あの日本調教馬の悲願目前に立ち会った、馬主の傍にいる綺麗なオネエサンの話

オネエサンが初めて競馬を見たのは東京競馬場で、それもいちばん高い席からだった。

「先生」と呼ばれる人のエスコートのもと、特別な出入り口から入って、一番高いフロアまで連れられてきた。初めて見たのが1998年、エルコンドルパサーのNHKマイル。『コンドルは飛んでいく』、歌と同じ名前だと後から知った。

先生と知り合ったきっかけは、ほんの興味で登録したデートクラブ。援助交際全盛期を傍目に見ていたせいかそこまで抵抗はなかった。先生はオネエサンよりずっと年上で、お金持ちの人。オネエサンは主に先生の“話し相手”だった。

「秘書の人がいない時だけひっそり手を握ったりもしたけど、それ自体は苦じゃなかった。それよりひとりでアパートに帰って、ドレスを脱ぐ時のほうがずっとつらかった」

オネエサンには先生以外に休日をともに過ごす人はいなかった。

就職氷河期の真っ盛りに短大を出たオネエサン、かろうじて非正規の職にありついた。収入の多くを奨学金の返済にあて、遊びに行くこともほとんどなかった。付き合いもずいぶん減った。救いといえば結婚式に呼ばれることもほとんどなく、入用が少なく済むくらいか。
それだけに先生が連れていってくれるさまざまな行き先が、オネエサンには新鮮そのものだった。普段はいけないようなお店の特別な個室に招かれ、先生の馬が勝った時の口取りに参加したこともある。
けれど嬉しそうに馬をねぎらう先生や厩舎スタッフ、眩しい汗を浮かべる騎手を間近で見るたび、オネエサンは本当の意味で彼らの輪に入れることはないと思った。

「自分はほんの巡り合わせだけでここにいるに過ぎない。風が吹けば一変、ふたたび戻ってくることはない」

華やかな週末を過ごしているときほど、オネエサンは心の奥のほうで、扉がパタンと閉まるような音を聞いたのだった。

オネエサンの初めての海外旅行も先生に連れられてのもの。1999年秋のフランス。目的は先生の商談、その後に控える凱旋門賞の観戦だった。
さすがに最初は断ろうとした。けれどお金のことは心配しなくていい、老いた身では心許ないと先生がいうので、付き添いがてら甘えることにした。秘書の人も同行していたが、オネエサンのような立場の女性はオネエサンただひとりだった。

パリ行きが近づく頃、オネエサンは先生から凱旋門賞について教えてもらった。

これまで3頭の日本馬が果敢にも挑んできたが、まるで太刀打ちできなかったこと。そもそもヨーロッパの馬以外で勝った馬は未だかつていないということ。今年は日本からエルコンドルパサーが出走するということ。もしかしたら、ついに悲願の時が来るかもしれないということ。
エルコンドルパサーは5戦全勝でNHKマイルを制し、その後も国内のスターホースたちをみんな負かしてしまった。

「もう日本には倒すべき馬はいなくなった。それでエルコンドルパサーは今年の年明けにフランスに渡って、ずっとひとりで戦ってきたんだ」

1999年。人類滅亡が騒がれた。スペシャルウィークとグラスワンダーがぶつかり合った。次世代の3強がもてはやされた。そしてオネエサンも若さに身を任せ、毎週末刹那的な喜びを消費しながら生きてきた。

その間にエルコンドルパサーは日本での栄誉も賞金も捨て、遠く異国の地で走り続けていた。

「でも、そんなエルコンドルパサーにもたった一頭だけ、全く敵わなかった馬がいた。けれどもう、一生勝てない。そいつは星になっちまった。たとえエルコンドルパサーが世界一になっても、あの馬にだけはずっと勝てないままなんだ」

それを聞いて、オネエサンの頭の中にフランスの大自然が空撮みたいに浮かび上がった。その中を一心に駆けているエルコンドルパサーがいる。まなざしの先には黄金色の幻がいる。決して届かない。それでも走り続ける。

オネエサンは思った。

「エルコンドルパサーは立派な馬だ。だけどそんな彼にも、静けさに心が止まるときがあるような気がする。風の中で足がすくむときがあるような気がする」

オネエサンは、エルコンドルパサーのことが気になってたまらなくなった。それでオネエサンは初めて競馬雑誌を買って、エルコンドルパサーの顔写真をまじまじと見た。筆の穂先でチョンと絵の具をつけたような額の星。オネエサンはその写真を丁寧に切り抜き、お守りのようにパリの旅行ガイドに挟み込んだ。

当日この星をちゃんと見つけられるように。

初めてのパリは雨だった。ぼんやりとした頭の中に、息継ぎひとつないフランス語が流れ込んでくる。違う国に降り立ったというのは、景色や匂いよりも先に、聴こえてくる音でわかるものだ。モノクロームの空の遠く、ぽつんとエッフェル塔が雨に煙る。やけに空の広いところだと思った。

凱旋門賞が行われるパリロンシャン競馬場は市街地から少し離れた森の中にあり、木々に挟まれた一本道をタクシーで飛ばしていく。恙なく秘書の人が案内してくれるので、オネエサンはただ流れていく木々をぼんやり見ているばかりだった。

競馬場についてからも、現地の知人や取引相手との挨拶に勤しむ先生について回るばかり。着飾った地元の貴婦人たちを前に、自分の身なりが恥ずかしくなったりする。そして知らないところで知らない言葉を話す人たちが、今を生きている。とりかえしのつかないようなところまできてしまった。あまりにも本来の自分とかけ離れているように思えた。

この日、第3レースのGⅠに日本のアグネスワールドが出走していた。

馬たちは向正面でスタートするとたちまち最高速度に乗る。1000mを息つく間もなく飛ばす。まだ日本で「千直」がない時代、オネエサンはこんなレースを見たことがなかった。さらにアグネスワールドが先頭でゴールしたものだから、余計びっくりした。あちこちで日の丸の旗を振る人がいる。タケ、タケ、と声をあげる現地の人がいる。当時は日本馬が海外のGⅠを勝つなんて滅多にないことで、この日ばかりは海外慣れしている先生や秘書も自分の馬が勝った時のように喜んでいた。

この騒ぎに乗せられたところもあったように思う。オネエサンは密かに思いついた。

「エルコンドルパサーを近くでひとめ見たい」

秘書に目で合図を送り、ハンドバッグと旅行ガイドを手に歩き出した。オネエサン、一人でパドックへ向かうことに決めたのだ。初めての土地でパードン、パードンと人ごみをかき分けパドックを探す。行き交う中に馴染みの黄色と赤のスカーフを巻いた日本人を見つけた。エルコンドルパサーの勝負服と同じ色。ついていけばたどり着くような気がして、その背を追いかけた。それでかろうじてパドックに辿り着いた。
自分にこんな勇気がわいてくるとは思わなかった。

これほどのレースともなれば、日本と同じくパドックは所狭しと観衆で埋め尽くされていた。すきまからなんとか周回する馬たちが見える。こういう時はやはり日本人の姿ほど目につくもので、馬よりも先に黄色と赤の勝負服の騎手を見つけた。きっと彼の目線の先にいるに違いない。それで騎手の視線を慎重に辿った。

その歩様がどれほど優れているものか、調子がよいのか、オネエサンにはちっともわからなかった。ステップみたいな足取りだと思った。5と刻印されたゼッケンが揺れる。真っ直ぐに前を見て進む。オネエサンは手元の旅行ガイドをめくり、挟んでおいた写真の額の星と見比べた。

オネエサンは息を呑んだ。確かに、この馬がエルコンドルパサーだ。途端に鼻の奥がツンとしみて、目が熱くなった。
ようやくめぐり逢うことができた。けれど人間も躊躇するような、こんな遠くでたったひとり、健気に生きてきたと思うと、胸が苦しくなった。目が離せなかった。人影や大木に隠れてはひょっこり顔を出す。それも愛らしく思えた。騎手がまたがると、一周もしないうちに馬場へと向かい、パドックを後にした。

それからオネエサンは口紅を急いで引き直して、さも化粧直しに行ってきたかのように、息を整えて再び先生のもとへと戻る。先生はオネエサンのしばしの不在について何も問いたださなかったし、そもそもいなくなっていたことにも気づいていないように見えた。それがどこか小気味よくて、この冒険については秘密にしようと思った。

オネエサンはファンファーレを待ちわびていたが、レースは突然に始まった。
意中のエルコンドルパサーが先頭に立ったとき、オネエサンは息の仕方を忘れてしまった。そして向正面に届きそうなほどの歓声の中、ひとりの静寂へと身を沈めていった。

先頭を切って走るエルコンドルパサー。
長い間、こんな風にたったひとりで、誰の干渉を受けることなく走ってきたのだ。その先には誰の姿も幻もない。その孤独がかけがえのないもののように思えた。このまま誰もこないでほしい。彼の孤独を守ってあげてほしい。祈るように両手の指を絡めて力を込めた。

けどそれは果たされなかった。ゴールまで間もないところ、後ろからきた一頭に並ばれ、すんでのところで抜かされた。けどオネエサンの心は静かだった。最後まで粘り強く走る姿に、オネエサンは「じゅうぶんだ」と小さくつぶやいた。

激闘を終えたエルコンドルパサーがスタンドの方へ戻ってくると、割れんばかりの大歓声が起こった。それはオネエサンの静寂にも濁流のように流れ込んできた。
彼の健闘を国境を超えて誰もが讃えていたのだ。それから世界一となった勝ち馬が堂々と引き上げてくると、さらに拍手は大きくなった。
オネエサンは背伸びをしながら、遠ざかるエルコンドルパサーと騎手の姿を見えなくなる最後の時まで見ていた。瞬きをするのも忘れていた。彼の姿が人混みの彼方へ消えた頃にまぶたを閉じると、行き場をなくしたたくさんの涙が止めどなく流れてきた。

勝ち馬を称えるフランス国歌が遠く流れ、パリの空へと吸い込まれていった。


帰国後、オネエサンは先生との関わりから自然と身を引いていった。正直なことを言えば、年齢を重ねて次第に選ばれなくなるかもしれない。そうなる前に、と思ったのもある。
今ではオネエサンの心に孤独の風が吹くこともない。彼女は今年で47歳、凛とした佇まいに知的な面影を残す。オネエサンはパリの貴婦人と比べて恥ずかしく思ったというが、きっとロンシャンでも一際目をひいたと思う。

エルコンドルパサーは凱旋門賞を最後に引退、種牡馬入りを果たした。しかし21世紀になって間もない頃、腸捻転でこの世を去った。それでも彼は今なおオネエサンの心の中で生きている。彼女がひとたびまぶたを閉じれば、エルコンドルパサーの孤独にふれた旅がよみがえる。その孤独に励まされ、彼女もまた今日まで逞しく生き続けてきたのだ。

写真:かず

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