[キタサンブラック伝説]競馬初心者の私を競馬ファンに変えた、あの日の3分12秒5

2017年4月30日。
私は妻と共に京都行きの電車に乗っていた。
京都駅に着くと友人と合流し、愛知出身・在住ながら慣れた様子の彼の案内でまた電車に乗った。

京都競馬場に向かうためである。

当時の私といえば、競馬を観たり、馬券を買ったりしたことは無かった。
育成シミュレーションゲームが好きで、高校の頃からウイニングポストシリーズをいくつかプレイしていたが、登場する馬や調教師はおろか、ジョッキーの名前すら武豊騎手くらいしか知らないという状態で、単純に馬を走らせては勝利を目指すというゲームとして楽しんでいた。

当然、その日どんなレースが行われ、どの馬が走るのかも知らない。
…と言うより、現役で知っている馬は1頭もいない。
それでもこの日は私の方から、競馬好きと聞いていたこの友人を誘った。

30歳を過ぎて、ふと、長年ゲーム画面の中でだけ走っていた馬達を、生で観てみたくなったのだ。

競馬場に到着すると、友人はまず場内の散策や、公園スペースの屋台での食べ歩きを楽しませてくれた。
愛知から京都への遠征。

今思えばすぐにパドックに直行して競馬を楽しみたかっただろうに、この日競馬デビューを迎えた私たち夫婦への友人の優しさだったんだなと思う。

実際、この時間で私たちの競馬へのイメージは大きく変わった。
ドラマや漫画のシーンからイメージしていた競馬場とは全く違い、開放的な明るく広々とした敷地に緑の芝が映え、多くの家族連れで賑わう沢山の屋台──。

まるでお祭り会場のようで、楽しかった。

メインレースが近付くと、人の多さを考慮して先に見様見真似で馬券を購入。
今ならほぼ買わないであろう1番人気馬の単勝と、2番人気馬とのワイドを100円ずつ購入し、パドックに向かう。

私が馬券を買った馬はすぐ見つかった。
メンバーのなかで1番重い体重、背も高く感じたし、何より素人目に見ても堂々として、存在感があった。

キタサンブラック。

既にG1を4勝し、この日も単勝2.2倍の1番人気に推されていた。

2番人気のサトノダイヤモンドが2.5倍。
3番人気シャケトラは9.9倍だったので、いかにキタサンブラックとサトノダイヤモンドが人気を集めていたかが伺える。

それから"テレビの中の人"武豊騎手の登場に興奮し何枚か写真を撮り、馬が引き上げていく前に「少しでも良い場所を」と言う友人に連れられコースの方へ。

馬券を先に買っていたのが良かったのか、この日の京都競馬場はその後本文を書くまでに行ったどの競馬場よりも混んでいたが、幸運にも芝と大スクリーンが見える程度までは前に行くことができた。

レースはあっという間だった。

大逃げを打ったヤマカツライデン、4-500㎏の巨体が10数頭、猛スピードで芝を蹴る轟音、力強く迫ったシュヴァルグラン・サトノダイヤモンドとそれを退けたキタサンブラックの姿、武豊騎手のガッツポーズ。

「もう終わったの!?」と言った私に「めっちゃ早いよね!」と返した友人。
友人は3分12秒5のレコードタイムを見て納得した様子だったが、これが初の競馬観戦だった私にとっては、JRAのG1最長である3200m戦も一瞬の出来事。

いま、3分も経ってたのか…。
私の競馬デビューは祭りの雰囲気と腹に来る轟音、有名人・武豊騎手の笑顔、そしてホームで電車を3本ほど見送った大混雑の記憶を残してあっという間に終わった。

キタサンブラックはその後、宝塚記念、天皇賞秋、ジャパンカップとG1を連戦して9着、1着、3着。
年末には有馬記念に挑み、単勝1.9倍のダントツ1番人気に応えて優勝、有終の美を飾って引退、種牡馬入りした。

宝塚記念の敗戦後、予定されていた凱旋門賞挑戦を撤回してしまったのが個人的に残念であったが、20戦12勝、うちG1を7勝し、獲得賞金は18億7684万円。年度代表馬に2回選出されるなど、堂々たる成績だった。

当初、種牡馬としての能力には懐疑的な声も散見されたが、初年度産駒からイクイノックスが誕生するなど、こちらでも快調な滑り出しを見せている。

私はと言えば、あの京都競馬場での1日を経験した翌週にはインターネット投票の利用申し込みを済ませ、4か月後には一口馬主を開始。2021年にはオーストラリアで競走馬を共有し馬主デビューを果たすなど、馬の世界にすっかりハマっている。

あの日競馬を教えてくれて、今は地方馬主として活躍している友人も「こんなにハマるとは…」と笑っていた。

一口馬主の方ではキタサンブラックの初年度産駒にもしっかり出資。
その仔が初勝利を挙げてくれた時の感動はやはり少し特別なものだった。

健康なら、これからも沢山の素晴らしい産駒を見せてくれるだろう。
現役時代のイメージそのままに、タフで元気なキタサンブラックで居続けてほしい。

その仔達の活躍を見るたびに私は2017年4月30日の3分12秒5の出来事を思い出し、「キタサンブラックは凄かった」と知った顔で語りながら、焼酎を飲む…。そんな競馬好きのおっさんになるだろうと、私はすでに確信しているのだ。

写真:Horse Memorys、緒方きしん、かぼす


書籍名キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬
著者名著・編:小川 隆行 著・編:ウマフリ
発売日2023年07月20日
価格定価:1,430円(本体1,300円)
ページ数192ページ
シリーズ星海社新書
内容紹介

最初はその凄さに誰も気がつかなかった!「みんなの愛馬」

「父ブラックタイド、母父サクラバクシンオーの年明けデビューの牡馬と聞いて、いったいどれだけの人が、シンボリルドルフやディープインパクトらに比肩する、G17勝を挙げる名馬になることを想像しただろう」(プロローグより)。その出自と血統から、最初はその凄さに誰も気がつかなかった。3歳クラシックと古馬王道路線を突き進むも、1番人気は遠かった。それでも一戦ごとに力をつけ、「逃げ・先行」の才能を開花させると、歴戦の戦士を思わせる姿はファンの心に染みわたっていった。そして迎えたラストラン、有馬記念を悠然と逃げ切ったハッピーエンディングな結末。みんなの愛馬となった感動の蹄跡がここに甦る!

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