それは116年の物語。ウメノファイバーがつないだ遠い血の記憶。

1999年の競馬について記憶をたどってみる。

最近、書籍の仕事でこうやって昔の競馬について調べる機会が増えた。
この頃の私はいわゆる新米競馬ファン。単勝10倍の馬の勝利に「荒れましたね」なんて訳知り顔をしてしまう初心者であり、日曜日のメインレースだけ参加するようなライトな層に属していた。もちろん、記憶がないわけではないが、正直、もうかなり遠い昔の感覚だ。昔のことはよく覚えているというが、こと競馬については情報の上書き量が激しく、そうもいかない。なにより、今のような沼に溺れるほどではなかったので、情報自体が薄っぺらい。だが、その頃に感じた衝撃や印象は情報量が少ないからこそ、鮮烈だったりする。細かいことやレースレベル云々といった分析もまだ持ち合わせていなかった分、目の前で繰り広げられる競馬を素直に受け入れていたような気がする。沼の中はそれはそれで楽しいが、いささか不感の自分もいる。それはある種の達観ともいえよう。だから余計に最近、競馬場で目に見えて増えた若い競馬ファンが微笑ましくあり、羨ましくもある。彼ら彼女たちの目に映る競馬はどんな風景だろうか。あの頃の自分と同じように少し背伸びしてみせたり、想像を超える結末に理解が追いつかない焦りを感じているかもしれない。やがて、夢中で駆けていく先に沼が見えてくる。いや、気がつけば沼の中にいる。まるで山奥の湯治場にある林と岩に囲まれた湯のように、普段の風呂より少し熱を帯び、心に沁み、ほんの少し体を浮かせる。

この年の牝馬クラシックは異例の連闘策で2歳女王に就いたスティンガーが一転してぶっつけで桜花賞に挑み、ファンに動揺と期待を抱かせた。相手は4歳牝馬特別を勝った武豊騎手が乗るフサイチエアデールとチューリップ賞2着で河内洋騎手(当時)のパートナー・ゴッドインチーフ。若武者・福永祐一騎手(当時)がコンビを組む前年ファンタジーS優勝馬プリモディーネ、武豊騎手から幸英明騎手にスイッチしたトゥザヴィクトリーがそこに挑むという図式。上位人気5頭中3頭がサンデーサイレンス産駒で、チューリップ賞を逃げ切ったエイシンルーデンスを合わせると同産駒は4頭。そんな時代だった。

そんな桜花賞はエイシンルーデンスが前走の再現を狙って逃げ、トゥザヴィクトリーがついて行き、前半800mはチューリップ賞より0秒8も速く、明らかに違う競馬になった。たとえ同じ舞台であっても、前哨戦と本番では見せる顔がまるで違う。それは今も昔も変わらない。

激しい競馬を制したのは福永騎手とプリモディーネ。粘るトゥザヴィクトリーと満を持して抜け出したフサイチエアデールを大外から勢い任せに一気に差し切った。福永騎手、はじめてのGⅠ勝利にノスタルジックな熱を感じる。

このレースで8番人気6着に敗れたのがウメノファイバーだ。重賞2勝目をあげたクイーンCでようやく6キロ増やした馬体重を桜花賞で4キロ減らして出走したウメノファイバーは、初重賞をプレゼントしてくれた蛯名正義騎手(当時)を背に女王の座に挑んだ。416キロの小さな体で少しだけ大きいフサイチエアデールに真っ向勝負を挑み、最後の直線は一瞬、併せ馬の形を作るも、坂を上がると、突き放されてしまった。何度も何度も同期の武豊騎手に挑む蛯名正義騎手はどこか泥臭く、関東の熟練競馬ファンを沸かせた。

続くオークスは桜花賞でハイペースを堪えたトゥザヴィクトリーが武豊騎手を迎えて1番人気、出遅れが響いたスティンガーが地元に戻ったことで巻き返すと評価され2番人気、桜花賞の翌週に大ケガを負った福永騎手から藤田伸二騎手(当時)に乗り替わったプリモディーネが3番人気に支持され、4番人気はゴッドインチーフ、父リアルシャダイで距離面で魅力だった5番人気横山典弘騎手とクロックワークまでが単勝オッズ一桁台。距離不安を指摘された四位洋文騎手(当時)が乗るフサイチエアデールは6番人気と人気を落とし、ウメノファイバーは7番人気だった。桜花賞が力負けと見られたことに加え、初勝利が函館芝1000m、加えて芝1800mの札幌3歳Sで着順を落とし、つづく芝1400mの京王杯3歳Sを勝つという経歴から距離不安も指摘された。サクラキャンドルを出した父サクラユタカオーで距離不安はなかろうと思うが、サクラバクシンオーの父でもあり、オークスの少し前に京王杯SCでエアジハードがグラスワンダーと好勝負が演じた流れもあっただろうか。

一方で、関西輸送で減らした馬体は地元での競馬とあって、+12キロ428キロとすっかり戻っていた。小さな体で一気に12キロも増えたのは大きく、いま、振り返れば、ウメノファイバーはわずか1カ月で急成長を遂げたものと推理できる。サクラバクシンオーもサクラキャンドルも短期間で一気に強くなった。サクラユタカオーはどちらかというとハーツクライに近い。

ウメノファイバーは母系も底力を伝える。母ウメノローザはのちにアブクマポーロが連覇する大井のグランドチャンピオン2000の第2回勝ち馬。1986年、日本初のナイター競馬を開始した大井競馬が売上増の勢いを背に新設した高額賞金レース・グランドチャンピオン2000はナイター競馬終幕を告げる一戦であり、2001年、ほぼ同時期にJBCが創設されたのを機に役目を終えた大井2000mで行われる南関東のチャンピオン決定戦だ。ウメノローザは第2回で初代王者1番人気ダイコウガルダンを12番人気で破る番狂わせを演じた。さらにその母ウメノシルバ―から血統をたどると、牝馬ながら皐月賞を勝ち、日本ダービー2着、秋にオークスを勝った(当時のオークスは秋だった)トキツカゼがいて、小岩井農場の基礎輸入牝系のひとつフラストレートにたどり着く。日本近代競馬発展の礎となったフラストレートの血は2022年高松宮記念を勝ったナランフレグにも流れる。

母系のスタミナを伝える重厚な血に急成長を遂げるサクラユタカオーが注がれたウメノファイバーはオークスで花開いた。後方で脚を溜め、蛯名騎手は最後の直線で馬場の大外へ。前では武豊騎手とトゥザヴィクトリーが一歩先に抜け出し、先行集団を振り切った。勝ったと思ったのも束の間、蛯名騎手の激しいアクションに応えたウメノファイバーが飛んできた。ゴール前の脚色は明らかにウメノファイバー。泥臭くても果敢に挑む蛯名騎手の執念が実を結び、わずかハナだけトゥザヴィクトリーより前に出た。これだから関東の競馬オヤジは蛯名のファンを辞められない。みんな、「エビナっ!」と叫びたいのだ。

こうして樫の女王に就いたウメノファイバーは繁殖牝馬となり、自身の体に流れる伝統ある血を後世に伝えていった。ダービー馬スペシャルウィークとの間に生まれた初仔レディーダービーはヴェルデグリーンを送り、そして2022年京都2歳Sを勝ったグリューネグリーンを出した。

2023年日本ダービー。小岩井牝系フラストレートの血を伝えるウメノファイバーの子孫が走る。トキツカゼのダービーから76年、フラストレートが日本にやってきたのは1907年だから、116年の物語である。

私の競馬の記憶など、新米と大して変わらないじゃないか。

まだまだ沼の底は見えそうにない。

写真:かず、かぼす

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