
1.ウマ娘・ドリームジャーニーの登場
2024年6月24日、Cygamesが手がけるメディアミックスコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』の公式番組「ぱかライブTV」の第42回において、異例の形で新しいウマ娘が発表された。6月19日に番組告知と共にキャストが吉岡茉祐さんであることのみが発表され、番組内で名前と姿を公開し、それと同時にゲームでの育成実装もアナウンスされるという形は『ウマ娘』というコンテンツ史上初。多くのトレーナー(『ウマ娘』のプレイヤー)に驚きを持って受け止められたそのウマ娘の名は、ドリームジャーニーという。
登場から大きな反響があったドリームジャーニー。ゲーム『ウマ娘』における育成シナリオでは、史実で父に当たるステイゴールドが登場したことでも話題を呼んだ。このシナリオでは「旅」が大きなキーワードとして描かれている。これは勿論名前に由来するのだが、この「ドリームジャーニー」という馬名は、ステイゴールドの漢語名「黄金旅程」から連想されたものだ。実際に『ウマ娘』においても、先輩であるステイゴールドの走りに憧れたドリームジャーニー、という関係性が強くフィーチャーされており、「旅」は両者を繋ぐキーワードとなっている。
ドリームジャーニー役を務める吉岡茉祐さんは、「ぱかライブTV」の配信終了後に投稿したInstagramの中で、次のような表現で意気込みを語っている。
夢への旅路、その旅の果てを、見に行きたいと思います!
──吉岡茉祐さんInstagram、2024年6月25日投稿より引用
ここで登場する「夢への旅路」は、2009年の有馬記念におけるフジテレビ三宅正治アナウンサーの実況で生まれたフレーズだ。
ジャーニーだ、ジャーニーだ、夢への旅路だ!
──2009年 フジテレビ競馬中継より引用
ドリームジャーニー先頭に立った!
ドリームジャーニー1着!
ドリームジャーニーが春秋グランプリ連覇を成し遂げた瞬間を寿ぐ実況である。つまり、「夢への旅路」はドリームジャーニーの偉業を象徴するフレーズと言える。吉岡さんはInstagramの投稿で役作りに当たってモチーフ馬についても調べたことを明かしており、おそらくこの有馬記念の実況についてもご存知だったのだろうと推察される。
そして「旅の果て」は、公式サイトのキャラクター紹介で、
幼い頃に出会った“アネゴ”に強い影響を受けており、彼女の語る“旅の果て”を見るためにレースを走っている。
──「ドリームジャーニー」(『ウマ娘 プリティーダービー』公式サイト)より引用
とあるように、「アネゴ」ことステイゴールドとドリームジャーニーの絆を示すフレーズだ。しかし、「旅の果て」とは抽象的な表現である。ドリームジャーニーにとって、「旅の果て」は何を象徴するのだろうか?
2.ドリームジャーニーの「旅の果て」
「旅の果て」というキーワードは、ゲーム『ウマ娘』におけるドリームジャーニーの育成シナリオ中では、ステイゴールドが達した境地を意味している。長く走り続け、多くの人々の記憶に刻まれる存在としての「黄金旅程」がドリームジャーニーの憧れであり、至るべき目標として描かれていた。
だが一方で、シナリオのラストでは異なる意味が示唆されている。
……“旅”はたくさんある。 命の数だけ、たくさんな。
──ドリームジャーニー育成ウマ娘イベント「ゆくさき」より引用
……みんな、旅をしている。
この世界を、みんな……ずっとずっと…
生まれて、死んで。
続いて、消えて。
長く永い、旅を───
(中略)
色んな“旅”があるよな。 この世界には。
いつか来るその果てまでずっと、 歩み続けるのも“旅”だ。
そして─
帰る場所があるのも……
それもまた、“旅”だよな。
グランプリ春秋連覇を成し遂げたドリームジャーニーにステイゴールドがかけた言葉だ。「いつか来るその果てまでずっと、歩み続ける」という表現には、競走生活の終わりが示唆されている。ゲームの育成シナリオにおいてはデビューからの3年間のみが描かれるため、「帰る場所」であるトレーナーも含めて、今後も「旅」が続いていくことになる。一方で史実を振り返ると、競走馬・ドリームジャーニーにとっての「果て」、つまり競走生活の終わりは、2011年の宝塚記念であった。
ドリームジャーニーは宝塚記念に3度出走している。2009年は1着となり、初の古馬GⅠ制覇を飾ったが、翌2010年は4着。2011年は10着に大敗し、これが引退レースとなった。つまり、宝塚記念は栄光を掴んだレースでもあり、最後に燃え尽きたレースでもある。「夢への旅路、その旅の果て」という吉岡さんのフレーズは、ドリームジャーニーにとっての宝塚記念に重なる。
次節からはドリームジャーニーの「旅路」を振り返り、「夢への旅路」を叶えた栄光からその「旅の果て」までを見届けていきたい。

3.「2歳王者」、雌伏のとき
メジロマックイーン産駒・オリエンタルアートの初仔として生まれたドリームジャーニーは、当時開業2年目の池江泰寿厩舎に預けられた。池江調教師の父親はメジロマックイーンやステイゴールドを管理した池江泰郎元調教師で、厩舎ゆかりの血統馬と言える。
2006年9月にデビューしたドリームジャーニーは新馬戦・芙蓉ステークスと連勝。重賞初挑戦となった東京スポーツ杯2歳ステークスを出遅れながらも3着とまずまずの結果を残し、2歳王者決定戦・朝日杯フューチュリティステークスに駒を進めた。このレースでもスタートで後手を踏んだドリームジャーニーだったが、直線で他馬を差し切り勝利。池江調教師にとって初のGⅠ勝利、父ステイゴールドにとっても初の平地GⅠ勝利であった。
GⅠ馬として臨むクラシックでも本命候補の一角と目されていたが、皐月賞は8着に敗退。日本ダービーでは阪神ジュベナイルフィリーズを勝った2歳女王のウオッカが牝馬64年ぶりのダービー馬となった一方で、2歳王者ドリームジャーニーは5着に敗れてしまった。秋からは主戦が蛯名正義騎手からステイゴールド・メジロマックイーンをGⅠ制覇に導いた武豊騎手に交代。神戸新聞杯では後方一気の末脚で久しぶりの勝利を挙げたが、菊花賞は5着に終わる。必勝を期した年内最終戦の鳴尾記念も8着に惨敗し、結局2歳王者の3歳シーズンは1勝のみに留まった。
古馬となった2008年、復権を狙うべく朝日杯で実績があるマイル路線に活路を見出そうとするドリームジャーニーだったが、マイラーズカップ・安田記念と2桁着順に大敗。しかしこの安田記念では一つの転機があった。主戦の武騎手がお手馬のスズカフェニックスに騎乗するため、池添謙一騎手に乗り替わったのである。このレースでは結果が出なかったものの、池添騎手は次走の小倉記念でも騎乗停止中の武騎手に代わって騎乗。そこで、約1年ぶりの勝利に導いた。以降、ドリームジャーニーの主戦は池添騎手にスイッチし、名コンビとして活躍することとなる。
4.グランプリ連覇への旅路
小倉記念と朝日チャレンジカップを連勝して秋のGⅠ戦線に挑んだドリームジャーニーだったが、天皇賞(秋)は10着、有馬記念は4着とGⅠ勝利は遠かった。しかし明けた2009年はアメリカジョッキークラブカップ→中山記念→産経大阪杯とGⅡを3戦して8着→2着→1着と状態を上げていく。ここで「3200mも持たせる自信を持っている」という池添騎手のコメントもあり、天皇賞(春)で再度GⅠに挑戦することになった。久々の長距離戦への挑戦だったが、3着に健闘。GⅠでも勝負になることを見せて春のグランプリ・宝塚記念に駒を進める。
この年の宝塚記念は、女傑ウオッカが回避した影響もあり、安田記念でウオッカの僅差2着と健闘した4歳馬ディープスカイが大本命に。単勝オッズは1.6倍と、一強ムード漂うレースであった。ドリームジャーニーは単勝オッズ7.1倍の2番人気で出走。池添騎手は中団10番手辺りに控える作戦を採り、直線で抜け出すとサクラメガワンダー・ディープスカイの追撃を封じてゴール。グランプリホースの称号を手に入れた。これが実に約2年半ぶり、池添騎手とのコンビとしては初めてのGⅠ制覇だった。朝日杯勝ち馬の宝塚記念制覇は「怪物」グラスワンダー以来。ドリームジャーニーは古馬戦線の主役として期待される1頭となった。
ところが秋シーズンは年長馬の激走を前に精彩を欠く。緒戦のオールカマーは6歳馬マツリダゴッホの逃げを捕らえられず2着、天皇賞(秋)は8歳馬カンパニーの激走の前に6着。年内最終戦である有馬記念は、春のグランプリ覇者ながら2番人気での出走となった。
2009年暮れの大一番、1番人気となったのは二冠牝馬ブエナビスタで、1960年のスターロツチ以来の3歳牝馬による有馬記念制覇の期待がかけられていた。逃げたリーチザクラウンが作ったハイペースの中でブエナビスタは好位置をキープし、直線で先頭に立つ王道の競馬。ドリームジャーニーは最後方から徐々に進出してこれを強襲、最後に競り落として半馬身差をつけたところがゴール板だった。池添騎手は涙をこらえながらガッツポーズ。「夢への旅路」を叶えるグランプリ春秋連覇は、「天馬」トウショウボーイや「世紀末覇王」テイエムオペラオー、「英雄」ディープインパクトら歴史的名馬に並ぶ大記録であった。ドリームジャーニーは栄光を手にして5歳シーズンを終える。
5.闘志燃え尽きるまで
しかし、翌2010年春シーズンは京都記念・大阪杯と連敗し、前年の雪辱を期した天皇賞(春)は球節炎の影響で回避せざるを得なくなるなど、なかなか波に乗れない。久々のレースとなった宝塚記念で連覇を目指すが、追い込み届かず4着まで。このレースを制したのは同じ父を持つ4歳馬ナカヤマフェスタで、ステイゴールド産駒としてはグランプリ三連覇となった。ナカヤマフェスタはこの後凱旋門賞で惜敗、「世界の頂」に最も近い走りを見せている。ドリームジャーニーも6歳となり、世代交代が迫ってきていた。
秋緒戦のオールカマーは2着と復調を感じさせたものの球節炎が再発。天皇賞(秋)も回避となってしまう。有馬記念には間に合ったものの、前年とは打って変わってトーセンジョーダンがスローペースに落とし込む展開では末脚を見せることが出来ず、13着と大敗。度重なる脚部不安もあったとは言え、結果としてGⅠ2勝の前年から一転、この年は未勝利に終わってしまった。
翌2011年も現役を続行。しかし始動戦となる大阪杯で9着と大敗すると、宝塚記念でも強烈な末脚は鳴りを潜めて10着に終わる。池江調教師はレース後、「闘争心がなくなった」とコメントし、引退・種牡馬入りが決まった。2歳から一線で走り続けていたドリームジャーニーの闘志はもう燃え尽きていたのである。ドリームジャーニーの旅路は「果て」を迎えた。

6.「旅路の果て」
2歳でGⅠを制し、5歳でグランプリ連覇の偉業を成し遂げながらその後も走り続け、7歳で闘志燃え尽きるまで戦ったドリームジャーニー。種牡馬生活を見据えた早期の引退や怪我での競走能力喪失なども珍しくないサラブレッドの世界において、正に「果て」まで歩み続けた競走生活だったと言えるだろう。
だが、サラブレッドの「果て」は競走生活の終わりとともに訪れるのだろうか?
文筆家・寺山修司が二冠馬タニノムーティエについて書いたエッセイの中に、次のような一節がある。
タニノムーティエの仔が、ムーティエの栄光を引き継げば、まだまだ「旅路」は果てることがない。(中略)この血に、期待をかけて見守りたいものだ。
──寺山修司「あの馬はいずこに 旅路の果て」(『旅路の果て』新書館、1979年/河出書房新社より2023年復刊)より引用
フランスの競走馬ムーティエは現役時代には特筆すべき戦績を残さなかったが、種牡馬として日本に輸入されると、二冠馬タニノムーティエや菊花賞馬ニホンピロムーテーなどの活躍馬を輩出。母父としても二冠馬ミホシンザンを送り出すなど、名種牡馬としての「栄光」を手にし、歴史にその名を刻んだ。
競走馬としての「旅の果て」は引退レースではあるが、その後「血を残す」という新たな「旅路」が始まる。そしてその「旅路」は、現役時代とは異なるものであることも多い。
現役時代に抜群の活躍を見せたものの種牡馬としては振るわなかった馬も、競走馬としては大成しなかったが種牡馬として大活躍した馬もいる。次代がつくる新たな「旅路」を見届けていくことも、ブラッドスポーツである競馬の魅力と言えるだろう。
ドリームジャーニーの「旅路」はそう言った側面からも非常に魅力的だ。ゲーム『ウマ娘』の育成ストーリーには、「過去と未来を繋げる、ドリームジャーニーというウマ娘」という表現が登場する。競走馬・ドリームジャーニーの活躍は、日本競馬に大きな変化をもたらした。父ステイゴールドの種牡馬としての評価である。
ステイゴールドの競走馬としてのGⅠ勝利は引退レースとなった香港ヴァーズの1つのみ。この香港遠征は、当時池江泰郎厩舎の調教助手を務めていた池江泰寿調教師の進言によるものだった。
引退が決まっていたけど、ステイゴールドを香港に連れて行ってほしいと進言したのは自分だからね。種牡馬になるにも見栄えがしないから、何とかGⅠを勝たせてあげたい…と思ってね。国内を見たときに(有馬記念には)テイエムオペラオーがいたりしていたから、〝香港へ挑戦しましょう〟って進言したんだ
──権藤時大「【香港国際競走】改めて感じた池江泰寿調教師の偉大さ ~日本競馬の歴史が動いた瞬間~/権藤時大の異国見聞記」(『東スポ競馬』2024年12月7日)より引用
この進言のお陰でGⅠ馬として種牡馬入りできたステイゴールドだったが、小柄な馬格や国内GⅠ未勝利という戦績から、その評価は決して高くはなかった。しかしドリームジャーニーという名馬が生まれたことにより、評価は上昇。その一つの成果が同じく池江調教師が管理した全弟・オルフェーヴルである。
ドリームジャーニーが引退した2011年にクラシック三冠を達成したオルフェーヴルは、その後も凱旋門賞での2年連続2着、引退レースの有馬記念での8馬身差圧勝など、鮮烈なインパクトを与える名馬となる。「栄光」のバトンは弟に見事に引き継がれた。実は2007年にオリエンタルアートの交配相手として予定されていたのはディープインパクトであった。しかし不受胎が続いたため、代わりに選ばれたのがドリームジャーニーの父であるステイゴールドだった。ドリームジャーニーが2006年に朝日杯を勝っていなければ候補として挙がることは無かったであろう。ドリームジャーニーが繋いだ、新たな「旅路」である。
そしてドリームジャーニーの引退後にはGⅠ6勝のゴールドシップ・天皇賞(春)連覇のフェノーメノ・障害界の絶対王者オジュウチョウサン・春秋マイル制覇のインディチャンプら多彩な産駒を送り出すことになる。
その次世代でもドリームジャーニー産駒スルーセブンシーズが凱旋門賞で日本の牝馬として最高着順となる4着となり、オルフェーヴル産駒マルシュロレーヌがブリーダーズカップディスタフを、ウシュバテソーロがドバイワールドカップをそれぞれ勝利するなど、世界の舞台で活躍している。ステイゴールドの血は、今や日本競馬に欠かせないファクターだ。
ドリームジャーニーの「旅路」が無ければ、ステイゴールドの血は「過去」に埋もれ、日本競馬の「未来」は異なるものになっていたかも知れない。
夢への旅路、その旅は果てなく続いている。
開発:Cygames
ジャンル:育成シミュレーション
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