何を目に焼き付け、心に刻むか。「アナログ時代」の終盤を駆けたティコティコタックの思い出。

未勝利戦からメインレースまで、全ての映像がJRAのホームページにアーカイブされている現在とは違い、インターネット黎明期の2000年前後、さらにはそれ以前のレース動画を振り返るのは簡単なことではなかった。G1をはじめとする有名なレースならまだしも、条件戦ともなるとそれはほぼ不可能と言って良い。そこで頼りになるのは己の記憶だ。どれだけ自分が数多くのレースを目にし、心に刻んできたか……。その蓄積が競馬ファンとしての財産のひとつである。

──だが、正直に言おう。何も覚えていないレースもある。

そのひとつが、2000年の秋華賞馬ティコティコタックのデビュー戦だ。

改めて戦績を調べてみても、残されているのは「2000年3月26日・4歳未出走戦・6番人気5着」という事実だけ。そうですか、としか言いようがない。ついつい「未出走戦」という言葉の懐かしさや、ダート1200m戦を使っていた意外さ、藤井正輝というなかなか日の目を見ることのなかったジョッキーの名に目を奪われそうになるが、肝心のレース内容は謎のまま。ついでに言えば、5戦目で初勝利を挙げた際のことも全くもって記憶にない。もし当時のことを鮮明に覚えている方がいらっしゃるならば、この先の文章を綴るペンを譲った方がいいかもしれない。

ただ、今もかすかに脳裏に焼き付いている光景がある。

1位に入線しながらも進路妨害を取られ、6着に降着となった500万下(現・1勝クラス)戦のことだ。当時はまだ内回りコースだった阪神の芝1600m戦で、4コーナー最後方から馬群を一気に飲み込んでいく豪快な末脚。毎週末、ビデオに録りためてはレースの復習に活用していたKBS京都テレビの「中央競馬ダイジェスト」を見ながら、この馬の非凡なポテンシャルをほんの少しだけ感じ取っていたのだ。

とはいえ、そのわずか4ヶ月後に秋華賞を制する未来などこれっぽっちも予想できなかったけれども。


「今年も大波乱になるぞ~!」

関西テレビの誇る名人・馬場鉄志アナウンサーの声が弾む。その重厚な絶叫に背中を後押しされるように、内ラチ沿いから勢いよく飛び出してきた小柄な栗毛がティコティコタックだった。前の年に馬連で10万円近い配当が飛び出した舞台に、再び嵐が吹き荒れた。

明暗を分けたのは展開。ヤマカツスズランが作った流れは前半1000mが60.8秒と落ち着いた流れ。前年の阪神3歳牝馬Sの勝ち馬ながら、骨折による休養明け初戦のローズSで14着と大敗を喫していたこともあって評価が急落。後続馬群のマークも薄れたことで、勝負どころに入ってもペースは一向に上がらない。 これでは中団・後方待機勢はお手上げである。中団に位置したオークス馬シルクプリマドンナも、豪快に差し切ったローズS同様、追い込みに徹したニホンピロスワンも全く脚を伸ばせず。桜花賞馬チアズグレイスは番手追走からエンジンがかからない。

有力各馬がスローペースに苦しむ中、まんまと2着に逃げ粘ったのがヤマカツスズラン。そして、巧みな進路取りからのスパートでそれを捕らえたティコティコタックのワンツーフィニッシュで、馬連は30,010円の番狂わせとなった。ただ、上がり33.5秒の末脚で突き抜けたティコティコタックの勝ちっぷりは、とても単勝10番人気の低評価に甘んじていた伏兵のものとは思えない鮮やかなものだった。

単勝オッズは2,710円。札幌の大倉山特別(900万下、つまり現2勝クラス)で古馬相手に快勝しての参戦ながら、人気の盲点になっていたように思う。ただ、当時の事情を知る競馬ファンの一人として言い訳をさせてもらうと、あの頃は特別戦と言えどローカル開催の映像を目にする機会は限られており、この馬の隠れた才能を見抜くのは容易なことではなかった。いつでもどこでもレース映像が見られる現在であればもっと馬券も売れていただろうし、それこそ予想上手のブロガーやYouTuberもこぞって「秘密兵器」として取り上げていたんじゃないだろうか。

競馬は「記憶のスポーツ」とも呼ばれる。どの馬が、いつ、どこで、どんなレースを見せてくれたか。それを自分なりに積み重ねていくことが予想に役立つだけでなく、お気に入りの愛馬との出会いにつながることだってある。その尊さは、過去の映像や結果を簡単に遡れるようになった今も何ら変わることはない。

春のクラシックとは全く無縁の存在ながら、瞬く間に女王の座についたティコティコタック。目立たない場所で、少しずつ才能の片鱗を覗かせていた道のりには、「記憶を紡ぐこと」の大切さがぎゅっと詰まっていた。彼女がターフを駆けた時代にそれを続けるのは並大抵のことではなかったが、競馬雑誌や録画した映像にくまなく目を通すアナログの世界は楽しくもあった。

さあ、次の週末も競馬はやってくる。何を目に焼き付け、心に刻むかは、私たち次第だ。

写真:かず

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