彼女がいた時代を生きてきた、幸せな人々へ − アーモンドアイ

競馬を続けていると、幸せと不幸せの行ったり来たりを繰り返して生きていることに気づかされる。予想通りの展開で大勝する日もあれば、最終レースに人気馬の複勝にブッ込んで取り返せない日もある。

たとえば、2017年8月6日。
台風の影響で夏の甲子園の開幕は翌々日に延期。ため息のなか「競馬でもやるか」とテレビをつけて、打って変わっての快晴を羨む人々もいたはず。
その日の新潟競馬場の青空はどこまでも澄み切っていた。
新馬戦。圧倒的な1番人気に支持された牝馬は、鋭い末脚を見せながらも2着に敗れた。甲子園でガッカリ、馬券でもガッカリか。しかしこのレースを見届けた人々は、知らず知らずのうちに新時代の夜明けを確かに目撃していたのだ。馬券が外れようが、雨に降られようが、彼らは競馬ファンとしてこの上ない幸福の真っ只中にいた。

このレースこそ、アーモンドアイの競走生活のはじまりである。

アーモンドアイ

三冠すらも通過点

新馬戦で2着に破れたアーモンドアイはその後東京での未勝利戦を持ったままで制し、重賞・シンザン記念へ。新馬戦で台風を免れた彼女にとって、初めての雨の中での競馬。どろんこのシャドーロールに気づいていないかのようにかろやかに差し切った。
彼女の末脚は明らかに次元が違ったはずだが、当時は鞍上・戸崎騎手の3日連続重賞制覇の方が大きく報じられたように記憶している。その頃3歳牝馬の評判ナンバーワンといえば、2歳GⅠを含む全勝馬・ラッキーライラック。桜花賞でアーモンドアイはラッキーライラックに圧倒的な1番人気を譲る格好となった。アーモンドアイの競走馬生活でたった一度となる2番人気。この時アーモンドアイを本命視せず、シンザン記念をそれらしい理屈をつけて割引き、「2歳女王こそ」と思っていた人(特に筆者)はのちの偉大な軌跡を振り返るたびに「でもあの時◎打たなかったな……」と赤面する十字架を背負うことになる。

桜花賞。ラッキーライラックは絶好のスタートを決め先行、最後の直線では満を持したかのように抜け出した。その時アーモンドアイは先頭から8馬身程後方、誰もがラッキーライラックの勝利を確信したその瞬間、外からとんでもない末脚が15頭を一瞬でのみ込んだ。
ラッキーライラックを本命視した競馬ファンの相馬眼は、決しておかしいものではなかったはずだ。鞍上である石橋騎手のレース運びにも文句のつけようがなかった。何よりラッキーライラック自身、後に大阪杯を制し、エリザベス女王杯を連覇と、素質馬であったことは言うまでもない。
けれど、アーモンドアイが強すぎた。

結末を知る今ならば次走のオークスも彼女にとって通過点といえるが、2400メートルのコースに当時は懸念も囁かれた。ケチをつけるなら血統か。アーモンドアイの父・ロードカナロアは言わずと知れた短距離路線の王者だ。
しかし全ては杞憂だった。蓋を開けてみれば、好位から上がり最速でゴール。さらに夏を越して挑んだ秋華賞では五分のスタートから中段の外目を追走し最終コーナーで大外を強いられるも、かろやかな末脚はそのまま、瞬く間にトリプルティアラを掴み取った。

アーモンドアイは堂々三冠を携え、ジャパンカップに挑む。

オークス(2018)
あなたにおすすめの記事