
天皇賞(春)を連覇したフィエールマン、重馬場の皐月賞を豪快に差し切ったソールオリエンス、そして2025年の天皇賞(秋)を勝ち、世界とも肉薄したマスカレードボール。翌26年もクラシックに主役の一頭、リアライズシリウスを送り込むなど、いまや美浦のトップ・トレーナーの一人に数えられる手塚貴久調教師。
その資質は開業当初からすでにその片鱗をのぞかせていた。
初年度から早速重賞を勝ち、開業からわずか5年で100勝を達成。2005年にはグレイスティアラで全日本2歳優駿を制し、悲願のGI級トレーナーの仲間入りを果たした。
着々とステップアップを続けた手塚調教師だったが、クラシックや八大競走などのビッグタイトルには中々手が届かないでいた。当時の管理馬にはどちらかと言えば、短距離~マイルで活躍する馬が多かったこともあったのかもしれない。
そんな折、一頭の牝馬が手塚調教師の元へやってくる。それが父ファルブラヴ、母セシルブルースの間に産まれた栗毛馬、アイムユアーズだった。

■VS女王2頭
デビュー前のアイムユアーズを見て、手塚調教師は「格好いい馬」と評す一方で、「芝のスピード競馬へ対応できるかどうかは半信半疑だった」とその第一印象を語っている。
ファルブラヴ5世代目の産駒。この時点で重賞を制するような走りを見せていた馬はワンカラットくらいで、まだあまり活躍馬を多く出している状況ではなかった。判断が難しかったのかもしれない。
しかし、アイムユアーズはいい意味で期待を裏切った。
2戦目で勝ちあがると、4戦目のファンタジーSで早くも重賞勝利。8番人気と伏兵扱いだったGI阪神ジュベナイルフィリーズでも超良血馬ジョワドヴィーヴル相手に2着と大健闘する。
距離延長も見事にクリアし、2歳時は5戦して連対率100%。同世代ではトップクラスの一頭であることを証明した。
3歳初戦は桜花賞トライアル、フィリーズレビュー。好位から抜け出す鮮やかな競馬で、これを快勝。堂々本番へ向かうこととなった。ここまで重賞2勝、GⅠでも連対。クラシックの頂は、すぐ手の届くところにあった。
──普通ならば。
時代が悪すぎた、というべきか。ジェンティルドンナとヴィルシーナ。2頭の女王が同世代にいたのである。
桜花賞では中団やや前目から果敢に攻め、あわやという場面を作り出した。しかし最後はジェンティルドンナの急襲に屈し、ヴィルシーナにも粘られて3着。それでも半馬身+半馬身の差だったことを思えば、逆転の目は残されていた。
しかし、リベンジを賭けたオークスではその差がさらに開く。輸送がないにも関わらず、体重はマイナス6㎏。デビュー以来最低体重となってしまった。
レースでは積極的な先行策を取るも、ジェンティルドンナ、ヴィルシーナは遠く、初めて馬券内から外れる4着に敗れてしまう。
改めて言うまでもなく、この年ジェンティルドンナは三冠牝馬となる。その強さは牝馬の枠を超えて、古馬王道路線で猛威を奮い、最終的にはGIを7勝まで積み上げた。
アイムユアーズは牝馬三冠を皆勤こそしたが、桜花賞3着、オークス4着、秋華賞6着。頂点には今一歩届かなかった。
一方、三冠全てで2着となったヴィルシーナは、後々ヴィクトリアマイルを連覇。2013年の当レースにはアイムユアーズも参戦したが、生涯唯一の逃げを打って8着に沈んでいる。
結局、アイムユアーズは2頭の女王には一度も先着することはできなかった。
■クイーン・オブ・クイーンS
女王2頭の激戦もアイムユアーズを語る上で欠かせないトピックではあるが、やはりハイライトとなると「クイーンS連覇」になるだろう。
話は少し遡って、3歳夏。
オークス後、しばしの休息を挟み、復帰戦に選ばれたのは世代限定のトライアルではなく、夏の北海道、古馬混合のクイーンSだった。休養が功を奏したのか、オークスで減った体重は戻り、さらにビルドアップされた姿がそこにはあった。これは手塚調教師が望む以上の成長だった。
もしかしたらこの時にこそ、「走る牝馬のロールモデル」の輪郭が見えたのかもしれない。
アイムユアーズは期待通りの走りを見せる。好位から抜け出すと、ほぼ最後方から突っ込んできたラブフールの猛追を首差しのいで優勝。ちなみにこの時の4着馬が、3か月半後にエリザベス女王杯を勝つことになるレインボーダリア。レースレベルも決して低くはなかっただろう。
秋に向けて弾みの1勝……となるはずだったが、ここからアイムユアーズに苦難が続くことになる。
先述した通り、秋華賞でジェンティルドンナ、ヴィルシーナに再び挑むも6着。この敗戦を機にリズムを崩したのかマイルCS、阪神牝馬S、ヴィクトリアマイルと見せ場もなく3連敗を喫してしまう。
調教の動き、調子そのものは好調だった。純粋にGⅠの壁が高かったのか。あるいは何か別の要因があるのか。
復活を期して陣営が選んだのは、相性の良い北海道の地。前年に制したクイーンSだった。
この年、札幌競馬場はスタンド改修工事が行われた影響で、開催はすべて函館競馬場へと変更。何の因果か、函館はアイムユアーズのデビューの地であり、初めて勝利をあげた場所でもある。
勝利の記憶が呼び起こされた、と考えるのはいささかロマンチックが過ぎるかもしれない。だが、期待する声は多かったのだろう。4連敗中ながら1番人気に支持される。
そして、アイムユアーズはそんなファンの思いに応えた。
番手先行から抜け出すと、直線は早めに抜け出す。外からは猛然とスピードリッパーが差し込んできたが、スッと反応するとそのまま押し切り。1年ぶりの勝利を、クイーンS連覇という最高の形で手にした。
見事な復活。鞍上の戸崎騎手も「これからが楽しみ」とレース後にコメントしていたが、続く札幌記念後に脚部不安を発症。復帰に向けたプランも検討されたが、急転直下で引退し、繁殖入りが発表された。
重賞4勝で、クイーンSを連覇。ライバルたちと覇を競い、勝利こそなかったがGⅠでも好走した。まさに“夏は牝馬”を体現したクイーン、その夢は次世代へと受け継がれていく。
■受け継がれるもの
クラシックを競い合った2頭の女王、ジェンティルドンナとヴィルシーナ。2頭は繁殖となっても優秀だった。共に重賞ウィナーを輩出しており、ジェンティルドンナにいたってはGIウィナーの母になった。
また、実は同期には繁殖となって優秀だった馬が多く、ジオグリフの母アロマティコや、アドマイヤズームを輩出したダイワズームなどがいる。繁殖的には、大当たりの世代だった。こうして産駒が活躍すれば、彼女たちの名前もまたクローズアップされ、後世に繋がっていく。
一方、アイムユアーズの仔たちの重賞勝利は未だなし。現時点での「繁殖成績」だけを見れば、確かに同期たちにおくれを取っている。しかし、競走馬が「遺すもの」「繋ぐもの」は自身の産駒だけではない。
2013年の桜花賞。手塚調教師が手がけるアユサンが勝利し、念願のクラシックを勝った。2021年にはユーバーレーベンがオークスを、翌年にはウインマリリンが香港ヴァーズを制した。
手塚調教師は語っている。
“自分にとっては“走る牝馬”の基準というか、指針というか、そういう存在の馬でした。実際にその後、良い牝馬と出会うと、『アイムユアーズと比べてどうか?』とか、『アイムユアーズのようにもっていくにはどうすれば良いか?』とか、そういう感じで考えるようになりました。だから厩舎にとってはもちろん、自分にとってもなくてはならない存在の馬と言ってよいでしょう
Number Web 2021/07/31より引用”
戦績や血統表には載らないものがある。
アイムユアーズが繋ぎ、遺したもの――それは馬を視る目であり、調教の仕方であり、強い競走馬を作るための哲学だった。大袈裟だが、もしアイムユアーズとの日々がなければ、アユサンもユーバーレーベンもウインマリリンも存在しなかったかもしれない。
繁殖として走る産駒を出すことは大事だ。しかし、アイムユアーズがもたらしたものも、一頭の強い馬を世に送り出すことと同等に得難く、大きな財産となった。
いつかはチーム手塚厩舎で、チーム・アイムユアーズで。直仔に繋がる物語が描かれる日を待っている。
写真:Horse Memorys

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