
とある夏の、小倉メインレース。自分の推している馬が惨敗した。最後の直線では、誰がみてもバテており、騎手も無理に追わなかったくらいである。その後、彼は暑さが苦手で、ひどい夏負けをしていたことがわかった。
このことがきっかけで、夏競馬は過酷だということに気づいた。たしかに、自分だったら走りたくない。個人的には1週間くらい競馬開催を中止して、全馬夏休みでもいいのではないかと思うこともあるほどだ。
しかし一方で、夏に輝く馬もいる。たとえば、カノヤザクラ。強烈な夏の日差しに参ってしまう時、彼女を尊敬せずにはいられない。
■タレント揃いの同期牝馬に囲まれて…
カノヤザクラ。とてもかわいい名前だと思った。ウマ娘に登場するなら、きゃしゃで、巫女さんみたいな容姿なのかな、と思うような響きである。
ただ、実際のカノヤザクラは、デビュー時点で、524kgという大型馬であった。管理厩舎の橋口調教師は、「牝馬と思えない」「秋になると、すぐに冬毛が伸びて、熊みたいになってしまうんだよね」などと語っている。
性格はカーッとなるタイプ。いつも輸送でテンションが高くなり、レース前からイレこんでしまう。そのせいか、カノヤザクラはスタートが下手だった。だからといって儚く散っていくことはなく、パワフルな差しや追い込みを得意とした。
あまり桜の要素を感じられないカノヤザクラであるが、ハーツクライのおさがりの青のメンコがよく似合い、栗毛に金色がかかった長いしっぽとたてがみは目を引いた。厩舎では「サクラちゃん」と呼ばれていたという。きっと、愛されキャラなのだろう。
そんなカノヤザクラは2006年、10月1日に中京でデビューし、5馬身差をつけて1着。次走のかえで賞も勝利を飾る。華々しいスタートであるが、次のKBSファンタジーSで、後にスプリンターズSを制した名牝アストンマーチャンに完敗する。
カノヤザクラの同期にはアストンマーチャンの他に、ローブデコルテ(オークス馬)、ダイワスカーレット(GI4勝馬)、ウオッカ(GI7勝馬)がいた。びっくりするくらい華も実力も兼ね備えた名牝が揃っていた世代である。
カノヤザクラは彼女たちと一緒に桜花賞に出走したが9着に終わる。その後は短距離戦線で戦っていくことになった。葵S(1着)セントウルS(2着)など、好成績をおさめた。
そして2008年、4歳になったカノヤザクラはCBC賞を経て、アイビスサマーダッシュに出走することとなった。

■3度のアイビスSD挑戦、そして
新潟で行われるアイビスサマーダッシュは、夏の競馬を盛り上げるサマーシリーズレースのひとつである。1000mの芝の直線を、ただただゴールを目指してまっすぐ走る。
競馬を始めたころの私は、「1000mを走るって、シンプル!」とわくわくしていたが、今では、このレースの特殊性がわかる。馬をまっすぐ走らせるだけでも大変であり、さらにスピードがあればいいというわけでもない。最後までバテることなく、スピードを維持していく必要がある。芝の傷みが少ない外ラチ沿いに馬が密集するから、うかうかしていると前があかなくなることもある。
8枠18番、ピンクの帽子のカノヤザクラは、道中は中団の位置にいた。わずかに前が空いたチャンスを鞍上の小牧騎手は見逃さず、一気に勝負に出た。
「ああ。ここがわたしの場所」
そう言わんばかりの大きなストライドだった。ゴールに近づくほどに加速する脚は、満ち足りた自信すら感じさせた。
──こうして夏の新潟で初重賞をつかんだカノヤザクラ。さらには約2か月後のセントウルSも快勝し、夏のサマースプリントシリーズの女王になった。
翌年2009年、5歳の夏。カノヤザクラは再びCBC賞を経て、再びアイビスサマーダッシュに参戦した。8枠17番、その日もまた、春を告げるようなピンクの帽子。去年と違うことといえば、その日の新潟は風が強く、重馬場だった。
だけど彼女は夏の感覚と自分の居場所を思い出したのだろう。スタートが下手なカノヤザクラは好スタートを切った。去年と違って馬たちが横に広がった新潟1000mではなにも障壁がない。夏に桜を。2度目の桜花火を打ちあげてみせた。
その後も北九州記念3着、セントウルS4着と安定した成績をおさめ、サマースプリントシリーズを連覇した。10月のスプリンターズSでは3着と大健闘し、夏以外にも居場所を見出していた。
6歳を迎えると、郷里に戻って繁殖牝馬として余生を過ごすというプランがあがった。「カノヤザクラの仔は橋口厩舎に!」という声もあがる。それならトレードマークの青いメンコも伝承されて、また夏に帰ってくるかもしれない。
結論をいうと、引退はせず3連覇をかけてアイビスサマーダッシュに出走することになった。彼女なら達成できると陣営に期待されていたのだ。
そうしてまた、3度目のCBC賞を経て、3度目のアイビスサマーダッシュがやってきた。
CBC賞あたりで、「心配しないで。わかっているから」と、カノヤザクラ自身も思っていたのではないかと、私は思う。
…ただ、前年より2kg増の斤量57kgでもあった。
レースがはじまった。残り100mが迫る。ゴールに向かってラストスパートをかけたとき、カノヤザクラは急激にスピードを失った。鞍上の小牧騎手が異変を察した…。レース後、左前脚の関節の脱臼──予後不良と診断された。
私の価値観で、予後不良に対してなにかを語ることは避けたい。何故ならば、人それぞれ想いがあり、私の意見なんて取るに足らないと思うからだ。
だけど、ひとつだけ、かけがえのない事実がある。あの日、カノヤザクラはゴールまで完走していた。
「ここがわたしの場所だから」と訴えているかのように、最後まで咲き続けたように思えるのだ。
それがとても愛しく、哀しかった。