ビッグアーサー~聖剣の王者~

時は2016年──短距離の絶対王者・ロードカナロアが高松宮記念を制覇した3年後。
名馬サクラバクシンオーが残した最後のトップスプリンターが、短距離界を平定する。
彗星のごとく現れ、瞬く間に短距離界のトップに君臨した王者、ビッグアーサー。

その名に恥じぬ、伝説の現役時代を歩んだ馬であった。

「王」から「王」へ。国内スピード王の系譜。

父サクラバクシンオーはその名の通り『驀進王』にふさわしく、短距離戦線での敗北など考えられぬほどの『驀進』ぶりだった。何しろ1400m以下の通算戦績は12戦11勝。負けたのはまだ覚醒していなかった4歳時(旧齢)のスプリンターズSのみで、それ以外はどんな名馬が出てこようとも、短距離では絶対に1着を譲らなかった。

ゆえに、令和になった現在でも日本競馬史上最強のスプリンターとしてその名を挙げる人は数多い。

そんな快速ぶりを受け継いだか、ビッグアーサーは初出走からそのスピード能力を遺憾なく発揮する。デビュー戦はクラシックウィークまでずれこんだが、芝1200m戦の未勝利戦でデビューすると既走馬達を相手にもせず楽々抜け出し、快勝。ひと頓挫を経て10ヶ月後の小倉で復帰すると、休養明けなど全く感じさせない程に2番手から抜け出し、とても1勝馬とは思えない強さで圧勝した。さらにそこから2勝クラス、3勝クラス、再度の3勝クラスと、連戦連勝──。

後の重賞馬が出ていようが、活躍馬が出ていようが、スピードの違いを颯爽と披露し続ける。
着差が縮まれど、その走りには既にある種の風格が漂い始めているようにすら映った。
重賞初挑戦の北九州記念で初の2着と黒星を喫する。
2着ではあるものの、その走りっぷりに、陣営は早くもG1級の実力があると判断。スプリンターズSへの参戦を決定する。しかし賞金16番目で、レーティング出走があったために除外。除外となったスプリンターズSでは出走取消が出たので、なおのこと悔しさの残る結果となった。
スプリンターズSのかわりに出走したオパールSも、単勝1倍台の断然人気に支持され、先団から抜け出してぐんぐん後ろを突き放す強さを見せつける。そして勝ちタイムは、高速決着で競馬場も違うとはいえ、同年のスプリンターズSの勝ちタイムより大幅に速かった。まさに、スプリンターズSでの鬱憤を晴らす勝利だった。

──ひょっとして、既に短距離路線で1番強い実力を持っているのではないか。

そんな言葉もまんざら言い過ぎでもないような実力を秘めていることは、連勝を重ねていくたびに現実味を帯びてきていた。

しかし、そこから京阪杯、阪神C、シルクロードSと敗戦が続く。
サトノルパンを捕まえきれない京阪杯。
ロサギガンティアとダンスディレクターの切れ味に屈し、初めて連対を外した阪神C。
スタートを決めてから初めて控え、しかし伸びずにそのまま敗北したシルクロードS。

本来ならば、重賞を既に勝っていても全くおかしくない。それどころか、G1制覇すら夢ではない。

──なのに、どこか歯車が噛み合わない。

だが、ほんのひとつのきっかけで大きく変わる予感は確かにあった。

そして、高松宮記念の春を迎える。
既定路線だったとはいえ、重賞未勝利のまま初のG1挑戦。
陣営は福永祐一騎手に、ビッグアーサーの背中を託す白羽の矢を立てた。

短距離戦線を"イッキ"に統一。

近年、短距離戦線は何かと"群雄割拠"になることが多い。

かつてはニホンピロウイナー、サクラバクシンオー、ダイタクヘリオスやダイイチルビーに、カルストンライトオやデュランダル等の強烈なインパクトを残す個性派揃いが多かったが、ロードカナロア以降はやや小粒な印象もあった。多くのファンが、国内のニューチャンピオンを望んでいた。

そんな中、前年のスプリンターズSを制覇したストレイトガールが牝馬路線に的を絞り、多くの馬が新たな王者となる可能性を秘めていた2016年の高松宮記念。1番単勝オッズが低い、3.9倍の馬が2頭いた。

重賞未勝利ながらも圧倒的なポテンシャルを見せるビッグアーサーと、2年前、3歳短距離路線の王者に立ったミッキーアイル。

ビッグアーサー同様、かつてのミッキーアイルもまた、彗星のごとく現れた新星だった。
しかし、5連勝でNHKマイルCを完勝した後は、しばらく低迷。ようやく、松山弘平騎手と初めてコンビを組んだ前走・阪急杯で、3歳時のような鮮やかな逃げ切り勝ちを納め、実に1年半ぶりの勝利を手に本番へと駒を進めてきた。

新星ともてはやされてから転落し、そこから復調も見えてきたミッキーアイル。
もどかしさを感じながらも、実力は十分なビッグアーサー。

どこか似ている彼らに、ファンは3.9倍という同列の評価をくだした。

しかし一方で、他に1ケタ台の人気が3頭いたことからも、どの馬にも王座のチャンスは転がっているようにも見えた。

2つのレコードが出るほどの超高速馬場の中京競馬場で、電撃スプリント戦の火蓋が切られるやいなや、ローレルベローチェ、ハクサンムーン、ミッキーアイルの3頭が物凄い勢いで飛び出していく。3頭とも先手を取ってこその馬だ。先頭は譲らないとばかりに、物凄いハナ争いを展開する。

その後ろ、4番手にビッグアーサーと福永祐一騎手。
中京での福永騎手は、先行する際、ほぼ確実にすんなりとベストポジションを取る。それはこの日も例外でなく、好スタートからパートナーを4番手集団の先頭へスッとエスコートすると、ビッグアーサーは行きたがるそぶりもなく、おとなしくその位置へ取り付いた。

そして3、4コーナーで福永騎手の手が動く。ハイペースと見てギリギリまで脚を溜めている馬群から1人抜け出し、先団の3頭を早目に外から追い始めた。

結果としてこれが、勝負の決め手となる。

先団3頭と最後方のウキヨノカゼ以外はほぼ一団の様相で、600mを32秒6で通過。いくら超高速馬場になっているとはいえ、ここ10年の高松宮記念で最も速い。そのラップタイムが指し示す通り、快速ぶりが光るはずのローレルベローチェとハクサンムーンですら、400mの標識を過ぎたところで足が鈍った。

その外から、ミッキーアイルが2頭をとらえて抜け出す。先頭争いから1度後退し息を入れたことが、大きくプラスとなったのだろう。脱落する2頭とは対照的に、脚を伸ばす。

松山弘平騎手も初のG1制覇に向けて激しいアクションで鞭を入れ、追う。

残り200mで、ミッキーアイルが先頭に立つ。
復活のG1制覇は、目の前にあるようかにも思えた。

──しかしその外から、更に鋭い切れ味で追いすがってくる1頭と1人。

ハイペースながらも前のミッキーアイルは止まらず、伸びあぐねる後続馬群からただ1頭だけが、猛然と追い込んでいた。

ビッグアーサーだ。

早目に動き出したビッグアーサーと福永祐一騎手のみが、一番外からミッキーアイル目掛けて速度を増す。
ミッキーアイルの脚色は鈍っていない。しかしそれ以上に、ビッグアーサーの脚色がいい。

先頭争いは、一瞬でケリがついた。

なおも松山騎手は激しくミッキーアイルを追うが、反応は変わることなく突き放されていく。
松山騎手の見せる激しいアクションとは対照的に、福永騎手の柔らかいフォームが、ビッグアーサーにさらなる加速を与え、ミッキーアイルを突き離す。

コースレコード1分6秒7を叩き出して、重賞初制覇、初のG1戴冠。

その勝ち方は、覚醒したサクラバクシンオーの血が伝えるものなのか。

着差こそわずかながら、衝撃の走る勝ち方。

戦国時代の短距離戦線を、初騎乗の相棒と共にあっさりと平定してしまった。

この時点で1200m戦 11戦7勝 2着2回。1度の着外も、中団からのレースで本来のこの馬のレースではなかった。
まだ5歳。父サクラバクシンオーが覚醒したのも現表記でおなじ5歳。
いったい、どこまで1200mでは無敵の存在になってくれるのだろうか。
久しぶりに、短距離戦線の絶対王者が誕生する瞬間を目の当たりにした──そんな高松宮記念だった。

王座陥落、そして──。

ビッグアーサーは、その秋にセントウルSで復帰。
他馬を寄せ付けず、休養明けなど関係なく完勝劇を見せた。
最早その実力がフロックでもなんでもなく、名実共に短距離王者となっていることを証明したはずだった。

しかし、秋のG1開幕戦、スプリンターズS。俗に言う『前が壁』事件が起きる。

前走逃げ切り勝ちを収めたビッグアーサーは、このレースでは5番手と好位追走。高松宮記念とは違い行きたがるそぶりをしきりに見せていたビッグアーサーだったが、福永騎手はじっとインで動かずにその進路が開くのを待っていた。

しかし直線、外にも内にも道はなく、やっと前が開けた頃にはもう、1コーナーの付近だった。
ビッグアーサー、12着に敗北。実力を踏まえると、悪夢でしかないような着順だった。

春秋スプリントG1連覇の夢は、何もできないままに散ってしまったのである。

展開ひとつ、騎手の作戦ひとつでレースはいくらでも変わる。

「競馬に絶対はない」という言葉の怖さを、改めて知ることとなった初秋の日曜日だった。

包まれながらにも1着とのタイム差は僅かという事が、この馬の実力を物語ってはいた。しかし敢行した香港遠征では10着。帰国後は高松宮記念を目標として調整していたが、左前脚の筋挫傷で回避……。

セントウルSでの復帰も、左前脚の蹄球部に痛みが出て叶わず。

やっと帰ってきた1年ぶりの中央復帰は、因縁のスプリンターズS。

直線、前が開けて一瞬先頭のワンスインナムーンに並びかけそうな勢いはあったが、かつてのキレは蘇らず、6着に敗れた。

せめて昨年、その進路があったなら──。
そう思わざるを得ないレースだった。

それでもその伸びには、まだまだやれそうな雰囲気があったのだが、そのまま現役を引退。
アロースタッドで種牡馬入りし、そのスピード能力を子孫へと受け継ぐ第2の馬生がスタートすることとなった。

父親のサクラバクシンオーを彷彿とさせる爆発力を、わずかな期間ではあるが我々に垣間見せてくれた彼には、大きな大きな仕事が待っている。

グランプリボスやショウナンカンプらの産駒から、父を超えるほどの優秀な後継が誕生していない以上、サクラバクシンオーの父系を後世に伝える最後の砦といっても過言ではない。

あの圧倒的スピードを、是非とも子供たちに受け継いでほしいものである。
そしてスプリンターズSを、願わくば福永祐一騎手とのコンビで勝ち切ってほしいと思うのだ。
馬群の壁など打ち破ってしまうほどの、強烈なスピードで。

写真:RINOT

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