引退馬に新たな道を!競走馬再デビューへの支援〜『馬と歴史と未来の会』の取り組みとは〜

2020年5月10日、水沢競馬場で1頭の競走馬が約1年ぶりの出走を果たした。
その馬の名前はナグラーダ。
中央でデビューし5戦未勝利だったという競走馬で、これが初めての地方競馬への出走だった。
しかしこのナグラーダは単なる中央→地方という移籍をしただけの馬ではなかった。
それは「新たなる引退馬支援」の試みの第一歩として、多くの期待を背負ってのゲートインだった。
今回はその取り組みを牽引する新しい引退馬支援団体、一般社団法人『馬と歴史と未来の会』の活動を紹介していく。


引退馬の選択肢を増やす!その驚きの選択肢とは?

「今回の取り組みはサラブレッドの『セカンドキャリア』支援ではなく、むしろ『サードキャリア』の支援だと思っています」

そう話すのは、2020年の4月に新たに設立された一般社団法人『馬と歴史と未来の会』の代表理事を務める上田優子さん。

近年、取り組みが活発化してきている『引退馬支援』。
引退馬の行方に注目する競馬ファンが増えてきたことで、新たに引退した馬が乗馬やセラピーホースとしてセカンドキャリアを歩み始める事も増えてきている。競走馬から乗馬へのリトレーニングについても支援の輪が広がり、クラウドファンディングやサポーターズクラブなどの取組みを知る競馬ファンは、今や少なくない。

その取り組みの多くは、引退馬として充実した余生を送るための支援だ。
しかし今回の『引退馬支援』は、引退馬を現役競走馬として再デビューさせるという驚きのプランになる。
またひとつ、新しい試みが引退馬支援に加わったと言えるだろう。

ナグラーダは、その試みの第一号に選ばれた。
彼は『元競走馬』ならぬ『元引退馬』として、水沢競馬場に登場したのだ。

「ナグラーダの復帰を目指した理由は、引退馬たちに新しいルートを示したかったからです。怪我による引退というのはよく耳にしますが、本来無事であればまだ走れたはずの馬でも、療養中の出費額を考えると引退するのが合理的……という判断になることは、少なくありません。そうした馬たちの選択肢を増やせるように、私たちはナグラーダの療養、そして競走馬復帰に向けたリトレーニングを見守り、支援してきました」

ナグラーダは中央競馬で、広尾サラブレッドクラブの所属馬として2019年にデビューを果たす。内田博幸騎手や丸山元気騎手などを背に5戦未勝利(最高着順は7着)と、結果は厳しいものだったが、芝・ダートどちらでも走れる自在性などポテンシャル示していた。
3代母は三冠牝馬・アーモンドアイの3代母と同じという良血で、父ダンカーク、母父サンデーサイレンスという血統構成も底力を感じさせる。
のちに引き取ることになる上田さんも「一口クラブで師匠と仰ぐ人が、この馬の母親を一口持っていたから」という血統的な縁で、一口出資していたのだという。

デビューが年明け3月と遅れたこともあり6月まで未勝利に終わったものの、決して見限るような戦績ではなく、岩手競馬へ移籍して再チャレンジを目指そうとしていた矢先だった。
右前脚の管骨に、剥離骨折を発症。
怪我の完治には長時間の療養を必要とするもので、無念の引退となった。

「引退後、私が以前からお世話になっている岩手・馬っこパークで乗馬になるためのリトレーニングを開始することを知りました。一口を所有していた事もあり、怪我の経過などを気にしていたんですが、そこまで酷い症状ではなかったようで安心しました」

しかし『馬っこパーク』は、養老牧場ではなく、あくまでリトレーニングをするための牧場。引退馬を次の場所へと繋げるための場所だ。
リトレーニングが出来る人員・施設が整っている貴重な牧場であるだけに、準備が整えば新しい場所へと向かうことになる。ずっとそこにいて欲しくても、次にその場所を必要とする馬のために譲っていくというサイクルがあるのだ。

「できることなら、最後まで見守ってあげたいんです。でもリトレーニングというのは乗馬やセラピー馬のように収益が出るものではありません。だからこそ新しい仕組みを考える必要があったんです。養老牧場で過ごすための貯蓄を、自らの走りで積立させてやれないかと考えました」

その新しい仕組みこそ、競走馬としての再デビューだった。そこから、上田さんをはじめとする多くの方々の奮闘が始まった。

目指せ再デビュー!そこには数々の奮闘が。

元々は乗馬を目指しリトレーニングされていたナグラーダ。
馬っこパークに通っていた上田さんもリトレーニングを手伝うなど、引退後のナグラーダを支える1人として活動していた。リトレーニングのスキルを磨くため、講習会へ赴くこともあったという。そんな上田さんだからこそ、日々回復するナグラーダを見て感じ入るところがあったのだろう。

「以前から一口クラブ仲間と、自分の出資馬が引退したあとの行方を追いたい、でもクラブの馬だから何も言えない……という話をしていました。ナグラーダも、そのまま怪我が回復すれば乗馬クラブへとうつることになっていたでしょう。一度乗馬クラブにうつれば、その後を追うのはなかなか難しくなります。だからこそ、その前に何か手立てを打てればいいなと思っていたんです。ナグラーダの場合、まだ若く競走馬としての可能性がありましたから、競走馬としての再デビューという道があるのではないかと思いつきました」

中央馬と違い、地方馬は引退しても登録を抹消しない場合も少なくないという。
乗馬大会に出たり繁殖に上がる場合はそうした登録をするために抹消する場合もあるが、それ以外はあえて抹消する必要性もないことが理由のひとつだ。
怪我をする前、地方競馬に移籍して再起を図ろうとしていたナグラーダも、地方競走馬としての登録は残っていた。
クラブでは引退と明言していたが、所有権などをしっかりと移譲されれば、再デビューすることは法的にも問題がない。こうして、ナグラーダの再デビューに向けたトレーニングは始まった。

目指すは、寄付金や助成金をアテにしない引退馬支援。
誰か1人のお金に頼り切るタイプの支援だと、計画が破綻したときにすぐ「馬の命」にかかわってくる。
だからこそ、今回のように引退馬の再デビューにより、新たなる道を模索する方法が持ち上がった。

「現役時代が長くなるということは、人の目に触れる機会が増えるということです。そうするとファンが増えるチャンスがより長く与えられるということ。それは、その馬を引退後も支えたいという人を増やすことにつながりますし、サードキャリアの可能性を広げる可能性があると気がついたんです」

ナグラーダの復帰までに、多くの「縁」が上田さんを後押しする。
法人化する際には、兼ねてから付き合いのある仲間たちに理事をお願いした。
その理事の1人である谷正之さんが地方の馬主資格を持っていたので、再デビューに向けての「馬主」の登録もクリア。
さらには、ナグラーダが復帰後に所属することになった橘友和厩舎とも「縁」がある。
その橘調教師が免許取得前に乗馬訓練をしていたのが、馬っこパークだったのだ。
こうして縁と縁がつながり、様々な人の協力・助力があったからこそ、新しいチャレンジへとつながっていった。「個人へ活動している人」から「引退馬を支援する法人」へと変わり、できることの幅や可能性は格段に広がった。そうしてナグラーダは、無事、再び競馬場へと降り立ったのだ。

「何ヶ月もかけて競走馬としての復帰を目指してきましたが、実際の復帰戦を目の当たりにすると息もできない、まばたきもできない、というような気持ちになりました。『どうか無事で、とにかく無事で』と、ただひたすら祈っていましたね」

そんな世にも珍しいナグラーダの再デビュー戦は、1番人気で4着。
久々ながらもダートで十分にやれそうなところを見せる走りだった。
復帰後2戦目、3戦目はどちらも1番人気で2着。勝ちきれないまでも、能力の片鱗を示している結果と言えるだろう。
上田さんはナグラーダが復帰戦から連続して1番人気になったことを「ファンの方々からの応援」と表現した。

「おかげさまで、Twitterなどであたたかいご声援をいただくこともありました。ナグラーダには、無理して大きなレースを狙うよりも、ゆっくりと長く堅実に頑張ってもらいたいと思っています。1人でも多くのファンを集められる馬を目指したいですね。放牧地には馬っこパークを利用していますから、事前にご連絡いただければスタッフ同伴で直接会うこともできますよ。『会いに行ける現役競走馬』として親しんでいただけたらと思います」

引退後、次のステップへ向かう馬を支援していく『馬と歴史と未来の会』と、そのスタッフの方々。
自らの安定した引退馬生活を手にするためにもう一度頑張る馬たちを、1人の競馬ファンとして応援してみるのも興味深い。そしてもしその走りに心惹かれたら、支援者の1人として手をあげることもできるのだ。
まさに、新しい引退馬としての道。サードキャリアと呼ぶに相応しいだろう。

2度目の引退後を見据えて走る彼らの奮闘に、注目していきたい。

写真:よこてん、馬と歴史と未来の会

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