"世界"を知った秋…。日本の競馬ファンを驚愕させた、スノーフェアリーのエリザベス女王杯を振り返る。

1981年、「世界に通用する馬づくり」を掲げて国際招待競走・ジャパンカップが創設されて以降、海外から多くの競走馬が来日した。創設年には、米国で一線級とは決して言い難いメアジードーツの前にモンテプリンスやホウヨウボーイが敗れ去り、1983年には天皇賞馬キョウエイプロミスが自らの競走生命と引き換えに初めての連対。翌年、カツラギエースやシンボリルドルフがその重い扉を開いた一方で、タマモクロスやオグリキャップ、メジロマックイーンら歴代のスターホースが苦杯を舐めた。一進一退。1980年代から1990年代にかけて世界の強豪は高い壁として聳え立ち、我が国の競馬に大きな影響を与えてきた。

しかし、2000年代に入ると勢力図は一変する。ジャパンカップをはじめとした国際競走は毎年のように日本馬が制するようになり、海外の強豪がリスクを負って訪日する機会は激減した。2022年現在、ジャパンカップでは2005年のアルカセットを最後に二十年近く外国馬の優勝はなく、短距離路線まで広げても外国馬が本邦のG1を制したのは2015年の香港・エアロヴェロシティ(高松宮記念)が最後である。2019年にジャパンカップへの遠征馬がゼロとなったことは、その象徴だろう。

入れ替わるように、頻繁に海を渡るようになった日本勢は異国の地で多くのタイトルを奪取した。中立地である香港やドバイ、豪州で勝ち取った栄光は枚挙に暇がなく、本場ともいうべき欧州や米国でも現地の競馬ファンを唸らせる結果を度々挙げた。

「日本馬は世界でもトップレベル。ホームグラウンドで外国馬に後れを取ることは、もう無い」

自信とプライドは年々高まり、今や日本のトップホースが目指すべきは、未踏の地であるアウェイの最高峰となっている。歴史の重い扉を開くその瞬間を、私たちは毎年固唾を飲んで見守っている。

そんな気運がすっかり高まりつつあった2010年。一頭の牝馬がアイルランドから海を越えてやってきた。その馬は強烈な末脚で日本馬を打ち砕き、ワールドクラスの実力をまざまざと見せつけ、「世界の何たるか」を私たちに改めて教えてくれた。

今回は、外国馬ながらエリザベス女王杯連覇の偉業を成し遂げたスノーフェアリーを振り返りたい。

2007年にアイルランドで生を受けたスノーフェアリーは、1歳時に開催されたタタソールズのセールで買い手が付かずに僅か20万円足らずで主取りとなったことが示すように、決して評価が高い馬ではなかった。6月にニューベリーで競走馬としての第一歩を踏み出し、2歳時は6戦1勝。短距離のレースを中心に使われ、2戦目のリングフィールドのメイドンで初勝利こそ挙げたものの、続く重賞競走で目立った成果を挙げることはなかった。それまで騎手が固定されず、全てのレースで異なる騎手が騎乗していることから推察しても、デビュー直後の彼女は決して高い評価を受ける存在ではなかったのだろう。「雪の妖精」と名付けられたその無垢な名が日本の競馬ファンの耳に届くことはなかった。

そんな彼女の評価は、3歳を迎えて一変する。

半年ぶりに実戦復帰したスノーフェアリーは、芝10Fのリステッド競走のハイツオブファッションSにて待望の2勝目を挙げた。勢いそのままに挑んだ英オークスで、生涯のベストパートナーとなるライアン・ムーア騎手と邂逅を果たすと、700mもの長い長いエプソムの直線を馬群を縫うように追い込み、ミーズナー(Meeznah)をクビ差制して一気に頂点を極めた。返す刀で挑んだ愛オークスで2着ミスジーンブロディ(Miss Jean Brodie)を八馬身突き放して英愛オークス制覇。

怒涛の3連勝で、欧州一流馬としての地位を確立した。

2010年。日本国内の牝馬クラシック戦線を牽引したのはアパパネであった。上品で可憐な佇まいの彼女は、前年に阪神ジュベナイルフィリーズを制して2歳女王に輝くと、チューリップ賞・ローズステークスと2度のトライアルで不覚を取りながら本番では勝負強さを発揮。世代限定の牝馬限定G1を完全制覇し、メジロラモーヌ、スティルインラブに続く史上三頭目の牝馬三冠を成し遂げて歴史にその名を刻んだ。

アパパネが偉業を成し遂げた10月17日から遡ること2週間。10月5日に締め切られたエリザベス女王杯の海外からの予備登録に、スノーフェアリーはその名前を連ねた。ジャパン・オータム・インターナショナルの褒賞金指定競走である英愛オークスを制していた彼女がエリザベス女王杯に照準を定めたことで、時代は静かに動こうとしていた。


11月14日、京都競馬場、快晴。

この日のエリザベス女王杯は、三冠牝馬のアパパネを筆頭に、この年の日経新春杯と京都大賞典で牡馬を一蹴したメイショウベルーガや一昨年の覇者リトルアマポーラ、アパパネと互角の攻防を繰り広げてきた3歳馬アニメイトバイトとサンテミリオン等、日本の牝馬戦線の一線級が顔を揃えた。

日欧の適性の違いが盛んに謳われる時代において欧州の実績は却って日本適性への疑問符に繋がっただろうか。「欧州で強くても日本では別。地の利は日本馬にある」というファンの声が聞こえるかのように、本場のオークス馬は4番人気と、輝かしい実績からするとやや物足りない評価に留まった。

ゲートが開いた。

前年、日経新春杯を大逃げで制してエリザベス女王杯でも大番狂わせを演出したテイエムプリキュアが積極果敢にハナを奪い、夏のマーメイドステークスで行った行ったのワンツーを決めたセラフィックロンプとブライティアパルスが2、3番手を追走。4番手のリトルアマポーラが実質的に馬群を先導して、ファンの支持を集めた各馬は中団後方を追走する。ブエナビスタが不覚を取った前年を思い起こさせる展開にスタンドがどよめく中、スノーフェアリーはアパパネの少し後ろ、中団のインで息を潜める。

 4角。前年の轍を踏むまいと後続馬群が早めにその差を詰めて先導した各馬のリードが一気に縮まる。京都競馬場の下り坂を利して勢いづいた有力各馬は、そのスピードを殺がぬように内へ外へと、思い思いの進路を選んで追撃態勢に入る。脚色が鈍ったテイエムプリキュアらの外からリトルアマポーラが、最内から京都を知り尽くす武豊騎手に導かれたコロンバスサークルがじわじわと襲い掛かろうとしたその刹那。見慣れぬ赤と黄色の勝負服がただ一騎、別の生き物と見紛うほどの異質な動きで馬群を切り裂いた。

──スノーフェアリーがすんごい脚!!!!

檜川彰人アナの絶叫と共に、あっという間に先頭を奪取した彼女は、瞬く間には大きなリードを築いた。

外から懸命に脚を伸ばすメイショウベルーガも、同期の三冠馬アパパネも、まるで追いつけない。日本のトップホースを置き去りにした彼女はそのまま4馬身差の圧勝劇で悠然とゴールを駆け抜けた。青い目をした欧州3歳女王の走りは、あまりにも強烈で衝撃的だった。

──この日私は、幸運にも確保できた京都競馬場グランドスワンの指定席に居た。

ゴールまで残り250m。馬群を俯瞰して直線の攻防を一望できる絶好の場所で見守っていた私の脳裏には、最内から飛び出してきたスノーフェアリーの姿が今もなお鮮明に残っている。

ジョッキーの力強いアクションに応えて肉食獣のごとく四肢を収縮させる彼女の姿があまりにも鮮烈すぎて、スノーフェアリー以外の馬の所作をうまく思い出すことができない。

まさに、記憶に「残る」ではなく「刻み込まれる」走りであった。「地上で、もっと近くで彼女の走りを見たかった」という贅沢な思いが、今も残っている。

ライアン・ムーア騎手は、当時27歳。

既に英国平地リーディングを3度確保し、エリザベス女王から「サー」の爵位を授与された英国の名伯楽マイケル・スタウト師から厚い信頼を寄せられていた若き名手である。コンデュイットでキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを、ワークフォースで英ダービーと凱旋門賞を制してその名を馳せていたが、スノーフェアリー来日時点で日本での実績は殆ど無かった。後に日本馬を駆って数々のタイトルを獲り、日本競馬のレギュラーとして欠かせない存在となった彼が日本競馬に与えた最初の衝撃が、この日のエリザベス女王杯であった。

鞍を確りとグリップし、長い手足を活かしたダイナミックで強力なスイングを描くアクションで馬に推進を与えるライディングスタイル。それはスマートに馬のベストを引き出す武豊騎手とも、ワイルドに叱咤鼓舞する岩田康誠騎手とも異なるアプローチであった。彼がもたらしたワールドクラスの騎乗技術は、ムーア騎手を目標と公言する石川裕紀人騎手を筆頭に、日本競馬界に新たな風を吹き込んだ。かつて米国に渡った保田隆芳騎手がモンキー乗りを、武豊騎手がエアロフォームの勝負服を持ち帰ったように、ムーア騎手の存在そのものもまた、日本競馬を新たなステージに引き挙げた。


スノーフェアリーは次走の香港カップも制してカルティエ賞最優秀3歳牝馬に選出される。

4歳も現役を続けた彼女は欧州中距離の主力の一角としてソーユーシンク(So You Think)、シリュスデゼーグル(Cirrus des Aigles)、ワークフォース、デインドリームらの強豪と互角に渡り合い、秋には再びエリザベス女王杯に参戦。1番人気の支持に応え、アパパネやアヴェンチュラらを再び強烈な末脚で下して、外国馬としては初めての本邦平地G1連覇を成し遂げた。そして翌年レパーズタウン競馬場の愛チャンピオンステークスで後に名種牡馬として名を馳せるナサニエル(Nathaniel)を下したのを最後にターフを退いた。

「日本のレベルアップは著しい。これからは海外に打って出る時代」という意見は正しいだろう。しかし一方で海外からの遠征が縮小してしまった昨今、海外馬に対して出走するだけでエールを送りたくなってしまうオリンピック精神のような現状は、どこか寂しいものでもある。

 彼女がラストランを飾ったレパーズタウン競馬場のパドック脇には、彼女の功績をたたえるブロンズ像が鎮座し、今を走る後輩たちを見守っているという。アイルランドに産まれ、英国、仏国、香港、そして日本を渡り歩いた名牝。海を渡って日本馬を圧倒した彼女の異次元の末脚は、競馬ファンに深く深く、刻み込まれている。

写真:Horse Memorys

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