1984年フェブラリーハンデキャップ ロバリアアモンvsアスコットエイトの思い出

競馬史のターニングポイントになった年、と聞いて、ここ数年間ですぐにイメージできる年はいつになるでしょうか?

いろんな意見があるかと思いますが、わかりやすく決定的かな、と思えるのは、やはり日本がパートⅠ国に昇格した2007年が妥当なのかもしれません。
それまでの日本のサラブレッドの、〝集大成〟みたいな活躍を見せたディープインパクトがターフを去った翌年でもありますし、日本の競馬が名実ともに、世界に認められた高揚感とともに、「時代が大きく動いた」という印象はあったと思います。

しかし、それ以前。もう少し時代を遡ると、パート1国昇格に匹敵するくらいの、〝日本の競馬史のひとつの章がめくられた〟とすら言っていいくらいにインパクトのあった年があります。日本の競馬で初めてグレード制が導入された1984年です。
競馬史にとって、この前年までと対比して生じる象徴性は、決して過去のノスタルジー的な記憶ではなく、個人的には現代にまで通じている、と大きく構えても仰々しくない事実だと思っています。


1981年のジャパンC創設で、明らかに視線を〝世界〟に向けた日本の競馬界でしたが、あくまで東アジアのローカル競馬に過ぎませんでした。それを改めて、他国で当たり前のように行っている〝レースの格付け〟をしよう、という流れになったのです。

無論、当初は国際的に認められたグレードではありません。が、とにもかくにも、ファンにもわかりやすい、世界標準を目指した最初の具体的なルールの変更でした。83年はシンザン以来、19年ぶりに三冠馬が誕生し、ジャパンCで初めて日本馬が2着に好走。そうした機運も手伝って、そこには「何か新しいことが始まるのだ」とワクワクさせる空気が満ちていたように思います。

そのひとつの施策として、新設重賞があったわけですが、現在のフェブラリーSの前身となる〝フェブラリーハンデキャップ〟もそうでした。

今でこそダートの重賞は当たり前ですが、当時は、何と言えばいいか、ダートレースは一丁落ちというか、ややマイナーなイメージがありました。
だからこそ、かもしれませんが、〝グレード制導入〟という響きがもたらす高揚感と、敢えてダート重賞が〝新設〟されたことにも新しい時代の到来を感じたものでした。

その年は雪が多く、中山のAJCCがダート変更(!)されたりもしたほど。フェブラリーHの週中にも雪が降ったかどうかは記憶が定かではないのですが、競馬場のコース周辺には雪が残り、当日は快晴ながらドシャドシャの不良馬場。

1番人気に支持されたのは強靭なスピードを持つアスコットエイトでした。3歳(旧表記)夏のデビュー戦(ダート1000m)を快勝したものの、続く北海道3歳Sで13着に敗れて休養に入ります。年が明けて芝に挑戦して3連敗。ダートに戻って2勝目を挙げますが、4歳夏までは芝ダート問わず、行き切れないと脆い、といったピードタイプでした。

それが4歳秋、強烈に覚醒します。
まず京都のダート1800mをレコードで9馬身差で逃げ切ると、続く桂川特別を2秒1差の大差で逃げ切り。菊花賞はしんがりまでバテてしまいましたが、続く愛知杯を5着。5歳になって、ダートに戻って仕切り直すと、北山特別を逃げて2秒差の大差勝ち。続く中日新聞杯では、2秒3差をつけるぶっち切りの逃げ切りで重賞初制覇を飾ります。レコードのオマケをつけて。

そうして迎えたのが新設されたダート重賞であるフェブラリーハンデでした。舞台は東京の1600m。この馬のために作られた、ようなレースだったと言えます。
スタート直後の芝はお手のもの。楽々とハナを奪うと、ダートコースに入ってからの行きっぷりは軽快そのもの。直線を向いても脚色はまったく衰えず、馬群がごった返している後続を尻目に、ゴール寸前まで先頭。
「これは押し切ったかな」
と思った直後、大外から差してきたのが2番人気のロバリアアモンでした。道中は後方馬群。直線は外めにコースを替えつつ、ゴール前は強烈な伸びを見せて襲いかかり、差して1馬身3/4差。今は亡き吉永正人騎手の真骨頂であり、必殺技である〝大外一気〟が見事なまでに炸裂したのでした。

レースの上がり3fは13秒6-13秒5-13秒4。死力を尽くして逃げ粘ったアスコットエイトですが、最後は完全に力尽きた格好になりました。

しかし、このレースがより印象的だったのは、走り終えてスタンド前に引き上げてきた時の2頭の姿でした。
ずっと先頭を走っていたアスコットエイトが鞍上の五十嵐忠男騎手(現調教師)とともに、汚れたところのない実に綺麗な姿を保っていたのに対し、ロバリアアモンは「一体どこを走ってくればそうなるのか?」と聞きたくなるような、人馬揃ってまさに全身泥まみれ。とても同じレースを走った馬同士には思えない姿だったこと。

この2頭の対比、絵的な印象といったものが、〝ダートレース〟の面白さをストレートに、鮮やかにアピールしたのではないか、なんてことを今更ながら思うのです。泥まみれの〝勝者〟と、美しいままの〝敗者〟。このコントラストは、競馬の魅力を伝えるのに十分なインパクトがあったと思います。
そのことで、フェブラリーハンデが新設重賞として、広く認められたんじゃないか、とすら思えるくらいに。

その後、フェブラリーハンデキャップは1994(平成6)年に別定戦となって〝フェブラリーステークス〟と名称変更。そこでGⅡに昇格し、1997(平成9)年にはGⅠに昇格して今に至ります。
今では年明けしょっぱなのGⅠとして、すっかりお馴染みになったフェブラリーS。その初回に激闘を演じた2頭の姿が──ちょっぴり個人的なノスタルジーになることを許していただくとして──今も忘れらないでいるのです。

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