マチカネニホンバレ〜日本晴れの越後路にて戴冠す 2009年・エルムステークス~

現地観戦した新馬戦を勝利した馬が後々出世を果たし……ついにはGⅠを勝利すると、「俺、あの馬のデビュー戦を現地で見てたんだよな」と、ついつい友人に自慢話をしたくなる。
その新馬戦から後々GⅠや重賞を勝つ馬が複数頭出たりすると、後に『伝説の新馬戦』などと呼ばれるようになり、それを現地で観戦したことのプレミア感たるや半端なものではない。

エルムステークスの時期になると、私は毎年1頭のサラブレッドを思い出す。
その馬は後にGⅠを勝つまでには至らなかったし、目の前で勝ったのが新馬戦だったわけでもない。
しかし、その勝利から一気に快進撃が始まり、1年もしないうちにエルムステークスで重賞ウイナーに上り詰めた馬なのである。

2005年4月26日、その馬は待兼牧場で生を受けた。父シンボリクリスエスは2002年から2年連続でJRA賞年度代表馬に選出され、2004年から種牡馬として供用を開始。この馬もシンボリクリスエスの初年度産駒の1頭だった。
その初年度産駒からはこの馬以外にも、2008年のジャパンダートダービーや2009年のフェブラリーステークス・東京大賞典を優勝したサクセスブロッケンがいるほか、モンテクリスエスとダンツキッスイも重賞ウイナーとなっている。
母のマチカネチコウヨレは未出走だったが、その父は米国でダートの活躍馬を多数輩出した名種牡馬デピュティミニスターで、生まれてきたこの仔馬は良血といえた。
後にマチカネニホンバレと名付けられたこの馬であるが、『初代』のマチカネニホンバレは1993年に生まれたノーザンテースト産駒であり、この馬は正確には『二代目』マチカネニホンバレである。
雲一つない快晴を意味する日本晴れという言葉は、縁起が良い、めでたい、清々しさなどをイメージさせ、マチカネという冠号に珍しいフレーズをつなげることでおなじみの細川オーナーにとっては、思い入れのある名前だったのかもしれない。

父と同じ藤沢厩舎に入厩した『二代目』マチカネニホンバレだったが、デビューは決して順調ではなかったようで、その時期は3歳6月の東京競馬というかなり遅いものだった。
しかもそのデビュー戦、芝1800mの未勝利戦を14着と大敗。馬体を4kg絞って中1週で臨んだ福島芝2000mでは2着と盛り返したものの、そこから中2週で挑んだ函館芝1800mの未勝利戦を6着と敗れてしまう。

しかし前述の通り、同じ父を持つ同期から既にジャパンダートダービーを快勝したサクセスブロッケンがでていた点、また母の父が米国でダートの活躍馬を多数輩出した名種牡馬という点もあってか、ここでダートに方向転換。
すると、いわゆる『初ダートの未勝利戦』を5馬身差で圧勝していきなり結果を出す。さらに連闘で挑んだ1勝クラス(当時の表記で3歳以上500万下クラス)のレースも2着とし、早くもこのクラス卒業にめどをつけた。

──ここで話は冒頭に戻る。
私がマチカネニホンバレが勝つところを目の前で見たのは、2008年11月2日の東京競馬第6レースでのこと。未勝利脱出からの連闘で2着としたレース以来、およそ2ヶ月半ぶりの実戦だった。しかし、安藤勝己騎手を背に2番手から悠々と抜け出し、休み明けをものともせず5馬身差の圧勝。トップトレーナーの藤沢厩舎から、また新たに強い馬が出てきた、間違いなく近いうちに出世するだろうと予感させるには十分なレース内容だった。

ちなみにこの日のメインレースは、ウオッカとダイワスカーレットによる世紀のマッチレースが繰り広げられた天皇賞秋。
テレビの前でレースを見ていた競馬ファンはもちろん、当日東京競馬場でこのレースを見ていた多くのファンにとって、それは間違いなく一生忘れられないような素晴らしいレースになったことだろう。
しかし、マチカネニホンバレが勝った第6レースや、第10レースに同じくダート1600mで行われた3勝クラスの錦秋ステークスを後のダート王エスポワールシチーが5馬身差で圧勝したシーンを覚えているファンも、決して少なくないはずだ。

そして、この勝利からマチカネニホンバレの快進撃は始まった。特に強烈だったのが中1週で挑んだ次走の2勝クラスのレース。このレースを前走と同様に2番手から抜け出すと、なんと2着に1秒9もの大差をつけて圧勝したのである。さらに5ヶ月半ぶりとなった3勝クラスの横浜ステークスも快勝し、3連勝で一気にオープン入りを果たした。

その勢いはオープンに入っても健在で、1ヶ月半後のブリリアントステークスでは、500mの距離延長も難なくこなして破竹の4連勝。ついには、1ヶ月後の函館で行われたオープンのマリーンステークスで逃げ切り勝ちを収めて5連勝を達成する。
時計が出やすい不良馬場だったとはいえ、この時に記録した勝ち時計の1分41秒7は、2017年にロンドンタウンに破られるまでの8年間、ダート1700mの日本レコードであった。

6連勝を賭けて挑んだ次走のしらかばステークスこそ、馬体増とレコード激走の反動が出たのか10着と敗れ連勝は止まったが、すぐに捲土重来を期すと同時に重賞初制覇のチャンスがやってきた。
それが、第14回のエルムステークスである。

函館競馬場が改修工事のため札幌競馬が6月から開催されていたこともあり、この年のエルムステークスは新潟競馬場での開催となった。マチカネニホンバレは、重賞初挑戦とはいえ堂々の2番人気に推されていた。前走こそつまずいたものの、それ以前に日本レコード勝ちを含む5連勝を達成していたこと、その5連勝のうち4勝が今回と同じ左回りで挙げていたことなどを評価されてのものだったが、他のメンバーを見渡すと、簡単に勝たせてくれるような相手ではなかった。

1番人気は3歳馬のトランセンド。
同コースで行われた前々走の2勝クラス麒麟山特別を8馬身差でレコード勝ちし、当時新設重賞だった前走のレパードステークスも連勝してきた新星で、この翌年には日本のダート界を制圧する馬である。
他にも、アロンダイトとサンライズバッカスのGⅠ馬2頭に、前走3勝クラス勝ちから挑んできた上がり馬トシナギサとクリールパッション、さらには交流重賞の黒船賞のほかオープン特別でも3勝をあげているトーセンブライトなど、ローカルのダート重賞とは思えないほどの強力なメンバーが揃っていた。

マチカネニホンバレにとって、その名を表すような日本晴れの秋空の下、スタートが切られた。

サンライズバッカス以外に出遅れた馬はおらず、馬なりでトシナギサとナンヨーヒルトップ、さらに大外からトランセンドが先行。二の足があまり早くないマチカネニホンバレも手綱を押して、これら4頭が集団を形成して1コーナーを回る。
さらに2コーナーを回ると、コーナリングの差で先頭がトシナギサ、2番手マチカネニホンバレ、3番手トランセンドで落ち着き、4番手集団にナンヨーヒルトップとクリールパッション、そして内からネイキッドが上がってきていた。

向正面に入るとペースは一気に落ち、ここで後続も差を詰め始め15頭がほぼ一団となってレースは進む。他の有力馬では、アロンダイトが真ん中の外7番手、サンライズバッカスは後ろから3番手あたりを追走していて、前半1000mの通過は62秒6とかなりのスローペースで流れた。
3コーナーを回り、アロンダイトはじめ中団から後続の各馬も先団を窺うが、新潟競馬場のダートコースはコーナーがかなりきついことと先行集団が楽をしていた分、なかなか前との差が詰まらない。
中団から後ろにポジションを取っていた馬にとって、ここから勝ち負けに持ち込むには既に厳しい展開となっていた。
4コーナーを回り直線に入るところで先団3頭が横並びとなり、GⅠ馬の意地を見せるべくアロンダイトが外からそれらに並びかける。

そして、最後の直線はスローで流れた分、上がりの勝負となった。先団3頭の中から、枠なりで終始外目を回らされていたトランセンドとトシナギサがまず失速し、マチカネニホンバレが単独先頭に立つ。
しかし、トシナギサと入れ替わるように内から2頭が差してきた。
クリールパッション・トランセンドと同じノースヒルズ生産の、ネイキッドだった。
特に、終始内々で力を温存していたネイキッドの勢いが良く、残り100m手前で先頭に躍り出る。一度前に出られたマチカネニホンバレではあったが、ここから驚異の差し返しを見せて抵抗し、70mほど激しい叩き合いが続いた末に2頭が完全に並んでゴールイン。
スロー映像を見てもなかなか判別ができないほどの大接戦だった。

写真判定の末、重賞初制覇を成し遂げていたのはマチカネニホンバレの方だった。
初勝利から1年と少しでの重賞制覇──しかも、その間の戦績が9戦7勝3着1回という素晴らしい内容である。
しかし、これ以降のマチカネニホンバレは、ここまで怒濤のように勝利してきたことが嘘のように惜敗を繰り返す。大きく崩れることがなくとも、勝ちきるまでには至らないもどかしい内容。特に、6歳にして初めて挑んだGⅠのフェブラリーステークスでは、残り100m地点まで2番手で粘る見せ場たっぷりの内容だったが、結果は惜しくも5着。
結局、エルムステークスでの勝利がマチカネニホンバレにとってJRAでの最後の勝利となってしまい、フェブラリーステークス5着後のマーチステークス4着を最後に、中央競馬の登録を抹消された。
その後、地方競馬の川崎さらには高知へと移籍し、高知競馬所属時に福山と高知で地方重賞を1勝ずつ制し、2014年に引退となった。

それから3年の月日が流れた2017年6月。
私は、安田記念を観戦するために東京競馬場を訪れていた。その日の第7レースは3歳以上1勝クラスのダート2100m戦。レースは、1頭が大逃げをするスリリングな展開となった。そのまま最後の直線に入り、残り400m地点を過ぎて、2番手を追走していた馬が逃げ馬をあっさり交わす。
──そのまま後続を突き放しあっさり決着したかと思った時に、事件が起きた。
先頭に立った馬に騎乗していたモレイラ騎手が、ムチを右手から左手に持ち替えた瞬間、馬は大きく馬場の外側へ逃避。すかさず右鞭を入れられると今度は内によれ、さらに再度外へよれた。二度三度と右往左往し、その都度スピードを落としながら立て直されてもなお、最終的には2着に2馬身半の差をつけて先頭でゴールするというとんでもなく破天荒なレース内容だった。

なんなんだこの馬は!?

私は、心の中で叫んだ。そして、慌てて競馬新聞を見返した。その馬はサトノティターンという名前だった。そのまま、馬名の両側の血統欄に記載されている父母の名前に目をやる。

父がシンボリクリスエスで、母はマチカネチコウヨレ・・・、

マチカネチコウヨレ?

母マチカネチコウヨレ!!

マチカネニホンバレの弟じゃないか!!

調べると、確かにサトノティターンはマチカネニホンバレの8歳下の弟だった。しかも全弟である。そして、この馬もまた間違いなく近い将来出世するだろうと確信した。
サトノティターンは、このレース後に調教再審査とはなったものの、以後は目立った悪癖を見せることなく、間隔をとりながら大事に使われ、2019年のマーチステークスでついに重賞初制覇を飾った。兄をさらに上回る570kgを越える馬体を揺らしながら、追われて追われて差しきったその内容は、同じ血統でも2番手からそつなく抜け出す競馬を得意としていた兄とは真逆のスタイルだった点がまた面白い。

競馬の血のロマンは、今日もどこかで脈々と流れ、受け継がれ、紡がれているのである。

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