[インタビュー]突然訪れた、中津競馬の廃止…。女性騎手・小田部雪さんが振り返る当時の光景。

かつて中津競馬場で活躍していた女性騎手、小田部雪さん。

インタビューの第2弾は、2001年の中津競馬場の廃止について語って頂いた。過去の辛い出来事を思い出させてしまう内容だったにもかかわらず、その当時のことや想いについて、詳しく振り返っていただいた。


──小田部さんに話を伺う上で、2001年の中津競馬の廃止については、避けては通れない話題となってしまいます。騎手のみなさんには、どのような経緯で伝わったのでしょうか。

「本当に突然に、何の前触れもなく……という感じでした。廃止前日の夕方、寮に入る為に夕飯などの準備をしていました。

そしたら館内放送が流れて『全員、集まるように』という指示がありました」

──そんな風に、全員が集合することは頻繁にあったのですか?

「ほとんどありませんでした。なので他の騎手の人たちと『何だろうね?』と言いながら集合場所に行きました。するとそこで『明日からレースはもう開催しません』という一方的な通告を受けました」

──何ヶ月か先の話ではなく、いきなり打ち切り……ですか?

「はい。翌日のレースに備えて減量など体重調整をしていた人も居ましたが、いきなりそんな話になりました。私も含めて周りの人たちは、みんな絶句。それからしばらくして『なぜ?』『どうして?』と質問をしたのですが『もうレースは開催しません』の一点張り。それしか返答してくれませんでした。赤字が続いていたのは知っていましたが、新しい年度も開催予定は組まれていましたし、競馬は続くと思っていました」

──すんなり受け入れるのは難しい状況ですね。

「その後は組合を立ち上げて、補償や廃止になった後のことについての打合せをしていくことになりましたが、全員が納得のいく結論には至らなかったです。ずっと中津で乗り続けたいと思っていたので驚きました。愛着もありましたし、アットホームな雰囲気も大好きでした」

──愛着があったなら、なおさら辛かったかと思います。

「あの当時の中津は、騎手の人数がそれほど多くなかったので、たくさんのレースに乗ることが出来ました。当時は女性騎手の減量特典はありませんでしたが『1日全レース騎乗』を何回もすることが出来ました。それはとても恵まれていたことだと、中津を離れてから痛感しました」

中津競馬の廃止が決定された後、小田部さんにはどうしても忘れられないエピソードがあるという。

「年配の厩務員さんで、足が悪い方がいらっしゃいました。その方と話をすると、いつも『馬はかわいい』『だから自分の体が悪くても、面倒見てあげたいんだ』と仰っていました。中津が廃止になった後のことについて毎朝、打合せをしていたのですがある日、その厩務員さんの姿が見えませんでした。気になったので見に行ってみると……部屋で亡くなられていたんです。競馬が廃止になってしまったことで、生きがいや張り合いといったものを失くされてしまったのかもしれません。その厩務員の方だけでなく、馬主さんや中津競馬を支えてくれていた関係者の方に、負の連鎖のようなものが続いてしまった時期があったのは、今でも忘れられないです」

──中津競馬が廃止となった後、同じ九州の荒尾競馬場に拠点を移すことに。

「実は、別の競馬場からも移籍のオファーを頂いていたんです。実際に厩舎にも見学に行く予定だったのですが、最終的にはお断りしました。九州から遠い場所だったので、何かアクシデントがあった時にすぐに駆けつけられない、と母が心配をしていたからです。親に心配を掛けさせたくなかったので、同じ九州の荒尾への移籍を決めました。幣旗先生は父の弟弟子という縁もあって、引き受けて頂きました」

上述の通り、荒尾に移籍してからは日に1~2鞍しか乗れないことが続き、中津での環境は恵まれていたと実感したという。さらにこの時期、小田部さんを苦しめる報せが相次いだ。赤字を抱えた地方競馬が廃止を決めたというニュースが続いてしまう。2001年8月に三条競馬、2002年1月で新潟県競馬が廃止。益田競馬場が2002年8月に、上山競馬場は2003年12月が最後の開催となり、また、足利・宇都宮・高崎の北関東の3競馬場も2003年から2006年の間に相次いで廃止となった。

「自分と同じ辛い思いをする人が増えてしまった、どうして同じようなことがまた起こってしまうのだろう、と感じました」

自分の所属する競馬場が無くなってしまう、という辛い思いをしている他場の関係者に小田部さんは思いを馳せていた。ネットでの馬券販売が盛んになったことで、遠方の競馬場の馬券も携帯やパソコンで手軽に買える環境が令和の時代では整っているが、「たら・れば」の話になってしまうが『あと数年、ネットでの馬券販売が早く始まっていたら廃止せずに済んだかもしれない』そう言われる地方競馬場もある。タイミングが悪かった、と片づけてしまうには代償はあまりにも大き過ぎた。

「私自身が騎乗経験のあった競馬場の廃止は特に淋しかったです。なので、九州で残っている佐賀競馬を少しでも盛り上げていけたらと思っています」

そう語る小田部さんは、佐賀競馬で新たに発行されることになった競馬新聞、『馬物語』で2022年7月に予想家デビューを果たすこととなる。

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