色褪せない圧巻のパフォーマンス。ルドルフ以来、史上5頭目の三冠馬・ナリタブライアン。

三冠の重み

私が本格的に競馬を観始めたのは1983(昭和58)年ですから、いきなりミスターシービーという三冠馬に出会ったことになります。ところが翌年にはシンボリルドルフが続く……という、信じられないことが起きました。しかし私は、競馬の世界を知って僅か2年。まだ〝三冠馬〟の言葉の重みは実感できていませんでした。

今更ながら、過去に三冠馬は8頭を数えますが、その内の2頭を同時代的に知ることになり、競馬を観る際のひとつの〝指針〟みたいな対象になったことは確か。それは単に2頭のキャリアに限らず、ライバル達との絡み方も関係していて、その都度のステップレースの選び方、調教スタイルなども含みます。つくづく幸せ(?)なスタートが切れたものだと思いますが、私が更に競馬の面白さを知ることになったのも、いずれ三冠馬となる馬の走りが絡んでいました。

それが、1994(平成6)年、ナリタブライアンの皐月賞でした。

ナリタブライアンは函館のデビュー戦2着で、当時は同じ開催中に使うことができた折り返しの新馬戦で初勝利。函館3歳Sを6着に敗れ、秋の福島に遠征してきんもくせい特別で2勝目。続くデイリー杯3歳S3着。ここまでの戦績を見ると、凡庸とは言えないものの、特に目立つものでもありません。
ところが、トレードマークとなるシャドーロールを装着すると、オープン特別だった京都3歳Sをレコード勝ち。続く朝日杯3歳Sを勝ってJRA賞最優秀3歳馬に選出。年明けも共同通信杯4歳S、スプリングSを制して破竹の4連勝。クラシック最有力候補として、第54回皐月賞に駒を進めます。

衝撃のレコード勝ち

なにぶん天邪鬼の自分。デビュー当初の印象と直近のパフォーマンスとに、あまりのギャップがあったうえ、フルゲートの1枠1番なんて枠を見ると、いつもの後方から早めスパートのレースぶりを思い起こし、「大丈夫だろうか」くらいに思ったもの。

そのことを考慮したのかどうか。好発を切るとスタンド前では5、6番手。はっきり言って、それまでにない早めの位置取りでした。もともと先行馬が揃っていて、ペースは速くなるだろうと思われていましたが、やはり1000m通過58秒8という息の入らないラップ。その中で積極策に出たわけです。しかも3コーナー過ぎでは前3頭を射程圏に入れ、直線入り口では先頭に並びかける勢い──。

「いくらなんでも無茶なのでは?」
と双眼鏡を覗きながら思ったものですが、直線の坂下でひとムチくれると重心が低くなってグンと加速。坂を上がり切ってからも更に加速し、ゴールでは後続に3馬身半差をつけます。従来の皐月賞レコードを更新する1分59秒0でのフィニッシュでした。

ラップなどお構いなし。

インの窮屈な位置から、自分から動いて出て4角先頭へ。そこから更にギアを上げて後続をち切って、そのうえでのレコード更新……。強さと速さが融合しているように思えました。

レースを観終わって、衝撃を受けることは少なくないですが、この時のショックは格別なものだったと思っています。「もしかしたらルドルフより強いかも」と感じたほどです。

シンボリルドルフの三冠達成からちょうど10年目。「ルドルフより強い馬は登場するのだろうか?」とどこかで思っていた自分がいて、それをナリタブライアンの走りが打ち砕いたというんでしょうか。サラブレッドの〝進化〟を目の当たりにした、と言っては大袈裟になりますが、個人レベルで、競馬の見方に関する大きな転換点にはなりました。

色褪せない圧巻のパフォーマンス

ご存じの通り、ナリタブライアンはルドルフ以来、史上5頭目の三冠馬になり、同年に有馬記念を制したのもルドルフ以来2頭目となりました。それが古馬になってからはGⅠを勝てず、主戦騎手の乗り替わりや1200mの高松宮記念出走で論争を巻き起こし、種牡馬生活に入ると2世代の産駒を残しただけで急逝。光と陰を感じさせるというのか、どこか寂寥感のある晩年になりました。

それでも、サンデーサイレンス産駒がデビューした年に三冠馬となったナリタブライアンには、やはりひとつの〝時代〟というものを感じるし、その偉業が霞むようなこともありません。

皐月賞、ダービー、菊花賞で2着馬につけた着差はそれぞれ3馬身半、5、7馬身の計15馬身半。三冠のパフォーマンスとしては、他の7頭と比較しても圧倒的であり、今もなお光り輝いているのですから。

写真:かず

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