馬名に違わぬ"ワンダー"なレースぶり - 1997年・京成杯3歳ステークス

1990年代後半は「マル外」と呼ばれる外国産馬たちが大活躍していた時代であった。
ヒシアマゾン・ヒシアケボノ・タイキシャトル・シーキングザパール・エルコンドルパサーなど……ウマ娘のモデル馬として知られる馬たちもマル外の期待馬として日本競馬会を席捲していた。
また、その活躍は日本国内にとどまらず、海外のレースにも及んだ。

シーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ゲストを勝利し、日本調教馬で初となる海外G1制覇を果たすと、翌週にはタイキシャトルがジャック・ル・マロワ(G1)を勝利。
1999年の凱旋門賞ではエルコンドルパサーが凱旋門賞で2着になるなど、マル外の競走馬たちが日本調教馬の海外進出の礎を築いてきたと言っても過言ではないだろう。

グラスワンダーも例にもれず、1990年代後半に活躍したマル外の1頭である。

父の名前はシルヴァーホーク。
現役時代はイギリス2000ギニーで5着、イギリスダービーで3着、アイリッシュダービーで2着とG1レースを勝ちきれないまま引退し種牡馬となった馬であるが、その競走成績とは裏腹に種牡馬としては数多くの活躍馬を輩出している。
日本ではグラスワンダーの他にもミラクルタイム・シルヴァコクピット・シンコウカリドといった産駒たちが活躍していた。
また、安田記念やスプリンターズSで勝利したブラックホークの母父としても知られている。

グラスワンダーはそのシルヴァーホークとアメリフローラの子供として、1995年春、アメリカのフィリップス・レーシングにおいて生を受けた。
1歳半になるとキーンランドで開催されるセプテンバーセールに登録され、日本から訪れていた尾形充弘調教師の目に留まり、日本での競走馬生活が始まることとなる。

新馬戦は前評判の高さから単勝オッズ1.5倍の圧倒的1番人気に支持された。
レースでは出遅れながらもあっという間に2番手につけ、持ったままで快勝。
続くアイビーステークスでも5馬身差の圧勝劇を繰り広げ、その実力の片鱗を見せつけるレースとなった。


そして迎えたのがデビュー3戦目となる京成杯3歳ステークス。
既に重賞の新潟3歳ステークスを勝利しているクリールサイクロンなど、相手関係が強化されているにもかかわらず、グラスワンダーは単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気に支持されていた。
多くの競馬ファンたちが、"新しい栗毛の怪物"誕生への期待に胸を膨らませる中、レースはスタートした。

例によって出遅れたグラスワンダーであったが、その出遅れをものともせず、すっと2番手まで上がってレースを進めていく。
第4コーナーでは楽な手応えで外に回しながら早くも先頭にたつ。

あとはもう突き放す一方で、的場騎手が手綱を持ったまま4馬身・5馬身とリードを広げていく。
後ろからは何にも来ない。

終わってみれば2着にノーステッキで6馬身差をつける見事なまでの横綱相撲。

グラスワンダーの馬名の由来は「セリで見たときにワンダフルな印象を受けたから」と言われている。
まさにこの京成杯3歳ステークスでは「暮れの朝日杯3歳ステークスもこの馬で決まり!」と思わせるような、まさに"ワンダー"なパフォーマンスを見せつけたのである。

時は流れ2021年。
スプリンターズステークスではピクシーナイトが優勝し、親子4代にわたるG1レース勝利という記録が打ち立てられた。

グラスワンダー→スクリーンヒーロー→モーリス→ピクシーナイト……。

これからも"ワンダー"な血脈が受け継がれていくことを切に願う。

──ちなみに。
私がグラスワンダーを初めて見たのがこの京成杯3歳ステークスであった。
当時は中学生であったが、スーパーファミコンのゲームソフト「ダービースタリオン96」を夢中になって遊んでいて、それがきっかけで実際の競馬もテレビでみるようになっていた。

京成杯3歳ステークス当日は土曜日だったため、午前中は学校での授業があった。
帰宅後、昼食を取り終えた私は、何の気なしに午後の競馬中継を眺めていた。
そして飛び込んできたのが、1頭だけ別次元の走りで東京競馬場のターフを駆け抜けたグラスワンダーの姿だった。

その金色に輝く馬体に、「なんて美しい、そして強い馬なんだ…」と私は時間を忘れて見とれていた。
このレース以降、グラスワンダーに惚れ込んだのは言うまでもない。

※馬齢は旧表記(当時)を使用しています

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