[2005年・皐月賞]まずは一冠目、と言わんばかりの必然の勝利。ディープインパクトの皐月賞制覇を現地で見届けた思い出を振り返る

牡馬クラシック第一戦 皐月賞

サラブレッドが生涯に一度だけ、その年の選ばれし18頭のみが出走できる3歳クラシック競走。その初戦として位置づけられているのが皐月賞であり、牡馬三冠の一冠目である。そのため、三冠馬たちの『伝説』の始まりのレースとして語られることも多いレースである。

2000mで行われることから、『最も速い馬』が制すると言われる皐月賞。朝日杯FS等のマイルで実績を積んできた馬や、ホープフルS等の中距離を意識して使われてきた馬が一堂に会し、3歳クラシック路線の主役がここで決まると言える。

また、ダービーと菊花賞の二冠を制した馬は過去に2頭(1943年クリフジ、1973年タケホープ)しかいない一方で、皐月賞とダービーの二冠を制した馬は16頭(2006年メイショウサムソン、2015年ドゥラメンテ等)、皐月賞と菊花賞の二冠を制した馬は8頭(2000年エアシャカール、2012年ゴールドシップ等)存在することから、このレースを勝つことで輝かしい未来が待ち構えていると言っても過言ではない(2024年春現在)。

三冠馬等の名馬を振り返り、この皐月賞を過去のレースとして語る際はどうしても通過点として扱われがちではあるが、一方で競馬ファンがこのレースを迎える時、もしくは終えた直後に現在形として語る際、最も胸を躍らせるレースなのではないだろうか。

今回は、私が皐月賞史上でも最高に胸を踊らせた、2005年の皐月賞について振り返ってみたい。

評判馬 ディープインパクト

2004年の競馬界を振り返ると、種牡馬はサンデーサイレンス、騎手は武豊騎手、生産はノーザンファームがそれぞれリーディングに輝いていた時代であった。

その2004年12月19日、生産はノーザンファーム生産、父はサンデーサイレンス、鞍上は武豊騎手の『ディープインパクト』という小柄な牡馬が、デビュー戦を迎えた。まさに当時の日本競馬を結晶化したような馬に周囲からの期待が集まるのは必然であり、単勝オッズは1.1倍の圧倒的一番人気。レースではスタートでやや後手を踏みながらも、好位からレースを進めたディープインパクトが危なげなく4馬身差の圧勝で、華々しいデビューを飾った。

この時点では確かに翌年のクラシックを期待する声もあったが、良血馬が新馬戦を圧勝することは珍しいことではなく、評判馬の1頭という位置付けだった。

ディープインパクトがただの評判馬ではない扱いをされ始めたのは、2戦目の若駒Sだったように思う。少頭数7頭立ての中ではあるが、デビュー戦のレースぶりが評価されたディープインパクトはここでも1.1倍の1番人気に推された。ここでも後手を踏み、今回は最後方から競馬を進めたディープインパクト。道中、前とは20馬身以上の差がつくバラバラの展開となった。しかし、向正面から徐々に動き出し、少しずつ進出したディープインパクトが最後の直線を迎えると、もはや別次元。1頭だけ異なる動物が走っているかのようなスピードで他馬を差し切り、そして置き去りにして5馬身差の圧勝でレースを終えた。

若駒Sと言えば出世レースのイメージが強いが、意外にもGIホースは1991年のトウカイテイオー以来誕生していなかった。しかし、あまりにも衝撃的なレース内容だったことから「この馬はすごい」「三冠馬候補だ」という声があがり始めていた。筆者もこの時、どうやら「ディープインパクトを覚えておいて」と親に対してメールを送っていたらしく、そのメールを機種変更するまで残していた。

そんな形でファンに衝撃を与えたディープインパクトの次走は、弥生賞だった。まさか16年後の2020年にディープインパクトの名がレース名に刻み込まれることまでは誰も予想はしていなかったと思う。結果的に、この弥生賞はディープインパクトが勝ったレースの中では最も辛勝だったレースと言える。この舞台には朝日杯FSを制したマイネルレコルト、そして京成杯を制したアドマイヤジャパンも名を連ね、早くも皐月賞を前に世代トップクラスのメンバーが集結していた。ディープインパクトは初めての関東圏、そして初めての中山競馬場でその能力をお披露目することになった。

このレースも後方からレースを進めたディープインパクトに対し、マイネルレコルトとアドマイヤジャパンは先行。3~4コーナーをグルリと捲ったディープインパクトは直線を向いた時には3番手。2歳チャンピオンのマイネルレコルトが真ん中から抜け出そうとしたところを外からディープが差しきり、そのまま楽勝かと思ったところ、インでじっと我慢していたアドマイヤジャパンと横山典弘騎手が最内から末脚を伸ばす。カメラの角度で一瞬ヒヤッとしたが、ムチを叩きながら一杯に追われるアドマイヤジャパンに対してディープインパクトは手綱をしごくだけ。着差はクビ差だったが余裕を残した勝利だった。

ここまででディープインパクトは3戦3勝。中山2000mでも能力を示したディープインパクトは、当然ながら皐月賞で最も注目される存在となった。

皐月賞の"主役"

さて、ここで1つ訂正をさせていただきたい──と言うよりは例外を挙げさせていただきたい。冒頭に皐月賞のことを『3歳クラシック路線の主役がここで決まる』と述べた。しかし、2005年の皐月賞については例外で、既にレース前から主役はディープインパクトで揺るがなかった。

出走してきた馬は、決して例年より劣っているというようなことはなかった。

弥生賞で叩いて上昇が期待された2歳チャンピオンのマイネルレコルトと後藤浩輝騎手(2番人気)。弥生賞でディープインパクトとクビ差だったアドマイヤジャパンと横山典弘騎手(3番人気)。京都2歳S(当時オープン)と毎日杯(当時阪神2000mのGIII)を制していたローゼンクロイツと安藤勝己騎手(4番人気)。2連勝でスプリングSを制したダンスインザモアと蛯名正義騎手(5番人気)。2戦2勝でアーリントンCを快勝した快速馬ビッグプラネットと柴田善臣騎手(6番人気)。

マイルでスピードを磨いてきた馬から中距離でその適性を磨いてきた馬まで、例年であれば十分に主役候補と呼べる馬たちが皐月賞の舞台へと歩を進めていた。

そんな中でディープインパクトは単勝オッズ1.3倍の圧倒的1番人気、続く2番人気のマイネルレコルトは11.7倍の単勝オッズをつけており、単勝オッズが1桁台の馬はディープインパクトのみという状況だった。

当時の筆者を含めた競馬ファン、そして当時の各メディアも『断然、ディープインパクト』といった雰囲気で、相手はどの馬か、馬券はどのように組み立てるべきか、という話題と議論が中心だった。

一部の穴党ファンを中心に、例えば『弥生賞の勝ち馬がそのまま皐月賞の勝ち馬になるのは難しい』『弥生賞はギリギリだったから中山よりも東京向きだ』『小回りの中山なら何かある』と言った声もゼロではなかったと記憶しているが、かなりの少数派であったはずだ。

前日、深夜の競馬バラエティー『あしたのG』でしっかり予習した筆者は、ディープインパクト軸のアドマイヤジャパン、マイネルレコルト、ローゼンクロイツ、ダンスインザモアへの流し馬券を心に決めていた。

"まずは"一冠

当日、比較的早い時間に中山競馬場へと到着した筆者だったが、すでにスタンドはディープインパクトのその走りを目に焼き付けようと集結したファンで埋め尽くされていた。

基本的に中山のスタンドはゴール前が最も混み、離れるほど空いていく傾向にあるのだが、この日の中山競馬場はゴール前200m付近でもかなり後ろまで埋め尽くされていたと記憶している。

春の陽気に包まれたこの日はまさに競馬日和で馬場状態はもちろん良馬場。ディープインパクトの実力を発揮するのに最適な舞台が用意されていた。懐に余裕がなかった上に当時は携帯で馬券購入が出来なかった筆者は、皐月賞以外のレースを全て「見(ケン)」で観戦していたが、気づけばあっという間にパドック周回、本馬場入場、そして発走時刻を迎えてファンファーレが鳴り響いた。

スタンド前でチャカつく素振りを見せるディープインパクトをなだめる武豊騎手がターフビジョンに映し出されていたが、ボルテージが最高潮に達していた大歓声は収まることを知らない。

ゲートインが完了し、スタートを切った。

後から確認すると、この時にディープインパクトがつまづいて武豊騎手も落馬寸前になるほど体勢を崩すのだが、さすがにターフビジョンからハッキリと見えず、いつも通りの出遅れ、そして後方待機を選んだと筆者は観ていた。

快速馬ビッグプラネットがハナに立ち、きさらぎ賞を制していたコンゴウリキシオーが2番手で続く。5番手付近の最内にアドマイヤジャパンと横山典弘騎手が虎視眈々。中団の外にダンスインザモア、そして2歳チャンピオンのマイネルレコルトが続き、さらに後方に伏兵シックスセンスが控え、さらに後ろの後方4番手付近にディープインパクトが構えてレースが進んだ。

3コーナーに入ると、先に動いたのがマイネルレコルトと後藤浩輝騎手。それを追いかけるようにディープインパクトと武豊騎手が動き始めるシーンが映ると、早くもここで歓声が沸き始めた。そして4コーナーで早くもマイネルレコルトが外からまくり、先頭に立とうとすると、ディープインパクトと武豊騎手は「そうはさせまい」と初めてのムチが入って中団~先団へと取り付く。

直線を向き、マイネルレコルトが先頭に立ったと思った刹那、すでに外からディープインパクトが次元の違う脚で真横に来ていた。

坂を登るところでディープインパクトはさらに加速し、他馬を置き去りに。この時点ですでに、ディープインパクトの圧勝を大半のファンが確信したことだろう。

2馬身以上離れた馬群の中から伸びてきたアドマイヤジャパンがマイネルレコルトを差し切るも、先行勢にはかなり厳しい展開だったのか、ここで力尽き、最後は大外から伸びた伏兵シックスセンスが2番手に上がった時、すでに武豊騎手の手綱は緩んでディープインパクトは余裕たっぷりにゴールしていた。

目の前に登場した新たなヒーローの誕生に、中山競馬場の8万人のファンは大いに喜び、同時にあまりの強さに驚きの声も起きていたと記憶している。

そして少しの間を置いてから、単勝オッズ124倍の12番人気シックスセンスが突っ込んできた波乱決着へのどよめきも起きていた。シックスセンスを買っていないどころか気にもしていなかった筆者もそれに困惑していたのは言うまでもない。

レース後もなかなか人が減ることはなく、ディープインパクトの勇姿を見るために、表彰式を見届けるべくその場に留まるファンが大半だった。

そして口撮りの際、ディープインパクトの馬上で武豊騎手が人差し指を高らかと天に向けた時、あの"皇帝と名人"が脳裏に浮かんだファンは、武豊騎手が三冠を意識…いや、確信したことを感じ取り、その伝説の幕開けに胸を躍らせた。

"まずは"一冠と言わんばかりに、ディープインパクトにとっては必然のような結末で、2005年の皐月賞は幕を閉じた。

日本近代競馬の結晶

皐月賞を制したディープインパクトがその後、日本ダービーと菊花賞を無敗で制覇し、三冠を達成。さらに古馬になってから天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を制し、まさに『日本近代競馬の結晶』として輝きを放ったことは言うまでもない。

それだけではなく、種牡馬としても2012年~2022年までリーディングサイアーに輝き、コントレイル、ジェンティルドンナ、グランアレグリア等、列挙し切れないほどの活躍馬を輩出。さらには海外でもアイルランドのオーギュストロダンが世界各地でGIを制覇し、その名を轟かせている。(2024年4月現在)。

そんな『日本近代競馬の結晶』が最初の輝きを放ったのが2005年の皐月賞であり、もし万が一、このレースでなんらかのアクシデントで敗れていたり、出走が叶わなかったりしたとすれば『日本近代競馬の結晶』と呼ばれることはなかったかもしれない。

皐月賞というレースは過去の名馬にとっても、そして未来の名馬にとっても、伝説の始まりとして欠かすことの出来ない3歳クラシックの一冠目としてこれからも存在し続けるのだ。

写真:Horse Memorys

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