ウインズの手練れたちも虜に。横山琉人騎手JRA通算100勝達成によせて

2025年6月28日福島6R新馬ダ1150mでセイカミナミホリエを勝利に導き、横山琉人騎手がJRA通算100勝を達成した。初騎乗は2021年3月6日中山1Rオリエンタルメラク14着。初勝利は同年4月10日中山1Rノアファンタジー。100勝まで約5年の道のりだった。

琉人騎手はウインズの手練れたちが愛する騎手の一人だ。なにせお父さんは横山義行元騎手。義行騎手といえば、平地と障害どちらにも騎乗する二刀流。なんといってもゴーカイの主戦騎手だ。ゴーカイは障害重賞が体系化され、中山グランドジャンプが生まれた直後に活躍し、第2回、第3回中山グランドジャンプを連覇した名障害馬。琉人騎手は2003年生まれなので、ゴーカイが引退した翌年に生を受けた。その子が22歳になり、JRAの騎手として通算100勝をあげた。時が経つのは早く、自分の老いを緩やかに感じる。

親子鷹なんて言葉があり、親が同じ職業だと、どうしたって比べられてしまう。私はなるべくそういった比較をしないように心がけている。というのも、私も一時期、父と同じ職場に身を置いた経験があるからだ。周囲は直接耳に入れないまでも、どこかで必ず父と私を比較し、私が劣る部分について口にする。父親と自分は違う。まして父と同じ職業で勝てる部分などないと息子は思うもの。父親は決して越えられない存在だ。見返したいという欲があったとしても、越えたと実感するのは難しい。だからこそ、比べられても困る。いつか父のように障害GⅠを勝ちたいという夢は父を越えたいのではなく、並びたいという気持ちのあらわれだろう。

比べはしないが、私は父義行騎手にも琉人騎手にも大変お世話になった。二人への感謝がこの原稿を書かせているといっていい。もちろん、これは馬券の話だ。義行騎手は障害も達者だったが、平地も上手く、障害119勝に対し、平地123勝をあげた。その記録をひも解くと、1番人気27勝に対し、10番人気以下は9勝。3着以内は41回を数える。思い出すのはイチノヤジョウという馬だ。通算3勝のうち1勝は義行騎手によるもの。父アジュディケーティング、母の父イブンベイ。ダート短距離で活躍し、義行が逃げ切った2003年4月19日中山8Rは8番人気での勝利だった。終盤まで内に菊沢隆徳元騎手(現調教師)とダイワブライアンを置く厳しい展開のなか、4コーナー手前でスッと加速し、振り切るとゴールまで粘り切った。ステッキが入ると尾っぽをブンブン振る姿が懐かしい。イチノヤジョウはハコダテブショウの母であり、妹のラヴリージョウはサイレンスラヴという牝馬を送り、その産駒には25年ドバイゴールデンシャヒーン4着のクロジシジョーがいる。ダート短距離に強いという特性を現代までしっかりつなげてくれた。

そのイチノヤジョウを管理したのが相沢郁調教師。琉人騎手の師匠だ。これがエモいというやつか。琉人騎手も(25年6月29日終了時点)通算101勝のうち、1番人気16勝に対し、10番人気以下8勝、3着以内は28回とウインズの手練れたちを喜ばせてくれる。25年ラジオNIKKEI賞では8番人気インパクトシーで3着と健闘し、下馬評以上に馬を走らせる。重賞は0-2-2-12と未勝利だが、福島に限ると0-1-2-1。それも3着以内3頭はすべて8番人気でもある。密かにはじめての重賞タイトルは福島にちがいないとどこか確信している自分がいる。

その相棒といえば、フィールシンパシー。琉人騎手は新馬戦からコンビを組み、26戦中23回もコンビを組んでいる。琉人騎手にとっても忘れえぬ存在だ。初勝利は琉人騎手がデビューした年の12月。中山芝1600mで2番手から抜け出した。フィールシンパシーで印象的だったのは23年10月28日東京の紅葉S。どちらかというと中山のイメージがあったが、東京のスローペースを好位4番手から抜け出し、上がり33.4の末脚を繰り出し、オープン入りを決めた。このときも6番人気。私もフィールシンパシーが東京マイルを1.31.9で駆け抜け、驚いた。ターコイズSでは逃げて8番人気2着、翌年福島牝馬Sも好位から粘って2着、さらに翌年も福島牝馬S3着と、福島で好位から立ち回らせると崩れない。琉人騎手はスタートからいい位置で流れに乗る競馬に長けており、ウインズの手練れたちはそんな騎乗センスを見逃さない。多くの下馬評を覆す琉人騎手の秘密がここにある。競馬はなんだかんだと前にいる馬が強い。物理的なリードは最後の最後に威力を増す。後ろに控える末脚に長けた馬たちに対し、対抗できるカードがあるなら、物理的な差だろう。琉人騎手に染みついた作法が私に勇気を与えてくれる。

重賞まであと一歩だが、着実にその間合いを詰まってきた。通算100勝のインタビューでも口にした「大きいところを」という願い。どうか競馬の神様に届いてほしい。

相沢郁調教師とあげた勝利は21(25年6月29日終了時点)。なかでもウインズの手練れたちがぶったまげたのは25年4月13日福島8Rニシノクラウンだろう。11番人気での勝利だったが、単に人気薄だったからではない。すぐ目の前を走る1番人気ヨドノゴールドに対し、好スタートからつかず離れずの先行態勢。徹底マークの形をとった。最後の直線では一旦、ヨドノゴールドに少し離され、直線半ばを過ぎてもその差は詰まりそうで詰まらない。だが、ゴール寸前で差を詰め、ゴール板できっちり差し切ってみせた。琉人騎手の執念がそうさせた。馬主はご存じ西山茂行氏。父との縁はここにもある。

琉人騎手はまるで父からバトンを受け継ぐように通算100勝にたどり着いた。父が築いた縁を大切にする姿はそれをできなかった私にとって自分を重ねる存在でもある。たとえ比べられようとも、それを重荷に感じていないようにみえる。どこかさっぱりした感すらある。間違いなく好青年。ウインズの手練れたちも義行騎手のセガレというより、そんな爽やかさにやられているようだ。

写真:かずーみ

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