異色の皐月賞馬、ロゴタイプ〜栄光と挫折、そして復活した王者~

現在ほどレース体系が整備されていなかった昭和や平成の初期に、1200m以下のレースでデビューを迎えた馬が春の牡馬クラシックを勝つことは、決して珍しいことではなかった。ただ現代では、そういった馬達の大半は、デビュー前から翌春の大舞台を意識され、1600m以上のレースでデビューを迎えている。

実際、芝1200m以下のレースでデビューを迎えた皐月賞馬は、"ある一頭"を除けば、1994年に三冠を達成したナリタブライアンまで遡らねばならない(2021年4月現在)。ダービー馬に関しても、2002年の勝ち馬タニノギムレットは、ダート1000mという異色の条件でデビューしたものの、初勝利は芝の1600m。芝の1200m以下でデビューしたのは、1995年のタヤスツヨシまで遡る必要がある。

この1995年といえば、初めてサンデーサイレンス産駒が3歳クラシックを走り、日本競馬の大きな転換点となった年。以後、春の牡馬クラシックを勝つ馬は、父系にサンデーサイレンスを持つ馬が大半である。一方、サンデーサイレンスが出現するまで、日本競馬を支配していたノーザンダンサー(ノーザンテースト)の血を父系に持つ馬が、春の牡馬クラシックに出走すること自体、現代ではかなり珍しいことになってしまった。

そういった意味で、父系がノーザンダンサーの系統に分類され、なおかつ、芝の1200m以下でデビューを迎えた牡馬クラシックの勝ち馬は、かなり異色の存在といえる。

名門の粋を集めたような血統

2010年3月10日。
後に『ロゴタイプ』と名付けられる一頭のサラブレッドが、社台ファームで産声をあげた。

父のローエングリンは現役時に2~8歳まで走り48戦10勝。重賞も4勝し、無事是名馬というフレーズがピッタリだった馬だった。GI勝ちこそなかったものの世界的な良血で、父シングスピールは、芝とダートの世界最高峰のレース、ジャパンカップとドバイワールドカップを制覇。母のカーリングも、現役時にフランスオークスとヴェルメイユ賞を制している。

そのため、GⅠ勝ちのないローエングリンが種牡馬入りしたことも、決して驚くことではなかった。

また、ロゴタイプの母の母スターバレリーナも、1993年のローズステークスを勝利。続くエリザベス女王杯では1番人気に推されたほどの馬で、引退後、繁殖牝馬となっても2頭の重賞勝ち馬を輩出している。その、スターバレリーナとサンデーサイレンスの間に生まれたのが、ロゴタイプの母ステレオタイプだった。

そして、ローエングリンと、ステレオタイプ・スターバレリーナ親仔は、共に社台ファームが生産し、社台レースホースの縦縞の勝負服で走った馬達。そのため、ロゴタイプは決して目立たないながらも、社台ファームの粋を集めたような隠れた良血馬だといえる。

そんなロゴタイプは、社台グループオーナーズで募集され(吉田照哉氏の名義)、美浦の田中剛厩舎に入厩。そして、2歳戦が始まって間もない6月24日の函館芝1200mの新馬戦で、早くもデビューの時を迎えた。

確かに、直前追い切りでの動きは目立っていた。
ただ、種牡馬のリーディングを獲得したアグネスタキオンやマンハッタンカフェ産駒、さらには、前年の三冠馬オルフェーヴルと同じステイゴールドの産駒を差し置いて、ローエングリン産駒のロゴタイプが断然の支持を集めたことは驚きでもあった。

レースでは、スタート後ややダッシュがつかなかったものの、5番手追走から徐々に前との差を詰めると、直線では鞭を使われることなく快勝。2着馬とはクビ差だったものの、戦前の圧倒的な支持が正しかったことを証明し、まずは無事に初陣を飾った。

続いて、ロゴタイプは函館2歳ステークスに出走。前走のタイムが平凡だったためか、ここでは一転して14番人気と低評価だったものの、勝ち馬から0秒1差の4着に健闘する。さらに中2週で挑んだクローバー賞では、距離延長や大幅な馬体重減を跳ね返し3着。1ヶ月後の札幌2歳ステークスでも、勝ち馬から0秒7突き放されたものの4着に善戦した。

こうして、デビューから2ヶ月で4戦を消化したロゴタイプの“北海道合宿”は、目まぐるしくも中味あるものとなった。ただ、1200m戦でデビューしたことや、短期間で4走したことは、クラシックを狙う馬には、なかなか見られないローテーションでもある。

──ところが、これが功を奏したのか、まだかなり緩さが残っていたロゴタイプの馬体は、この後の遅い夏休みを経て、まるで馬が変わったかのような成長を見せるのだった。

迎えた5戦目は、札幌2歳ステークスからおよそ3ヶ月後、2歳500万クラス(現・1勝クラス)のベゴニア賞。ロゴタイプの馬体重は、前走から18キロ、2走前からは実に26キロも増加していた。

このレースからコンビを組んだミルコ・デムーロ騎手は、それでもまだ緩かったと後に振り返っている。それでも北海道シリーズから比べると緩さがかなり抜け、見た目にも太さを感じさせることはなかった。

同じく前走重賞4着から臨んでいたメイショウオオゼキとタイセイドリームを下回る4番人気に甘んじていたが、レースでは、これまでと一変するような走りを見せつける。

この日も良いスタートを切ったロゴタイプは、あっという間に好位の3番手をキープし、平均ペースで流れる道中も、しっかりと折り合うことに成功。

迎えた直線。逃げ馬の内にわずかに空いたスペースを伸びると、坂を上りきったところで、マンボネフューと共に後続を一気に突き放した。そして、そのマンボネフューに対しても並びかけることを許さず、1馬身半差をつけて1着でゴールイン。

勝ちタイムの1分33秒6は2歳コースレコード。3着との差はさらに4馬身も開いていて、圧勝といえる内容だった。

この時点でも次走は全日本2歳優駿と朝日杯フューチュリティステークスの両にらみだったものの、最終的には、朝日杯フューチュリティステークスへ挑戦することが決定。この年は重賞連対馬やオープン勝ち馬が多数登録していて、2勝馬でも抽選の対象となったが、無事にその第一関門をクリアしゲートインへとこぎ着けたのだ。

しかし、このレースには、コディーノという圧倒的な存在感を放つ馬が出走していた。2走前の札幌2歳ステークスで4着に敗れた相手である。その後も、“出世レース”の東スポ杯2歳ステークスを2歳JRAレコードで完勝し3戦3勝。この時の単勝オッズ1.3倍は、1997年の勝ち馬で“怪物”と評されたグラスワンダーに並ぶものだった。

対して、ロゴタイプは7番人気。いわゆる、穴人気をしていたものの、オッズは34.5倍。支持率では、コディーノに大きく水をあけられていた。

ゲートが開くと、やや引っかかりそうになりながらも、この日も難なく先行集団に取り付いたロゴタイプは、勝負所の3~4コーナー中間。中団から一気に上がってきたコディーノを追うように、一度は先頭に並ぶところまでポジションを上げる。

800m通過は45秒4、1000m通過が57秒3というハイペースではあったものの、持久力で勝負するロゴタイプにとっては、むしろ好都合だった。一方、勢いがつきすぎたコディーノは一度5番手まで下がり、ロゴタイプもそれを見て少し下げたが、デムーロ騎手は、すぐさまロゴタイプを再加速。直線の入口では、早くも逃げるネオウィズダムに並びかけた。

迎えた直線勝負。すぐにロゴタイプは先頭に立ち、後続に1馬身のリードをとる。そこへ、すかさずコディーノが自慢の瞬発力を発揮して並びかけ、坂の上りからは2頭の完全なマッチレースとなった。

しかし、デムーロ騎手が左鞭、続いて右鞭を連打すると、それに反応したロゴタイプは、コディーノの瞬発力に対抗するように持久力を発揮。すると、道中ハイペースの中で動いたことが響いたか、コディーノはあと少しのところから、なかなか前に出ることができない。ジリジリと差は詰まったものの、最後まで2頭の鼻面は合うことなく、クビ差リードしたロゴタイプが1着でゴールイン。

わずか3ヶ月前に子供扱いされたライバルに対して強烈な倍返しを見舞い、充実の秋を迎えたロゴタイプは、一気に2歳王者へと上り詰めたのだった。

王者の走りで、世代最強馬へ

年が明け、2歳王者=クラシックの最有力候補となるはずのロゴタイプだったが、この世代には、さらにもう2頭、クラシック候補と評される逸材が関西に控えていた。

──エピファネイアとキズナである。

デビューから2連勝した2頭は、年末のラジオNIKKEI杯2歳ステークスで初めて対戦し、エピファネイアが勝利してキズナは3着。さらに弥生賞では、コディーノを加えた3頭が激突したものの、勝ったのはカミノタサハラで、コディーノが3着、エピファネイア4着、キズナ5着という結果になっていた。

一方のロゴタイプは、スプリングステークスから始動。

前走はレースレコードタイでのGⅠ勝利だったにも関わらず、依然として懐疑的な目で見られていたためか、1番人気とはいえ、オッズは3.4倍だった。しかし、この日も好スタートから難なく先行集団の直後につけたロゴタイプは、直線入口で外から先頭へ並びかけると、坂下で後続を突き放す必勝パターンを展開。

まるで、前2戦のリプレイを見るかのようなレース運びで完勝し、クラシック候補生の中では、最も順調な過程を経て本番を迎えるのだった。

そこから1ヶ月後の皐月賞。

キズナは、早々にダービーへと目標を切り替えたため、人気は3頭に集中。それら3頭に、弥生賞を勝利したカミノタサハラを加えた4頭が、単勝オッズで10倍を切っていた。

中でも、スプリングステークスで盤石のレース運び、2歳王者の走りを見せつけたロゴタイプが、最終的に──僅差ながら──GⅠの舞台でついに1番人気に推された。

ゲートが開くと、この日も好スタートを切ったロゴタイプは、序盤は中団に構え、エピファネイアとコディーノをすぐ前に見る展開。これまでのレースに比べれば、やや後ろのポジションにも見えたが、逃げるコパノリチャードが刻むペースは、1000m通過58秒0のハイペース。ロゴタイプは、これ以上ない理想的なポジションでレースを運んでいたことになる。

そして、勝負所の3~4コーナー中間点。自慢の機動力を駆使して勢いをつけたロゴタイプは、先行集団の外を捲るようにして上がると、4コーナーで逃げ馬を射程に捉え、直線へと向いた。

迎えた直線。早々と先頭に立ったロゴタイプは、2番手のエピファネイアに、半馬身ほどのリードをとり逃げ込みを図る。必死に食らいつくエピファネイアとの差はなかなか広がらないものの、ロゴタイプの勢いが劣るような気配はまるでなく、またしても、ライバルが自身の前に出ることを決して許さない。

坂を上ったところで、コディーノとカミノタサハラも差を詰めてきたが、ロゴタイプは、他の17頭を引き連れるような、堂々たる王者の走りと風格を見せつけ、危なげなく1着でゴールイン。ゴール後、場内に流れた

「もう、文句は言わせない。完全無欠の絶対王者誕生、ロゴタイプ!」

アナウンサーの実況が、まさにここ数戦の、ロゴタイプの強さや血統背景、レース前の評価を端的に表していた。

しかも、勝ちタイムの1分58秒0は、古馬のレースも含めたコースレコード。朝日杯フューチュリティステークスでのレースレコードタイも含めれば、この4戦で実に3度のレコードをマークしたことになる。

大一番で、全く隙のない完璧な走りを見せ4連勝を達成したロゴタイプは、文句なしに、2歳王者から世代の王者へと君臨したのだった。

ちなみに、朝日杯フューチュリティステークスと皐月賞を共に制したのは、三冠馬ナリタブライアン以来となる19年ぶりの快挙。また、芝の1200mでデビューした点や、皐月賞をコースレコードで勝利した点も共通しており、たった2走前までその強さを懐疑的に見られていた馬は、記録の面では、歴史的名馬と肩を並べるところまで到達していた。

そして、種牡馬入り以降、右肩下がりになっていた父ローエングリンの種付け頭数も、この年、飛躍的にアップ。前年の30頭から一転、6倍近くとなる176頭に増加し、親孝行にも繋がったのだ。

王の道から一転、長く暗いトンネルへ。

いうまでもなく、ロゴタイプの次なる目標は、ダービーを制しての二冠達成となる。

好スタートから、先行集団につけて直線抜け出す。それでいて、道中の折り合いに心配もなく、機動力に富み、持久力勝負にはめっぽう強い。そんな、ロゴタイプの“王者の走り”は、小回りの中山競馬場では、まさに理想的なスタイルだった。

一方、二冠目のダービーが行われる東京競馬場は、長い直線を生かした差し比べ、瞬発力勝負となることが多く、その舞台で強さを発揮するのはサンデーサイレンスの直系達。とりわけ、この2年前からクラシックを走り始めたディープインパクト産駒はこの舞台を得意とし、前年のオークスとダービーを制していた。

そして、この年のダービーにも、1頭の有力なディープインパクト産駒が出走馬に名を連ねていた。皐月賞回避を早々に表明し、ダービーに目標を切り替えていたキズナである。

弥生賞で5着に敗れたキズナは、その後、毎日杯と京都新聞杯を連勝。ロゴタイプとはこれが初対決となったが「瞬発力を活かせるこの舞台なら、持久力で勝負する皐月賞組を逆転可能」とする見方などから、レース直前で僅差の1番人気に浮上していた。

対して、ロゴタイプには距離への不安があった。

直近4走で3度レコード勝ちしているように、本質的には、1600m~2000mでのスピード勝負に適性があると思われていたことが大きいだろう。そして、実際のレースでも、それらの不安が的中するような結果になってしまう。

この日もスタートを決めたロゴタイプは、いつも通り好位をキープし、平均ペースの中、絶好のポジションでレースを運んでいた。迎えた直線。長い直線を考慮されたか、これまでよりやや遅れて追い出されたロゴタイプ。やはり距離が長かったのか、いつもの堅実な末脚は影を潜め、伏兵のアポロソニックやペプチドアマゾンといった先行馬をなかなか交わすことができない。

そうこうしているうちに、外から一気に襲いかかってきたキズナの瞬発力の前にあっという間に交わされ、エピファネイアにも先着を許し結果は5着。残念ながら二冠を達成することはできなかった。

当然、この時の敗因は距離に求められたものの、盤石のレース運びで4連勝を達成したそれまでとは一転。ここからロゴタイプは、あまりにも長く暗いトンネルの中に迷い込むことになってしまった。

3ヶ月弱の休養を挟んで復帰戦に選ばれたのは、1年前にデビューを果たした地で行われるGⅡの札幌記念。真夏の大一番として親しまれ、毎年GⅠ馬も数多く参戦して盛り上がるレースである。

しかし、この年は札幌競馬場の改修工事に伴って函館競馬場での開催となり、最終的には2ヶ月半のロングラン開催となっていた。さらに、度々の悪天候に見舞われ、芝コースは史上まれにみる極悪馬場と化していた。

結果は、勝ったトウケイヘイローから2秒1も離された5着。しかも、この過酷な馬場によって左後肢の疲れがなかなか抜けずに休養が長引き、なんと、これがロゴタイプにとって3歳シーズン最後のレースとなってしまったのだ。

その後、休養期間はおよそ半年にも及び、復帰戦となったのは翌3月の中山記念。ここは、得意の中山コースということもあり3着に好走したものの、続くドバイデューティフリーでは6着に敗戦。以後、帰国してからの3戦は掲示板も確保できず、4歳シーズンは未勝利のまま幕を閉じてしまう。

迎えた5歳シーズンは、中山金杯から早々に始動。すると、ロゴタイプらしい走りで、久々に見せ場を作ったが、ゴール寸前で同期のラブリーデイに差し切られて2着に惜敗。しかも、皐月賞でマークしたコースレコードを、0秒2更新されてしまった。

続く根岸ステークスでは、牡馬クラシック勝ち馬としては異例といえる、初のダートに挑戦するも8着に敗戦。再び、芝に戻した中山記念では、坂上まで先頭をキープしたものの、内にできたわずかなスペースを突いた1つ年下のオークス馬ヌーヴォレコルトに差され、復活星をすんでの所で逃がしてしまう。すると、そこからはまたしても連対すら叶わず、翌年の中山記念まで5戦未勝利。大敗こそないものの、その5戦の中では富士ステークスの3着が最高。

気がつけば、皐月賞の勝利から実に3年もの月日が流れていた。

突如訪れたトンネルの出口。
そして最後に復活した王者の走り。

6歳シーズンの2戦目。中山記念に続いて出走したダービー卿チャレンジトロフィーで2着となり、16戦勝利なしとはいえ、見せ場を作ったロゴタイプは、2ヶ月の休養を挟んで安田記念に出走することとなった。

ダービー以降、最もコンビを組む回数が多かったのはクリスチャン・デムーロ騎手だったが、この年は2戦とも田辺騎手が手綱をとり、安田記念でもコンビを継続することになった。

ただ、この年の安田記念には、当時の絶対王者が名を連ねていた。

──モーリスである。

前年、4連勝でこのレースを制してGⅠ馬となったモーリスは、その後もマイルチャンピオンシップ、香港マイル、そして香港のチャンピオンズマイルとGⅠを4連勝し、トータル7連勝。およそ1年半も無敗、向かうところ敵なしといった状況で、安田記念連覇は、ほぼ確実視されていた。

また、平成以降の安田記念は、大半が16頭以上の多頭数で行われていたが、モーリスの存在感があまりに大きすぎるためか、この年は28年ぶりに12頭立てのレースとなり、ロゴタイプはオッズ36.9倍の8番人気に甘んじていた。

ゲートが開くと、さほど良いスタートではなかったものの、田辺騎手とロゴタイプは、好スタートを切ったディサイファを制し先手をとった。前目でレースを進めるロゴタイプには、ありそうでなかった戦法。4コーナー先頭はこれまでに何度かあったものの、スタートから逃げの手に出たのは、実に札幌2歳ステークス以来のことだった。

そうなると、当然のようにペースは落ち着き、最初の600m通過は35秒0とスロー。折り合いに苦労する馬が続出し、図らずもその影響を最も受けたのは、初コンビとなるフランシス・ベリー騎手とコンビを組んだモーリスだった。

その後も12秒台のラップが連続し、1000m通過は59秒1。全馬一団となって4コーナーを回り、ここからは瞬発力勝負となった。

迎えた直線。インぴったりを回るロゴタイプは、コーナリングで後続に2馬身のリード。一方、モーリスを含めた2番手以下の5~6頭は、ほぼ持ったままの手応えで、これらすべてにチャンスがあるように思われたが、田辺騎手はそのスキを見逃さなかった。長い東京の直線で早くもスパートをかけ、坂の上りであっという間に4馬身のリードを築き上げる。

慌てた後続のジョッキー達は一斉に追い出したものの、道中、楽をしていたロゴタイプの末脚は全く衰えない。残り100mを切って、ようやくモーリスとフィエロが差を詰めてきたものの、時すでに遅く、大勢は決していた。

絶対王者モーリスに、1馬身4分の1差をつける会心の勝利。自らレースを作り、自らの手であまりにも長かったトンネルの出口をついに掘り当て、3年以上に及んだ雌伏の時を、ついに自らの手で終わらせたのである。

しかも、モーリスの主戦場といえる東京の1600mで、その連勝を止めたことに大きな価値があった。

そしてその価値は、1年後、再び証明されたのである。

この後3戦して勝利を挙げられなかったロゴタイプは、翌7歳シーズンも現役を続行。中山記念3着から3ヶ月の休養を挟み、連覇を目指して安田記念に出走した。

偶然にも、ロゴタイプは前年と同じ8番人気に支持されていたが、そのオッズは14.6倍。いかに、この年が大混戦であるかを物語るオッズだった。

ゲートが開き、またしてもディサイファを制してハナを切ったロゴタイプは、快調に逃げ脚を伸ばす。しかし、600m通過は33秒9、1000m通過も57秒1と、逃げ馬にとっては非常に厳しいペースを刻んでいた。並の馬や、不調に陥っていた頃のロゴタイプであれば、直線早々、あっという間に馬群に沈んでしまっていただろう。

ところが、迎えた最後の直線。坂下でギアを上げたロゴタイプは、前年を再現するようなレース運びで一気にリードを広げ、坂の上りでその差は4馬身となった。

それは、まさに目を疑うような驚愕のパフォーマンス。7歳の古豪が、自ら早い流れを演出してのこの走りである。それは、かつて皐月賞まで4連勝したときに披露した“王者の走り”が復活したシーンでもあった。

しかし──。
最後の最後に末脚が鈍ったところへ、ディープインパクト産駒のサトノアラジンが、瞬発力を爆発させ大外から追込んできた。そして、ゴール前の数完歩でロゴタイプを交わしさり、1着でゴール板を駆け抜けたのだ。

あまりにも大きなクビ差。ただ、連覇の偉業を阻まれたとはいえ、ロゴタイプが現役生活で最も強さを見せつけたのは、この安田記念だったといっても過言ではない。自らハイペースでレースを引っ張り、強豪ひしめく17頭を相手に、最後の最後まで粘り通したのだ。

その後、背中の張りで休養に入ったロゴタイプは、富士ステークスで復帰予定だったが、逆に症状が悪化し同レースを回避。引退と種牡馬入りが発表された。

生涯最高級のパフォーマンスを演じたレースが最後のレースになったことは、あまりにも残念だった。

それから、4年後。
2021年4月14日。門別競馬場で行われた“日本一早い2歳戦”のJRA認定フレッシュチャレンジに、ロゴタイプ産駒のエイレーネが出走。種牡馬としては同期となる、コパノリッキー産駒のラブミードールに敗れ5着に終わったものの、まずは無事にデビューを迎えることができた。

他の種牡馬としては、安田記念で惜しくも先着を許したサトノアラジンや、1つ年下の皐月賞馬イスラボニータ、そしてスーパースターのキタサンブラックが同期にあたる。また、現役時に同期だったエピファネイアとキズナは一足先に種牡馬入りし、既に成功を収めている。

ディープインパクトやキングカメハメハがこの世を去り、近い将来、日本競馬は新たなステージを迎えることだろう。その、新たな時代の中心に立つため、現役時に異色のスタイルで活躍したロゴタイプの産駒は、父と同じように、エピファネイアやキズナの産駒、そしてサトノアラジンの産駒とも戦っていかなければならない。

その父が、かつて皐月賞や安田記念で見せたような“王者の走り”を継承する産駒は出てくるだろうか。また、かつて自らがそうしたように、親孝行を成し遂げてくれる産駒が現れるだろうか。日に日に、期待は増すばかりである。

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