評判は杞憂でしかなかった。

直線で、ほぼ同時に中団から仕掛けた2頭のクラシック馬。仁川の坂で伸びあぐねる皐月賞馬を尻目に、ダービー馬は気持ちよさそうに坂を駆け上がる。粘るメイショウテッコンをしっかりとらえ、追撃するエタリオウも寄せ付けず、『世代最強ここにあり』を証明した。この後、古馬に挑む事が発表されていたワグネリアンは、最高の形で前哨戦を勝利。康太騎手も『代打』の役目をしっかり果たし、福永祐一騎手へとバトンを繋いだ。

そして、まだ記憶に新しいナミュールとの勝利も凄まじかった。前哨戦の富士Sで1年半ぶりの勝利を遂げ、鞍上もムーア騎手と万全を期して挑もうとしていたマイルチャンピオンシップ。だが、ムーア騎手が午前中に落馬したことで、急遽、康太騎手に白羽の矢が立った。

世界の名手から康太騎手への乗り替わり。人気こそ変わらなかったものの、オッズは急落した。午前中には1桁台だった倍率が、発走直前には17.3倍まで上昇。前走、これまで善戦マンの印象が強かったナミュールが、同じく海外の名手モレイラ騎手で大きな変わり身を見せていたこともおそらく影響していただろう。

そして、レースでは後方に控えたナミュール。4コーナーでもまだ後方2番手。

明らかに後ろすぎると、多くのファンが思ったことだろう。

直線、ナミュールを康太騎手は外に持ち出す。取った進路は、レッドモンレーヴとエルトンバローズの間。
レッドモンレーヴと接触しても、譲らない。

道は、できた。

残り200m、内から抜け出したソウルラッシュと浜中騎手が先頭。
同じく馬群を割いたジャスティンカフェが1完歩ずつ差を詰める。

刹那。

光速の末脚が、内ゆく各馬を飲み込んで──康太騎手が作ったウイニングロードを、一直線にナミュールは駆け抜けた。

苦節G1・8度目の挑戦の悲願。鞍上もジョーカプチーノ以来となるG1競走2勝目。

「必殺仕事人」

そんなイメージがつき始めたのも、この頃からだったかもしれない。

ダービー馬、5年ぶりの勝利の美酒も

「いつまで走らせるんだ」

「もう、走るところを見るのが心配だ」

2021年、京都大賞典。
その馬は、かつて日本競馬の最高峰レースを制していた。
だがそれも、5年前の栄光にすぎなかった。

最後に日本競馬で勝利したのは、日本ダービーが最後。

同期の皐月賞馬も、日本の王者と競った菊花賞馬も既に引退し、父となっていた。

加えて近走の成績は惨敗に次ぐ惨敗…。気付けば年齢は8歳で、競走馬としてのピークなど、とうに終わったようにしか見えなかった。

「なぜ、引退させないのか」

そんな声が日に日に大きくなっていた頃に迎えた、京都大賞典。ダービー馬にもかかわらず、人気は14頭中9番人気。もう終わっていると、誰もが思っていたことだろう。

レースもいつも通り中団から。4コーナーでも行きっぷりは悪く、いつも通り馬群に飲み込まれていくように映る。

観衆の目は、先頭を走ったダンビュライトに並びかけるキセキと、外から進出を開始するアリストテレスに向けられていた。

仁川の坂、ダンビュライトを交わしてキセキが先頭に立つ。アリストテレスがそれに並びかけ、先頭争いはこの2頭になるか…。

しかし、違った。

「マカヒキが追ってくる!」

実況アナウンサーの声で、ほぼ全員の視線が黄色い帽子、康太騎手の駆るマカヒキに吸い寄せられた。

1度は沈みかけたはずのマカヒキが、息を吹き返したかのように坂の頂上でダンビュライトを交わして3番手に抜け出していたのである。

マカヒキの鞍上は、康太騎手。
康太騎手のアクションに、マカヒキが応える。

全盛期の、あのダービーを制した時の末脚とはかけ離れているかもしれない。しかしそれでも、懸命に脚を伸ばす。それは、ある種の執念のように見えた。

もがき続け、苦しんだ5年間のすべてを結実させるかのように、先頭を行くキセキとアリストテレスに必死に迫る。

鞍上の追い動作が激しくなる。右手から振るわれる風車鞭と共に、泥臭く、一生懸命に、確実にマカヒキは伸びてくる。

そして、ゴールの瞬間。

アリストテレスの鼻先をわずかに掠め取ってゴール坂を駆け抜け、実に5年ぶりの復活劇を演じて見せた。

かつて、同世代の菊花賞馬サトノダイヤモンドも、引退前最後に輝いたのはこの京都大賞典。
何処か縁を感じずにはいられない復活劇だった。

さいごに

ここまで書いた藤岡康太騎手の軌跡だが、彼を語るうえで外せない人柄の良さと実直さだろう。
それは、レースだけでなく、トレセンやファンサービスの場でも見られた。本当に、多くの人に愛された騎手だったと思う。

レースに直接乗ることのない馬…自身が騎乗する前のワグネリアンやマカヒキがそうであったように、たとえ騎乗がなくとも調教をつけ、スタッフと共に今後のことを考えて行動する。もしかすると、将来、自身と自身の相棒にとって脅威になるかもしれない馬たちの事まで気をまわし、行動することはなかなかできることではないように思う。それが実って、後年の活躍につながっていったのではないかと、私は思うのだ。

生涯成績10759戦803勝、うち重賞は459戦22勝。
G1制覇はジョーカプチーノとナミュール。

貴方の笑顔と活躍は、生涯忘れられることはないでしょう。
今を走る競馬界の皆へバトンをつないで、天から見守っていてください。

貴方が紡いだ功績を、誰かが「仕事人」として受け継ぎ、伝えていくことを願って。

写真:俺ん家゛、Hiroya Kaneko、はねひろ(@hanehiro_deep)、水面

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