東京競馬場、400m標識でみた夢 - イスラボニータ

競馬観戦中、ゾクゾクする瞬間はどんな場面だろうか。

自分が応援している馬が大逃げを打っているとき。これは個人的にはいつか捕まるのではと不安でしかない。
逃げは強さの象徴かもしれないが、追われるものに対して追う立場は脅威であり、なにより逃避は体に悪い。

東京競馬場の残り400m標識。
手綱は微動だにせず、馬なり。いわゆる抜群の手応えで先頭に躍り出る。そんなとき、胸中を期待が満たし、ゾクリとしないか。もちろん、いざ追い出すと案外伸びずということもある。馬なりでラップの上昇に対応しつつ、追われてさらに伸びるためには、助走せずにトップスピードに乗れる瞬発力とさらに二段階で加速する力が必要になる。卓越したスピードを備えていなければできない芸当だ。

サンデーサイレンスの初年度産駒フジキセキは青鹿毛の美しい馬だった。

馬体にサンデーサイレンスほどのスマートさはなかったが、スピード能力は群を抜いた。2歳GⅠを勝ち、トライアル弥生賞も圧勝。これからというときに故障、引退──。
しかしフジキセキのスピード能力は産駒に伝わり、キンシャサノキセキ、ファイングレイン、ダノンシャンティ、サダムパテック、コイウタ、エイジアンウインズ、ストレイトガールと1200~1600mのGⅠ馬を複数送り出した。こうしてみると、スピードはあるが、どことなく不器用なタイプが多く、早い時期から活躍しながら高齢になってもパフォーマンスを落とさない馬が多い。
フジキセキが無事に現役生活を送っていれば、こんな成長曲線だったのだろうか。
であれば、クラシックは距離が長かったかもしれない。

──いや、フジキセキが晩年に送り出したイスラボニータがいるじゃないか。

POGドラフトで早期デビュー組を奪い合うのは、今となっては恒例行事になった。
イスラボニータはそのきっかけを作った一頭だ。2012年、日本ダービーから日本ダービーへというフレーズとともに新馬戦開幕が、日本ダービー翌週の6月1週目に繰り上げられた。その2年目にあたる2013年6月2日、イスラボニータは初陣を迎えた。

毛色こそ青鹿毛のフジキセキに似た黒鹿毛だが、腹袋が薄く、長く見える四肢、スマートな首さしはサンデーサイレンスを彷彿させた。余談だが、この新馬戦、のちにダイヤモンドSを勝つトゥインクルが出走、10着だった。

スタートで大きく遅れたイスラボニータは後方からレースを進め、4コーナーで大外を回り、一気に追い上げて抜け出した。不器用だが、スピードがある、フジキセキ産駒らしい内容だった。

2戦目は新潟2歳S。18頭立ての内枠で出遅れ。道中は馬群に突っ込む形になり、デビュー戦のように外に出させてもらえなかった。長い新潟の直線で馬群を縫いながら順位をあげたイスラボニータは、後方から大外一気を決めたハープスターの2着。不器用ではあるが、狭いところを苦にせず、瞬間的に横に動けるスピードを持つことが判明したことは、収穫だった。

いちょうSで出遅れを克服したイスラボニータは東京スポーツ杯2歳Sに挑む。内枠から発馬を決め、3番手のポケットに収まったイスラボニータはあふれるスピードをギリギリで我慢する。最後の直線、ホッカイドウ競馬所属のプレイアンドリアルが外から先頭に立つ。
残り400m標識を通過。まさに唸るような手応えで馬はゴーサインを急かす。自信に満ちた蛯名正義騎手は、プレイアンドリアルの脚色と目前の進路を見極める。内から2頭目に進路を定め、手綱を解放すると、イスラボニータは見事な二段階加速を見せ、食い下がるプレイアンドリアルを競り落とした。

それから3カ月。
同じ舞台の共同通信杯。
コース脇に残雪が残る真冬の東京で、イスラボニータはまたも躍動する。
かつて苦手だったゲートももっとも早く、蛯名騎手によってスピードの制御をなんとかこなし、好位のインに潜む。勝負所で外からサトノアラジンが我慢しきれず動く。それを横目で確認しても蛯名騎手は動かない。

──残り400m。
サトノアラジンの脚色がいいと踏んだ蛯名騎手はその外に馬を誘導する。イスラボニータは無駄のない動作で外目へ切りかえる。サトノアラジンはもう目一杯追われているが、手応えはゾクゾクするほどに馬なりのまま。飲み込むように並びかける。残り200mから追い出されたイスラボニータは内から抵抗するベルキャニオンを寄せつけなかった。
最後の600mタイムは33.2。序盤、好位で流れに乗りながらこの記録。抵抗できる馬がいるはずがない。

皐月賞は初の中山、未経験の2000mだったため、弥生賞を勝ったトゥザワールドに次ぐ2番人気だった。

小回りの中山では東京で見せたゾクゾクする手応えではなかった。しかし勝負所でトゥザワールドに外へ張られても、ひるむことなく、バランスを保ちながら直線でさらに加速、同馬を突き放し、1馬身1/4差の快勝。

父フジキセキに、初のクラシックタイトルをもたらした。

二冠がかかった日本ダービー。

フジキセキが果たせなかった夢、蛯名騎手の悲願成就への期待と得意の東京競馬場、ファンは1番人気に支持した。イスラボニータはデビュー時よりさらに四肢を長く見せ、柔らかい歩様でパドックを周回する。デビュー当時に目立った遊ぶような仕草は消え、上機嫌でいつでも走り出しそうな雰囲気を醸す。レースではトーセンスターダムの背後、外目の好位につけ、制御された走り。そして4コーナーから最後の直線。蛯名騎手の手綱は微動だにしない。3歳馬には厳しい東京芝2400m、イスラボニータの手応えはスタート直後と変わらない。

ゾクゾクを超えた雰囲気で迎えた残り400m。
蛯名騎手はこれまでと同じように一瞬、外を見た。

そこには皐月賞とは一転、先行策を仕掛けた横山典弘騎手とワンアンドオンリーが迫っていた。少しだけ焦った──私には、そう見えた。だが、イスラボニータにはこれまで培った二段階加速という武器がある。蛯名騎手が追い出す。イスラボニータが応える。ワンアンドオンリーがにじり寄る。フォームが崩れるほどの気迫を見せる蛯名騎手。並びかけるワンアンドオンリーには橋口弘次郎の執念が宿る。

残り100m。ハーツクライの仔ワンアンドオンリーのスタミナがイスラボニータを上回りはじめる。イスラボニータは皐月賞馬の誇りをかけて抵抗する。だが、日本ダービーの直線はここからが長い。ワンアンドオンリーがイスラボニータを競り落とした地点。ゴール板はそこにあった。

ゾクゾクするほどの手応えであっても、負けるときは負ける。

フジキセキがイスラボニータに伝えるスピードが、ハーツクライから譲り受けたワンアンドオンリーのスタミナに敗れた。フジキセキの無念も蛯名正義の夢も叶えられなかったイスラボニータだが、ほかの産駒と同じく、マイル戦をこなすスピードと成長力、息長く走れる活力を武器に自ら道を切りひらくことになる。

6歳シーズンの終わりに迎えた阪神C。
イスラボニータの引退レースは芝1400m。パドックではいつものように上機嫌。レースでは3歳のときと変わらない闘争心で狭いスペースに突っ込み、器用にそれをかきわけ、先に抜け出したダンスディレクターを捕らえ、自ら第二の馬生への門出を祝した。

クラシックを走り、マイルGⅠで善戦し、6歳の終わりに重賞を勝つ。

もしもフジキセキが無事に競走生活を全うしたとしたら、そのたらればの答えがイスラボニータだったような気がしてならない。父や自身、そして蛯名正義調教師の夢を叶える産駒の出現を心待ちにしたい。

写真:Hiroya Kaneko

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